形而上学

(けいじじょうがく metaphysics)

ちょうどわれわれが地球の表面しか知らず、 内部の巨大で密度の高い塊を知らないように、 われわれは事物や世界について、 その現象--すなわち表面--以外は経験的に何も知らない。 この現象についての正確な知識によって成り立っているのが、 もっとも広い意味での物理学(physics; 自然学)である。 しかし、 この表面には単に面積だけでなく体積をも伴った内部があるはずだということ、 そしてこの内部の特徴についての推測、 これらは形而上学(metaphysics)のテーマである。

---ショーペンハウアー

[カントの]主著『純粋理性批判』(1781)の問題とするところは、 形而上学が学問として成り立つかどうか、ということであった。 ---形而上学は、「世界」は全体としてどういうものか、「神」は存在するか否か、 人間の死後の運命はどうか(「魂」は不死かどうか)、というような、 人間の理性の発する究極的な問いに答えようとするものである。 そしてそういう問いに対する答えを、 伝統的形而上学(カントにとっては、ライプニッツ、ウォルフの形而上学)は、 学問的知識を与えようとした。 ---しかしそれは本当に学問的知識とみとめうるものであろうか。

---野田又夫

形而上学に長けているということは、 無神論を主張するということでも、 理神論を主張するということでもない。 形而上学は不信心でも軽信でもない。 形而上学は、何が神のものであり、 何が天使のものであるかを知ることではない。 また、 神も天使も存在しないと知っていると告白することでもない。 魂が死すべきものであると主張することでもないし、 魂が不死であると主張することでもない。 形而上学とは次のようなものである。 神や天使について、 魂の不死あるいは可死について語るさいに(……) 自分の話している言葉の意味を知ることであり、 また他人にも知ってもらうことができることである。

---ベンタム

形而上学とは、個々の実在物を超えた真理を研究する学問といった意味だが、 その真理なるものの真理なるゆえんは証明できるわけではない。 別言すれば、証明できない真理を前提にして構築された妄想体系ということになる。 俗に言うイデオロギーである。

---呉智英


難しい学問。とくに日本語では「形而上学」という漢字から その意味を知るのは不可能であろう。

物自体の項も参照せよ。

(15/May/2001更新)


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Mon Nov 3 17:54:01 JST 2008