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がん医療フォーラム 2018 がんを知り、がんと共に生きる社会へ
【第1部】基調講演「地域とつなぐ、社会とつながる」
当事者が考える「がんと共に生きる社会」とは

桜井 なおみさん(一般社団法人CSRプロジェクト 代表理事)
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桜井 なおみさん
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病気になって気づいたこと

皆さん、こんにちは。私は2004年に病気をしたので、それから14年たっています。ですが、それで自分が治ったような気持ちになっているかというと、まったくそんな気持ちにはなれないのですね。今でも、次のがんが来るかもしれないし、何が起こるか分からないと思っています。当時は30代でしたので、周りに同世代のがんの患者さんを見つけることが本当に大変でした。ブログを始めたときに初めて、同じ仲間がいるということに気付き、励まされた思い出があります。

病気になって最初に思ったのは、人生の再設計が必要だなということでした。どう再設計するか考えていったときに、同じがんの患者さんの言葉というのが、自分が生きることを支えてくれたと、私は思っています。それは、「がんは、寝て治る病気じゃないよね」という、この一言でした。そこから現実を受け止め、「今できる最善の選択をしていこう」ということが、自分の人生のモットーになってきたと思っています。

電話相談やサロンで触れる当事者の悩み

今、私は、がんの患者さんが働く株式会社を経営しています。12名のがんの患者さんであるスタッフと一緒に毎日働いています。それから、患者支援団体をやっていて、無料の電話相談で、仕事の悩み、お金の悩み、どう学校を続けたらいいのかなどといった悩みを聞いています。また、夜の患者サロンというのもやっています。昼間だと、会社に行かなくてはいけないなど制限があり、夜のほうが時間を確保できると考えて夜に開催しています。
最近、電話相談に、企業の方から電話がかかるようになりました。「うちの部長が」「うちの部下が」といったかたちで職場の中での相談です。このような治療と就労の両立支援に携わる方向けに、「就労サポートコール」という別の電話相談もつくりました。

病気をされたときには、決めなければいけないことがいっぺんにやってきます。どれを最初にやったらいいのか本当に分からない混乱状態になっていくのです。「親にどう言おうか」「周りにどう言おうか」「治療方法も決めなきゃ」「入院するからパジャマも買いに行かなきゃ」といった具合です。こんなときには、人に聞いたほうが早いのです。そのような状況になったら、ぜひ聞いてください。人に話すことで、自分の感情や自分の困りごとも整理できてくるものです。人に尋ねたり、相談したりするということが大切です。がん相談支援センターも含めて利用していただければと思っています。

がんになって思うこと、知ってほしいこと

今日のテーマは「がんとの共生」ですが、「がんが怖い理由」というのを、皆さんに考えていただきたいと思います。「がんは怖いですか?」「なぜ怖いですか?」。怖いですね。なぜ怖いかというと、自分が死ぬかもしれないということ。進行がんの状態で分かった私は、そう思いました。一人称の死というのがこれだけ怖いものなのだと感じましたが、立ち直りはわりと早かったほうだと思います。

「5年相対生存率」、がんはこれを目安にすることが多いです。今は6割以上の方が、5年以上生きられるようになってきています。でも、5年以上生きられている方の中にも、再発を抱えながら生きている方もいらっしゃるのです。そして、治すことが難しいがんがあるということも、ぜひ忘れないでいただきたいと思います。

がん治療の変化と社会との関わり

今、がん治療は、外来で行われることが多くなってきています。私が入院していたときは、ちょうど切り替わりの時期だったと思います。患者さんが処方箋を持って薬局に行くというように、変わってきたのだと思います。いわゆる小泉改革のとき、医療も変わりました。私がいた病院では当時、抗がん剤治療を受けるときには入院していることが多かったです。今では、リクライニングチェアに座って、外来で治療を受けられる方が多いのではないでしょうか。このように今のがん医療はものすごく変わってきました。そして、がんの患者さんが社会で過ごす時間が非常に多くなってきたのです。

