萬 愚 節

2005年までの侃々諤々


まえおき と いろいろ
 徐麟 『太素』楊注反切勘誤例析
黄帝内経太素校注
黄帝内経文献研究

卷第二 攝生之二
     順養
     六氣
     九氣
     調食
     壽限
卷第三 陰陽
     陰陽大論

     それから先に
まえおき と いろいろ
太素を読む会の発足 神麴齋 2004/04/01
先日来話題になっていた「太素を読む会」を、2004年万愚節を以てインターネット上に成立させました。と言っても、つまりこの掲示板を始めるというだけのことですが。参加を表明し時々は何かしら書き込んでくれる人を、そのグループの仲間とします。別に壇上で侃々諤々やる人と、一般聴衆を差別しようと言うのではありませんし、観客席から壇上に駆け上がる人の出現を期待しますが、このグループでは、所有権、著作権、あるいは出版権に抵触するおそれの有る資料を互いに融通する可能性が高いので、まあその言い訳のためです。
当面の目標は、仁和寺本太素のカラー写真を、日常的考察の資料とする環境の実現です。
当面の実際の作業は、経文と楊上善注をあげ、どのように読むかネタは何かと、ああでもないこうでもないとグダグダやりたいと思います。一応、一年に一巻を読みたい。三十巻で、欠巻は有るけれど、手強い巻も有るだろうから、読み終わるのは三十年後でしょう。読み終わった暁にはまだ元気にしている人に何らかのまとめをお願いします。だから、「今のところ何にも分からない」という若くて元気な人の参加を期待し歓迎します。
このグループ活動は、一応は日本内経医学会の活動の一つです。それなのに霊蘭之室に置いたのは、内経の会員以外の参加も別にとがめませんよ、ということです。
どうして万愚節を期してなのかと言うと、当面臨床の役には立ちそうもない、しかも時間と労力ばかりかかりそうなアホなことに参加しようというアホに呼びかけるという意味です。そして、初歩的なあるいは一時的な思いつきで、すぐにも訂正を要するような書込を歓迎するという意味です。何を書いても「だってエイプリルフールでしょう」という逃げ道を用意しています。だから戯名の使用を歓迎します。ただし、管理者に住所氏名を明かしてもらえないと、内部資料の配付ができません。その点はよろしく。
この掲示板の管理者は当然必要ですが、当面代表者は置きません。グループの面々ができることをそれぞれ頑張ることを期待します。私自身は、如何なる質問にも反応することをもって役目と考えています。何よりも、たわいもない(失礼)、おっちょこちょいな(失礼!)、軽はずみな(失礼!!!)書込みを、心よりお待ち申し上げています。
当面は、このグループはインターネット上だけに存在します。ただし、カラー写真を入手できたら当然オフ会が開かれると思います。それを楽しみにしてグダグダと始めましょう。

田沢仲舒 神麴齋 2004/04/05
奈須恒徳の弟に『太素後案』という書物が有り、巻首に「日本征夷府散官醫安倍田澤仲舒 後按」と記しています。征夷府散官醫の意味はよく分かりませんが、多分、徳川将軍に仕える法印でも法眼でもないただの医者ということでしょう。安倍田澤は中国的伝統に当てはめれば、姓と氏です。姓とは源平藤橘のようなもののことです。例えば、信長の姓は平で氏は織田、家康の姓は源で氏は徳川といった類です。続東洋医学古典注釈選集に載る馬継興さんの解説で、「字は安倍」と言っているのは間違いです。ただ、そもそも姓氏を連ねて名の上に冠するのが中国的伝統に叶っているかどうかも疑問だから、いくら学者でもそこまで理解しろというのは無理かも知れない。だけど、翻訳者が指摘してあげるべきだとは思います。

それにしても喜多村直寛にせよ、奈須恒徳、田沢仲舒兄弟にせよ、多紀氏への対抗心はなかなかのものですね。それだけ、多紀氏の存在が大きなものだということなんでしょうが。

フォントの準備 神麴齋 2004/04/10
CJK統合漢字拡張領域Aが含まれるフォントを、どうしてもタダで入手したい人は、HT_CJK+ というのが書同文社のサイトで配布されているらしい。(問い合わせお断り。私にもよくわかりません。ご自分で努力なさってください。私のようによく分からない人は諦めて、素直に購入しましょう。おすすめはDaynaFontTypeStudioに附録されているユニコード3書体。実売価格で4000円くらいのものでしょう。)

乎古止点について 神麴齋 2004/04/15
乎古止点についての知識ももう少しなんとかしないと。京都大学附属図書館所蔵・平松文庫『乎古止点図』によると、右下の朱点は「ハ」に、左下の朱点は「テ」に相当するらしい。言われてみると、「脉収まらざるハ、衰えテ」(あるいは、~ざれバ)云々、なるほど辻褄は合っている。(深の真下にも朱点が有るみたいで、それはスということになっているけれど、活用してシとなるのも含むんだろうか。)乎古止点にもいろいろ有るみたいで、何か良い(できれば簡単な廉価な)概説書は無いですかね。
ヲコト点 菉竹 2004/04/15
明治書院『漢字百科大事典』32ページに8種類が掲載されています。
ご存知だとは思いつつ……
乎古止点 神麴齋 2004/04/16
乎古止点にはいろいろ有って、右の半ばに短い短線というのも有るらしい。とすると、(「一中分命」の)一画多そうにみえる文字も、やっぱり分で良いのかも知れない。そのつもりで見れば、何だか墨色も違うみたい。やっぱりカラー写真が欲しい!!
中央公論社『日本語の世界』5 菉竹 2004/04/17
中央公論社『日本語の世界』5 仮名 昭和56年刊 築島裕
p121 ヲコト点……平安中期十世紀には仁和寺にも行われていた。
p240 仁和寺系列では、最初は第五群点(右上ヲ・右下ハ・左上ニ・左下テ)西墓点・喜多院点などが用いられていたようだが、やがて円堂点が創(なんと訓ずるか知らない)められ……
p247 丹波家の点本としては、○黄帝内経太素…… 又、藤原家の点本としては、○医心方 半井氏……これらは、ヲコト点を朱筆で、仮名を墨書で示す……又、ヲコト点に、何れも第五群点を使用した(但し家によって細部の異同があった)……が、仮名字体の上で、若干の共通した特性があることが注目される。
仮名字体附表58に太素で使われている仮名が掲載されています。
たとえば 菉竹 2004/04/17
たとえば、2-17-2「下交通」の「通」の右にある仮名は「せ」のようです。
たとえば 菉竹 2004/04/17
2-17-7「數至」の「數」の右にある仮名は「シハ」。「至」の右にある縦棒「丨」は「リ」です。

以下の話題は「02-33-5 澄濁」に付随してなされたものですが、読みやすさを考慮して独立させました。一部は二重に掲載します。
俗体分化字 神麴齋 2004/04/22
「糟粕のように濁った」ということを言うつもりで、新しい文字を創作してしまったのかも知れない。とんでもない話ではあるけれど、彼、楊上善には前科が有る。例えば胳。
 菉竹 2004/04/25
>楊上善には前科が有る。例えば胳。
この意味がわかりません。楊上善が「胳」字を創作したということでしょうか?
絡を胳に変形させる 神麴齋 2004/04/25
いつものことながら、わかりにくくてすみません。
楊上善は、経絡の絡は肉体上のことだからと、糸偏を肉月に替えて胳にしちゃった、と言うことです。(もし胳という字がもともと有るのでなかったら、「肉体上の絡は胳と書く」というのは、新しい漢字が生まれる時の普通の筋道でしょうが、胳という字は牲畜の後脛骨の意味でもともと有ったから、同形異字を作ることになっちゃった。)
だから、「糟粕のように濁った」ということを言うつもりで「糟濁」と書くつもりのところ、やっぱり水分に大いに関わるところだからと、米偏を氵に替えたくなるんじゃなかろうか、と。曹と蚤が同音だったら、さらに氵に蚤という字を創作しちゃった、なんてことも全く有り得ないはなしでは無いような、と言うことです。
まあ、正確に言えば、楊上善の仕業じゃなくて、『太素』のもともとの用字かも知れませんが。ひょっとすると、『医心方』も胳でしたっけ。
>絡を胳に変形させるる 菉竹 2004/04/26
『医古文知識』2004-1はお持ちではないでしょうか。お持ちでしたら、37頁をご覧下さい。『備急千金要方』『医心方』の用例を挙げています。
「古医書を書き写した人は、人の絡は人体組織であるから、『糸』に従うべきではないと考え、『肉』に改めた、俗体分化字である」。
 著者の沈澍農さんは、覚えておいてよい方だと思います。
いささか軽率でした 神麴齋 2004/04/27
言い方がいささか軽率だったけれど、六朝から唐にかけては、俗字が大量発生した時代で、言いようによっては、その内の一部は常用されて正しい漢字としての地位を獲得する、という時代だったと思う。例えば、注釈の注は、言葉に関するものであるから、水に従うべきでないと考え、言に改めて註とした。後の字書に載っているとかいないとかには偶然の面も有って、胳が経絡の絡の意味で載っていないのは不当なのか、にはいろんな意見が有るだろうが、もともと同形の字が有ったかどうかも、とんでもないかどうかの判断材料にはなる。

だから、「糟粕のように」と表現する為に漕を作る(と言ったってもともと違う意味でその字は有りますが)とか、氵に蚤という字にするとかは、現代の我々からすればとんでもないけれど、当時は有り得ないことでも無い、それほど抵抗感は無かったのかも、という話です。(ここの部分が本旨です。)

「楊上善には前科が有る」は、早とちりでした。「その時代には前科が有る」と言うべきでしたね。
「古医書を書き写した人は、人の絡は人体組織であるから、『糸』に従うべきではないと考え、『肉』に改めた、俗体分化字である。」まあ、そうなんでしょうが、もともと胳という字は有るということを知っていたのかどうだか。知っててやったとしたら、やっぱりとんでもない。字を間違ったとか、通借字だとかは思わないけれど、軽率な作字だとは、やっぱり思う。なぜ、脛脉とは書かなかったのか、とかね。

沈澍農さんは文章の中で、亞が囟の異体字であるのは疑いないと言ってますが、本当にそうですか。『医心方』や『太素』に書かれている字形は亞ではないでしょう。そこの字形が何の異体字であるとかいう直接的な資料は、まだ見つけてないけれど、状況証拠的には、そこの字形が囟の異体字なんじゃないですか。
椅子 菉竹 2004/04/28
「椅子」の「椅」は、木の種類の名称である。「椅」とは意味上の関係がないので、字形は同じだが、別の字だといえる。椅子の「椅」はもと「倚」に作る。椅子が木製であることから、イ偏を木偏に改め、別の字を造ったのである。
    洪誠『訓詁学講義』訳本127p。
孳乳 神麴齋 2004/04/28
例えば「體」という字は、現在では中国でも日本でも通常は「体」と簡単な字形で書かれます。「人のおお本」という会意でしょう。それ自体は良いんですが、問題は「体」という字はもともと有って、しかもとんでも無い意味なんです。「笨」と同じで、粗劣の意。幸いもともとの意味なんて知る人のほうが少ないけれど(例の『漢辞海』にも載ってない?)、創作時にもう少し気をつかってくれても良かったのでは。「胳」も、多分、もともとの意味があんまり念頭に浮かばない字だったから、それほど不都合は無かったんでしょう。だけど、同様の発想で人体組織における経であるからと「脛」とするわけにはいかなかった。
偏を替えて分化させるのは、漢字文化を豊かにする為の重要な筋道であったには違いない。ただ、時には少々変な同形異字を生んで、背中がむずむずする思いをさせられたり、後世の字書に採録されずに、我々を悩ませることになりかねない、ということです。「諸字書に見えない」文字の大半は、あるいはこうした事情によるのかも知れない。

 菉竹 2004/12/16
『太素』が「絡」を「胳」につくることは,よく知られていると思いますが(『医心方』でも),これは日本人が勝手に作った俗字ではありません。大陸渡来の由緒ある俗字です。
たとえば,静嘉堂文庫所蔵『孫真人千金方』14-1b7 「貫肝肺胳心系」。
(「胳」は,もともと別の意味を持った既存の字でした。おそらくこの俗字を使ったひとはその字の存在を知らなかったのでしょう。)
Re: 胳 沈澍农  2005/04/06
“络”写成“胳”应是中国民间俗字。在北宋本《备急千金要方》中已经可见多例。如卷二十九第二: “心出于中冲为井,心包胳脉也。”同卷穴名“胳却”,蠡沟穴中云“足厥阴胳别走少阳”,同卷第三中“刺足下布胳中脉,血不出为肿。”诸“胳”都是“络”俗字。又如卷六第一:“血之精为其胳果。”此“胳”字在《灵枢经.大惑论》作“络”。《备急千金要方》被确认为中国北宋刻本。

楊上善の出身地 神麴齋 2004/05/29
楊上善はいつ頃のどの地方の人であるか。
隋末唐初の人であるのは、すでに定説になりつつあるようで、いまだに時々そうした論文は登場するけれど、肝心の新たな証拠はほとんど出てこない。
どこの人であるかについては、寡聞にして論考を知らない。
私がむかし見つけたのは、経脈は易しくないということを注釈して、「愚か者は経脈を易しいというが、楚人が宝を得てもその価値を知らずに賤しいものと思うのと同じである」と言うところが有る。常識的に言えば、楊上善は楚人ではない。でも、同族嫌悪ということもあるからして……。
簊の音を督というのは、多分、楊上善の間違いなんだろうけど、トクという音でそこに相応しい詞(肛門)は有ることは有る。そして、少なくとも明清のころの呉の地方の方言にはその名残は有る。とは言っても『玉篇』にも、音がトクで肛門というのは載っているのだから、昔の詞が地方に残ったと言うだけのことであって、隋唐のころの楊上善が呉の出身だと言うわけにはいかない。
そもそも楊氏がどこの地方に多いかは、ちょっと調べれば分かるけれど、だからと言って楊上善の出身地を特定できるわけじゃない。例えば銭氏で一番有名なのは呉越の国王の一族だろうが、銭超塵教授を杭州の出身とは言わないだろう。
だから、楊上善がどこの地方の人かはわからない。
Re:  菉竹 2004/05/30
 楚人之賤寳也
『太素』09-03-7 粗之所易【愚人以經脉為易同/楚人之賤寳也之】
    09-04-1 工之所難也【智者以經脉為妙/若和璧之難知也】
 「若和璧之難知也」とは、『韓非子』巻四和氏第十三のいわゆる「和氏之璧」をふまえた言だと思います。
楚人和氏得玉璞楚山中奉而獻之厲王厲王使玉人相之玉人曰石也王以和為誑而刖其左足及厲王薨武王即位和又奉其璞而獻之武王武王使玉人相之又曰石也王又以和為誑而刖其右足武王薨文王即位和乃抱其璞而哭於楚山之下三日三夜淚盡而繼之以血王聞之使人問其故曰天下之刖者多矣子奚哭之悲也和曰吾非悲刖也悲夫寳玉而題之以石貞士而名之以誑此吾所以悲也王乃使玉人理其璞而得寳焉遂命曰和氏之璧
 『漢文大系』か、手っ取り早くは『大漢和辭典』2-974「和氏」をご覧下さい。
 結論として、この故事をもって、楊上善の出身地をうんぬんする材料にすることはできないと思います。
楚人 神麹斎 2004/05/31
楚人之賤寳とか楚人沐猴而冠とか、楚人を馬鹿にしたような故事というのはいろいろ有るわけです。楊上善だって当然そうした故事は知ってます。知っているけれど、もし楊上善が楚人だったら、そんな故事は使いたくないだろう、と言うことです、普通はね。たとえ和氏もまた楚の人であるととしてもね。でも、楊上善が自虐的な性格ということも有りうるからね、同族嫌悪ということも有りうるからね、結局証拠にはならない、と言うことです。

玄元皇帝 唐辺睦 2005/10/12
中国のかたがパソコン入力した原稿に、「追號老子爲軒轅黄帝」とあって、なんでこんな間違い、と思って、しばらくして気が付いて辞書で確認したら、やっぱり軒轅黄帝も玄元皇帝も“xuanyuanhuangdi”でした。なるほど!そういうことでしたか。

条文番号 神麴齋 2004/06/26
以前、『素問』『霊枢』に条文番号を付けるというアイデアが提出されたことが有るように思います。最近、むしろ『太素』にこそ条文番号が欲しいと思うようになりました。『素問』『霊枢』なら、顧従徳本とか明刊無名氏仿宋本とかの、何葉の表か裏か、その何行目かで位置を示して、さほど不便は無い。ところが仁和寺本『太素』は巻物ですからね、なかなか難しい。それにそもそも影印の何頁の何行と言ったところで、持っている人はさほど多くないのに気づきました。『素問』『霊枢』なら、最善本を買いなさいよ、と簡単に言ってしまえるけれど、『太素』はそうはいかない。値段もさることながら、物が無い。そこで、試みに仁和寺本『太素』の巻三・陰陽大論に番号をふってみました。03-01で第三巻の第一篇のつもりです。その後、経文と楊注を一セットとして順に番号をふりました。従って形式上の一セットが必ずしも内容的にも一セットというわけではありません。 条文番号付の陰陽大論
Re: 条文番号 十元 2004/07/02
 楊上善注を区切りに、本文に条文番号をつけるのは、なかなかのアイデアのような気がしますが、欠けている部分はどのように処理しましょうか。たとえば、巻五の冒頭は欠損していますが、そうすると残存しているところから数えることになるんでしょうね。
Re: 条文番号 神麹斎 2004/07/02
基本的には巻数の番号2桁-その巻における篇の番号2桁-その篇における経文の番号3桁というのを考えています。そして巻数や篇数が明確な場面では、経文の番号だけをあげれば良いかと。楊上善注はその前の経文の番号の後ろにyとでも。例えば、隂陽大論は03-01です。この篇を話題にしていることが明確なときには、「黄帝問於岐伯曰隂陽者天地之道」という経文は001です。これに対する楊上善の注「道者理也天地有形之大也隂陽者氣之大隂陽之氣天地之形皆得其理以生萬物故謂之道也」は、001yです。一篇で999条を越えることは多分無い。
で、問題の冒頭の欠けている巻五では、最初の篇を05-01篇として、最初の経文を欠く楊上善注が05-01-001y、次の「天有隂陽人有夫妻歲有三百六十五日人三百六十五莭地有高山人有肩膝地有深谷人有掖膕」は05-01-002という具合ではどうでしょうか。今欠けている部分が新発見される望みはほとんど有りませんから(皆無ではないと期待はしますが)、まず問題は無いでしょう。もし、新しく発見されてしまったら、05-01-*001あるいは05- 01-000-001なんて番号をつければいいでしょう。これはまあ、見つかってしまってから検討しても遅くはない。
いずれにせよ、条文番号と経文と注文を箇条書きにした『太素』をとりあえず出版しないと、実用的には意味無いとは思います。

墨鉤 神麹斎 2004/08/17
『諸子百家〈再発見〉』の附録に戦国楚簡書誌用語解説というのが有って、墨鉤が紹介されています。

>墨鉤:釣り針のようなかぎ状の記号。句読点や章・篇の末尾を表す。

添えられた図によれば、竹簡の右に寄せた「∠」のような形です。
Re: 墨鉤 菉竹 2004/08/18
『説文解字』には、「レ」「亅」という記号がいずれも「文」として説解してありますね。音は両方とも「ケツ」。
「亅、鉤逆者謂之亅」「レ、鉤識也」
也か之かカギか々か 神麹斎  2005/10/15
楊上善注末尾の「也之」は、ここでも何度か話題になってますが、「之」の多くはやっぱりカギ括弧なんじゃなかろうか。巻二・順養の前の方には、「也」や「之」の草体を知らなければ、素直にカギとしか見えないものが多そうです。ただしはっきり「之」と書かれて間違えようの無いものもあります。抄者がその時々に素直に模写したり、判断して清書したりしたんじゃないかと思います。
それと重文符号「々」にも、場所によってはカギ括弧に見えるものが有ります。だから重文符号だと思っていた中には、(古い重文記号には「=」というのが有るから)「二」であるべきものの他に、カギ括弧であるべきものや、さらに「也」や「之」であるべきものが紛れているんじゃなかろうか。

龍龕手鑑 菉竹 2004/09/11
この室の主人がよく引用されている、龍龕手鑑についての説明です。参考にどうぞ。
Re: 龍龕手鑑 神麹斎  2004/09/12
情報ありがとうございます。

『龍龕手鑑』(八巻本ですから上の情報の解説によれば『広龍龕手鑑』と呼ぶべきものでしょうか)は、京都大学附属図書館が全ページを画像で公開しています。また四巻本は、中国の中華再造善本シリーズの中に、宋刻本(巻三配清初毛氏汲古閣影宋抄本)が含まれています。欲しいけど高いからねえ。因みに中華書局『龍龕手鏡』は、山西文物局から提供をうけた「高麗版影印遼刻」で、四巻本です。編輯部の言い分では「比較接近原刻,可訂正宋本之錯簡訛謬處甚多」だそうです。また下で話題になった穴冠に勿の字は、中華書局刊には無く、京都大学附属図書館蔵に「今増」として載っています。

五経文字 神麹斎  2005/11/09
『太素』の俗字を判断する参考になるかと思って、四庫全書薈要の『五経文字』を手に入れたのだけれど、いや、漢字は面白いというか難しいというか、困ったものだというべきか。
木部から始まってその最初が、画像のようなものなんだけど、芳吠反だったらハイで、杮と書くべきなんじゃなかろうか。市(シ,5画)か巿(ハイ,4画,上へつきぬけている)かの違いなんだけど、どうでも良かった時代も有るんですかね。

和気本『太素』 神麹斎 2004/09/14
『太素』には仁和寺本の他に、尊経閣文庫に和気種成の手抄による巻十九というのが現存しているんですね。誰か見たことのある人はいますか。写真を入手するツテって無いものでしょうか。

前にオリエント出版社影印仁和寺本に無くて江戸末期の抄本には有る箇所を指摘したことが有るので、一瞬ひやっとしましたが、それは巻十四と巻二十九に見つけてますので、この和気本からの抄写では無いようです。

無題 神麹斎 2004/11/07
韓国のソウルで開催された大韓韓医学原典学会の国際学術大会に参加して、『太素』について日頃考えていることを話してきました。たいした内容ではありませんが、一応ここに置いておきます。

『新校正』と『校注』 神麹斎 2004/11/12
韓国で得た情報を一つ、紹介し忘れていました。
銭超塵教授の『太素新校正』は、すでに基本的には完成しているようですが、さらに若干の考察を行っています。出版は2006年の予定です。これには森立之『素問攷注』を大いに参考にしていると言われました。『素問攷注』が楊上善注に対して行った校勘は大いに参考に値するとのことです。
そして、蕭延平本『太素』には大量の錯誤があるから、使用に際しては注意が必要であるとも言われました。このことと『黄帝内経太素校注』の出版が遅れていることとは関係が有りそうです。現在、人民衛生出版社で審稿が行われているということですが、その審定人員には当然、銭教授も名を連ねていらしゃるんだろうと思います。

『泰素後案』の編集ミス 七面堂 2004/11/19
続東洋医学古典注釈選集2『泰素後案』p.211下左とp.212上右は、p.212下右の次に入るべきものです。安い本じゃないんだから、もう少しきちんとした編集をしてほしいよね。

 神麹斎  2005/04/05
巻八・経脈連環の「胃足陽明之脉…下交承漿」の「承漿」です。
この「承」の字形は、日本特有の漢字の書き方だと思いますか?
そんなことは無いと思いますが。

Re: 承 神麹斎  2005/04/17
遼の釋行均『龍龕手鏡』(中華書局影印高麗版)羊部に羊の下に水という字形について「余亮反,長大也」と有ります。「承」との関係については何も言ってませんが、「余」はおそらくは今なら「佘」と書くべきもので、だから日本漢字音としては、これもショウで良いのだろうと思います。

したがって、宋代の銅人にこの字形が用いられていても、そんなに不思議は無いと思う。

Re: 承 沈澍农  2005/04/23
“承”字的俗写变化应该说是比较清楚的。从图中可以看到它的几种写法之间的关系。其中魏《元广墓志》字型与现在看到的日本抄本写法很相近。虽然我没有找到与日本抄本写法完全相同的字形,但在《元广墓志》的基础上进一步变化,是很容易得到那个俗字写法的。

「承」字の俗字の変化は比較的はっきりしていると言うべきでしょう。添えた図からいくつかの書き方の間の関係が見てとれます。その中の魏の『元広墓志』の字型といま言うところの日本抄本の書き方がきわめて近いようです。私はまだ日本抄本と完全に一致する字形は発見していませんが、『元広墓志』を基礎としてあと一歩変化すれば、極めて容易にその俗字の書き方になると思います。
Re: 承 沈澍农  2005/04/23
我引用了《碑别字新编》里“承”字的图片,不知道为什么不能显示。抱歉。如果有这本书可以自己翻看。

私の引用した『碑别字新编』の「承」字の図が、どうしたことか表示できません。すみません。もしこの本をもっていたら自分でご覧になってみてください。
補足説明 菉竹 2005/04/23
神麹齋先生が,「承」字の俗字が日本製か,あるいは大陸伝来の俗字かにこだわっている背景には,以下の問題提起があります。すなわち:
黄龍祥は,「東京国立博物館針灸銅人研究的突破与反思」,『自然科学史研究』第24巻1期(2005年)において,東京国立博物館にある銅人形が日本製である根拠のひとつとして,「承」字が日本特有の筆法で書かれていることを挙げている(6頁)。
これに対して,神麹齋先生は,銅人形が日本製か否かは,別の問題として,「承」字(俗体)は日本特有の筆法ではない,といいたいわけです。
あってますか?