なぜ、がんを怖いと思うのか

「がんを怖いと思う理由の認識」というのを、内閣府で調査をしていますが、その回答が最近変わってきていて、「え?」と思うことが多いのです。がんが怖いと思う理由の第1位は「死んでしまうかもしれないから」。すごく普通の正常な反応だと思います。ところが第2位が、「人に迷惑を掛けるから」なんです。 がんになることは迷惑でしょうか。病気になることは迷惑ですか?そんなことないですよね。病人に頼られたら、「ああ、ありがたい。自分にも何かできることがあるんだ」と思えるかもしれません。私は、人に頼る勇気を皆さんに持っていただきたいですし、頼られる側も、頼られる準備をしていただきたいと思っています。「迷惑を掛けるから」ということを、がんの怖いと思う理由に挙げてほしくないと思っています。

知ることで、理解し共感する

また下のほうに出てくるのが、「仕事を辞めさせられるかもしれないから」。治療が外来中心になっても、こういうことが、がんが怖いと思う理由に入ってきています。「仕事と治療の両立」、「仕事を続けながら、がんの治療をできると思いますか」という問いには、7割くらいの方が「いや、無理ですよね」と思っています。がんの患者さんは、こういう認識の中にいるのです。これを逆転させたいなと思っています。自分自身もそうだったのですが、がんという病気は他人事というか、自分にはまだまだ関係がないし、関係があったとしても、もっと年を取ってからのことだろうと、勝手に判断しているのです。

昔の方は良いことを言っています。カエサルは、「人は自分の見たいものしか見ない」と言っています。そうですよね。嫌なものは見ないのです。そして、「情報を知る=事実を知る。恐怖は常に無知から発生する」。がんについてちゃんと知っていけば、がんは怖くないかもしれないのです。

私たちが考える共生社会とは

仕事という点で見ると、いろいろな施策、政策が行われていますが、それでも変わってこなかった現状があります。そこで、「共生」という言葉が入ってきました。
1990年に「国際花と緑の博覧会」が開催され、このときに自然との共生という言葉が出てきました。エコブームです。この「自然との共生」という言葉、いいなと思いました。一方で、がんとの共生はどうかと考えると、「うん?」と思います。皆さんはがんと共生したいですか?私は「いいえ!」です。がん細胞とは共生したくないです。がんは、やはりなくなってほしいと思っています。この言葉の意味は多分「共生社会」なのでしょう。「がんとの共生社会」というのはどんな未来像なのでしょう。

現在、社会保障費が高くなっており、医療費、そして人の命というものをお金で換算するような動きが出てきています。「人の命は地球より重い」という言葉がありますが、ちょっと揺らいでいる今日、皆さんはこれからの日本はどんな日本がいいか考えてみたことはあるでしょうか。私は、病気の後少し落ち着いてから、そのようなトレーニングを受ける機会がありました。その時、一瞬手が止まったのです。1年後の自分というのが考えられませんでした。「未来なんて遠すぎて考えられない」と思いました。頑張って考えてみたら、何か平たい社会をつくりたいという考えにいたりました。

病になっても安心して暮らせる社会へ

がんにとって、他の領域、いわゆる難病などの共生の思想からは、学ぶことが多いと思っています。例えば、精神疾患がそうです。今では、雇用など社会で検討されるようになっています。
ハンセン病という病気について、皆さんご存じですか。政策の間違いが原因ではありますが、人の偏見というのがこんなに人を苦しめるのだという実例です。清瀬(東京都)に「全生園」があります。ぜひ、皆さん一度行ってみてください。人の業というのはこういうところにあるのだと実感できます。今では治る病気ですし、うつらないということが分かっても、「怖い病気」という隔離政策を行っていました。医学と社会認識というのは、なかなか一致しないということが分かっています。今現在も、ハンセン病の療養所はたくさんあり、家族に戻れない方たちが、ここで一生を終えていくということを、忘れてはいけないと思っています。

難病の人たちは、60年、70年、と長く患者会活動をやっています。彼らが言っている難病基本法の哲学に、私は感動します。それは、「根幹理念は病の完全克服ではない」と言っているからなのです。がんもそうです。いろんな薬が出てきていますが、じゃあ、完全に治せるかというと、それはまだまだ未来になるかもしれません。完全克服は難しいのかもしれません。でも、それは目指さなくてはいけないものではあります。もう一方でやらなくてはいけないのが、がんとの共生社会の実現です。それは何かといったら、「安心して暮らせる社会」だと思っています。それがこの難病基本法の中にも、根幹理念として書いてあります。素晴らしいと思いました。

安心して暮らせる社会に向けた、がん対策基本法改正

「がん対策基本法」が、2016年に変更になり、成立しました。10年ぶりの改正でした。検討が始まったとき、2016年の2月くらいに、議員の方から呼ばれて、「こんなことを考えているよ。こんなことを改正するよ」と言われたのですが、抜け落ちているところがたくさんありました。たとえば「社会的環境整備」です。安心して暮らせる社会をつくってほしいと伝えました。それから、難治がん、希少がん対策をやってほしい、大人のがん教育もやってほしいなどと伝えてきました。最終的には、私たちの希望がすべてかなえられたのでとても感謝しています。

ただ、このように法律が整っても、法律が変わったことすら知られていないのが現状です。これをどうやって浸透させていくのかが非常に重要なのです。第3期のがん対策推進基本計画にも、「がんとの共生」という言葉が入っています。実際どうするのかというと、医療の中で考えていても仕方ないことなのです。皆さん一人一人、それから一人一人が属している地域社会の中から変えていかないと、患者さんたちは相変わらずつらい思いをずっと抱えていく、家族も孤独を感じるということが続いてしまいます。

「キャンサーサバイバーシップ」という考え方

そのような考え方について、アメリカではどうなのかなと考えます。「Cancer Survivorship」という言葉があります。入院中は、ベルを押すと看護師さんがやって来てくれて、手厚い看護をしてもらえます。やがて、入院期間が終わって病院の外に出たときには、本当に孤独なのです。誰も「病気で大変だったね」と声を掛けることもなく、一人で生きるか死ぬか分からない不安をずっと抱えていくわけです。この「Cancer Survivorship」というのは、社会で患者さんたちの「生きる」ことを支えていこう、という思いが入ったものなのです。

現在、海外で広く言われているのは、「Living With Cancer」です。これが「がんと共に」で、どちらかというと再発進行がんの方、転移性のがんの方のことを言います。私のような人間はどうかというと、「Through:それをいったん終えた人」だったり、「Beyond:乗り越えた人」だったりと、言葉が定義されているのが英語の世界です。

病院から社会に出てきてからの困りごとは、実はたくさんあるのです。食生活も禁煙、サプリメント、周囲との関係性、経済状況、遺伝についてなど。さまざまな悩みに、それをどう支えていくのかというのが課題です。

がんになっても安心して暮らせる社会を目指して

昨日12月1日はHIVの啓発の日でした。今、『ボヘミアン・ラプソディ』という、私が大好きなフレディ・マーキュリーの映画をやっています。あれを見て何を感じるでしょうか。音楽はすごい。それよりも私がすごく感じたのは、「フレディ、すごく孤独だったんだな」ということでした。

「A.I.D.S WE NEED RESEARCH」。HIVの薬を求めて、ずっとこういう活動を1980年代にやっていたのですね。この人たちを法律で、隔離させる政策も、アメリカではありました。「おかしいよね」という声。そのような小さなことを大きくしていく、その声を届けることが必要だと思っています。

共生社会というと、昔は病気を持っている人に対して「大変よね。だから、あなたが頑張りなさい」とする考え方でした。そうではなくて、私たちがこれから目指していくのは社会としての取り組みなのです。社会が何か壁をつくっていませんか。もっとがんのことを知って、「何ができるのか」ということを考えていただければと思います。

私は、「がんと共生したいですか?」と聞かれれば、「いいえ!」と答えます。ですが、がんになっても安心して暮らせる社会を目指していきたいと思っています。ぜひ皆さん、一人一人の行動をお願いしたいと思います。ありがとうございました。

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掲載日:2019年5月13日
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