『碑別字新編』をお持ちの方は,63頁「承」字・魏元廣墓誌の部分を御覧下さい。
(『廣碑別字』をお持ちの方は,98頁を)
Re: 神麹斎  2005/04/23
沈先生、添えた図がすぐには表示されないのは、この掲示板のしくみであって失敗ではありません。いかがわしい画像を貼り込まれないための用心です。管理者が書き込みをした人物を確認した後で表示を許可します。

菉竹さん、おっしゃるとおりです。
他の証拠はしっかりしてるようですから、この証拠は挙げない方がよかったような気がします。
『碑别字新编』 管理者  2005/04/25
菉竹さん提供の『碑别字新编』の画像です。


今日で一年 神麹斎 2005/04/01
昨年の万愚節にこの掲示板を開設して、今日で一年たちました。

私たちの努力がみのって、残巻が発見され、全三十巻がカラーで影印出版される運びとなりました。(本日はエイプリルフールです。)

ここしばらく新しい書き込みが有りませんが、『太素』を見てないわけではありません。折に触れて目を通して、ほとんど連日細かな修正を加えています。まあなんとか年内には何度目かの校正を終了したいと思っています。上のような出版が実現するときには、翻字は私たちでひきうけたいね。(これはウソではありません。)
Re: 今日で一年 沈澍农  2005/04/06
你的网站非常好,我经常查看。我也盼望能看到全三十卷的《太素》(我的电脑没有安装日文系统,只能用中文,不知能不能显示?)
Re: 今日で一年 神麹斎  2005/04/06
沈澍農先生、書き込み有り難うございます。
この掲示板も、内経医学会の掲示板もユニコード対応ですので、現代中国語で問題なく表示されています。ご安心ください。

CJK統合漢字拡張領域B 神麹斎  2005/06/11
書き込みには、時にCJK統合漢字拡張領域Bの漢字が含まれます。実はそれ用のフォント、simsun (FounderExtended)が簡体字中国語版Microsoft Office OneNoteの評価版から無料で入手可能になっているらしい。私の電子文献の利用者から随分前に教えてもらったのですが、私自身がうまくいかないので、紹介を怠っていました。漢字文献情報処理研究第5号(P135)に説明記事が掲載されているらしいです。うまくいったかたに、ここで説明してもらえるとうれしいです。うまくいかない人は、Office XPのProofing Toolsを購入すれば入っているはずです。私自身は、むかしむかしこれを買いました。

本会の『太素』判読研究回顧 菉竹  2005/06/11
神麹齋先生に導かれて,われわれ一介の鍼灸師等が,蕭延平本を基礎として,『干祿字書』と『龍龕手鏡』を片手に,仁和寺本『黄帝内経太素』の判読を行ってきました。その成果が,神麹齋先生の,この世界に公開されている『太素』の電子文献です。
顧みるに,われわれ独学者のレベルを一挙に上げてくれた書物として,張涌泉先生の『漢字俗字研究』は忘れられません(その後の張先生の著書に『漢字俗字叢考』『敦煌俗字研究』)。『太素』や『医心方』に用いられている字体と,敦煌文献に見られる用字の親近性は,新鮮な驚きでした。(最近では,黄征『敦煌俗字典』上海教育出版社が,親字を写真で貼り付けてあります。字様書のひとつである『正名要録』の影印も附録としてあり,字形筆画索引もついています。)
『漢字俗字研究』は医書を専門に扱ったものではありませんでしたが,初学者であったせいか,非常に役立ちました。
このたび,沈澍农先生の《中医古籍用字研究》が出版されます。先読みさせていただきましたが,『太素』の文字の判読のみならず,医書の読解力を高め,誤った理解を正すのに,これまた非常に有益です。(また,『漢語大字典』を医書の用例に照らして批判をつづけていらっしゃった沈先生が『中医大字典』の編纂にかかわられるとのことであり,これもありがたいことです。)

神麹齋先生「筆画のハネやトメなんてあんまり気にもしてない。だから、私の電子文献では「骭」と入力して注記もしてない。これには厳格な人からは批判が有るかも知れないけれど、こだわりはじめたら安心して入力できる字なんて、仁和寺本『太素』にはそもそもほとんど無い。」 
はっきり申し上げて神麹齋先生の「筆画のハネやトメなんてあんまり気にもしてない」というのはウソです。かなり悩んで(ときには数日悩んで)文字の選択をしているのだと思います。
すこし乱暴な(学問的ではない)表現になりますが,「旧字体には確定された字体がない」「日本・中国を通して漢字の点画までをお上が定めたものは日本の「当用漢字」が初めてだ」(NHK出版 生活人新書 青木逸平『旧字力,旧仮名力』16頁)からです。
『太素』判読 神麹斎  2005/06/11
偶然だけど続けて、「骭」だよというのと「骬」だよというのが出ましたね。この二つの字、ちゃんと見えてますか。「漢字の点画までをお上が定め」てくれないと困る場合も有るには有るんです。「筆画のハネやトメなんてあんまり気にもしてない」という点でも、『黄帝内経太素校注』の仕事は凄いものです。(凄=いたましい。悲しい。)出版社の校正のデキバエもね。
でもね、これには漢字という文字の欠陥も関わっていると思いますよ。貴方も「骭」だ「骬」だと言われて、目をこすりませんでしたか。私は自分で入力しておいて、「なんでこんなところに肝臓がでてくるんだ!」と思いました、一瞬だけどね。
Re: 小小的纠正 沈澍农  2005/06/11
张涌泉先生的那本书书名应是《汉语俗字研究》,不是《汉字俗字研究》。
漢語俗字研究 神麹斎  2005/06/11
沈先生,ご指摘ありがとうございます。

今,インターネットで調べたところ,日本に在る中国書籍店にはもう在庫は無いようです。唯一,上海学術書店の出版社目録検索には引っかかりましたが,「在庫切れ等で入手出来ない場合がありますが、その場合は後日お知らせ致します」の注意書きつきです。

これが入っている中国伝統文化研究叢書というのは面白い叢書で,装幀も厚さも概ね統一されているんですが,出版社が個々なんです。銭超塵教授の『黄帝内経太素研究』は人民衛生出版社で,この『漢語俗字研究』は岳麓書社なんです。日本じゃちょっと考えにくい。

そうですか,もう手に入りにくいんですか。発行が1995年ですからやむを得ないのかなあ。『黄帝内経太素研究』のほうはまだ大丈夫みたいです。私が持っているのは上記の二冊だけど,ちょっと気になるのはまだ他にも有るんです。今のうちに買っておくべきかなあ。

沈先生の『中医古籍用字研究』も出たらすぐ注文した方が良いですよ。品切れになるか出続けるかは,内容の価値とはあんまり関係無いかも知れない。
Re: 重ねて訂正 菉竹  2005/06/11
『漢字俗字叢考』→『漢語俗字叢考』

底本通りにという難題 神麹斎  2005/06/15
実は電子化するに当たっては、校勘をどうするのかがいつも悩み、迷いなんです。あらゆる古い書物には様々な事情から様々な誤りを生じているから校勘しなければ読めない、という知識は有っても、そのしんどさには実際に古籍の整理に挑戦したものだけが知っている種類のしんどさが有ります。
底本通りと決めてしまえば簡単なようですが、底本通りの文字が全て揃っている文字コードなんて有りません、有り得ません。版本でさえそうです。ましてや仁和寺本『太素』のような抄本の場合はなおさらです。抄者の筆画の癖や不注意あるいは理解の限界までを再現するのは殆ど無意味でしょう。全く無意味というわけでは無いにしろ、そういう目的であれば、排印は所詮は影印の敵ではありません。
仁和寺本『太素』においては、例えば顧従徳本『素問』に対するのとはまた次元を異にする困難が有ります。つまり、どう考えても抄者の不注意あるいは能力の限界から来たような単純な誤りが多いのです。そのかなりの部分が日本人的な誤りであり、中には例えば銭超塵教授のような学術水準にとっても盲点となりそうなものが有ります。言い換えれば、中国人から見れば信じがたいような種類の馬鹿馬鹿しい間違いが存在しているようです。そうしたものは日本人が何とかしなければなりません。さて、その誤りを訂正して断り書きをするか、現貌を保存して注で指摘するか、それもまたしょうもない迷いです。
経文と注文で異なった字形を用いて平然としている。医古文の知識から言えば、文字を変えたことが乃ち注釈の性格を持つという場合も有り得ます。でも、意地悪な目から見れば単純な不注意とも思えますし、多分は意地悪な目のほうが正解でしょう。見慣れない文字は模写してすませ、しかも微妙に間違える。二度三度と重なれば言わば伝言ゲームの様相を呈します。確かに、多少の無理をしても俗字形を保存しなければ、その誤りを生じた過程は消え去って、探索が不可能となります。ここにも辛気くさい判断が要求されます。
俗字は逐一造字して現貌を保存するというのは大変なことですし、そのかわりに利点は量り知れないと考えます。そうは言っても、適当なところで線引きしなければどうにもならないことを、実際に古籍の整理に挑戦したものは知っています。銭教授の『新校正』では、個々の場合にどのような判断が示されるか、興味津々です、今から大いに楽しみです。
底本通りにという難題 神麹斎 2005/10/16
電子文献書庫に置いてある『太素』について、
> 研究用の資料としては「可能な限り」底本通りというものを再構築しようかと思っています。
なんてことをかなり前に書きましたが、実は全然手もつけてません。凡例さえできてません。
基本的には、抄者は原本を愚直に模写したと仮定して、でも当然ながら書き間違えは有るだろうから、抄者の単純なミスのうち確実なものは訂正するとして、書き癖や筆勢や思いこみは当然無視して、でも中国から渡来したもの自身に有ったと思われる通字や俗字は保存しようかな、と考えてはいます。『干禄字書』とか『五経文字』とかによって、当時の世間一般にそういう字も一応有ることは有ると認められていたと思われるものは、ということです。でも筆画の些細な増減なんて、そういう字様書にも載らないはずだから、まあ標準化はしての上のことになるんだろうけれど。(何とも歯切れが悪いでしょう。だから手もつけてない。)
例えば…… 神麹斎 2005/10/18
例えば逆、仁和寺本では屰を羊に作る。これは厥の場合も同じで、こちらは『干禄字書』に俗ということで載っているらしい。「らしい」などと歯切れが悪いのは、私の常用の『干禄字書』ではどちらも微妙に形が違うからです。そもそも字様書自体の字体があてになりません。で、屰と羊の違いは、結局のところ隷書を楷書化しようとするときに生ずる偏差に過ぎないようです。だから、無理に造字しなくても、活字化するにあたっては当然楷書化するんだから、逆と入力しておけばたくさんである、とも言える。どうするかは、結局のところ最初に見たときに「何という字だろうか?」と一瞬迷ったかどうかではなかろうか。気にしだすとさらに、辶なのか廴なのか迷うようなものも有る。でもそんなのは辶と書くとき、筆を転ずるに際して、息継ぎをしたかどうかの違いに過ぎないでしょう、最初はね。でも、それを次に書き写す人は、廴と思いこんで丁寧に廴にするかも知れない。こんなのどうするつもりなんですかね、と人ごとのように思う。だから、未だに手をつけられない。実はね、辶に羊の字はユニコードの拡張領域Bには有ります。廴に羊の字は無いみたいです。「みたいです」などと歯切れが悪いのは、なにせ7万字ですからね、見落としているかも知れない。

声符が同じでも…… 神麹斎  2005/06/24
これは討論ではなくて質問です、と前もって断っておきます。

徐麟先生の『黄帝内経太素』楊注直音音義類証に、
所謂骨繇者,揺也,當竅其本。
【楊注】骨節緩而揺動。竅,音核。診候研竅,得其病源,然後取之也。
について、古代の字書には「竅,音核」を著録したものは無いし、『広韻』で調べてもこの「竅」と「核」の二字の声韻はいずれも近く無いから、通借する縁が無いと言われてます。そして意味の上からも、「診候研竅」では連文また不辞に属すから、「覈」とすべきだと結論づけている。
しかし、「覈」は襾に従い敫の声だろうし、「竅」だって穴に従い敫の声なんでしょう。だったら、「覈」が音核だったら、「竅」にだって音核の場合が有って良さそうに思うんですが、違うんですかね。
意味の上でも「竅」には「通」の義が有るはずだから、「候を診て研究し貫通させて」、その病源を得て、しかる後にこれを取る、ではいけないんですかね。

声符が同じでも通仮できる資格に欠けるんですか。実例の穿鑿は棚上げにして、取りあえず可能性も無いんですか。著録されてないのは、単に著録される機会が無かったに過ぎない、ということは有りませんか。
Re: 当作“覈” 沈澍农  2005/06/24
本例之讨论,我赞同徐麟先生之说。虽然经过同声符通假、字义引申之后,用“竅”似乎也能成立,但毕竟属于“不辞”,也就是说,没有这样的说法。查电子版的《四库全书》,“研覈(核)”一词见有249处,而“研竅”只有两处,只有两处的表达形式应该是错误的。语言应用中有“社会通用性”原则。简单地说,语言是人们交际的工具,因此一个人在表达自己思想时当然应该选择别人熟悉的、容易了解的字词,而不会有意选用别人不熟悉、难于理解的字词。即使一个人因为偶然的原因用错了字(形近、音近的字),阅读者也只能根据通常的语例判断为误例,而不会对错误的表达作勉强的解释。

本例の討論について、私(沈澍農)は徐麟先生の説に賛同いたします。声符が同じで通仮し、字義は引申したとして、だから「竅」でも成立するようにみえたとしても、これはやっぱり「不辞」に属するものであって、また言い換えれば、そのような言い方は有りません。電子版の『四庫全書』を調べてみますと、「研覈(核)」という詞は249箇所に見えますが、「研竅」というのは2箇所だけで、その2箇所も錯誤とみなすべきものです。語言の応用にあたっては「社会通用性」という原則が有ります。簡単に言えば、語言は人々の交際の道具であって、だから自己の思想を表現するに当たっては当然ながら他の人がよく知っている、容易に理解できるものを選択する必要が有って,わざと他の人がよく知らない、理解しがたい字詞を選び用いるなとということはできません。すなわち誰かが偶然の原因で間違えて用いた字(形近、音近の字)は、閲覧者としても通常の語例を根拠にして誤例と判断すべきであって、錯誤である表現を強いて解釈することはできません。
つらいところ 神麹斎  2005/06/24
結局は「そんな中国語は無い」と言うことですか。これが我々日本人には一番つらいところです。今は大量の電子文献資料が有るからかわりになりそうではありますが、電子版『四庫全書』ともなると一個人には無理です。これもまたつらいところです。(「研覈」は一般的な学習漢和辞典『漢辞海』にも載ってはいました。「研竅」は有り得ない、という判断を下すのがつらいところです。)

声符が同じであれば通仮しうる、というのは一応は妥当なんでしょうか。

で、しつこく言いますと、電子版の『四庫全書』の249箇所は、そのもととなった版本、抄本で確かに「研覈」あるいは「研核」となっているんでしょうか。もともとの抄本では「研竅」となっていて、間違いに失笑しつつ改めた結果の集合という恐れは無いんでしょうか。笑うべきではなくて、実は通仮の例だったという恐れは無いんでしょうか。いや、これは屁理屈です、失礼しました。
この箇所は仁和寺本の抄者が「しっかりと」間違えています。曖昧、難読というわけでも、江戸末期の抄者とか蕭延平とかの誤りでもありません。

じつは巻八・経脈連環の脾足太陰之脈に「過覈骨後」と有って、楊注に「覈,胡革反」と言っています。ここは確かに「覈」です。(音注が有るのはここだけのようです。)少なくとも仁和寺本の抄者も、カクという音の「覈」という字が有るのは知っていた。どっちでも同じじゃないか、と思っていたわけでは無さそうです。(違う字形を混同した、そう疑われそうな例も、他処には有ります。知らない字だから模写、しかも曖昧に模写したような例も。)
Re: …… 沈澍农  2005/06/24
语言文字的道理说起来有很多,但都不像数学、物理的公式那样简单、明确,因此每个人可以从不同角度去理解。关于“研覈”我的看法依然如上。这里想再说的是,我所用的电子版《四库全书》不是个人输录完成的一般电子读物,而是上海人民出版社正式出版的检索版。这个检索版的文字错误率非常低,如果配用相应的光盘,它还可以随时检查相应的原书扫描页面。因此,即使那249例中有原书中本来是“竅”、却被误改成 “覈”的情况,也只会是个别的,不能改变以“研覈”为正例的基本认识。再者,即使认为“竅”通“覈”,那还是视“覈”为正例吧。
又要说到“音”这个训诂术语的特殊用法了。我曾经说过,“音”在古人有时是用来纠正错别字或识读其他异位字的,那么,或许杨上善注文中本来就是想说这个字应该是“核”字吧。如果这样理解的话,那么不管原书中是“竅”或是“覈”字,杨上善的意思都是很清楚的了。

語言文字の道理には様々有ると言っても、いずれも数学や物理の公式のように簡単、明確というわけのはいきませんから、それぞれの人が異なった角度から理解することができます。「研覈」についての私の考えは上に述べた通りです。ここで言っておきたいのは、私が用いた電子版『四庫全書』というのは個人が入力した一般的な電子読み物ではなくて、上海人民出版社が正式に出版した検索版だということです。この検索版の文字の錯誤率は非常に低く、もし付属のCDを用いればさらに相応する原書の影印を検査することもできます。ですからこの269例の中に原書が本来「竅」に作っているものを、誤って「覈」としたものが有るとしても、それは例外的なものであって、やはり「研覈」をもって正しい例とする認識を改変するわけにはいきません。さらに、「竅」は「覈」に通じるというのも、結局は「覈」が正しい例とするということでしょう。
またさらに「音」という訓詁の術語の特殊な用法を説明しておくべきでしょう。私はかつて、「音」という術語を古人は錯別字を糾正しあるいはその他の異位字を識別するために用いたことが有ると説明しました。とすると、あるいは楊上善の注文中ではもともとこの字は本来は「核」字であるべきだと言いたかったのかも知れません。もしそのように理解すれば、原書が「竅」であろうが「覈」であろうが、楊上善の言わんとするところははっきりしていることになります。
いや 難しい 神麹斎  2005/06/24
電子版『四庫全書』の精度を云々しているわけではありません。そうではなくて、そもそも『四庫全書』編纂の際にはしっかりした校正がなされたであろうから、錯誤例は勿論のこと、稀な通仮の例も篩にかけられて消え去ってしまった恐れはないだろうか、という極めて素朴な疑問です。例えば『太素』を読むに際して、『太素』で校正された『素問』を見て、『素問』もその字をそう作っている、などと言ったら滑稽でしょう。たとえその字句が正解であるにしても、やはり馬鹿馬鹿しい。(これに近いことを、仁和寺本と蕭延平本の関係で『黄帝内経太素校注』はやっていると思います。)

これもまたさらにほとんど完全に屁理屈なんですが、仁和寺本の抄者はしっかりと確信をもって、「當竅其本」と書き、「竅,音核」と書き、「診候研竅」と書いているようです。とするとその抄写のもととなった本がすでにそうなっていた可能性が高いし、さらには中国から渡来した本が元々そうだったのかも知れません。そして、徐麟先生の言うように、「『太素』全書を通覧するに、被釈字と訓釈字のどちらもが同時に誤られた例は一つとして無い」のでしたら、これは通仮の稀な例ということになりかねない、ような気がします。むかし、劉又辛先生の『通仮概説』という本を読んだときには、通仮の条件として、①音が充分に近いこと、②実際の用例が有ること、というのを知りました。今ここに③用例が錯誤でないことの証明、④かなりの確率で出現すること、というのを加える必要が有りそうです。錯誤と稀な例とどうやって線引きするのか、そこが腕の見せ所ですか。いや稀な例というのは、そもそも駄目ですか。いや、難しい。

 神麹斎  2005/06/25
何だか個人授業を要求するみたいで気が引けますが、せっかくの機会ですからもう一つ質問させてください。
沈先生の「古人用“音”这一术语,除了单純释音外,还可以广泛地用于解释文字关系,即,被释字为某类异位字,而解释字为相应的正位字。」という主張は理解できます。分からないのはその応用の限界です。例えば、「甲,音乙」という場合、甲には乙丙丁などの読音が有って、ここではその中の乙という音で読むべきであるという指示の他に、甲を音乙と読む場合には、乙、乙a、乙bなどの意味が可能な中で、ここでは乙の意味であるという指示をも含むことが有る、ということだと理解しています。ここまでは良いですか。分からないと言うのは、一般的な常識では甲に乙という読音は無くてもそうすることが有るのか、ということです。具体的に言えば、「簊,音督」などというのもこの範疇であるとお考えかということです。これは沈先生が前に言われたように「表肛门义的字还有周、州、窍等,“督”和这几个字有音近的关系」であるから、「督」であるとは乃ち「肛門」であるということであるというのを前提としてのことです。ここの「簊」が「肛門」と言う意味であることは気づかれにくいから、そのように注記した。では、「簊」には「督」という音が、一般には知られてないけれど実は有るのだ、少なくとも近い音は有るのだということなんでしょうか。それともこういう場合には、実は読音は関係無いのでしょうか。「音某」と注記しながら、「読音は関係無い」というのは私には理解できません。つまり、「覈,音核」や「竅,音核」は理解できますが(覈竅核は同音あるいは近音だから)、「簊,音督」は理解し難い(簊に督という音が有るとは思えないから)。沈先生は「簊,音督」もまた、先生の主張なさる「“音”这个训诂术语的特殊用法」の一例とお考えなんでしょうか。
Re: 音、「簊,音督」 沈澍农  2005/06/26
“音”这一术语的用法应该说比较清楚,有很多例证可以支持。但是「簊,音督」这一例却比较难于理解。首先,字形应该是“篡”还是「簊」甚至还是另一个字,不容易说清;其次,字音究竟应该读什么?《玉篇》:“(尸に口),都谷切,俗(月に豖)字」。” 《広韻》:“(月に豖),尾下竅也。(尸に口),俗。”这和“督”的读音恰好吻合,但这两个字都比较冷僻。因此我想,“音”这个术语常用于提示正位字,也就是说,在“音”后面的解释字应该是正位字,但由于表肛门这一意义的正位字很少使用,杨上善在注释时或许一时想不出表示这个字的正确写法,加上当时正位字的意识还不太强烈,因此才有了「簊,音督」这一条解释字并不是正位字的特殊的例子。
这个例子确实是很有难度,不知我以上的解释是否可取。请各位方家教正!

「音」という術語ははっきりしたものであって、極めて多くの例が支持しています。ただ「簊,音督」という一例はかなり難解なものです。まず最初に、字形は「篡」なのか「簊」なのか或いはさらに別の字なのか、容易に決定できません。次に、字音は結局のところ何なのか。『玉篇』に「𡰪(尸に口),都谷切,俗䐁(月に豖)字」とあり、『広韻』に「䐁(月に豖),尾下竅也。𡰪(尸に口),俗」とあって、これと「督」の読音はぴったりと符合しますが、この二つの字はいずれもかなり見慣れないものです。私が思うに、「音」という術語は普通には正位字を提示するものであり、言い換えれば、「音」の後の解釈字は正位字であるべきですが、肛門という意味を表示する正位字は使用されることが極めて少ないので、楊上善は注釈するに際してちょっと正確な字を思いつかなくて、また当時にあっては正位字についての意識がそれほど強くなかったこともあって、だから「簊,音督」という解釈字が正位字でないという特殊な例を引き起こしたのかも知れません。
この例は確かに難度が極めて高いものですから、私が上に述べた解釈が取るべきものであるかどうか確信が有りません。各位方家の教正を請うものであります。
Re: 音 神麹斎  2005/06/26
沈先生、ありがとうございました。
「簊,音督」についての私の見解は、今のところつぎのようなものです。
トクという音で肛門を意味することが当時は今よりは普通に有った。だから楊上善は音はトクと書き、そこに沈先生が言われるように肛門という意義をも包含させようとした。本来は䐁(月に豖)もしくはせめて𡰪(尸に口)と書くべきところであるが、咄嗟に思い浮かばなかったので取りあえず「督」と書いた。(意義の表示を包含せず、単なる音の表示ということは当然有った。)
ところが「簊」(この字は『太素』に限って言えば、疑う余地は有りません。また『素問』にもむしろこのほうが正しい可能性を示す資料が残っています。ただし、その他の出土文物を含む様々な文献の多くでは少なくとも算の省声の字になっているようです。だから、いずれにせよ決定しがたい文字のようです。)にはトクという音は無さそうです。だから「簊」は誤りであるとして、もし形誤であるとしたら(「簒」では音の関係で可能性が無いので)、(音督であることは間違いない)「篤」ではどうだろう、というものです。前半はともかくとして、「篤」を候補に挙げたのは全くの臆測です。何も言わないよりはマシかというだけのことです。
逆に「督」ではなくて、「簊」の読音を示すに相応しい字を、このように誤ったということも当然有るでしょうが、今のところ可能性が有りそうな字を思いつきません。

『黄帝内經太素校正』 神麹斎  2005/06/18
電子文献書庫の『太素』を、句読とコメントの付いたものに差し替えました。コメントを〔 〕に入れて該当箇所のあたりに置きましたので、目障りかも知れません。鬱陶しいと思う人は、「コメント無し」のほうをクリックしてください。実際の内容は同じです。見え方を変えただけです。
研究用の資料としては「可能な限り」底本通りというものを再構築しようかと思っています。ただしは、PC上でそういうものは「不可能」です。実ははじめから分かっています。だから、どんな具合になるかは定かでありません。況わんや完成は何時のことやら、甚だおぼつかない。
削除 神麹斎  2005/06/20
更新の手間を考えて、「コメント無し」を削除しました。
Re: 『黄帝内經太素校正』 神麹斎  2005/06/23
『黄帝内経太素校注』を槍玉に挙げつつ、私の電子版『太素』の何度目かの校正を終えて、『黄帝内経太素校正』句読コメント付を(半)公開したので、今度は私が袋叩きにあう番だろうと手に汗を握っていたら、静かなものです。これはこれで寂しいものです。

徐麟 『太素』楊注反切勘誤例析
爍,余薬反 徐麟
『太素・巻第九・経脈之二』:「熱多則筋施骨消,肉爍䐃破,毛直而敗矣。」楊注:爍,余薬反。
按:「爍,余薬反」、以紐藥韻。『広韻』を調べてみると、「書藥切」、審紐薬韻。『太素』全書を通じてみると、楊注中に「爍」の注音が二つ有る。もう一つは『太素・巻第三・陰陽』「魄汗不尽,形弱而気爍,穴輸已閉,発為風瘧,故風者,百病之始也」の下の楊注「爍,式薬反」である。この二つの例の「爍」はいずれも「消爍」の意味である。楊注「式薬反」の紐韻と『広韻』の「書薬切」は同じ。故に楊注「爍,余薬反」は「爍,式薬反」と訂正すべきである。

※中医文献雑誌:『太素』楊注反切勘誤例析 より
2000年8月科学技術文献出版社出版『黄帝内経太素』中の楊注反切用字に対する意見として ※徐麟氏の所属は、安徽中医学院
Re: 爍,余薬反 神麹斎  2005/04/04
「式」を「余」と書き誤るべき理由が無い。
案ずるに、『広韻』の視遮切の下に「余,姓也,見姓苑,出南昌郡」とあるから、シャクという音を表現するのに「余薬反」と書いても、それほど不都合は無いと考える。ただし、『康煕字典』の「佘」字の下に「古は余は有っても佘は無かった。佘の転韻を禅遮切とする。音蛇。姓である」と言うのだから、「佘薬反」と書いたほうが、現代中国人には誤解のおそれが無くて親切だろう。

紛紛{白分}{白分} 徐麟
『太素・巻第十二・営衛気』:「紛紛{白分}{白分},終而復始。」楊注:{白分},普患反。
按:「{白分},普患反」、滂紐諫韻で、この音は「盼」と同じ。{白分}は『広韻』には見えない。『霊枢。衛気行』の「紛紛{白分}{白分}」を調べてみると、史崧の注に「{白分},『太素』音義云:普巴切」と言う。『甲乙経』「紛紛{白分}{白分}」の林億の注にも「{白分},普巴切」と言う。また、『字彙』に「{白分},普巴切」とある。「普患反」は「普巴反」とすべきである証拠とするに足る。疑うらくは写したものは「{白分}」を「盼」と見誤って、軽々に注音を「普患反」と改めたものだろう。今まさに「患」を「巴」に改めるべきである。
紛紛盼盼 神麹斎  2005/04/05
仁和寺本『太素』をあらためるに、もともと「紛紛盼盼,終而復始。」となっている。古抄本に「盼」となっていて、反切に問題が無いのに、史崧、林億、はては『字彙』なんぞを持ち出して、字書に無い文字の反切の証拠とするのは理解に苦しむ。
なお「紛紛盼盼」は『太素』には巻十二の末尾に一箇所だけ、その篇名を言うならば「衛五十周」である。徐氏の表記はいかになんでも不親切だろう。
無題 神麹斎  2005/04/05
どうやって、患が巴になったのかは、残念ながらわからない。
仁和寺本では色が㐌のように見えるけれど、㐌と患の音に似たところは無いから、結局のところ両者の間にリングを欠く。
患と完なら音は似通っているけれど、完に巴と見間違えるような書き方が有るのかどうかは甚だ疑問。
犯なら音は近くて、㔾なら巴に近いけれど、これまた残念ながら㔾の音はセチあるいはセツ。

顑,含感反 徐麟
『太素・巻第十三・身度』:「其直者,出耳上,下結于顑。」楊注:含感反。
按:「顑,含感反」、匣紐感韻。『広韻』に「顑,苦感切」で渓紐感韻。楊注の切語上字は喉音に属し、『広韻』の切語上字は牙音に属して、両者の声紐は相去ること甚だ遠い。『霊枢』、『甲乙経』を調べてみると、「顑」はいずれも「頷」になっている。『広韻』では「頷,胡(原文では苦と誤植)感切」で匣紐感韻であって、まさしく楊注の「含感反」の音と符合する。故に科文本の拠るところの『太素』影印本の経文と楊注の二つの「顑」字はいずれも「頷」に改めるべきである。
無題 神麹斎  2005/04/05
これこそ理解に苦しむ。(誤植は別として)
『広韻』にはもう一つ、「顑,長面也,玉陥切」というのが有る。疑紐で喉音である。そもそも王力『漢語史稿』によれば、渓だって喉音である。本当に「相去ること甚だ遠い」のかね。
また、篇名は「経筋」とすべきだろうし、仁和寺本影印を精査したところ、おそらくは「合感反」になっている。

徐氏の挙げた例は全部で十個、まだ七つ有るんだけど、もう馬鹿馬鹿しいかね。

 徐麟
『太素・巻第二十一・九針之一』:「三曰鍉針……四曰鋒針……五曰䤵針,取法于劍鋒。」楊注:䤵,釘奚反,針形也。䤵,披眉反。」
按:「䤵,釘奚反」、端紐斉韻であり、この反切によれば、被切字は今の発音ではdiとなる。「䤵」は『広韻』には見えない。『正字通』の「䤵」の注音は「匹依切」であり、滂紐微韻で、正しく楊注の「披眉反」と同じ音であり、今の発音ではpiである。『広韻』を調べてみると、「鍉,都奚切」、端紐斉韻であって、正しく楊注の「釘奚反」と同じ音である。このことから、楊注の「釘奚反」は正しく「三曰鍉針」の「鍉」に対するものであるのがわかる。故に楊注の前の被切字「䤵」字は「鍉」と訂正すべきである。
Re: 鍉 神麹斎  2005/04/07
徐氏の考証は、あくまで科学技術文献出版社本に対してなされたものであって、実は仁和寺本影印では、前の被切字「䤵」字は、ちょっと虫食いは有るけれど、もともと「鍉」となっています。巻二十一「九鍼所象」のほとんど最後の方です。
考証を通して正解にたどり着いたのですから、徐氏の学力もそう馬鹿にしたものではないんですよ、ということです。

もうお終いにしようかと思ったけれど、一つだけ追加します。
Re: 鍉 沈澍农  2005/04/26
徐麟先生是在音韵训诂方面有很好功底的学者。不过他手边可能没有仁和寺本《太素》,研究时会有些困难。其实,杨注中的两个阙字在缺卷覆刻《黄帝内经太素》(香山贺耀光校字)中都是写出的,前一处为“鍉”,后一处为“{金+非}”(后一字《灵枢》写作 “铍”,为异体字),从注文和经文的对应关系以及反切用语看,这两处校字应该不难确认。何况“鍉”还有残迹可辨。

徐麟先生は音韻訓詁の方面に造詣の深い学者です。ただし彼の手元には仁和寺本『太素』が無い可能性が有り、そのことが研究に困難をもたらしているようです。実のところ、楊注の中の二つの闕字は缺卷覆刻『黄帝内経太素』ではいずれも闕けておらず、前を「鍉」、後を「䤵」と処理しています。(後の一字は『霊枢』では「鈹」とするが、異体字である。)注文と経文の対応関係と反切の用語からすれば、この二箇所の校字を確認することは難しくないはずです。況わんや「鍉」にはまた痕跡を見ることができるのですから。

男子如蠱 女子如姐 神麹斎  2005/06/23
『医古文知識』2005-2に、また徐麟先生の『黄帝内経太素』楊注直音音義類証という論文が載っているけど、何だかなあ。
『霊枢』熱病に見える怚を『太素』巻30雑病中では「妲」に作っているのを評価するとして、「楊注のこの条の直音“妲,音但”は、恐らくはまた通借を明らかにするものであり、その本字は“怛”字ではないかと考える。『集韻』に“怛,得案切,音旦”とあり、“怛”には憂傷、驚懼の義が有る。『霊枢』が“怚”に作るのは、蓋し“怛”と形近によって誤られたものであり、『甲乙経』が“阻”に作るのは、蓋し“怚”との形近の誤りであろう」と言っている。
そりゃ、怚でなくて怛であったほうが分かりやすいかも知れないけれど、肝心の『太素』の文字は、仁和寺本では歴然として「姐,音阻」なんです。旦を声符にする字なんてそのあたりには全く見あたらない。
徐先生は「『太素』全書を通覧するに、被釈字と訓釈字のどちらもが同時に誤られた例は一つとして無い」と大見得を切っているけれど、そんなことは無いんです。いや、仁和寺本ではあるいはおっしゃる通りかも知れないけれど、蕭延平本やひいては科学技術出版社版の「同時訛誤之例」なんていくらも有る。
『漢語大字典』を繙いてみると、姐にも慢とか嬌とかいう義が有るらしい。妥当かどうかは私らには分かりませんが、姐は「おかあちゃん」の意味だから相応しくない、とわざわざ苦労するのも何だかなあ。
ただねえ、巻25十二瘧の胃瘧、仁和寺本では「令人疽病也」で、楊上善注に「疽音且」なんだよね。で、そこの楊注に「内熱病也」と言い、また『太素』巻八・経脈連環の主脾所生病の中に黄癉が有って、楊注に「内熱身黄病也」と言う。とするとこの「疽」は「疸」の誤りである可能性も高いわけで、してみると抄者は且と旦を書き分けてなんかいないことになる。だからこういうのはほとんど全く証拠にならないんです。

徐先生は仁和寺本『太素』の影印を見てないからこういう書き方にならざるを得ないんだろうけど、これでは九仞の功を一簣に虧くようなものです。『太素』では「姐」に作る;ただし、抄者は且と旦を区別して書いてないようだから、これは「妲」のつもりなんだろう;で、「妲」は「怛」の仮借である云々、という段取りが必要なんじゃないか。でもねえ、実はもう一つ難題が残っている。仁和寺本は「音阻」であって、且と旦を区別してないとしたとしても、阝に旦という字は私の字書には無い。まあ、字書に無いような字を用いて説明する箇所は他にも有るけどね。困ったねえ。

『黄帝内経太素校注』

中医古籍整理叢書の『黄帝内経太素校注』 神麹斎  2005/04/12
中医古籍整理叢書の『黄帝内経太素校注』がやっと手元に届きました。2005年1月の発行ということになっています。ちなみに『黄帝内経素問校注』は1992年9月です。『霊枢経校注』は未だにニュースが有りません。

で、これは現代中国の学界を一応代表する著作であると思いますので、しばらくの間、この掲示板もこの本の成果に対する議論ですすめようかと思いますが、如何なものでしょう。問題にしている箇所の表示もこの本の頁、行でと考えています。
どうして蕭延平本を底本にしたのかがそもそも大いに不審ですが、それはまあ置いておいて。(多分、前言中に言い訳が有ると思うけど。)

それにしても、なんと横組み繁体字ですよ。

早速ながら 神麹斎  2005/04/12
校注説明p.6 小島野根は小野蔵根の誤り
    p.7 杉本望云は杉本望雲の誤り
ぱらぱらとめくって気付いたものだけです。本文に関わらない箇所についてはあんまり精密に見る気は有りません。

校正ミス? 神麹斎  2005/04/12
p.3 蕭延平の校語
治,自別本作治身,……
案ずるに治と自の間の「,」は有るべきでは無い。まあ、これは今回の出版時の校正ミスだと思うけど。

飡洩 神麹斎  2005/04/12
p.5 (6)に 仁和寺本「飱」作「喰」 とするのはあまり感心しない。
喰に見えないこともないが、底本では冫が口のように書かれることが多いので、これも飡と見るべきであろう。(確実に冷の意味の箇所に吟に見える文字が有る。)飡、音孫は飱と同字。『戦国策』中山策に「以一壺飡得士二人」と見えるのも飱と同字で、熟食の意。ただし、『竜龕手鏡』に「喰湌飱 音孫 以飲澆飰也」とある。喰も後には飱の異体字と考えられるに至ったものと考えられる。飰は飯と同じ。従って「飲を以て飯に澆(そそ)ぐなり」で、楊上善注の「食消せず下洩すること水和飯の如し」とほぼ通じる。

斲輪之巧 神麹斎  2005/04/12
p.2 (4)斲輪之巧に、仁和寺本「斲」作「■」。
残念ながら■はユニコードにも見つからない。卯の下に亞、その右に刂。
ただし、仁和寺本の字形は全然違う。㔁である。
『竜龕手鏡』(中華書局1982年影印高麗本)に、斲の俗字として登の右に斤が載っている。刀と斤は意符として通用し得る。だから、㔁も恐らくは斲の俗字。また『荘子』天道篇に、「輪扁曰:臣也以臣之事觀之。斲輪徐則甘而不固,疾則苦而不入」云々とあり、仁和寺本の抄者は、これを欄外に引用しているらしい。

……大丈夫かね、この本。
逸體怠形? 神麹斎  2005/04/12
p.8 (5)に 仁和寺本「急」作「怠」 も不審。
怠だという字形は、急の異体字である。秋三月の「天地以急」に使われているのと同じ。
ただし、ここは「逸體怠形」のほうが義においても勝ると主張しているのであるから、また別の問題ではあるが。

巻2・順養
逆則傷於肝夏為寒為變奉生長者少
【楊注】肝氣在春故晚卧緩形晚起逸體急形……
Re:   神麴齋 2005/04/12
…奉生長者少。
【楊注】肝氣在春,故晚臥形晚起,逸體急形,殺奪罰者,皆逆少陽也。…
上は『校注』の句読であり、急は怠に改めたほうが良いと言う。
ところが森立之『素問攷注』では、「晩臥」と「形」の間に「緩」字を脱するのでは無いかと言う。我らが枳園先生に従って、試みに句読すれば:
【楊注】肝氣在春,故晚臥緩形,晚起逸體,急形、殺、奪、罰者,皆逆少陽也。…
となろうか。晚臥云々と晚起云々は互文。ここに問題にしている文句の上にも実は「殺奪罰者,逆少陽也」とある。ここで「急形」を加えて「皆」と言う。

未央絶滅 神麴齋 2005/04/14
p.14 巻2順養
…乃道相失,則未央絶滅。
楊上善注:…八者,失道未央絶滅。央者,久也。言盜夸之君,不久絶滅也。
上は『黄帝内経太素校注』です。ところが仁和寺本の真相は:
…乃道相失則未央絶滅
楊上善注:…八者失道未央絶滅未央者久也言盜夸之君絶滅方久也
なんです。
それはまあ確かに、『説文』に「央,久也」とあるのだから、楊上善の注は変です。そのことには渋江抽斎も森立之も気付いています。しかし、注の末尾に「絶滅まさに久しきなり」と言うのですから、楊上善は「未央者,久也」と誤解していたと考えるのが当たり前じゃないですか。確かに『黄帝内経太素校注』のように改めたほうが条理は通るけれど、そんな勝手なことをして良いんですか。なお蕭延平本でも影印のとおりですから、やったのは今回の編者達です。

『黄帝内経太素校注』 神麴齋 2005/04/13
いきなりいくつもの不満を並べ立てたので、この本は買ってもしょうがない、と誤解した人がいるといけないので、老婆心から一言。
それでも現在手に入る『太素』では一番良いと思います、少なくともしばらくの間は。しばらくというのは、銭超塵教授の本が出るまでは、ということです。

それにしてもどうして蕭延平本を底本にしたんだろう。
善本を底本にすべきだと言い、善本とは精校本であると主張していますが、それは読むための善本であって、古籍整理の際の善本はやはり最も源流に近い本でしょう。
それに蕭延平本を底本にしたせいで、しばしば滑稽なことがおこっています。
例えば、p.14に「菀藁不榮」とあり、楊上善注に「菀藁當爲宛槁」と言っています。これだけ見れば何の不都合も無さそうですが、実は校注に仁和寺本は経文の「菀藁」を「菀槁」に作ると言ってるんです。つまり「菀槁當爲宛槁」ということになってしまうんです。それはまあ、「槁」は問題にしてないと言えなくもないけれど、仁和寺本の真相をユニコードの範囲で忠実に表現すると、経文は「菀槗不榮」、注文は「菀槗當爲宛槁」なんです。(この部分に関しては、全体的には別の意見も持っています。それはまたの機会に。)
Re:   蔭軒 2005/04/14
> 現在手に入る『太素』では一番良いと思います、少なくともしばらくの間は。

つまり、それまでの命ということですか?
Re:   神麹斎 2005/04/14
まあ、そういうことです。
だから、今のウチに大いに楽しみましょう。
Re:   神麹斎 2005/04/15
なんだか一人で悪口を言っているみたいで気が引けるけれど、やっぱりこの主編者は、蕭延平本を底本にすると言いだした時点で更迭すべきじゃなかったか。
ご存じのように、巻3の冒頭は蕭延平本では『素問』で補われています。勿論、もともとは楊上善注は有りません。ところが今回の本では、注だけを仁和寺本から補い、経文は『素問』のままです。だから、不必要に複雑な様相を生じています。
その他にも、蕭延平本の元貌を保存することに熱心なあまり、仁和寺本では某に作るに注記し、仁和寺本に「當從」などと書いている。馬鹿馬鹿しい。そんなもの蕭延平かもしくはそれ以前の抄者が間違えただけのことじゃないか。

孤軍奮闘なのは、まだ入手できてない人が多いからだろうけど、皆さんこの本は買おうね、面白い(オカシイ)から。
Re:   神麹斎 2005/04/15
結局、評価できるのはその簡潔さ、ということですかね。最初に総頁数を聞いた時にはどうなることかと思ったけれど、まあまあですか。これはと思う良い注記も、全く無いというわけじゃない。蕭延平本を底本にしたことに伴う馬鹿馬鹿しい注記を省けばもっと簡潔になる。
それに横組みというのも、一頁に詰め込める分量ということからは評価できるのかも知れません。字数を数えたわけじゃないんですが、同じ分量を縦組みで詰め込むよりは読みやすいような気がする。
Re:   神麹斎 2005/04/16
ひょっとすると、科学技術文献出版社のもののほうがましかも知れない。
と言ったって、この本にも、勿論、良いところも有るんですよ。
皆さんこの本は買おうね、楽しいから。

でも、問題点を網羅的に取り上げるのはしんどくなってきました。
2006年には銭教授の本が出る予定とのことですので、それまではとりあえずこの本を、これからもチクチクとやっていきますが、問題点はここに取り上げるもので全部ではありません。上げきれないと思います。

得神而無仂 ですか? 神麹斎 2005/04/15
『太素校注』p.46 巻2陰陽大論の冒頭「神明之府也」の楊上善注のうち、「亦陰陽和氣故得神而無■故為府也」の■を「仂」と解して、以下のように注記しています。
〔2〕得神而無仂(li力) 「仂」,不懈。《廣雅・釋詁四》:「仂,勤也。」無仂者,言神志專一不分散也。

私の今までの入力と異なるので気にはなるんですが、この『太素校注』の翻字や説明も変じゃないですか。
Re:   神麹斎 2005/04/16
ちょっと分かりにくかったかも知れないので補足です。
「仂」は、動詞としては「怠らずに努める」という意味です。上に言っているのもそういうことですよね。とすると「無仂」は「怠って、努めることなし」になりませんか。どうしてそれが「神志專一不分散也」(神志が専一であって分散しない)ということになるんでしょうか。

私の今までの入力は、「仭」です。「深さを測る」で、つまり「無仭」なら「深さを測り知れない」のつもりでした。ちょっと自信の無いところが有るのでぐだぐだ言っているわけですが、少しはましじゃないかと……。

 神麹斎 2005/04/16
巻3陰陽大論「因於濕首如裹攘大筋濡短小筋㢮長㢮長者為痿」
『素問』には「裹」の下に「濕熱不」の三字が有って、『太素校注』もこの三字は補うべきだと言ってますが、どうなんでしょう。
楊上善注には、「如,而也。攘,除也。人有病熱,用水濕頭而以物裹人,望除其熱,是則大筋得寒濕縮,小筋得熱緩長。…」(句読は仮に『太素校注』のものを使用。「…水で頭を湿らせて物でつつみ、その熱を取り除こうとすると…」)なんです。これに拠って、上の『太素』の経文を強引に訓めば、「首を湿らせて裹み(その熱を)攘うに因りては」云々。不可能では無いと思うんですが…。「濕熱不」の三字を補うと経と注が齟齬しませんか。
楊上善の解釈が妥当かどうかは別問題ですよ。

一曰骨不正則都大也 神麹斎 2005/04/16
巻2陰陽大論「潰潰乎若壞都滑滑不止」に対する楊上善注を「……一曰滑不正則。都,大也。……」と『太素校注』は句読し、その上で「正,疑「止」字之誤。」(p.72)と言ってますが、間違いです。
仁和寺本影印を精査すると、「……一曰骨不正則都大也……」です。
これをどう読むか。迷うところですが、正の右下と都の右下に朱で点が有りそうなので、一応、経文は「潰潰乎若壞都骨不正」とする説も有り、それだったら都は大の意味である、ということと解しておきます。

実は私も骨を滑と見誤ってました。だからやっぱり『太素校注』はありがたい本です。

不下交通不表万物 神麹斎 2005/04/12
p.13~14 巻2順養
雲露不精則上應甘露不下交通【楊注…遂使甘露不降隂陽不和也…】
不表萬物命故不施【楊注】隂陽不得交通則一中分命無由布表生於万物德澤不露故曰不施也
『校注』では蕭延平本を踏襲して「交通」を下句に属せしめている。さすがに仁和寺本はそうではないと言っているが、義において長ずるからと言って、字句を勝手に移動させるという態度はおかしいのではないか。
上の句の楊注からすると、経文の「不」は「下」と「交通」の双方を否定しているのかも知れない。
下の句の楊注に「無由布表生於万物」とあるところからすれば、下の句は楊上善のつもりとしては、「不表萬物,命故不施」(万物を表せず、命故に施さず)であろうか。
また「不下交通」と「不表萬物」は対句にも見える。
おそらく中国人からみるとしっくりしないのであろうが、不可能というわけでもあるまい。
楊上善注の位置 七面堂 2005/04/17
しかし、楊上善注の位置が不自然な例は確かに有る。
巻3陰陽雑説(『校注』ではp.86)
【経文】故背為陽,陽中之陽,心也;背為陽,陽中之陰,肺也;腹為陰,陰中之陰,腎也;
【楊注】心肺在隔已上,又近背上,所以為陽也。心以屬火,火為太陽,故為陽中之陽也。肺以屬金,金為少陰,故為陽中之陰也。
【経文】腹為陰,陰中之陽,肝也;
【楊注】腎肝居隔已下,又近下極,所以為陰也。腎以屬水,水為太陰,故為陰中之陰也。肝以屬木,木為少陽,故為陰中之陽也。 ここの経文「腹為陰,陰中之陰,腎也」は、やはり「心肺在隔已上」云々という楊上善注の後に、在った方が自然だろう。蕭延平本では移動している。

使十全者也 神麹斎 2005/04/17
巻3陰陽雑説
皆視其所在,為施針石。
に対する楊上善注の中に「使十全者也」とあり、『太素校注』は「仁和寺本全下有七字」と注記する。
誤りである。
「全」の下に有るという「七」は、実は右下に小さく書かれた「セ」であって、おそらくは「十全セしむるものなり」と読ませるための送りがなである。
余計な注記をして、影印を持たない人を惑わさないでほしい。

仁和寺本と影印本? 神麹斎 2005/04/17
巻3陰陽雑説「問曰:二陽之病發心痹」云々の注記として、『太素校注』p.93に、『素問』は「痹」を「脾」に作ると言うのは良い。仁和寺本もまた「痹」に作るというのも良い。しかし、その後に影印本は「痺」に作るというのはどういう意味だ。
Re: 仁和寺本と影印本? 神麹斎  2005/04/17
実は、私自身は江戸末期に抄写された仁和寺本『太素』と、東洋医学会(今のオリエント出版社)が影印した仁和寺本『太素』は、ひょっとすると別本かも知れないという恐れを抱いています。
ただ、この校注をやった人がそういう見解に達しているとは思えません。
もっとも、校注説明の中で、浅井氏の他に、小島宝素が派遣した杉本望雲も直接に仁和寺本そのものから抄写してというふうに理解しているようです。理由は書いてないので評価のしようが無いのですが。もし、その時の仁和寺本がそれぞれ別の本であると考えているのなら、まあ上のような言い方も不可能ではないけれど、不可解であるのは免れないでしょう。
Re: 影印本? 菉竹  2005/04/18
まだ手元に『太素校注』が届いておらず,したがってその凡例も読めないのですが,以下想像して言ってみます。
『太素校注』が底本としているのは,先生によると蕭延平本とのことですが,これは誤字の少なくない「活字本」蕭延平本のことではないでしょうか。活字本四七頁末行に「問曰:二陽之病發心痹」とあります。これに対して,影印本とは,民国十三年刊行(この場合,真本というべきか)蕭延平本の影印本のことではないでしょうか。これですと,3-17-b7に「發心痺」とあります。校注者たちは,活字本の方が句読点がついているので,仕事がはかどるので,そっちを底本にしたのではないでしょうか。安易ですがそのことを告白しているのは,まあ,正直でもあるとも言えますが。
参照して,検討いただければさいわいです。
Re: 仁和寺本と影印本? 神麹斎  2005/04/18
すみません、ちょっと書き方が不親切で。
p.93の注の書き方は、
〔3〕二陽之病發心痹 《素問》「痹」作「脾」。仁和寺本亦作「痹」,影印本作「痺」。……
なんです。それで、仁和寺本と仁和寺本の影印の二本立てのように思ったわけです。(仁和寺本影印は「痹」とは言えないと思います。「痺」のほうがまだしも近い。少なくとも声符は脾の声符と同じ。脾も腗に作るべしとは言ってないように思う。)
他にも、同じ頁に、
〔5〕其傳爲息賁 仁和寺本、影印本上有「其傳爲風消」五字,……
なんてのも有ります。この五字も確かに蘭陵堂本の影印には有りますね。

言われてみれば、底本は蕭延平本の活字本、主校本の一つに蕭延平本の影印本という可能性も有りますね。でも、ますますもって馬鹿馬鹿しいと思いますよ。

底本の蕭延平本が活字本なのか民国十三年刊行本なのかは、校注説明には明記されてないと思います。校注後記に人民衛生出版社《黄帝内経太素》的新貢獻なんて綱目が有るので何か言っているかも知れませんが、今、丁寧に読む気力が失せてます。
そもそも、蕭延平本に関しては校注説明では影印という言葉は使ってないように思います。見落としかも知れませんが。勿論、仁和寺本については影印という言葉をしばしば使っています。
Re: 仁和寺本と影印本? 神麹斎  2005/04/18
どうも菉竹さんの想像が正解のようですね。
校注後記の人民衛生出版社《黄帝内経太素》的新貢獻の最初のほうに、一九五五年に人民衛生出版社が蘭陵堂本を影印したと紹介が有って、「今簡稱影印本」といってました。そして、一九八一年に印刷出版した点校本は「在影印本的基礎上作了很大改進」と言ってます。
校注説明にもさりげなく言っているのかなあ、気付かないなあ。

でも、やっぱり何という馬鹿なことをと思いますよ。単にサボりますと言っているだけじゃないですか。まあ、正直ではある。
仁和寺本影印を底本にして、両種の蕭延平本を大いに参考にする、とやったほうがうんとすっきりしたものになると思いませんか。
Re: 仁和寺本と影印本? 菉竹  2005/04/18
神麹斎先生,どうか安易なSina ひとにかかわりなく(そうでないひとたちもおりますが),
「仁和寺本を底本にして、両種の蕭延平本を大いに参考にする」という王道を行ってください。
でもね 神麹斎  2005/04/19
でもね、もとはと言えば、日本では未だに仁和寺本『太素』翻字版の印刷発行が企画されないのがいけないんだよね。
でもね、実はプレーンなものなら明日にでも印刷に回せるんだけどね。見た目は説明無しだけど、実はコメントは隠してあるんです。ちょっとコンピュータに慣れた人なら見ることができます。
でもね、今回のように『黄帝内経太素校注』が出ると、取りあえず突き合わせはしたいからね。まあ小一年はかかる。自分の『黄帝内経太素校正』のほうがましという自負は有るけどね。でもね、一年たつと今度は銭超塵教授の『黄帝内経太素新校正』が出る。そうすると、これとも突き合わせしたい。なんたって、『黄帝内経太素校注』よりもう~んと期待できるから。
でもね、そうやって一年、二年と先延ばしになる。
やっぱり拙速もまた尊ぶべきもの、ということですか。
でもね、『黄帝内経太素校注』が国家的事業として始まったのは一九八五年ですよ、拙は確かでも速と言えるかね。

痹か痺か 七面堂  2005/04/20
>仁和寺本影印は「痹」とは言えないと思います。「痺」のほうがまだしも近い。少なくとも声符は脾の声符と同じ。脾も腗に作るべしとは言ってないように思う。

ところが困ったことに「鼻」の下部も同様なんですね。
「丌」の部分を「丩」のように書く習慣だったみたいです。
Re: 痹か痺か 神麹斎  2005/04/25
『干禄字書』によるかぎり、やっぱり「卑」だと思います。


銭超塵教授の『黄帝内経太素新校正』 菉竹  2005/04/20
>でもね、一年たつと今度は銭超塵教授の『黄帝内経太素新校正』が出る。
神麹齋先生の文章を読むと,ゼニ先生が出される本は,『黄帝内経太素校注』のグレードアップしたもののように受けとめられますが,これはゼニ先生からお話があったのでしょうか。小生がうるおぼえの記憶では,たしか昔出た,やたら高かった『黄帝内経研究大成』の『太素』バージョン,つまり『黄帝内経太素研究大成』という論文が基本のものが出版予定だったのではないでしょうか。これには,新校正の『太素』も含まれているということなのでしょうか。
茨城大学の真柳教授の論文も載る予定でしたが……
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paperlist01.htm
149)目及之『太素』研究史料 北京図書館特蔵精品(GBcode、Big5code)(銭超塵『(仮)黄帝内経太素研究大成』収載予定、2004年?月)
Re: 神麹斎  2005/04/20
昨年11月の初めにお会いしたときの話では:
 森立之《素問考注》対楊上善注進行了校勘,値得参考。
ということで、
 我的《太素新校正》已基本寫完,充分地参考了《素問考注》。
出版はいつになりそうですかという質問には、2006年ということでした。
そういえば、出版形態についてはうっかりして聞いてませんね。
蕭延平本に対する評価としては、
 《太素》蕭延平本(1965年出版)有大量錯字,使用時応加注意。
でした。だから、『黄帝内経太素校注』が遅れている事情をお伺いしたところ:
 人民衛生出版社正在審稿。
で、その時の教授の表情の渋かったのは、蕭延平本を底本にしたことと関係が深いと思います。

仁和寺本影印 神麹斎  2005/04/19
本当は同情すべき点も有るんです。
『黄帝内経太素校注』に従事した人たちって、仁和寺本のちゃんとした影印を見てるんだろうか。
見ててこれだったら「目が悪い」と言いたいですね。
仁和寺本はこれこれに作るという注記に、デタラメが多いんです。

蕭延平本を底本にしたのは、ちゃんとした仁和寺本影印を入手できなかったから?
いくらなんでもねえ、国家的事業なんでしょう。
Re: 仁和寺本影印 七面堂  2005/04/20
いや冗談じゃなくて、校注者はちゃんとした仁和寺本影印を見てないかもしれない。

巻8経脈連環の胃足陽明之脈(p.187):
下循胻外亷,下足跗[1],入中指内閒[2];【楊注】跗[3],古孟反。
[1] 足跗 仁和寺本「跗」作「胻」,蕭本是。《玉篇》:「跗,足上也。」
[2] 閒 仁和寺本作「間」。下同。《正字通・門部》「間,閒俗字。」
[3] 跗 日抄本作「胻」,可從。

仁和寺本影印では[1] はもともと「足跗」、[3] は「胻」です。いずれも難読でもなんでもない。珍しいくらい剥落も虫蠹も無い。
さらに「古孟反」は、仁和寺本影印では「故孟反」、これも見間違えようが無い。
また、別の問題ながら、仁和寺本で「間」と書くのは全書通してであって、何もここで注記することはない。「廉」を「亷」に改める理由もわからない。「亷」が正字なんですか。嘘でしょう。仁和寺本の通りになら近いのは「㢘」でしょうし。
Re: 仁和寺本影印 沈澍农  2005/04/22
校注《太素》当然应该以仁和寺本作为底本,这是仅以整理古籍的常识就可以判断的。萧延平是在他人传抄仁和寺本的基础上整理的,其中错误之处举不胜举。萧延平不能看到仁和寺本,当然情有可原,但现代的情况已经不同了,整理的做法当然也应该有变化。因此,近年中国已经出版的两种《太素》整理本都以萧延平本作底本,实在是令人遗憾的事!

『太素』に校注をほどこすには,当然仁和寺本を底本とするべきであり,このことは古籍を整理する上での常識からわかるはずである。蕭延平は,他人が書き写した仁和寺本を基礎として整理したのであり,その中の誤りを挙げればきりがない。蕭延平が仁和寺本を見ることができなかったのには,諒とすべき事情があったが,現代の状況は異なっており,整理作業も当然変えなければならない。したがって,近年中国で出版された二種類の『太素』整理本がいずれも蕭延平本を底本としているのは,まことに残念なことである。
かわいそう 神麹斎  2005/04/22
最初は楽しかったんです。
だって、海水浴場の砂浜で宝探しをやっているようなものですから、
お宝は多いにこしたことは無い。
でもだんだん腹がたってきて、やがてあきれて、
今や可哀想になってきた。

疾健兒 蔭軒  2005/04/23
なになにの様子のつもりでしばしば「兒」と書くのもなんとかならんか。
底本通りになら「皃」でしょうに。『干禄字書』に「貌」の通です。

鉤泄!? 神麹斎  2005/04/20
巻6藏府氣液(『黄帝内経太素校注』p.169)
入五藏則䐜滿閉塞,下爲鉤泄,久為腸澼。
何なんですか、これは!?
仁和寺本影印は飡洩(または喰洩)。
蕭延平本影印だって飡泄、蕭延平本活字版は飧泄。
『素問』は飱泄。
鉤泄なんてどこから出てきたんですか。
そもそも形誤なんですか声誤なんですか、どうやって出てきたんですか。
Re: 鉤泄!? 沈澍农  2005/04/23
现代书籍中的文字差误除了形误和音误之外,又有一种可以称为“键盘误”的错误形式。即:在电脑输录时因为键位相近而点击了错误的键。本例错误应该就属于这种情况。不过还不清楚这本书的输录使用了什么输录法。在我熟悉的“五笔字形”中,“鉤”的输录码为 “QQKG”(如果是“鈎”则为“QQCY”),“飧”的输录码为“QWYE”。二字首码相同,次码键位正好相邻,但后两码并不相同。不过输录错误有时不一定键位相近,偶然因素也很多。虽然说错误在所难免,但终归是出版校对不严谨。

現代の書籍における誤りには形誤と声誤の他に、もう一つ「キーボード誤」とでも言うべき形式が有ります。つまり、パソコンに入力するに際し近い位置のキーを押し間違えたというものです。本例の錯誤はようするにそうした状況です。ただ、本書の入力にどんな入力方法が使われたかははっきりしません。私がなれている「五筆字形」では、「鉤」は「QQKG」(もし「鈎」なら「QQCY」)で、「飧」は「QWYE」です。双方の初めの字は同じで、次の字のキーの位置も近いのですが、最後の二字は違います。ただ、入力の間違いというものは必ずしもキーの位置の近さによるものではなく、偶然の要素がとても多いものです。誤りは避けがたいものであるとは言っても、最終的にはやはり出版時の校正がしっかりしてないというところに帰すようです。

纂猶督?! 神麹斎  2005/04/23
巻10の首篇・督脈中の「其絡循陰器合篡間,繞篡後」に対する楊上善注「篡音督」について、『黄帝内経太素校注』p.263に:
黄焯彙校《經典釋文》在前言中説:「因古代文字多以聲寄義,注音即等於注義」。是「篡音督」者,即「纂猶督」也。
と言っています。(「篡」でなく「纂」が良いというのは別に論じています。)
これはおかしいでしょう。
黄焯ひいては陸徳明が言っているのは、例えば、悪に対して「音はアク」と注すれば、わざわざ別に注しなくても意味は「わるい」であることがわかり、「音はヲ」と注すれば、わざわざ別に注しなくても意味は「にくむ」であることがわかるということじゃないですか。音には関係無く、意味の相当する文字を持ってきて「音某」とできるわけじゃないでしょう。
ここの例で言えば、「纂」にはサンの他にトクという音が有って、ここではその音の場合の意味ですよ、となるはずだけど、注者のつもりはそうとは思えない。
そもそも、仁和寺本は本当は「簊」なんだろうけれど、これにだってトクという音は考えにくい。トクという音が有れば、それはおそらくは肛門のことで、ここの説明には都合が良いんだけどね。
Re: 纂猶督?! 沈澍农  2005/04/23
杨上善注“篡音督”是很难理解的注释。按常理来说,“篡”从“算”声,不可能读“督”的音。我在《中医古籍用字研究》中曾分析“音”这个术语古人可以用于解释文字联系,即某个字应该当另一个字解读。黄焯在《经典释文》的前言中也指出:“《释文》有以注音方式表异文或误字者,不下数十百处,此益(引者按:似当为‘亦’)承汉人‘读为’、‘当为’之例。”据此看,“篡音督”,就是“篡应该当作督来理解”。不过,当“督”解读又有何义呢?考中医古籍中的“篡”应该是指肛门,而“督”无此义。但表肛门义的字还有周、州、窍等,“督”和这几个字有音近的关系,或许杨上善是用了一个通假字吧?《黄帝内经太素校注》引了黄焯的另一句话,释“篡犹督”,不如用这条引文,直接说“篡读为督”。

楊上善注の「篡音督」は極めて理解しがたい注釈です。理屈から言えば、「篡」は「算」の声に従うものであって、「督」という音に読むことはできません。私は『中医古籍用字研究』の中でかつて「音」という術語を古人は文字関係、つまりある文字を如何なる文字として解読すべきか、を説明するのに用いたことが有ると分析しました。黄焯は『経典釈文』の前言において、「『釈文』には注音の方式で異文あるいは誤文を表したものが有り、数十百箇所を下らない。これもまた漢代の人の読為、当為を受け継いだ例である」と指摘しています。これによって見れば、「篡音督」とは、つまり「篡は督という意味と理解すべきである」ということになります。とは言うものの、「督」として解読するとはどういうことでしょうか?中医古籍の中の「篡」は肛門を指していると考えられますが、「督」にはそうした意味は有りません。ただし肛門を表す文字には他に周、州、竅などが有り、「督」と音近の関係が有ります。あるいは楊上善は通仮字を用いたのでしょうか?『黄帝内経太素校注』は黄焯の別の話を引いて、「篡猶督」と注釈していますが、この条の文を引いて、直接的に「篡読為督」(篡は読みて督と為す)としたほうが良かったと思います。
篤音督である!か? 神麹斎  2005/04/23
私の言い分を整理します。
1.仁和寺本をよく見ると「篡」でも「纂」でもなくて、「簊」である。ただし、土を圡と書く。これは単なる抄者の誤りではない。「其絡循陰器合篡閒繞篡後」は『素問』長刺節論の王冰注中に、「衝脉与少陰之絡」の説明としても出て、その新校正に「按ずるに別本は篡を一に基に作る」と言い、さらに『太素』巻十一・骨空で「髓空……一在新簊下」とある箇所が、『素問』骨空論では「髓空……一在斷基下」になっている。
2.音督で肛門を意味する文字は有る。尻の九を口に変えた文字で、『広韻』の篤の下に見える。『玉篇』には「𡰪(尸に口),都谷切,俗䐁(月に豖)字」と言い、また『広韻』の丁木切に「䐁(月に豖),尾下竅也,𡰪(尸に口),俗」と言う。
3.篤も督と同音であり、篤と篡や簊は形がやや似ているが、残念ながら篤に肛門の意味が有るかどうかは知らない。明の馮夢竜『笑府』形体部の原注の中に、「松江県の人は屄(尸に穴)のことを篤という」とあるのは見つけた。この笑いばなしは、「毛が有って痩せているのを屄(尸に穴)といい、すべすべして肥えているのを篤という」のであるから、篤が竜陽君のもちものである可能性は有る。呵々。
※CJK統合漢字の拡張領域Bの漢字を使ったので、( )内にその構成要素を注記しました。

缺卷覆刻『黄帝内経太素』 蔭軒  2005/04/26
今頃何を、と言われそうなんですが。缺卷覆刻『黄帝内経太素』というのは何のことなんでしょうか。
私の持っているのは、「古醫典のつどひ」から出たもので、正文の校定は石原明先生です。孔版です。
ところが今頃気づいたのですが、銭教授の『黄帝内経太素研究』の参考引用文献挙要に載っているのは、盛文堂雕版印刷のものです。
これは別のものなんでしょうか。今までは何となく、「古醫典のつどひ」の限定本を、盛文堂がやや大量に印刷しなおして、さらに中国でそれを内部資料として影印したと理解していました。
沈先生の言われる「香山贺耀光校字」もよくわかりません。盛文堂のご主人は賀川さんとおっしゃるそうで、もとは中国のかたで、もともとは賀姓だと聞いたような記憶が有ります。その賀川さんが校定をやり直したということでしょうか。
Re: 缺卷覆刻『黄帝内経太素』 沈澍农  2005/04/27
我所看到的缺卷覆刻《黄帝内经太素》确实是中国作为内部资料影印的。根据影印说明,中医研究院王雪苔先生1979年访日,从小川晴通处受赠该书,“乃盛文堂汉方医书颁布会于1971年向其会员颁布者”,回国后影印作为内部交流资料。其中收入了第十六卷、第二十一卷、第二十二卷共16篇当时中国还没能见到的遗篇。该书不是影印本,而是繁体字仿古排印本,在每一卷的末尾处都记载着“香山贺耀光校字”。至于该书在日本的流传情况,我就不得而知了。
Re: 神麹斎  2005/04/27
「古醫典のつどひ」の缺卷覆刻『太素』は、昭和三十九年すなわち1964年の八月に印刷発行されたもので、正文校定は石原明、孔版印刷です。
「盛文堂医学頒布会」のものは、馬継興『中醫文獻學』によれば、1971年に、蕭延平本を影印した後ろに、活字を用いて巻16、21、22を排印したもので、線装本です。その三巻の末にそれぞれ「香山贺耀光校字」と有るそうです。
私自身も盛文堂のものを見た記憶が無いので(島田先生のところで見た蕭延平本がそれだったかも)、石原明校定と贺耀光校字の関係はわかりません。邪推すれば、校字とは排印にともなう文字の校正というに過ぎないのではないかと思います。原本の文字をどう判定したかの功は、「古醫典のつどひ」本のほうに在るのではないかということです。
いずれにせよ、仁和寺本もしくは精密な模写の影印を見ることができる今日、盛文堂本を重価をもって購う気にはなりません。そもそも、自分の持っているものが「古醫典のつどひ」のものであることは、言われて改めて気付きました。もうここ数年間は繙いたことも有りません。

『黄帝内経太素校注』批判 神麹斎  2005/04/30
最初の勢いに比べておとなしくなったと思っているでしょう。
理由は三つ有ります。
一つは、いささか疲れたこと。
二つは、皆さんの手元に届くのを待とうかと思っていること。入荷の遅れている書店が有りそうです。
三つは、議論にはならないこと。ほとんど、正誤表の制作になってしまう。かろうじて議論になりそうなのは、「蕭延平本を底本に採用することの是非」かと思うけれど、こんなのは常識的に結論が出てしまっている。蕭延平本を底本にするのが良いと本気で思っているのは、これの主編者くらいのものじゃないか。

『黄帝内経太素語訳』 神麹斎  2005/04/14
実はもう一つ、『黄帝内経太素語訳』というのも出ているはずなんです。
私は、こっちはいいや、と思ってたんですが、考えてみると、分かったような分からないような、という部分を中国の学者はどう考えているかを知るためには、現代中国語訳は良い資料ですよね。
例えば、巻2順養の経文「萬物命故不施」の部分に対する楊上善注の中に「則一中分命」と有ります。この掲示板でも話題にして、何となく分かったつもりにはなってますが、今回の『黄帝内経太素語訳』ではどうなってますかね。(『黄帝内経太素校注』には何も言ってません。中国人には説明不用なんでしょうか。)
もし『黄帝内経太素語訳』をお持ちのかたがおいででしたら、この部分の現代中国語訳を書き込んでもらえませんか。簡体字でも日本漢字でもかまいません。
Re:『黄帝内経太素語訳』 神麹斎  2005/04/26
よく考えてみたら、語訳には楊上善注は無いかも知れない。
『素問』の場合は、王冰注は有りませんでした。
しかし、何と言うか、
王注の無い『素問』はともかく、楊注の無い『太素』なんて、
そんなものわざわざ出版する価値が有るんでしょうかね?
有ると思ったんでしょうねえ。
Re:『黄帝内経太素語訳』 乗黄  2005/04/29
『太素』の掲示板の一部を読み落としていました。

『語訳』は、経文と注釈と語訳からなっています。問題の箇所の語訳は次のようなものです。
天道之气是清浄光明的,它总是把盛德隐藏下来,既不见它升,所以也不见它降。如果天道失德,患上患下,日月就会失去光明,邪气就会侵害山川,天的阳气就会闭塞不通,地的阴气就会遮蔽光明,云露就会失去润泽的精华,甘露就会失去下降的德泽。如果这样,天地之气就不会相互交通,万物就不会按自然界的正常规律施布,因此高大的树木大多死亡,恶气时犮,风雨失調,寒露不降,草木枯萎,贼风暴雨频频犮作,天地四时的运转不能保持正常,像这样不要多久,万物就会毀灭。只有善于摄生的人才能順应自然,身无大病,草木昆虫,各得生长,所以生机也執欣欣向荣,永不枯竭。
Re:『黄帝内経太素語訳』  神麹斎 2005/04/29
やっぱり、楊上善注は無視ですか。
全文を訳す必要は無いと思いますが、
……雲露不精,則上應甘露不下,交通不表,萬物命故不施。不施,則名木多死,……
に対する語訳は、
……雲霧は潤沢する精華を失い、甘露は下降する徳沢を失う。もしもこうした事態になると、天地の気は相互に交通することが出来なくなって、万物は自然界の正常な規律にしたがって施布することができず、だから高くて大きい樹木も多くが枯れてしまう……
くらいでしょうか。「則一中分命」の理解にはそれほど役立ちませんね。
Re:『黄帝内経太素語訳』 七面堂 2005/04/30
考えてみると、例えば巻12衛五十周に:
日行十四舍,人氣行廿五周於身有奇分十分身之四, 【楊】人氣晝日行陽,廿五周於身有奇分十分身之二,言四誤也。
とある。
このように楊上善は経文の誤りを認識していても改めず、注文中で指摘していることが有る。こういうのは楊上善注を省いた『語訳』ではどう処理しているのだろう。
Re:『黄帝内経太素語訳』 乗黄  2005/04/30
問題の箇所は注釈中で指摘されております。ただし、楊上善の名は書かれておりません。(知っていて当然なのかもしれません)
不勉強な私には非常に不親切であります。
当然、語訳は訂正された形で書かれております。

『太素校注』に同情 神麹斎  2005/05/01
実は編者達の中にも、蕭延平本を底本にするのに抵抗感が有った人がいるのかも知れない。原文の整理にかなりばらつきが有る。中でも蕭延平本に無くて、後に発見された断片によったところなど、極めて厳格に処理している人がいる。私の電子文書などでは、『素問』『霊枢』で剥落・虫蠹を補えるところは、影印と齟齬しなければ、注記もしないと宣言しちゃってます。本当は躊躇しているんですが、あまり厳格なことを言っていると、全ての文字に疑問符が付きかねないからです。この『校注』で厳格な人は、剥落がほぼ何字分というのを□の数で表示して、脚注の中で『素問』あるいは『霊枢』ではこうこうであって、字数が相応しているから、恐らくはそれで良いのだろう、というような処理のしかたです。で、それにしては何でもない文字の判読を誤っている。やっぱりまともな影印は見ていない。と言うわけで、少なくとも編者の中の何人かには、多いに同情します。

冬因熱寒氣入腠 神麹斎 2005/05/06
巻14人迎脈口診に「人迎盛緊者傷於寒」とあって、楊上善注に「人迎盛為陽也緊則為陰也謂冬因熱寒氣入腠名曰傷寒春為温病也」とあります。
この楊注中の「熱」は「坴」を「圭」、「灬」を「火」に作っています。
今ここで話題にしたいのは、そのことではなくて、その「熱」を『太素校注』では「蟄」に作っていることの方です。「冬因熱寒氣入腠」は一見すると確かに変ですから、そうしたい気持ちは分かりますが、実はそんなに変ではないんです。これは「冬因熱,寒氣入腠」のはずです。巻3陰陽大論「冬傷於寒,春必病温」の楊上善注にも「人於冬時,温衣熱食,腠理開發,多取寒涼,以快其志者,寒入腠理,腠理遂閉,内行藏府,至春寒極變為温病也」とあります。

気がかり 神麹斎 2005/05/12
気がかりなことが一つ有るんです。
それは『太素校注』の注記を見ていると、校注者は仁和寺本と蕭延平本を相対的に別物と考えている感じがするんです。わかりやすく言えば、蕭延平が整理した材料中に仁和寺本に由来しないものがかなり有るように考えているんじゃないかという雰囲気です。でも、前言とか後記とかには、そういうことは明記されていないと思います。見落としでしょうか。
私自身は、最近になって所謂仁和寺本は本当に天下の孤本なのか?という疑問を抱いていまして、そのことは内経の研究会で発表し、あまつさえ上海の医古文学会でまで報告してきました。でも、今もって何も反響は有りませんし、今までのところ同様の指摘をされたかたを知りません。昔、錦小路本が話題になったことは有るらしいんですが、それが現在の所謂仁和寺本とは別の伝承のものであるとか、それを蕭延平が利用したということでは無いように思います。蕭延平が別本を見て整理したという記述も、結局のところはそれまで見ていた抄本とは別の仁和寺本由来の抄本を見たという意味に理解しています。
私の理解に何か誤解が有るのでしょうか。何かを気付かれたかたには、是非ともご指摘をいただきたいと思います。

不思議 神麹斎 2005/05/14
巻16は蕭延平本には無い。だから『太素校注』も、仁和寺本から翻字したんだろうと思ったんですね。だから、皮肉なことに比較的出来が良いんだろうと思ってました。
ところが不思議なことが有るんです。例えば、虚実脈診「問曰:經胳俱實何如,何以治之?答曰:經胳皆實,是胳急而尺緩也,皆當俱治之,故曰:滑則順,濇則逆。」の楊上善注中に「尺地是陰,冷反為熱。」とあって、校注に仁和寺本は冷を今に作っているから、当然それに従うべきだと言ってます。ここの底本も仁和寺本じゃないんです。
実際には理由はわかっているんです。「古醫典のつどひ」の缺巻覆刻で「冷」になっているんです。他の同様な箇所も概ねそのようです。多分、盛文堂の缺巻覆刻もそうなんでしょう。でも、そんなことどこかに断ってますか。そもそも蕭延平本に無いからといって、じゃあ缺巻覆刻を使おうというのはどういうつもりなんですかね。石原明先生の正文校定はそこそこ信頼できると我々は思いますが、校注者は缺巻覆刻の校定者を把握してないような気がするんですがね。それでも仁和寺本を底本にはしたくないんですかね。
>どういうつもりなんですかね 菉竹  2005/05/14
缺巻覆刻を使おうというのは,あれには『素問』『霊枢』『鍼灸甲乙経』との文字の異同が記されています。つまり,蕭延平本と体例が一致して,仕事がやりやすいのでしょう。

『太素校注』の「校注説明」によると,中国には「1834年奈順恒徳影抄本」「1839年坂立節春璋抄本」「1849年近藤顕宝素堂抄本」・その他の年代未詳の日本抄本が存在する。(8ページ)

9ページ:
仁和寺本は旧抄、足本といえるが,校勘がなされておらず「精本」とはいえない。もし仁和寺本を底本とすると,校勘作業が大変だし,前人の校訂の成果も取り入れられないし,また意味もないのに前人のすでに行ったことを繰り返さなくちゃならないから,仁和寺本を底本にするのはよくないんです。
それと比べると,蕭延平本は,素問・霊枢・甲乙経などと対校しているし,按語もあるから,これは精本・善本なんです。
延平本の監本は楊守敬が小島尚質が影寫した本です。小島本の大部分は,杉木(ママ「本」に作るべし)望雲が直接仁和寺本から謄抄影寫したもので,当時のもっともよい『太素』抄本なんです。延平は二十年あまりもかけて,校勘・按語をほどこしています。延平本は誤字も少ないから,人民衛生出版社が二回も影印・排印したのは決して偶然ではありません。これは,延平本がすでに善本であることの証拠とするに足ります。それで今回『太素』を整理校注するにあたり,延平本を底本にしたのは,理の当然であります。 (イイワケ)

11ページ:
主校本:仁和寺本『太素』。北京図書館所蔵丹波元簡・杉木要蔵などが小島宝素模写本に基づいた影寫本をもう一つの主校本とし,「日抄本」と略称する。
Re: 不思議 七面堂  22005/05/14
イイワケには全然説得力が有りませんなあ。
要するに「前人のすでに行ったことを繰り返さなくちゃならないから」面倒くさいと言うだけのことでしょう。「延平は二十年あまりもかけて」と言ったって、あんたがただってそれくらい時間かけているでしょうに。
各抄本と言ったって、要するに「杉木(ママ「本」に作るべし)望雲が直接仁和寺本から謄抄影寫した」(これ自体にも疑問が有る)小島本を再抄したものばかりなんでしょう。仁和寺本から直接影印したものが有れば、それを基準にするのが当たり前でしょうに。

在形無形 神麹斎  22005/05/14
巻19知官能に「若無若亡若存,在形無形,莫知其情」(『校注』p.614)と有ります。蕭延平は『霊枢』には「若無上有若有二字」と言ってますが、「在形」については何も言ってません。「在」は「有」の誤りで、日本語ではともに「ある」と訓むことが原因をなしている、つまり和習(倭臭)だろう、こういうのは日本人でないとなかなか気が付かない。

と思っていたんだけど、ひょっとすると違うかも知れない。

明刊無名氏仿宋本『霊枢』ではなんと「若在若無,若亡若存,有形無形,莫知其情」になってました。これにはちょっと和習の可能性は無さそうです。
袁本も蕭本も、また『太素校注』にも、「在形無形」について別に何も言ってないのは、つまりこれも中国人にとっては、何ら変じゃないのかも知れない。ここらあたりの本当のことは所詮日本人には分からない。

私の『太素』だって 神麹斎  22005/05/19
実は2002年の太原での医古文の会議の際に、上海の段逸山先生に電脳版『太素』の入ったCDを渡して、複製して利用しても良いですよ、と言ってあるんです。だから、それを見た人はひどい出来だと思っているんじゃないですかね。
毎日毎日、『太素』と首っ引きというわけじゃないけれど、ちょっとまともに目を通すたびにいくつかの入力ミスを訂正しています。現に今、電子文献書庫に置いてある『太素』は今日の日付のものです。2002年からだと少なくとも数百箇所は訂正してあります。きっとまだまだ見つかると思います。『太素校正』と付き合わせて気付いたミスも有ります。
だから『太素校正』に多少のミスが有るのはしょうがないと思うし、同情もしますよ。でもねえ。

先知何注有病之微 神麹斎  22005/05/19
巻21九鍼要解(『太素校注』p.635)
惡知其原者,先知何經之病,所取之處也。
【楊注】先知何注[1]有病之微,療之處所。惡知,言不知也。
[1]注 仁和寺本作「經」。當從。

あのお、仁和寺本も、少なくとも模写して仁和寺に収められたものは、「注」のはずなんですけど。経文との相関ということから言えば、「經」のほうは良いとは思いますが。

噂話 道聴塗説  22005/05/20
単なる噂話なんですがね。
こんなところで遠吠えしてたって、全然歯牙にもかけてくれないだろうと思っていたら、中国でも結構気に病んでくれているみたいです。
やっぱり仁和寺本を底本にしたものを作ったほうが良いんじゃないか、なんてね。
まさかねえ、そういう意見の人なんて、もともと何人もいたはずでしょうに、今更ねえ。
だから単なる噂話なんですがね。

蕭本なの?袁本じゃなくて 神麹斎  22005/05/21
『太素校注』が蕭延平本を称揚していることに対する批判には、もう一つ別の面が有るんです。例えば巻22刺法(『太素校注』p.668)に:
黄帝曰:願聞自然奈何?岐伯曰:臨深决水、不用功力而水可竭也,循掘決衝而經可通也。此言氣之滑濇,血之清濁,行之逆順。
【楊注】夫自然者,非爲自能與也,所謂因氣之滑濇,血之清濁,行之逆順,通之如臨深决水,取自然之便而水可竭,故曰自然也。
と有ります。そして楊注の「行之逆順」について、缺巻覆刻本では「臨深决水如」に作ると言っています。ここでは文章としては「行之逆順」のほうが理に叶っている。ただし、仁和寺本の影印を見ても、『黄帝内経太素九巻経纂録』を見ても、缺巻覆刻本における正文校定の「深决」二字については、氵とおぼしきものが残っているんです。では、「行之逆順」は蕭延平が文理から推したのかというと、そうでも無いんです。袁昶本ですでにそうなっているんです。蕭延平は、ただ袁昶本を踏襲しただけだろうし、他に何も言ってないのは、あるいは参考にした諸抄本も「行之逆順」だったのかも知れない。だから、『太素校注』の編者は、袁昶本が文理から推したのが妥当であるとか、もしくは中国に他に幾つも有る抄本はいずれもそうなっているとか、ちょっと触れておくべきではなかったか、ということです。

行氣放五藏第一輸 七面堂  22005/05/20
巻21諸原所生の冒頭「五藏有六府,六府有十二原」に対する楊上善注の中に「行氣放五藏第一輸,故第三輸名原,六府以第四穴為原。」とあって、『太素校注』p.643の注に、「放」は「仿」に通じるとして『説文通訓定声』や『集韻』を引いています。「放」を「倣」の意味につかうことは本経にもしばしば見えますので、この説明自体に反対するつもりは有りませんが、それで全文の意味はどういうことになるんでしょうか。
Re: 行氣放五藏第一輸 十元  2005/05/21
此の巻は仁和寺本の写しであり、本物は武田杏雨書屋にあると思います。したがって、「放」を如何様に読むかは、その杏雨書屋の原本をみてから考えるべきで、討論はその後が適正かと存じます。
Re: 行氣放五藏第一輸 神麹斎  22005/05/21
七面堂さんの質問は、「放」は「倣」の意味であるとして、ではそこの部分はどう訓読するつもりなの?ということだと思います。まあ、現代語訳でも品詞分解でも良いけど。前後を少し広げて考えてみます。

原者,齊下腎間動氣,人之生命也,十二經之根本也,故名為原。三膲行原氣,經營五藏六府,故三膲者,原氣之別使也。「行氣放五藏第一輸,故第三輸名原,六府以第四穴為原。」夫原氣者,三膲之尊號,故三膲行原氣,止第四穴輸名為原也。

原とは、臍の下の腎間の動気であって、人の生命であり、十二経の根本であるから、これを原と名づける。三焦は原気をめぐらし、五蔵六府を経営するものであるから、三焦は原気の別使である。「気をめぐらすことは五蔵の第一輸に放(倣)う、だから第三輸は原と名づけ、六府では第四穴を原とするのです。」原気は三焦の尊号であるから、三焦は原気をめぐらして、第四の穴に止まりこれを名づけて原とするのです。

分かりますか?私には分かりません。
「気をめぐらすということで、五蔵で第三輸を原と名づけているのに倣って、六府では第四穴を原とするのです。」
なら何とか分かる。とすると「行氣,放五藏以第三輸名原,六府以第四穴為原。」で無いとね。かなりの刪去と改字を必要とします。だから、ちょっとねえ、躊躇します。

杏雨書屋の原本をみて、そもそも違う字だということになったら、全然別の次元に入ります。十元さんの言うように「討論はその後が適正かと存じます」でしょうね。

なるほど 菉竹  22005/05/22
本文「A」 校注:仁和寺本作「B」。宜從。
人民衛生版『太素校注』を入手して,「なんで仁和寺本を底本にしなかったんだ!」という神麹齋先生のいらだちのもとが理解できるようになりました。

でも,きっとそのうち
本文「A」 校注:「蕭延平本作B」
という仁和寺本を底本とした改訂版が出ると思いますよ。
Re: なるほど 神麹斎  22005/05/22
実は仁和寺本には抄者の不注意による書き間違いが、結構有ると思っているんです。しかもそれには、日本人であるからやらかした、という性質のものがかなり含まれているとも思うんです。
だから、文理から推して、これはしかじかの誤りであると改めるのも、蕭延平本の功績の一つと考えて良いのかも知れません。でも、だったら、仁和寺本をもとにして「本文はAだけど、蕭延平本はBに作っていて、そのほうが是に似る」とでも校注して欲しいわけです。蕭延平はどうしてBにしたかを説明してないことが多いので、その点の不備はしょうがないけれど。
さらに、文理から推して蕭延平本のBのほうが是であるとして、袁昶本ですでにそうなっていることも多いのです。だから、どこかで誰が文理から推したのか、それともどこかにより良い抄本が有ることを示唆しているのかも不明瞭なんです。
現存の仁和寺本とは別系統の抄本が存在するなんてことは、破天荒な話なんですが、まんざら絶無でも無さそうなんです。この掲示板でも、『内経』誌でも、研究会でも、あまつさえ上海でまで、私はその可能性を指摘し続けています。何かの思い違いかとも思いますが、今までのところ誰も何も言ってくれていません。
もし全ての抄本が、やっぱり現存の仁和寺本を祖本とするのであれば、うっかり書き間違えて、結果として正解に近づいたからと言って、それを単純に評価することは出来ないでしょう。どうしてBがAになってしまったのか、どうしてBが正しいのかを、全部について説明するのは不可能としても、説明しようとする姿勢は必要でしょうに。

從十四日減至月盡 蔭軒  22005/05/25
巻23量繆刺(『太素校注』p.733)
月生一日一痏,二日二痏,十五日十五痏,十六日十四痏。
楊注:月生氣血漸增,故其痏從增至十五日也。十六日後月減,人氣漸衰,故從十四痏[1]減至月盡,名曰月死也。
校注:[1]痏 仁和寺本作「日」。當從。

う~ん、そうですかあ?

茂悴 神麹斎  22005/06/05
巻22五邪刺 『太素校注』p714 下有漸洳,上生葦蒲,此所以知形氣之多少也。
楊注:……見葦蒲之茂悴,知漸洳之多少……
校注:茂悴 仁和寺本「茂」作「䒫」,缺巻覆刻本作「䒫焠」。宋・郭忠恕《佩觽》巻下:「䒫,草貌。」

ご苦労様。左の貼り込みを見てください。字書は『龍龕手鏡』です。
此謂蕃秀に対する注中に見える茂の異体も同じです。


眩冒 神麹斎  22005/06/06
巻26五藏熱病(『太素校注』p814)
熱病先眩,胃熱胸脇滿,刺足少陰少陽太陽之脈,……

『黄帝内経太素校注』では、
熱病先眩,胃熱 《素問》、《甲乙》並作「先眩冒而熱」五字,義長。
と言いながら、蕭延平本を踏襲して「胃熱」のままにしている。仁和寺本がどうであるかも言わない。

仁和寺本『太素』では、問題の字形の上部を田に作るので、確かに胃と紛らわしいが、巻十四・四時脈形の「(春脉)大過,則喜忘,忽忽眩冒而癲疾」の冒も同じである。そこでは楊注に「……忽忽眩𥈆而癲也」(厳密には𥈆の右上部も田)とあるからまず間違いなく冒であって胃ではない。
案ずるに『黄帝内経太素校注』の編者達は、同じ字形が他の箇所ではどのように判断されているかを検討してない。分担して工作したことから発生した弱みであろうが、主編者の責任は免れがたい。
Re: 遗憾与期待 沈澍农  2005/06/06
现代中国人由于从小只学习简化正字,如不经过特殊学习训练,对于古人的手书俗字确实很荒疏。因此,在需要利用俗字知识来整理校勘抄本中医古籍时,就不免屡出问题。根据我的了解,当今中国中医文献整理的队伍中,具有较好的俗字解读能力的人确实不多。而神曲斋先生最后所说的因合作分工,参与者不能通览全书,主持者统稿时又不能前后关照,这样的问题在较大部头的中医古籍整理中也确实存在。
不过,这些问题暴露出来也是好事,将提醒后来的整理者加以注意,在今后的工作中做得好一些。
钱先生的《太素》不久将出版,我还没有看到钱先生的书稿,虽然不能说其中就没有文字识读方面的错误(个别错误也许在所难免),但因钱先生的学识水平和一些其他出版方面的因素,让我们可以给这部书以较高的期待。
Re: 期待 神麹斎  2005/06/06
銭先生からも、7月には最終稿を出版社に渡す予定なので、来年には発行されるだろうという情報をいただきました。先生のお話では、仁和寺本の俗字については逐一造字するつもりということです。本当にそれが実現すればすごいことです。大いに期待が持てます。待ち遠しいです。

酒の肴に書を読む 神麹斎  2005/06/08
シツコイと いわれそうだし われながら ちとゲヒンかな とはおもうけど
なかなかに やめられません ひまつぶし モッテコイです サケのサカナに

注釈というもの 神麹斎  2005/06/08
巻25十二瘧の「令人洒洒」に対して,『黄帝内経太素校注』p.839は:
洒洒 《千金翼方》、《外臺》均作「悽悽」。「悽悽」亦作「淒淒」、「淒滄」,均寒涼之義。《素問・気交變大論》「其德淒滄」,王冰注:「淒滄,薄寒也。」
と注している。
丁寧と言えば丁寧だけど,なんだか無駄なことを,という気もする。だって楊上善の注の中に「洒音洗,謂惡寒也。」と,すでに言ってるんですよ。もしそれでは不足だと感じたのなら,「洒」が確かに「惡寒」という意味で使われたという例を挙げるべきだと思いませんか。『漢語大字典』にも医書における例しかほとんど載ってないけれど,その中の『素問・疏五過論』「病深無氣,洒洒然時驚」に対する王冰注「洒洒,寒貌」でも引いた方がましなんじゃないですか。その上で,「洒」と「淒」の音通の可能性を指摘する。「淒」なら,小型の学習漢和辞典にも「さむい」という意味が載っている。
この『黄帝内経太素校注』は,『太素』の校注をするつもりなのか,『素問』の校注をするつもりなのか。
Re: 恶寒貌词是音转关系 沈澍农  2005/06/08
洒洒、洗洗、淅淅、凄凄等都是一声之转,都可表示恶寒。其义当从字音求之,不可从字面求解。因此,不必、也不应指出哪个写法是原形。我在《中医古籍用字研究》附录中曾整理在中医古籍中见到的恶寒貌的词有40多种写法,除了少数是形讹,多数是字音通转关系。我本月末到日本时,有可能带去这本书。届时请日本朋友多多赐教。

不信 神麹斎  2005/06/10
巻26經脈厥
少陽之厥,則暴聾頬腫而熱,脇痛,骬不可以運。
『黄帝内経太素校注』p849に:
骬 仁和寺本作「骭」,可從。
と言っています。もともとの祖本が正しいのなら、もともとそのように排印すれば良いものを、何をこだわったのか蕭延平本を底本にするから、こういう無駄な記述が生まれる、といったことにはもう何度も触れたけれど、ここで文句が言いたいのはそれではなくて、実は仁和寺本の経文では下部が消えて「骭」か「骬」か不明瞭であり、楊上善注の中では「骬」なんです。つまり、校注者は仁和寺本をよく見もしないで云々している。厳格に言うならば、仁和寺本は「骬」であるが、文義からみて「骭」が正しいというべきだろう。
もつとも、仁和寺本の抄者の厳格さの程度から言えば、「骬」に見えていても本当は「骭」と書くつもりだったんだろうと判断してかまわないと思う。筆画のハネやトメなんてあんまり気にもしてない。だから、私の電子文献では「骭」と入力して注記もしてない。これには厳格な人からは批判が有るかも知れないけれど、こだわりはじめたら安心して入力できる字なんて、仁和寺本『太素』にはそもそもほとんど無い。

どうにもならん 神麹斎  2005/06/11
巻26灸寒熱法
『黄帝内経太素校注』p.897
缺盆骨上切之堅痛如筋者灸之,膺中陷骨間灸之,去骭骨下灸之,齊下關元三寸灸之,毛際動脈灸之,膝下三寸分間灸之,足陽明灸之,跗上動脈灸之,直上動脈灸之,犬所齧之處灸之三壯,即以犬傷痛壯數灸也,凡當灸廿七處。
楊注:骭音干。𩩲骭,穴也,衝陽等穴也。……

経文の骭骨→骬骨
楊注は:骬音于,𩩲骬穴也。衝陽等穴也。……
だと思いますがね。

なお、仁和寺本では楊注は「䏏音于……」。これにはまた別の不審が有る。衝陽等穴也の前にも脱文が有りそうです。

清濕 七面堂  2005/06/13
巻27邪傳
夫百病之始生也,皆生於風雨寒暑,清濕喜怒。
『太素校注』p922:清 此指「水」。澄潔透明曰「清」。《説文・水部》:「清,朖也,徴水之貌。」故楊注云:「清發於内」。下文曰:「清濕則傷下」。

この説奇っ怪!従い難し。
案ずるに、楊注に「寒は外に生じ,清は内に生ず、性はこれ一物なれども、起に内外有り、病む所もまた同じからざる有り」と言う。同じく寒冷であるけれども外から傷害するものは寒であり、内から生じて自らを傷うものを「冷え」と認識する。乃ち「清」は「凊」の形誤もしくは仮借とするをもって是に似ると為す。

避諱の知識 神麹斎  2005/06/14
巻28八正風候
黄帝曰:候之奈何?少師曰:候此者,常以冬之至日,太一立於汁蟄之宮,其至也,天應之以風雨。風雨從南方來者,為虚風,賊傷人者也。其以夜至者,萬民皆臥而弗犯也,故其歲民少病;
【楊注】《九宮經》曰:太一者,玄皇之使,常居北極之傍汁蟄上下政天地之常□起也。……
『太素校注』p962:玄皇 仁和寺本作「元皇」。宋人因避始祖玄朗諱,改「玄」爲「元」。清代因避康煕玄澕諱,改「玄」爲「元」。

巻28の抄写時間は:
仁安三年(1168)九月十七日以同本書冩之 丹波賴基
本云 保元三年(1158)五月十二日以家本移點比校了 憲基

宋の建国は西暦960年だから、それはまあ宋の始祖玄朗の諱を避けることが不可能というわけでは無い。だけどね、丹波家が新たに舶来した『黄帝内経太素』を入手して、それを抄写の基としたなどという説は聞いたことが無い。そもそも宋代にまともな『黄帝内経太素』が伝承していたことすらおぼつかない。確かに、仁和寺本の最初期の伝抄過程が明かなわけではないけれど、すくなくとも古くから所有していた「家本」に拠って抄写したに違いあるまい。かと言って、宋の建国を伝え聞いて、オソレカシコミて家本の文字を改めて諱を避けたなんてことはなおさら信じられない。ましてや、康熙帝の諱なんて全く関係無い。こんなところで避諱の知識をひけらかして、どういうつもりだろう。
Re: 避諱の知識 沈澍农  2005/06/14
仁和寺本据以传抄的底本不可能避宋讳,但“玄”改为“元”应该是始于宋讳。因此钱超尘先生在《黄帝内经太素研究》一书中认为此例应是避宋讳所致。书中说:“未闻宋朝有将《太素》传至日本者,故疑此‘元’字乃日本传抄者所改。”(P.59)也就是说,虽然底本中没有避宋讳,但可能因为仁和寺本《太素》的传抄者很熟悉宋代的避讳,因而在抄写时不经意地将“玄”改成了“元”。这固然是推测之论,但除此以外似乎很难找到更好的解释。当然,类似的情况在日本古代传抄的历史中有没有出现过,还得请日本朋友考证了。
乃日本传抄者所誤 神麹斎  2005/06/14
日本では避諱の伝統は根付かなかったと考えています。もとより詳しく研究した上での意見では有りませんが。
それに他国の王朝の始祖の諱を避けるというのも異なものです。おおよそ中国医学に従事するものは、中国文化を崇拝する度合いが、一般よりは相当に高いとしてもです。ましてや宋の太祖の匡字、太宗の炅字は避けずに、始祖の玄だけ避けるというのも不合理です。医学者としては仁宗の諱を理由として貞字を避けるほうがまだしもです。
ではどうして玄皇と書くべきところを元皇としたか。おそらくは同音で間違えたに過ぎないと考えます。仁和寺本『太素』には、残念ながら日本的な誤りが数多く見られます。代表的なものは、謂語と賓語の逆転、和訓が同じであることからの誤用(例えば有と在の誤用)ですが、ここの玄と元は漢字音が同じであることからの誤りであると考えます。だから、例えば玄元皇帝というような誤りにくい箇所では、正しく書き分けています。
故疑此‘元’字乃日本传抄者所誤。
だからつまり 神麹斎  2005/06/15
仁和寺本『太素』の伝抄者が宋代の避諱を熟知していて,だから伝抄の際に無意識に「玄」を「元」に改めた,と言うのは我らの先祖を買いかぶってもらっていると思うのです。うっかり間違えるというのは,中国のしかも教養豊かな人にも当然有りうることでしょうが,我らの先祖にとっては漢語はやはり外国語であって,したがってつまらない誤りを犯す危険も,より多かったろうと考えるのです。彼らのやったことに一々もっともな理由が有るわけではなくて,残念ながら単なる不注意も避けがたかった,と。
Re: 避諱の新知识 沈澍农  2005/07/13
近日从《避讳辞典》和《中国避讳史研究》二书得知,在中国唐玄宗李隆基时,避讳极严,不仅皇帝的名和字要避,连号也要避。因此“唐玄”改成“唐元”,又《老子》中所谓“玄之又玄”就改成了“元之又元”。那么,《太素》之“元皇”或许也源于唐玄宗时传抄者之改吧。不过我没有查考过仁和寺本《太素》中有没有其他类似的避讳情况。
Re: 避諱の知識 神麹斎  2005/07/13
実のところ仁和寺本『太素』に「玄」字はさして珍しくはありません。
「玄元皇帝」を除いても,
05四海合 楊注:眩,玄遍反,瞑目亂也。
14首篇 楊注:(『呂氏春秋』を引いて)天北方曰玄天。
15五蔵脈診 楊注:眴,玄遍反,目揺。(この被釈字は疑問)
16脈論 楊注:悁,居玄反。
21九針要解 楊注:神者,玄之所生,神明者也。
24本神論 楊注:此道猶是黄帝之玄珠,罔象通之於髣髴也。
28九宮八風 玄委
30温暑病 所謂玄府者,汗空。  楊注:汗之空名玄府者,謂腠理也。

玄皇の玄だけを避けたとは、やはりちょっと考えにくい。

仁和寺本は孤本か 神麹斎  2005/06/15
巻29津液
五藏六府,心為之主,耳為之聽,目為之候,肺為之相,肝為之將,脾為之衛,腎為之主水。故五藏六府之津液盡上滲於目,心悲氣并則心系急,急則肺葉舉,舉則液上溢。夫心系舉,肺不能常舉,乍上乍下,故呿而泣出矣。
【楊注】呿音去。身中五官所管津液並滲於目,為泣。呿者,泣出之時,引氣張口也。

常の下の經文「舉乍上乍下故呿而泣出矣」、注文「呿音去身中五官所管津液並滲於目為」はオリエント出版社影印には無い。『黄帝内經太素九巻經纂録』に拠って補う。これによってみれば仁和寺本『太素』は本当に孤本なのか疑わしい。
私がかつて報告した以外に指摘されたことは無かったと思うが、『黄帝内経太素校注』p991~992は、仁和寺本にこの部分の文字が無いのには気付いている。残念ながらその重大性については何も言って無い。また巻14人迎脈口診の同様の箇所については指摘が無い。
仁和寺本『太素』はやはり... 神麹斎  2005/08/21
仁和寺本『太素』はやはり孤本のようです。
『黄帝内経太素九巻経纂録』終始篇に「形肉血氣必相稱也是謂平人」とあり、注文として「形謂骨肉色狀者也肉謂肌膚及血氣四者也衰勞减等□□好即爲相稱也如前五種皆爲善者爲平人」と有る。ところが仁和寺本の影印(巻十四 人迎脈口診)を見てみると、経文の「平人」以下は無くて「是謂」が次の経文「少氣者」云々に繋がる。仁和寺本に無い経文や注文が『黄帝内経太素九巻経纂録』に有るのはどうしたことであろうか。
これに対して、小曽戸洋先生から「附箋である」という解答を戴きました。恐らくは江戸末期に抄写された後に剥落したか、あるいは誰かが剥がして「お宝」にしたのであろうということです。江戸末期に模写された虫食いの痕と、仁和寺本の影印の虫蠹はほぼ一致するのであるから別本とは到底考えられない。
言われてみればその通りで、他の理由はちょっと考えられない。ただ、変だと思う気分が雲散霧消したかと言うとそうでもなくて、いくつかの疑問点は残ります。一つは巻子本に附箋というのは普通にやることなのかということです。いわゆる和綴じに比べても一段と剥がれ落ちやすいのではあるまいか。でも、これは私の知識が足りないだけのことで、普通だと言われればそれまでのことです。では、仁和寺本に無い経文や注文が『黄帝内経太素九巻経纂録』などに有る例は、上記以外にも数カ所有るだけで、つまり附箋は特定の巻にごく少数有っただけらしいのは何故か。実は書き漏らしたかなり長い文章を、行間に書き込んだ箇所も仁和寺本には有ります。どうしてある箇所では附箋を貼り、ある箇所では行間の書き込みとしたのでしょうか。常識的には原形を損ねたく無ければ附箋ということでしょう。例えば『素問紹識』稿本の場合は、元堅自身の訂正補筆は行間ですが、その後の弟子等のものは附箋です。『太素』の場合はどうなのでしょう。後人があとから別本によって補ったのでしょうか、それとも単に抄者のその場の気分でしょうか。さらに何カ所か、仁和寺本でなんら難読ではない文字を、江戸末期の抄本では□で標示している例が有ります。これは「倉卒の間に抄写したのだから、時にはそうしたことも有るよ」で片づけて良いことでしょうか。
総じて、小曽戸先生の「附箋である」という意見は動かし難いと思います。附箋であるかどうかは、仁和寺本の本物に目をすりつけるようにして糊の痕を確認すれば決定ですが、そこまでする必要もなくほぼ決定でしょう。ただ、それによって新たな謎も生じてきたという気分です。
付箋 十元  2005/08/21
国立民俗博物館に所蔵の国宝『史記』にも、かつては付箋がついてあったのに、再び見たときには無くなっていた、という話を聞いたことがあります。専門の研究者以外にとっては付箋はあまり注意を惹いていないようです。『太素』に付箋があったという曾氏の見解は的を射ていると思います。
Re:付箋 神麹斎  2005/09/13
附箋だとすると、特定の篇に少数というのは不思議と言いましたが、良く考えてみると、もっとたくさん有ったかも知れない。つまり経文には有るのに楊上善が説明してない文字を、森立之あたりは「だから衍文ではないか」と言ってますが、楊上善注に書き漏らして附箋になっていた可能性も有りますね。でもそうすると、経と注を突き合わせてものを言うのも若干困難となる。しんどいねえ。
行間の書き込みとの関係については何も思いつきません。

本物を見る 神麹斎  2005/08/21
杏雨書屋に所蔵されている巻21と27の本物を見る機会に恵まれました。その結果疑問に思っていた数カ所を解決できました。電子文書もそれによって近々記述を修正するつもりです。オリエント出版社の解説には、「この模写本によっても内容を知る上ではほとんど問題は無いように思われる」と言ってますが、「ほとんど」であって「全く」では無いことが今回良く理解できました。
この上は現に仁和寺に蔵されている分も、親しくこの目で確認する機会が欲しくなりました。少なくともカラーの原寸大(あるいは拡大)影印本は何とかならないものだろうか。
また、この杏雨書屋の本物を見る機会に恵まれたことによって、成都の先生方の苦労を思いやり、改めて同情に堪えません。彼らは影印のコピーのコピーすら手元に持ってなかったかも知れない。
Re: 本物を見る 沈澍农  2005/08/21
日本同行追求实证的精神很让人敬佩,这样的条件也让作为中国学者的我由衷羡慕。有时候,我也因为看不到好的版本而为难。所以这次到日本购买和拷贝了不少资料。不过神麹斋最后的那段话好像是不可能的,如果成都的先生最基本的资料都没有,他们用什么来补足萧延平所缺的部分呢?至少“コピ”件是应该有的吧。所出的问题还是在如何选择底本的看法上有偏差吧。
同情です 神麹斎  2005/08/21
沈先生のおっしゃるとおりです。彼らだって(少なくとも中心的な何人かは)『太素』の影印(少なくともそのコピーのコピー)を持ってなければ、蕭延平本の欠陥のいくつかを指摘することは不可能だったはずです。ただ、つい先頃まで「持っててこの出来栄えか!?」と罵倒していたので、(少なくとも充分に鮮明なものを)「持ってなかったかも知れない」と同情してみたまでのことです。
Re: 本物を見る 神麹斎  2005/08/28
例えば、模本の経文に「血所」とあって、楊上善注には「血脉胳脉也」とあるところは、経文もやっぱり「血脉」でした。模本の「無損不之」は、「之」の上部にやっぱり虫食いの痕が有りました。つまり「無損不足」(足を𠯁と書く)です。どうして六府の原穴は第四輸なのかを説明する楊上善注「行氣放五藏第一輸,故第三輸名原,六府以第四穴為原」はどうにも腑に落ちない文章ですが、少なくとも「第一輸」は「第三輸」の誤りです。これもまた虫食い痕の模写を怠った結果です。

ヲコト点です 神麹斎  2005/08/21
漢字の左下に小さなカギ括弧のように見えるものはヲコト点で、「ル」あるいは「タル」とよむべきもののようです。
ただし、話題になった箇所をそうよんで大丈夫かどうかはまだ確認してません。

『黄帝内経文献研究』

黄帝内経文献研究 神麹斎  2005/06/03
張燦玾教授の『黄帝内経文献研究』(上海中医薬大学出版社 2005年1月)という本が届きました。
最後の80頁(全390頁ほど、B5版)ほどが『黄帝内経太素』に関する研究です。簡体字なので、仁本と蕭本の字体の比較などには、ちょっと隔靴搔痒の感が有りますが、いやこの水準なら噛み付き甲斐も有ろうというものです。

大淵 淵掖 神麹斎  2005/06/04
張燦玾教授の指摘を受けて、仁和寺本『黄帝内経太素』の「淵」字を検討してみたところ、大多数は「渕」に作っていますが、巻25熱病説の大「淵」と巻26癰疽の「淵」掖には特殊な字形を使っています。そのこと自体には気付いていたのですが、示唆によって理由を思いつきました。
大淵の「淵」は、図で赤で示した末筆の1画を缺き、青で示した2画が多分誤って1画に書かれた結果でしょう。
渕掖の「渕」は、図で赤で示した末筆の2画を缺いたものだと思われます。
また、これはすでに他の先人からも指摘されたことですが、仁和寺本『黄帝内経太素』においては、経文では諱を避けず、注文では避けるということになっています。今回の「淵」の例からは、経文では缺筆によって避け、注文では改字によって避けるというのが本来の姿ではなかったかと思われます。他にも経文の民には末筆を缺くことが有り、注文の中に避けるべきものを避けてない例が僅かながら存在するとも、張教授は指摘されています。本来の原則があまり保存されていないのは、つまり、抄者である日本人にとって避諱はそれほど重大事でなかったので、ないがしろにされた結果でしょう。
(ちなみに『龍龕手鏡』では、「渕」が正字扱いになっている。)
Re: 大淵 淵掖 菉竹  2005/06/04
「宋諱の数十種の字についてその一々を闕画することは,版下を書くにしても版木を彫るにしても正字を書き,あるいは彫るより却って心を労し,うっかり忘れる場合も多く……同じ行の中でも上の「徴」字は闕き,下の「徴」字は闕かぬといった類は枚挙に遑がない。……」(米山寅太郎『図説 中国印刷史』73ページ)
「ないがしろに」する以前に,大陸伝来の本がうっかり欠筆を忘れている可能性も残しておいた方がよいのでは?
Re: 大淵 淵掖 神麹斎  2005/06/04
それはそうだよね。
ただ、日本にはついに避諱の習慣は根付かなかったようで、そもそも日本人の感性に訴えるものでは無かったようで、さらには唐の皇帝に遠慮する義理も無いわけで、まあ自然とよりいい加減になるだろうという話です。

巻25熱病説の大淵に使われた「淵」の字形について、張燦玾教授は陳桓『史諱挙例』に見られるというようにおっしゃってます。私には探し方が悪いのか見つかりませんが、もし確かに中国で古くから用いられているとしたら、この場合も日本人での抄者の責任ではありません。「渕」でないのが、多分2箇所だけというのも、考えてみれば不思議な話で、ひょっとすると古い材料に由縁するのかも知れない。他の因であったり囙であったりというのは、まあその時の気分と筆の勢いによるだろうし、民の末筆を缺いたり缺かなかったりというのは、気付いたか気付かなかったかだろうし,右肩の一点の有無には剥落と虫蠹もかかわってくる。つまり、最初にたてた原則どおりにはなかなか保存され難いだろうけれど、それが最初から原則が無かったという証拠にもならないだろうということです。
Re: 大淵 淵掖 神麹斎  2005/06/04
つまり、本当に言いたかったことは:

「経文では缺筆によって避け、注文では改字によって避けるというのが本来の姿ではなかったか。」

ということです。
とはいうものの、楊上善という人がそもそも、たてた原則を全巻に押し通せるほど剛毅な、あるいは持続的な、あるいは細心な性格ではなかったような……。
Re: 大淵 淵掖 蔭軒  2005/06/05
素人考えなんですが、刊行されてものでもない、しかもこれほどの分量のものでも、厳格に避諱することが要求されたものなんでしょうか。
現実には、要求はするけれど、避けようとしていることをポーズで示せば、結果についてはそれほどおとがめは無かった、なんてことは有りませんか。
それと虎(高祖の祖父)とか治(高宗)とかは避けられているんでしょうか。
Re: 大淵 淵掖 神麹斎  2005/06/05
現在刊行されている書物の校正の出来映えから考えるに、これほどの分量のものの手書きの文字の避諱の不備を一々咎める能力が当局に有ったとは思えないし、一々処分していたら中国では文字の書けるような人は絶滅していたと思います。まあ、普通はお目こぼしで、政敵をやっつける時には厳格に、なんてのが現実だったんじゃないでしょうか。いや、これも素人考えです。
治は避けられているようです。例えば『素問』陰陽応象大論の「年老復壯,壯者益治」が『太素』陰陽大論では「年老復壯,壯者益理」になっています。ただし、『太素』癰疽には「不急治,則熱氣下入渕掖」とあります。まあ、避けたり避けなかったり、いい加減ということですか。経文では缺筆によって避けるとかいう方針も、そういうつもりになった時期が有るんじゃないか、という程度のことでしょうか。虎は避けているのかどうか。乕と書いているようですが、これは避けたつもりなのか単なる異体字なのか。
虎か乕か 神麹斎  2005/06/05
陳桓『史諱挙例』の非避諱而為避諱例に、漢碑中の文字について避諱録とやらに多くの例が挙がっているけれども、「皆非也」としたうえで、「漢隷の変体は多し、あに避諱を以てこれを解釈するを得んや」と言ってました。隋唐も確か俗字が大発生した時代ですよね。
『黄帝内経太素』の避諱 菉竹  2005/06/05
これに関しては,銭超塵先生の『黄帝内経太素研究』(人民衛生出版社)第二章にある,「『太素』経文注釈避諱考」にまとまった記載があります。
Re: 『黄帝内経太素』の避諱 神麹斎  2005/06/05
銭超塵先生は、『太素』原文の避諱すべき文字が避諱されてない場合は「乃ち後人による回改に出る」と言われています。原則に合わないから、当然また改めたはずというのはちょっと証拠に欠けるような気もします。もともと経文では避けない習慣も有ったという可能性はどうなんでしょう。張燦玾先生は一寸だけ慎重で「或いは後人による回改の致すところ」という言い方をされてます。

銭先生はまた、泯の民の部分の末筆を缺いた文字が、『龍龕手鏡』に俗字として載っているとおっしゃてます。俗字を用いたから避諱しているというのは拙いようですが、逆に避諱のための缺筆を俗字として載せる字書は有るんですね。

俗字の保存 神麹斎  2005/06/07
俗字を丁寧に保存するというのも、個々の実際では迷うことが有るんです。
張燦玾先生の『黄帝内経文献研究』で、仁本と蕭本の字体の比較として挙げられている低の俗字の仾、具体的にどの箇所のことを言ってみえるのか明らかでないんですが、多くの箇所ではむしろ氐を弖のように書いているんじゃないかと思います。そうとしか思えない低は間違いなく有ります。仾のほうが近い例もそれは有るかも知れません。骶も骨に弖に見えるものが多そうです。
『干禄字書』では互(に似た形?)は氐の通です。『竜龕手鏡』では互(に似た形?)に都奚反の音も有って、―羌と言ってますから、やっぱり氐でしょうね。弖のほうは、『漢辞海』でも国字あつかいです。古くからの中国の写本にも有るはずだと思うけれど、『漢語大字典』でも『竜龕手鏡』の「弖,互、戸二音」を引いているだけです。
仁和寺本『太素』の多くの例で、一番近い形は弖だと思うんですがね。
こういうのってどう処理するんでしょうね。
ぐだぐだ 神麹斎  2005/06/07
つまり、仁和寺本の熱には、坴を圭に、灬を火に作る形が多く用いられています。坴を圭に作るものは『干禄字書』で俗ですから、まあこの俗字を造字するのは良い。で、もう一つ、坴を生に作るものはどうするのか。そういう俗字が確かに使われていたことは確認しなくても良いのでしょうか。なにせ、昔の日本人が書き写したものですからね、単なる書き間違いという可能性も有る。でも、そもそも俗字でしょう、字書に無いからと否定するのも変な話だし。そのへんの線引きはどうするんでしょうか。氐が互に変わるのだって、手書きの筆勢を固定したらそうなった、というもののような気がします。とすると、弖だってその過程で生じた一変形じゃないでしょうか。一方は保存を心がけ、より形が近いもう一方は無視というのは、何だか釈然としません。於はおおむね扵に近い形が用いられています。でも厳密には扌じゃなくて才なんです。と言っても、それこそ抄者の間違いかも知れないし。強の俗字として、方に従うものを保存しようとする人もいるらしいけど、方じゃなくて弓の第二画の横棒を不釣り合いに大きく引いたものに過ぎないと思います。

黄帝内經太素卷第二 攝生之二
順養

02-02-3 黄帝曰余聞先師有所心藏 神麴齋 2004/04/01
先ず第一回の俎上には:
黄帝曰余聞先師有所心藏弗著於方余願聞而藏之則而行之
【先師心藏比斲輪之巧不可□□遂不著於方也又上古未有文著□□□暮代也非文不傳故請方傳之藏而則之】
翻字はこれで良いんでしょうかね。□は何とかなりませんか。句読は……、まああんまり問題にはならないと思いますが。
(数字は東洋医学研究会=オリエント出版社影印における首字の所在です。以後、これに倣う。)
斲、底本は㔁 神麴齋 2000/04/01
斲、底本は㔁。『竜龕手鏡』(中華書局1982年影印高麗本、以下特に言わなければみなこの版)には、斲の俗字として{登斤}230C6(以後、断りなしに挙げる5ケタの数字あるいはアルファベットは、CJK統合漢字拡張領域Bのコードナンバー)が載っている。刀と斤は意符として通用し得るだろう。また仁和寺本欄外に在る丁角の二字は抄者の心覚えであろうが、おそらくは反切で、斲の音に符合する。
莊子 神麴齋 2000/04/01
鼇頭に引かれるのは恐らく『莊子』卷五中・外篇・天道第十三の末尾であろう。
輪扁曰:臣也以臣之事觀之,斲輪,徐則甘而不固,疾則苦而不入.不徐不疾,得之於手而應於心,口不能言,有數存焉於其間.臣不能以喻臣之子,臣之子亦不能受之於臣,是以行年七十而老斲輪,古之人與其不可傳也死矣,然則君之所讀者,古人之糟魄已夫!
従って、底本の㔁輪が斲輪であるのはほぼ間違いないと思われる。ただし、引かれた『莊子』の文章は、通行の版本と微妙に異なるように思う。
そもそも 神麴齋 2000/04/02
そもそも極意というようなものは、心に悟るべきものであって、言葉に現し書物に記すことができるものではない。だから、上古には書物は無かったし、それでも極意の伝授はおこなわれた。しかし、いま末代の世になってみれば、言葉とし、書物に載せないでは、聖人の教えの万分の一をも伝えることはかなわぬ。だから、言葉とし、その言葉に則るのである。

仁和寺本太素は巻一を缺く。だからこれは太素の開巻の辞ではない。しかし、「太素を読む会」発足に際しては、まことに相応しい箴言であると思う。
創設おめでとうございます 十元 2000/04/02
 今回の課題文と同文が素問・天元紀大論篇にある。そこでは「則而行之」を欠く。類似文は霊枢・九針十二原篇にもある。九針十二原篇の「大要」も、運気篇に見えるから、九針十二原篇は最古と言われているけれど、さほど古くはないのではないだろうか。迎隨とか、発機とか、ちょっとわざとらしいような機がする。九鍼部分と十二原部分は古いのだろうが。前のほうの文章は、後付けに違いないと思うのですが、どうだろうか。

最初から 神麹斎 2005/10/01
いささか思うところがあって、巻二の冒頭からしつこく読み返すことにしました。つまり、振り仮名やヲコト点にもこだわり、出来れば欄外や行間の書き込みの解明にも挑戦したいと考えています。

順養の篇首近くの鼇頭には、『荘子』天道篇が引用されているようですが、具体的な内容はよく判りません。先ずこれに挑戦してみます。
 庄子□□天
  道篇□篇
  □□□□□
  □□□□□
 □□□□□
  □□□□□
  □□□□□
  言也有數存
 □□臣不能
  □□□子〃
  □□□受□
  □□□七十
 而老斲輪
  □學篇□
  □□教學
  □□也醫
 曰不可傳者
  法也教法
  □
おおよその推定です。もとより□の数もあてにはなりません。
『荘子』天道篇 神麹斎 2005/10/01
 ここに引かれた『荘子』天道篇は以下のようなもののはずですが、うまく当てはまりませんね。

       莊子天道篇輪扁曰臣也以臣之事觀之斲輪徐則甘
而不固疾則苦而不入不徐不疾得之於手而應於心口不能言有數存
焉於其間臣不能以喩臣之子臣之子亦不能受之於臣是以行年七十
而老斲輪

諸子百家叢書のものです。版本に問題が有りますかね。
Re: 最初から 蔭軒 2005/10/02
 実際のところ、欄外に引用されたはずの『荘子』は、もうこれ以上はどうにもならないんじゃないですか。何と言っても文字は小さいし、剥落も甚だしいし。でも、これのお蔭で楊上善注の比{登+刂}輪之巧の{登+刂}が、間違いなく斲であることが判るし、その下に続く不可□□の□□くらいは、何とか推定出来るかも知れません。特に上の□に当たるものは右上の四分の一くらいは残ってます。
 欄外の後半は、また別の書物からの引用のような気がします。何からの引用なのか調べる方法は無いでしょうか。

別本? 神麴齋 2000/04/02
最初にあげた話題はあんまり侃々諤々になりそうにないので、新手を繰り出します。
(勿論、古い課題にいつ反応してもかまいません。)

02-03-1 傳於後世無有終時可得聞乎
蕭延平は、別本は終始に作るという。
ここに言う別本とは何のことなんでしょう。

02-03-2 治民與治自
蕭延平は、別本は治身に作るという。
ここに言う別本とは何のことなんでしょう。
まさか上に言う上以治民下以治身のことじゃないでしょうね。
Re: 蔭軒 2000/04/02
 考えてみると、「おのれを治す」という意味で、治自ということはあまり無いんじゃないでしょうか。内経には不治自已(治さずとも自ずから已ゆ)という例は有ります。他の古典にも、そういう治自は出てきます。おのれの何ものかを治すという意味で、治身という例はいくらも有ります。してみると、治民與治自治は治民與治身の誤りかも知れません。

 別本の話ではありませんでした。
Re: 菉竹 2000/04/03
蕭延平の例言(人民衛生活字本、3p8行目。科学技術文献出版社本、6p末行)
余旅居京師時、……獲見一部……計與本書不同者十餘字、仍於平按下、註明別本某字作某、存以備考。
別本の価値 神麴齋 2000/04/03
ありがとうございます。
蕭延平の例言によると、それらの本はいずれも仁和寺本の影写に係るものだと思うんですが、ひょっとすると浅井―小島系統のものの他に錦小路系統のものを想定しているんでしょうか。いずれにせよ現在は仁和寺本の影印が有るのですから、つき合わせて明らかに異なる箇所は、誤写と考えて良いと思いますが、如何。田沢仲舒の『太素後案』に用いたものは、兄弟の奈須恒徳の抄本系統だろうと推測します。そこには、かなり多く誤りの可能性を指摘していますが、影印とつき合わせるとほとんどが単なる誤写です。そもそも限られた時間でいそいで為された作業ですから、誤りが有るのはむしろ当然です。恥ずかしながら、私の電子文献にもほとんで連日誤りが発見されます。
浅井氏や小島氏の抄本のコピーも欲しいけれど、影印で難読の箇所の為の資料として有用なだけだと、咽から出そうになる手を一応なだめています。
治身 十元 2000/04/03
治民與治自
 自は身の壊文のような気がします。他の篇をみても、治身が是かと思います。治は治めるという意味で、治身は養生のことでしょう。自分の病気を治療するとは読めないですね。聖人治未病という句があるが、これも聖人は未病の段階で自分の身体を治める(養生する)、という意味で、聖人は未病に治む、と読むべきなんです。聖人は未病を治療すると読んで居るんですが、誤りだと思ってます。
無有終時
 終時とは、世紀末とかいう意味なんでしょうか。かの中国が消滅してしまうときなんでしょうか。
終身 神麴齋 2000/04/03
一応は「無有終時」で良いと思うんです。
『素問』上古天真論にも「上古有真人者,……故能壽敝天地,無有終時」云々と有りますね。でもね、森立之なんかの解説を参考にすると、真人には生死というものが無いから、終わる時が無いのが良いこととして言われるけれど、我々凡人の理想は寿命を終わる(寿命が尽きる)ことで、悲しむべきは中途で絶することなんだよね。
してみると、ここの「無有終時」は良いんだろうか。
おそらくは、終わるには「きちんと完了できた」という意味と、「終わってしまった、もう続きは無い」という意味と、両方有るんでしょうね。『霊枢』九針十二原に「終而不滅」と言うのは「中途で絶えることは無かった」のほうで、ここの「無有終時」は「もうそれ以上は伝わらないという限りの時は無い」のほうなんでしょうね。

02-04-4 欲正之身者 蔭軒 2004/06/08
巻二「順養」:不循其理而欲正之身者未之有也
この句中、「正之」の「之」は、語法的には如何なるものなのでしょうか。
Re:  十元 2004/06/08
 意味は、(陰陽の)道理に従わないで、身体を整えようと思う奴は、存在しないぞ、ですよね。於に通じ、前置詞でいいのでは。
衍字? 神麹斎 2004/06/08
『漢辞海』に、前置詞として「対して、おいて」という意味がある。しかし、これはそこに例として載せる「人之其所親愛而辟焉」(人は親愛するものに対して偏愛するものだ)では、「其所親愛」が一つの詞組であることをはっきりさせるためであるように、わざわざ「之」を介在させるということではないか。
ここの句の場合、「不循其理,而欲正身者,未之有也」で何ら困らない。「不循其理」と四字句で言い始め、「而」と一呼吸置いて、「欲正身者,未之有也」と四字句、四字句でまとめる。口調としてもわざわざ「之」字を置くべき理由は無い。ひょっとしたら単なる衍字ではないか。
あるいは「正身」では「正しい身」と取られがちで、間違いなく「身を正す」と理解させるには、「正之身」のほうが確実だったということか。

理は、陰陽の道理ではなくて、人の理(俗、諱、礼、便)と天地の理(陰陽、四時)だと思います。
Re:  菉竹 2004/06/09
「其の理に循わずして之れ(1)を身に正さんと欲する者は未だ之れ(2)有らざる也」と訓めない理由は、なにかありますか?
 たとえば上文に「之(1)=代詞」にあたることばや事柄が見当たらない、とか。
ここから先は身について 神麹斎 2004/06/09
楊上善の注は、「夫為國為家為身之道,各有其理。不循其理而欲正之身者,未之有也。所以並須問者,欲各知其理而順之也。」云々です。で、この文章で「不循其理而欲正身者」ではいけないのでしょうか。そこのところが分かりません。無くてもよいのに有るとしたら、口調を整えるためだと思うのですが、ここのところはもともと、整える必要が有るほど変な口調でしょうか、あるいは「之」を入れることによってより良い口調になるのでしょうか。そこのところも分かりません。

また考えてみると、前に「国や家や身を正そうとするには、いずれもその理というものが有る」と言っている。そして改めて「その理に従わずに身を正そうと望むのは……」と言い出すのであるから、ここから先は特に「身」について述べることを強調するための表現と解することができる。菉竹氏のように「其の理に循わずして之れを身に正さんと欲する者は、未だ之れ有らざる也」と訓むのが良いかも知れない。

循か脩か 神麹斎 2004/06/09
この字形、影印では「循」なのか「脩」なのかよく分からない。
順養の楊上善注には、以下の4カ所にみえる。
02-03-5 守之取全○之取美
02-04-4 不○其理而欲正之身者未之有也
02-16-6 君上情在於己有私○徳遂不為徳
02-16-7 君不○德和陽氣者則疵癘賊風入人空竅傷害人也
文意に従って選択するしかないだろうが、それがなかなか難しい。
ちなみに、
02-25-4 五穀精汁在於中膲注手太隂脉中變赤循脉而行以奉生身謂之為血也
の字形も同じだと思うが、これは「循」で間違いない。
Re:  四庫全書 2004/06/09
 『四庫全書』の中には、「修徳」は4643例、「循徳」は47例(ほとんどが人名か地名)あります。
脩徳 神麹斎 2004/06/10
「脩徳」か「循徳」かといえば、私もおそらく「脩徳」だろうと思います。
ただ、問題の同じに見える字形は、ほとんどの場合、「循」のほうが意味が通じます。
おそらく「脩」で良いだろうと思うのは、他には「我脩身千二百歲」、「脩身為徳」ぐらいで、「五色○明」と「○道察同」、「不○道不去損益」は、まだ迷っています。『素問』では「五色脩明」ですが、楊注に「增也」と言うのに相応しい字義はまだ見つけていません。「循,增也」もです。
これは同形異字なんでしょうか、それとも微妙に字形が異なるのでしょうか。
循之取美 神麹斎 2005/10/02
巻2順養(『太素校注』だとp.3)
治彼與治此,治小與治大,治國與治家,未有逆而能治者也,夫唯順而已矣。
【楊注】人之與己、彼此、小大、家國八者,守之取全,循之取美,須順道德陰陽物理,故順之者吉,逆之者凶,斯乃天之道。
この「循」とした文字、本当は未だに「循」なのか「脩」なのか迷っているんです。で、傍らの仮名が参考にならないかと思うんですが、これは「ウ」で良いんでしょうか。さらに脇の●は多分よごれか句点だと思うけど。「循」だったら「したがウ」で、「これを守りて全を取り、これに循いて美を取る」だと言いたいところだけど、歴史的仮名遣いだと「したがフ」じゃなかったっけ。「脩」なら歴史的仮名遣いでも「シウ」だったはず。でも、「シウ」の「ウ」だけを傍書するなんて習慣は有ったんですかね。ちなみに他のところで「循」(したがう、なでる、めぐる)としか読めない箇所も、ほとんど同じ字形なんです。ほとんど同じであって、全く同じとも言えない、かも知れないんで余計にややこしんですがね。
Re: 循之取美 七面堂 2005/10/04
目を凝らして視ると、「●之取美」の、●の右上に点、之の左下に点、美の右上に点、美の右下にやや離れて点のようです。
●の右上の点と美の右下のやや離れた点は、多分同じもので、句点です。之の左下はテ、美の右上はヲです。 つまり「●之テ取美ヲ。」ということになります。「これを●して美を取る」ですか。
ウはもともとは宀のはずで、だから、もとから末筆をこんなに長く引いたものなのか、とは思います。かと言って、他のましな候補には思い至りません。上の点は汚れで、実はフというのは、如何になんでも無理ですよね。

02-05-4 腸中熱則出黄如糜... 蔭軒 2004/04/03
腸中熱則出黄如糜齊以下皮寒
楊上善注:陽上隂下胃熱腸冷自是常理今胃中雖熱不可過熱過熱乖常腸中雖冷不可失和失和則多熱出黄腸冷多熱不通故齊下皮寒也

腸中が熱すると臍以下の皮が寒、というのはよく分かりません。楊上善の注を見ても釈然としません。どういう意味なんでしょう。
齊以下皮寒 神麴齋 2000/04/03
楊上善の切り方とは異なりますが(楊注の挿入を※で示す)、渋江抽斎『素問講義』などの経と注の配置からすると、以下のように理解することも可能かと思います。
齊以上皮熱※腸中熱則出黄如糜
齊以下皮寒※胃中寒則䐜脹
熱に熱、寒に寒という関係は良いんですが、臍上と腸、臍下と胃という関係はちょっと……。
胃と腸の寒熱 神麴齋 2004/04/03
それにしても、
胃中寒腸中熱の条では、胃中寒に対して脹、腸中熱に対して洩なのは、何故でしょう。上には胃中寒則䐜脹と腸中熱則出黄如糜とあります。
胃中熱腸中寒の条では、胃中熱に対して疾飢、腸中寒に対して小腸痛なのは、何故でしょう。上には胃中熱則消穀令人懸心善飢と腸中寒則腹鳴飡洩とあります。
腸中の寒 蔭軒 2004/04/04
02-05-5 腸中熱則出黄如糜齊以下皮寒
楊上善注:陽上陰下,胃熱腸冷,自是常理。今胃中雖熱,不可過熱,過熱乖常。腸中雖冷,不可失和,失和則多熱出黄。腸冷多熱不通,故齊下皮寒也。
 まさか失和則多熱出黄の熱字が衍文で、経文の腸中熱は腸中寒の誤りというわけにはいかないでしょうね。
 失和なれば多く黄を出す。腸冷は多くは熱通ぜず、故に齊下の皮寒するなり。
飡洩と出糜 神麴齋 2004/04/04
『太素』卷二十七・邪傳に「多寒則腸鳴飡洩食不化,多熱則溏出糜」(27-47-2)と有ります。してみるとやはり、
02-05-7 腸中寒則腹鳴飡洩
02-05-5 腸中熱則出黄如糜
これは動かせない。
臍下皮寒 十元 2004/04/07
 陽上隂下、胃熱腸冷、自是常理、
 胃中雖熱、不可過熱、過熱乖常、
 腸中雖冷、不可失和、
 失和則多熱出黄腸冷、
 多熱不通、故齊下皮寒也

楊上善注を上のように切ってみました。失和則多熱出黄腸冷が特徴で、失和は過冷のことで、腸中が過冷であれば、胃が多熱になり、黄疸?を出し、腸は冷える。胃が多熱で、それがめぐらざれば、臍下(=腸)の皮が冷える、のだ。という風に解釈しましたが。失和則多熱の多熱を胃の多熱に考えました。上下の陰陽バランスが崩れて、腸が一層冷えたわけです。「皮」については???
失和 不和 神麴齋 2004/04/07
胃の多熱によって出黄というのは可。
27-46-5 留而不去,傳舍於腸胃,舍於腸胃之時,賁嚮腹脹,多寒則腸鳴飡洩食不化,多熱則溏出糜。
黄糜を出すのは、腸の多熱に限らず胃の多熱でも良い。
十元さんの意見も採り入れて:
腸の冷が常理を越えると、胃の過熱がさらに進んで黄糜を出すが、腸の冷が胃の熱を阻隔するので、腸の冷自体はさらに深刻となり、従って臍の下の皮膚に手を触れてみるとつめたい。
何だか理屈は通ったような気になります。
しかしここの経文はあくまで「腸中熱則出黄如糜,齊以下皮寒。」なので、その「腸中熱」を「胃中熱」に変えることになるのはどうも……。
そもそもこの楊上善の注の在る位置と、字句の一部がおかしいんじゃないか。
「胃中熱則消穀,令人懸心善飢,齊以上皮熱。」に対して、
楊上善注:「胃中熱以消穀,虚以喜飢,胃在齊上,胃中食氣上薰,故皮熱也。」だったら、
「腸中熱則出黄如糜,齊以下皮寒。」に対しては、
楊上善注:「腸中熱以出黄如糜,腸在齊下,腸中○○○○,故皮寒也。」くらいが相応しいんじゃないか。
要の「腸在齊上」と「故皮寒也」の環節が分かりませんが。
だから暫定的に(苦し紛れに)、
陽上隂下,胃熱腸冷,自是常理。今胃中雖熱,不可過熱,過熱乖常。腸中雖冷,不可失和。
ここまでは胃熱、腸冷の原則を言う。以下が「腸中熱則出黄如糜,齊以下皮寒。」の説明になる。
失和則多熱出黄,腸冷多熱不通,故齊下皮寒也。
後の経文「胃中寒、腸中熱,則脹且洩。」に対して、楊上善はまた「脹是胃寒,洩是腸熱,腸中不可熱,令熱則腸中不和,故脹且洩也。」と言う。だから腸中の熱も過寒も不和であり失和であって、上の楊上善注ではそれをはっきりと言わないから分かりにくいのではないか。つまり腸中熱という不和が生ずると黄を出すこと糜(かゆ)の如しであり、腸が過寒という失和が生ずると熱が通じない。ここの失和、不和は寒熱の乖離であろうから、腸中熱というのもまた中は熱でも体表は寒かも知れないし、腸が過寒であれば「腸在齊下,故皮寒也」で何の不思議も無い。
善按 芝蘭亭 2004/04/07
澁江全善『素問講義』
11-03a●臍以下皮寒、
〈楊上善〉曰、陽上陰下、胃熱腸冷、自是常理、今胃中雖熱、不可過熱、過熱乖常、腸中雖冷、不可失和、失和則多熱出黄、腸冷多熱不通、故齊下皮寒也、
〈善〉按就句法攷之、〈楊氏〉〈馬氏〉以五字屬上文者、似是、竊謂臍以下皮寒、寒字或誤、疑當作熱、則上下文意甚覺平穩、
Re: 神麴齋 2004/04/09
渋江抽斎が言うように、「腸中熱則出黄如糜,齊以下皮熱」とすれば、それはそれで穏当ではある。
しかし、失和は乖常の言い換えのはずで、つまり(胃中熱との対比から言えば)腸中過冷から話ははじまるわけで、腸中は冷えているべきだといっても、冷えすぎは駄目で、そんなことになると失和して、失和すると多熱(カナメとなるここに飛躍が有る)となって黄糜を出し、腸中の冷と(どこかの)多熱が通じ合わず、故に臍の下の皮が寒(あるいは熱?)になる。
いっそのこと、経文が「腸中冷則(胃熱)出黄如糜,齊以下皮寒(or熱)」であれば、楊上善の注とはよく合うと思う。ただ、そうすると他の胃中熱、胃中寒、胃中寒腸中熱、胃中熱腸中寒とのバランスがあまりにも悪すぎる。
Re: 神麴齋 2004/04/09
過冷→失和→多熱→黄糜BUT臍以下皮寒

結局、楊上善の言い分は、腸が過冷になると、それは失和であって、失和になると「一転して多熱となり」(重陰は必ず陽となる?)、従って腸中が熱してしまって黄糜を出し、だけど臍の下の皮膚は最初の腸の過冷の影響で寒である、とでも理解するよりしようが無い、と思う。しかしなあ、ちょっと説明が飛躍しすぎるよなあ。皆さんは納得できますか。
腸冷が胃の多熱を臍下に通じさせないとも読めそうだけど、上の経文に厳然と腸中熱と言うし、下の楊注で洩是腸熱と言うし……。やっぱり、腸の冷と多熱が通じあわない=失和でいいんじゃないかな。

02-05-7 喰 神麴齋 2004/04/04
『竜龕手鏡』に「喰湌飱 音孫 以飲澆飰也」とある。飰は飯と同じ。従って「飲を以て飯に澆(そそ)ぐなり」で、楊上善注の「食消せず下洩すること水和飯の如し」とほぼ通じる。
ただし、02-07-3の冷がそうであるように、底本では冫が口のように書かれることが多いので、これも飡と見るべきかも知れない。飡、音孫は飱と同字。『戦国策』中山策に「以一壺飡得士二人」と見えるのも飱と同字で、熟食の意。

つまり、喰でも飡でも、飱の意味に使われることが有るのは分かったんですが、校訂本を作ろうというときには、どれを選ぶべきなんでしょう。

02-06-4 少腸痛 神麴齋 2004/04/03
腸の傍らに腹と注記が有るらしい。どちらを取るか。
胃中熱の時の消穀……善飢と疾飢が対応している。してみると腸中寒の時の少腸痛(少腹痛)と腹鳴飡洩が対応していることになるだろう。だから少腹痛のほうが若干勝れているように思う。
少腸痛 神麴齋 2004/04/04
腹鳴飡洩だから少腹痛と書き込みましたが、『太素』邪傳(『靈樞』百病始生)「多寒則腸鳴飡洩食不化,多熱則溏出糜」に拠ればそうとも言えない。
少腸痛 蔭軒 2004/04/06
02-06-3 胃中熱,腸中寒,則疾飢,少腸痛。
楊上善注:此胃熱腸寒倶時,胃熱故疾飢,腸寒故腸痛也。
経文も注文も、胃と腸を繰り返し対比させているんですから、やっぱり小腸痛で良いんじゃないでしょうか。
仁和寺本では少と小の混用はいくらも有りますし……。
少腸痛 十元 2004/04/06
 患者の立場からいえば、お腹が痛いのに、小腸が痛いとか大腸が痛いという区別はありません。上腹と下腹の違いはあるでしょう。
 医者の立場からいえば、解剖学的に、小腸の位置はわからなかったはずでしょうから、小腸の痛み、という表現は変ではないでしょうか。
 以上からすると、小腸痛は、小腹痛が適当かと考えています。ただ、何時から使われているかわかりませんが、『資生経』に小腸気という病名がありますので、小腸という意識はあったのでしょうね。
少腸痛 神麴齋 2004/04/06
患者が「小腸が痛い」なんて言うわけが無い、という十元さんの意見には賛成します。そもそも五臓六腑のどれかが痛いなんていう言い方は、胃痛とか心痛くらいのものでしょう、少なくとも現代では。
で、それとは別に胃と腸の寒と熱に関して、脹と飢と洩と糜が出てくるのも気になるんです。中でも䐜脹と飡洩は対として内経には屡々登場します。ところが飡洩は小腸の病なのか大腸の病なのかはたまた腸の病なのか(内経の段階においてですよ)どうも判然としない。もし、飡洩が腸の病だとしたら、上腹部の痛みを胃痛、下腹部の痛みを腸痛と言いならわしていた、という可能性は無いものでしょうか。
いやまた飛躍しすぎましたかね。

02-06-6 王公大人血食之君 蔭軒 2004/04/08
血食は、肉食の誤りだという説が有るようですが、どう思われますか。
Re: 神麴齋 2004/04/08
多分、郭靄春『黄帝内經靈樞校注語譯』に:
『釋名・釋形體』:「血、濊也,出於肉流而濊濊也。」以血出於肉,故其義引申作肉解。「血食」即肉食。舊解指祭有牲牢,於此不合。
とあることを言っているのだと思いますが、私は郭氏の説に賛成しません。他の箇所(根結)でも、「血腥を以て祭祀に用いるのと王公大人の普段の生活とどんな関係が有るのか」などと言ってますが、「驕恣従欲にして人を軽んずるのと肉食とどんな関係が有るのか」と言いたいところです。対になるのは布衣匹夫之士です。要するに、祭祀の当事者となるような偉い人と、つまらないただの人との対比だと思う。郭氏の態度は、何でもかんでも古代祭祀に結びつけてしまう白川氏と対極を為すものです。どちらもやや行き過ぎであると思う。
Re: 十元 2004/04/09
血食は、生け贄を捧げる祭であり、生け贄をささげられる連綿と続く名家であり、裕福な家庭であろう。したがって、王公大人血食之人は、「王公・大人・血食」の人々という意味で、布衣匹夫と対になる。

陽消 蔭軒 2004/06/14
02-13-4 蚤卧蚤起與雞俱興
 楊上善注:秋之三月,主肺藏,手太陰用事,陽消陰息。故養陰者與鷄俱臥,順陰息也;與雞俱起,順陽消也。
 この「陽消」というのは、どういう意味なんでしょうか。
消息 菉竹 2004/06/14
 消えることと生じること。また、栄枯盛衰のこと。「天地盈虚、与時消息=天地の盈虚、時と消息す」〔易経・豊〕 学研漢和大字典
 「春之三月」には「陰消陽息」とあります。
消息 神麹斎 2004/06/15
消息が、消えることと生じることだとすると、息が生ずることなんですが、『集韻・職韻』に「息,生也」、『易・革』「水火相息」の王弼注に「息者,生變之謂也」、孔穎達疏に「息,生也」とあります。『漢語大字典』からの孫引きです。
陽が消えるのに順ずる 蔭軒 2004/06/15
 ありがとうございます。消息の意味は分かりました。
 分からないのは、鶏とともに起きるのが、どうして陽が消えるのことに順ずることになるのかです。鶏とともに臥すのが、陰が生ずるのに順ずることになるのは、なんとなく分かるような気もするんですが。

脩徳か循徳か 神麴齋 2004/04/08
02-16-6と7に、「循徳」もしくは「脩徳」という詞が出てきます。どちらが正しいんでしょうか。
影印に見るものの実際の字形は画像の左のようなものです。
で、『干禄字書』(官板和泉屋本)に「脩修 上脯脩 下修飾」と載る脩の字形が影印のものとよく似ています。下の画像の右。亻と彳の違いだけです。ただ、循も筆勢によっては容易に影印のような字形になると思います。(つまりノの下に十も、丿一の下にナも大して違わない。)
意味的には、ここでは(修に通じる用い方として)「脩徳」の方が良さそうですが、「循徳」でも理解不能というほどのことはない。02-04-4「不循其理而欲正之身者」云々は、やっぱり循の方が良さそうです。ましてや、02-25-4「五穀精汁在於中膲,注手太隂脉中,變赤,循脉而行,以奉生身,謂之為血也」などは、どうしたって「循」でしょう。おそらくは二字の字形が混乱して同じか酷似になってしまったのだと思いますが、こういうのはどう処理するのが正当(正統?)なんでしょうか。

02-17-2 交通※不表 神麴齋 2004/04/08
02-17-2 雲露不精則上應甘露不下交通
【隂氣失和致令雲露無潤澤之精無德應天遂使甘露不降隂陽不和也言白露者恐後代字誤也】
02-17-4 不表萬物命故不施
【隂陽不得交通則一中分命無由布表生於万物德澤不露故曰不施也】

ここの句の切り方が不審です。『素問』四氣調神大論では、不下と交通の間に王冰注が入っています。その方が普通だと思います。楊上善は經文をどう読ませるつもりだったんでしょうか。
因みに袁昶本では、楊注を勝手に不下の下に移動させています。『泰素後案』では仁和寺本と同じ箇所に楊注が有りますから、もとになった抄本では不下交通の下に在ったはずなんですが。
不表万物命 芝蘭亭 2004/04/08
無理矢理に楊上善の注文によって、経文を理解しようとすれば、以下のようになるかと思います。
雲露不精,則上應,甘露不下交通。
(不下交通,則)不表萬物命,故不施。
雲露が精でないと、だから天もその影響を受けて、甘露が降ってきて交通するということがない。
降ってきて交通することがないと、万物の命が布表されることがない。故に施されない。
だから、抄者がうっかりと交通二字を上文に属せしめた、などと言う単純なことではなさそうです。
周学海『読医随筆』の句読 菉竹 2004/04/10
雲霧不精、則上應白露不下交通、不表萬物、命故不施、不施則名木多死。

天気閉塞、不下交通、地気上騰、蒙冒日月。如是者、天地不交、陽亢陰鬱、必見満天雲霧、不化精微。雲霧之精、即白露也、不能下而交通於地、不能旁敷於万物。表、如表海之表、謂広被也。命、令也。当暘不暘、当雨不雨、当寒不寒、当燠不燠、四時正令不能順施、有不名木多死者乎。(天気が閉塞すると、下って交通できず、地気は上騰して、日月をおかす。このようであれば、天と地(の気)は交わらず、陽は亢(たか)ぶり陰は鬱し、必らず満天に雲霧を見、精微を化すことができない。雲霧の精とは、即ち白露であり、下って地と交通することができず、万物をおおうことができない。表とは、「表海」の表であり、広く被(おお)うことをいう。命とは、令である。暘(太陽が出る)べきであるのに出ない、雨が降るべきなのに降らない、寒くなるべきなのに寒くならない、燠(あつく)なるべきなのにあつくならない。四時の正しいきまりが順施できないのなら、名木が多く枯れないことがあろうか?)

参考になりますかしら?
Re: 神麴齋 2004/04/10
周学海『読医随筆』の自序は、清の光緒戊戌(1898)暮春になっているから、前年の袁昶通隠堂刊本の後だろうけれど、袁昶本では楊注を交通二字を勝手に不下の下に移動させているから、見たとしたら別の、つまり抄本だと思います。『泰素後案』では仁和寺本と同じ箇所に楊注が在り、『泰素後案』の撰者の兄が作った抄本は、現に中国の北京図書館に在りますから、『太素』を見た上での説だとすると、その類の抄本でしょう。実際にはどうなでしょう。私の見落としかも知れませんが、『読医随筆』にはその辺の事情は書かれて無いように思います。独自にたどり着いた句読なんでしょうか。
Re: 神麴齋 2004/04/11
楊注の中の「則一中分命」という句の意味がよく分かりません。
そもそも、こういう句切りでいいんだろうか、分は分でいいんだろうか。
Re: 神麴齋 2004/04/12
実は、『泰素後案』では、「一中」は「上下」の誤りではないか、と言っています。でも、納得できない。
Re: 菉竹 2004/04/13
小曽戸先生は、『淮南子』詮言訓を引用し、「一すなわち渾沌の中より分かれて生命を生ずるのは陰・陽の交通による、という意」と注釈なさっています。
一中■命 蔭軒 2004/04/13
 とすると、「一の中より、命(いのち)を分かつ」と訓んでいるわけですね。でも現代中国語で、命に「いのち」という語感はほとんど無いと、養命酒の会社の人が嘆いていた、と聞いたことが有ります。その点は大丈夫ですか。それと「分」を筆書きすれば仁和寺本にそっくりになりますが、そっくりだけど右上の一画は余分だと思います。ゴミかも知れないけれど。これって本当に「分」で良いんでしょうか。と言って別の字は思いつかないんですが。
Re: 神麴齋 2004/04/13
小曽戸氏が想定している句読は、どういう具合なんでしょう。分命の下なんでしょうか、無由の下なんでしょうか、はたまた布表の下なんでしょうか。影印の表字の左下の点は句読点なんですか、それともゴミなんでしょうか、そもそも句読点だとしても抄者による勝手なものということは有りませんか。

隂陽不得交通,則一中分命無由布表,生於万物,德澤不露,故曰不施也。
「一中分命」(という本来の働き)に「布表する」「由が無い」ですか?
小曽戸意釈 菉竹 2004/04/13
 陰・陽が交通することが得(で)き不(な)い則(と)、一中分命して生(生命)を万物於(に)布表する由も無く徳沢が露(うるお)うことが不(な)い。故に施され不(な)いと曰也(いう)。
Re: 神麴齋 2004/04/14
う~ん、わかりません、小曽戸氏の意釈は。
文章の構造としては、
 陰陽が交通するを得ざれば,則ち
 一中分命,無由布表,
 生於万物,徳澤不露,
 故に施さずと曰うなり。
じゃないか思うんですがね。
で、前の注文は、
 陰氣失和
 致令雲露 無潤澤之精 無徳應天
 遂使 甘露不降 隂陽不和也
だから、「徳澤不露」は、潤沢の精、天に応ずべきの徳が無くて、甘露が降らないこと。
万物を生じようにも、甘露を降すだけの徳沢が無い。
とすると、
一中分命しようにも、布表するだけの由が無い、ではなかろうか。
「陰陽が交通するを得ざれば、則ち一(混沌)の中より命(メイ)を分かつに、布表する由(よし)無く、万物を生ずるに、徳澤は露(つゆふら)せず。故に施さずと曰うなり。」
生於万物を「万物を生ずる」と解する例は有るはずだと思う。また「露せず」は「甘露を降さず」の意味のつもりです。
あるいは 神麴齋 2004/04/14
陰陽が交通するを得ざれば、則ち「一中分命」となり、(したがって)生を万物に布表するに由無く、(したがって)徳澤不露(=徳澤は甘露を降らせず)、故に施さずと曰うなり。

結局「一中分命」が何かはよく分かりませんが、「分」では無いような気がする。■命は、この場合「天命にたがう」というような意味になりそうに思う。
一中分命 十元 2004/04/15
分字は、やはり分では無いでしょう。つくりが、明らかにヒです。で、何の字かといわれれば、未詳です。ただ、能の異体字にぎょうにんべんにヒのようなのがあったような気がしています。能命って、どういう意味かといわれれば、未詳です。まあ、わからん、というところですね。すみません。
乎古止点 神麴齋 2004/04/16
乎古止点にはいろいろ有って、右の半ばに短い短線というのも有るらしい。とすると、一画多そうにみえる文字も、やっぱり分で良いのかも知れない。そのつもりで見れば、何だか墨色も違うみたい。やっぱりカラー写真が欲しい!!

曰露か白露か甘露か 蔭軒 2004/04/13
02-17-2 雲露不精則上應甘露不下交通 楊上善注に「言曰露者恐後代字誤也」と言いますが、袁昶本でも蕭延平本でも、「白露」に改めています。これは恐らく、『素問』に「白露」とあるのに拠っている思われます。ただ、『素問攷注』では、「曰」の右脇に小さく「甘」と添え書きが有ります。森立之は『素問攷注』の中で、『太素』は「甘露」に作るがそれは誤りであると明言しています。楊上善はどのように書かれた文字を「恐らくは後代の誤り」であると言っていると考えますか。
Re: 神麴齋 2004/04/14
経文の甘の左に小さく曰と旁書。おそらくは、もともとは曰になっていたのを、(現存する古卷子本の)抄者が理と楊注に拠って甘と書き改め、原貌を保存するために曰を旁書したのであろう。そうでないと、「曰露と言うは、恐らくは後代の字の誤りなり」が意味不明となる。蕭延平本などでは、『素問』に拠って白露とするが、仁和寺本の影印では歴然と曰露である。もつとも、この「言曰露者恐後代字誤也」は、楊上善以後の注記の可能性も有ると思う。

02-18-2 盗夸君之徳不施布 神麴齋 2004/04/11
不施則名木多死惡氣發風雨不莭甘露不下則菀槗不榮賊風數至暴雨數起天地四時不相保乃道相失則未央絶滅
【盗夸君之德不施布禍及昆虫灾延草木其有八種一者名木多死謂名好草木不黄而落二者惡氣發謂毒氣疵癘流行於國三者風雨不莭謂風不時而起雲不族而雨四者甘露不下謂和液无施菀槗當為宛槁宛痿死槁枯也於阮反陳根舊枝死不榮茂五者賊風數至謂風從衝上來破屋折木先有虚者被刻而死六者暴雨數起謂驟疾之雨傷諸苗稼七者天地四時不相保謂隂陽乖繆寒暑无莭八者失道未央絶滅未央者久也言盜夸之君絶滅方久也】

楊上善の注の初めに「盗夸君之徳不施布」と言い、終わりを「言盗夸之君絶滅方久也」で締めくくる。そこで、『泰素後案』では最初も「盗夸之君」云々とするのが正しいと言う。袁昶本では「盗夸君之」だけど、蕭延平本では「盜夸之君」となっている。
盗夸は『老子』第五十三章に、服文綵帶利劍飽飲食財貨有餘是謂盜夸非道也哉(文綵を服し、利劍を帶び、飲食に厭きて、財貨餘り有る、是れを盜夸と謂う、道に非ざる哉)と見える。盗は「ぬすむ」、夸は「ほこる」。してみると「君の徳を盗み誇りて施布せざれば」云々も、「盗み誇る君は絶滅すること方に久しきなりと言う」も、ともに通じると思う。従って必ずしも「盗夸君之」を「盜夸之君」に改める必要は無いと思う。ただし、以下は「禍及昆虫、灾延草木」と四字句であるから、上も「盗夸之君、德不施布」と二つの四字句にしたほうが良い、ということは有る。
Re: 芝蘭亭 2004/04/11
『韓非子』解老篇に、「文綵を服し、利剣を帯び、飲食に厭き、而して資貨余り有る者、是れをこれ盜竽と謂う」とあり、この少し前に「竽なる者は、五声の長なる者なり。故に竽先んずれば則ち鐘瑟皆随い、竽唱うれば則ち諸楽皆和す」と言う。従って、盜竽とは盗賊の竽=長(かしら)という意味になる。とすると、「盗夸君之」はやはり「盗夸之君」(盗賊のかしらのような君)に改めたほうが良い。
盗夸 十元 2004/04/13
 盗夸が盗賊の長であり、この人の徳で人民に君臨するとなれば、「施布」で禍が生じるはずである。「不施布」で禍が生じるというのであるから、「不施布」なのは良い徳である。
 このような意味に解釈するなら、盗夸が君主になり、(良い君主の)徳が施されなければ、というふうにしたい。「盗夸之君(盗夸これ君たり)」のほうがいいと思う。
 最後は「盗夸之君」でいいでしょう。盗賊の長が君主になったばあい、という意味でしょうから。
Re: 芝蘭亭 2004/04/13
『史記』楽毅列伝に「賢聖之君不以禄私親」とあり、小竹兄弟は「賢聖の君は禄を以て親に私せず」と訓んでいます。これに拠って思うに、「盗夸之君」を「盗夸これ君たり」とまで訓む必要は無い。「盗夸の君は、徳は施布せず、禍は昆虫に及び、灾は草木に延す」でしょう。盗賊のかしらのような君が上に居ると、徳が万物に施されないので、禍は昆虫にまで及び、災は草木にまではびこる、として八種の具体例をあげ、最後に、だから盗賊のかしらのような君が上に居たのでは、永遠に絶滅して復活することは無い、と言う。
楊注よみくだし 十元 2004/04/13
 折角だから、読み下してみましたよ。

【よみくだし】
盗夸ここに君たり。德施 布せざれば、禍は昆虫に及び、灾は草木に延ぶ。其れ八種有り。
一者、名木死(か)るること多し。謂えらく、名好なる草木、黄ならずして落つる、と。
二者、惡氣發す。謂えらく、毒氣疵癘 国に流行する、と。
三者、風雨莭ならず。謂えらく、風 時ならずして雲を起こし、族せずして雨ふる、と。
四者、甘露下らず。謂えらく、和液施すことなし、と。菀槗はまさに宛槁と為すべし。宛は、痿死槁枯なり。於阮の反。陳根舊枝 死して榮茂せず。
五者、賊風 數しば至る。謂えらく、風衝上より來り、屋を破り木を折る、先ず虚有る者は、刻(おか)されて死す、と。 六者、暴雨 數しば起く。謂えらく、驟疾の雨 諸苗稼を傷る、と。
七者、天地四時 相保たず。謂えらく、隂陽 乖繆し、寒暑に莭なし、と。
八者、道を失し、絶滅すること未だ央(つ)きず。未だ央きざるとは、久しき也。言は、盜夸の君、絶滅すること方に久しき也。
Re: 神麴齋 2004/04/13
折角だから私も:
(例によって、過剰に助詞を補って、和訓の慣習を逸脱している。)

盗夸の君なれば、徳は施布されず、禍は昆虫に及び、灾は草木に延る。
其れ八種有り。
一に名木多死とは、名好なる草木が、黄せずして落つるを謂う。
二に惡氣發とは、毒氣疵癘が國に流行するを謂う。
三に風雨不節とは、風が時ならずして起こり、雲が族せずして雨ふるを謂う。
四に甘露不下とは、和液が施されること無く、(菀槗は當に宛槁と為すべし。宛は痿死、槁は枯なり。於阮反。)陳根舊枝は死して榮茂せざるを言う。
五に賊風數至とは、風が衝上より來り、屋を破り木を折り、先に虚が有れば、刻されて死すを謂う。
六に暴雨數起とは、驟疾の雨が諸もろの苗稼を傷なうを謂う。
七に天地四時不相保とは、陰陽が乖繆して寒暑に節無きを謂う。
八に(失道)未央絶滅(未央とは久なり)とは、盜夸の君なれば絶滅すること方に久しきを言うなり。

( )内は、文例から見て、さらにに挿入された訓詁、あるいは衍文を疑うもの。
また八種とは言いながら、最後のものは総論となっている。こういうのも中国の古い文章には珍しくないと思う。

02-19-7 逆秋氣則太隂不収... 神麴齋 2004/04/15
逆秋氣則太隂不収肺氣燋漏
楊上善注:太隂手太隂肺之脉也腠理豪毛受耶入於經胳則脉不収裏深入至藏故肺氣燋漏燋熱也漏洩也
問題にするのは楊注中の「不収」の次の文字。『素問参楊』、『素問攷注』は「襄」に作り、袁昶本、蕭延平本は「聚」に作る。私は、ここの字形は03-25-6の「以表知裏」あるいはその楊注「瞻六府表脉,以知五藏裏脉」の「裏」と同形と見た。いずれが是か。
無題 十元 2004/04/15
深入至蔵という句が、2-20-3の楊注にも見えるから、「脈不収○」という区切りになろうかと思う。と言う意味では「収聚(おさめあつめる」という熟語が適当かと思う。しかしながら、漢字の脚は、あくまで衣の下である。また、朱点をみてみると、「脈不収」「○」で区切っているから、「脉収まらずして、衰へ、深く入りて蔵に至る」、つまり「衰」字とみたが奈何。
脉不収● 神麴齋 2004/04/15
先ず第一に、字形としては候補に挙がったものの中では、「衰」に最も近い。ただ、ここで何故「衰」というのか。それがちょっと釈然としない。
「収聚」なら熟語としても問題無し。「収襄」はちょっと意味不明。
「裏」の場合、「脉裏に収まらずして、深く入りて蔵に至る」と訓むのを想定しているわけですが、実のところあんまり自信は無い。(表と裏と奥は違う、という話はいいでしょう?)
第二に、『太素』楊注に「不収○」という句は無いようです。必ず「不収」で切れる。十元氏もいうように、収の下に句読点とおぼしきものも有る。問題になっている文字の左下にも何か有る。

楊注は、春と夏、秋と冬がよく似た書き方になっています。
少陽足少陽膽府脉為外也肝藏為隂在内也故府氣不生藏氣變也
大陽手大陽小腸府脉在外也心藏為隂居内也故府氣不生藏氣内洞洞疾流洩也
大隂手大隂肺之脉也腠理豪毛受耶入於經胳則脉不収●深入至藏故肺氣燋漏燋熱也漏洩也
少隂足少隂腎之脉也少隂受耶不藏能靜深入至藏故腎氣濁沉不能營也
で、「腠理豪毛受耶入於經胳則脉不収●」に相当するのは「少隂受耶不藏能靜」ということになりますね。この「少隂受耶不藏能靜」が上手く解釈できないと、●の判定も難しいかな、というのが現在の感想です。

乎古止点についての知識ももう少しなんとかしないと。京都大学附属図書館所蔵・平松文庫『乎古止点図』によると、右下の朱点は「ハ」に、左下の朱点は「テ」に相当するらしい。言われてみると、「脉収まらざるハ、衰えテ」(あるいは、~ざれバ)云々、なるほど辻褄は合っている。(深の真下にも朱点が有るみたいで、それはスということになっているけれど、活用してシとなるのも含むんだろうか。)乎古止点にもいろいろ有るみたいで、何か良い(できれば簡単な廉価な)概説書は無いですかね。
●字 十元 2004/04/16
太陰・肺・秋=不収─●
少隂・腎・冬=不藏─能靜
 このように考えると、不収で切るのは、当然ですよね。不蔵と静の関係がはっきりすれば、不収と●の関係もはっきりするでしょうね。静と衰は似たような意味であり、力無くておとなしい、という意味ではないでしょうか。秋の力を得られずして、弱い。冬の力を得られずして、大人しい。どうでしょうか。
収聚かも 神麴齋 2004/04/20
実は九気の終わりのほう(02-31-1)に「故氣収聚」という句が有るんです。その「聚」の字形は、確かにここの字形と紛れかねないんです。ひょっとすると、もともとは「収聚」で、最初の抄者が間違えて、後の抄者が四苦八苦して乎古止点を付けようとしているのかも知れない。画像の左は問題の字、右は九気の楊上善注中の「聚」。
衰と聚 十元 2004/04/20
衰と聚の脚は明らかに違うので、ひょっともしないと思います。これ以上ではないんですが。
似てると思う 神麴齋 2004/04/20
そう言っちゃったらお仕舞いです。似ていると思うか似ても似つかぬと思うかには個人差が有ります。私なんかは、間違えかねない自分をおそれます。まあ、下部の乑を衣(の下部)のように(これも主観的ですが)書く衆の異体字は有ります。聚の下部も乑ですよね。
 神麴齋 2004/09/06
しつこく蒸し返しです。
これはやっぱり『素問参楊』、『素問攷注』の「襄」で良いんじゃないでしょうか。
影印をじっくり眺め、築島裕氏の「仁和寺藏黄帝内經太素仁安二・三年點所用ヲコト點圖」と照らし合わせてみると、「収」の右下の点は句、「襄」の左下の点は「テ」のようです。とすると「腠理豪毛耶を受け經胳に入るときは、則ち脉収せず、襄りて深く入りて藏に至る」云々。「襄」には、移る、移動するという意味が有るそうです。
Re: 02-19-7 逆秋氣則云々 hfl.  2004/09/07
はじめまして。神麹斎先生
>築島裕氏の「仁和寺藏黄帝内經太素仁安二・三年點所用ヲコト點圖」
これは、なんという文献を調べれば見られるのか、ご教示下さい。
築島裕氏の…… 神麴齋 2004/09/07
失礼しました。前に一度軽くふれたことが有るので大丈夫だと思ったんですが、今みるとどこだったか分かりにくいですね。
オリエント出版社が出した『半井家本医心方』の附録に『医心方の研究』というのが有って、築島裕氏の「半井本醫心方の訓點について」が載っています。その中の第六圖の一部です。大きなものではありませんが、著作権上かってにコピーしてここに掲げるわけにはいかないと思います。ご容赦。

亦不晚乎 右考 2004/09/27
巻二・順養の末尾
02-22-2 是故聖人不
02-22-3 治已病治未病不治已亂治未亂此之
02-22-4 謂也夫病已成形而後藥之亂成而後
02-22-5 治之譬猶渴而穿井鬪而鑄兵亦不晚
02-22-6 乎
『素問』四気調神大論では、「亦不晚乎」を「不亦晚乎」に作ります。意味に差が有るんでしょうか。
とりあえず 神麴齋 2004/09/29
本当は良く分からないんですが、誰も応えないので、とりあえずの「オアイソ」として。

「不亦…乎」は、「また…ナラずや」と訓んで、詠嘆の意を含む反語文としての用法で、「なんと…ではないか」と訳す。『素問』の「不亦晩乎」の例では、「…」の部分に「遅すぎる」、「もう手遅れ」というような意味が入る。こちらはこれで好い。
「亦… 乎」は、「また…ナるや」と訓んで、これにもやっぱり詠嘆の意を含むのだろう。「なんとまあ…であるか」とでも訳すことになろうか。で、『太素』の「亦不晩乎」は、「…」の部分に「晩ではない」、「遅すぎない」、「もう手遅れというわけではない」というような意味が入る。それでもまあ全くの手遅れというわけではないとは言えるのかなあ、というような気持ちでしょうか。
微妙に意味が違うんでしょうが、実のところは「また晩からずや」という日本語が頭に浮かんでいて、抄者がそれに引きずられて「亦」と書き始めてしまったに過ぎないのではないか、と窃かに考えています。『素問』ではこうこうだけど『太素』ではこうこうと、ご丁寧に校異を連ねるのも、無駄な努力と言うことが、まま有るんじゃないか……と。

未有豪徴而行道 神麴齋 2005/10/21
『太素』巻二・順養の末尾
譬猶渴而穿井,鬪而鑄兵,亦不晚乎!
楊上善注:身病國亂未有豪微而行道者,古之聖人也。病亂已微而散之者,賢人之道也。病亂已成而後理之者,衆人之失也。理之無益,故以穿井鑄兵無救之失以譬之也。

この楊注中の「微」は「徴」としたほうが文意が通じる。田澤仲舒『泰素後案』では直接に「徴」に改めている。
仁和寺本では実際には「微」の「几」を「夕」のように書く異体字であり、それは『干禄字書』に通として載るものだろう。しかし、『碑別字新編』には一画多い「王」字が載っている。また『太素』の問題の箇所の直前には「穿」字があり、仁和寺本では一部が「夕」のように書かれている。もっと前の「牙」字もほぼ同様である。『碑別字新編』に載る「王」と「牙」は酷似し、また「牙」は仁和寺本の書き方では往々にして「夕」を含む。してみると、ここの「微」とされる字はもともとは「徴」であった可能性が高いと思われる。

六氣

02-24-2 熏膚薰肉 蔭軒 2004/06/15
02-24-1 上膲開發宣五穀味熏膚薰肉充身澤毛若霧露之溉是謂氣
膚のほうは熏ですが、肉のほうは草冠がついて薰です。これって使い分けていると思いますか。
熏於膚肉 芝蘭亭 2004/06/15
両方とも熏で良いんじゃないですか。楊注には熏於膚肉と有ります。それに、『漢語大字典』には、薫(香草)と同じ意味で熏を用いることも有るし、いぶすという意味の薫は後には熏と書かれるようになったと言ってます。

02-24-4 即衛氣也 神麴齋 2004/04/19
上膲開發,宣五穀味,熏膚薰肉,充身澤毛,若霧露之溉,是謂氣。
楊上善注:上膲開發,宣揚五穀之味,熏於膚肉,充身澤毛,若霧露之溉萬物,故謂之氣,即衛氣也。

 六気のうち他の五気に関しては、「即衛氣也」に相当するものは有りません。つまり、血に関しても「即營氣也」と言って良さそうなものなのに、実際には有りません。この句の有無の是非をどう考えますか。

02-24-6 穀氣滿淖澤云々 神麴齋 2004/04/17
穀氣滿淖澤注於骨骨屬屈伸光澤補益腦髓皮膚潤澤是謂液
楊上善注:淖丈卓反濡潤也通而言之小便汗等皆稱津液今別骨莭中汁為液故餘名津也青穀之精膏注於諸骨莭中其汁淖澤因屈伸之動流汗上補於腦下補諸髓傍益皮膚令其潤澤稱之為液

經文中の「光澤」の意味がよく解らない。
光澤 神麴齋 2004/04/17
『靈樞』決氣は「洩澤」、『甲乙經』は「出洩」に作る。また注の中に該當する説明が有るのかどうかも判然としない。そもそも仁和寺本の文字は本當に「光」なのか。
(実際には光と澤の間で改行してます。また中間の縦棒は熟語であることを示す。右下の符号は恐らくはヲコト点の一種。)
光澤 芝蘭亭 2004/04/17
15-24-7「尺濕以淖澤者風也」の楊上善注に「淖澤,光澤也」とあり、15-49-2「若耎而散者其色澤,當病溢飲」の楊上善注に「若脉耎散色又光澤者」云々とありますから、「光」と判ずること自体は正しいと思います。おそらくは、上に「淖澤として骨に注ぐ」と言い、下にも「淖澤として腦髓を補益」云々と言いたかったのだけれど、同じ「淖澤」という詞を用いるのは藝が無いとして「光澤」を用いたのであろうと推測する。

02-25-4 何謂脉 蔭軒 2004/04/17
何謂脉?岐伯曰:壅遏營氣,令毋所避,是謂脉。
楊上善注:盛壅營血之氣,日夜營身五十周,不令避散,故謂之脉也。

経文の壅遏を、楊上善は盛壅に置き換えて説明しているわけですが、意味がよく分かりません。
 十元 2004/04/17
受盛之官に、森立之は、盛は宬であるとし、意味は「所容受也」(『説文』)とする。したがって、「盛壅」は、栄血を容れて漏れることがない、という意味ではないでしょうか。楊氏がそのような意味で使ったのかは、判然としないが。
盛壅 神麴齋 2004/04/17
盛にはもともと「収納する、おさめる」という意味が有りますから、盛壅は「収納して漏れないようにする」で、全然問題は無いわけですが、壅遏を盛壅に置き換えると、本当にわかりやすくなったんだろうか、というのが素朴な疑問なんだろうと思います。だけど、時代も違うしねえ。漢語大辞典にも載ってないから一般的な熟語ではなかったみたいですがね。十三経とか二十五史にも無いみたい。

02-27-4 與為大海 蔭軒 2004/04/20
02-27-2 黄帝曰六氣者貴賤何如岐伯曰六氣者各有部主也其貴賤善惡可為常主然五穀與為大海
楊上善注:六氣有部有主有貴有賤有善有惡人之所受各有其常皆以五穀為生成大海者也

『霊枢』では、「與為大海」は「與胃為大海」となっています。『霊枢』の場合は「胃と大海を為す」あるいは「胃のために大海を為す」と訓むんだろうと思いますが(これにも実は自信が有りませんが)、『太素』の「與為大海」はどう訓めば良いんでしょうか。楊上善の注を見ると、単に「胃」字を書き漏らしたということでも無さそうに思うんですが。
Re: 神麴齋 2004/04/21
「然五穀與為大海」で一句をなすと思います。そして穀・與・為のそれぞれの下の中央に点が有ります。ただ、與の下のものは墨色が異なり、あるいは朱点なのかも知れません。與の横に「ト毛」、為の横に「す」とおぼしき仮名が有ります。従って、これらを参考にすれば「然して五穀はともに大海を為す」ではないかと思います。これと楊注に言う「みな五穀を以て大海を生成するものと為すなり」は、照応しています。ただ、乎古止点と仮名についての知識が不足しているのであまり自信は有りません。また、それらをどの程度信頼するかについても、未だ態度を決めかねています。
與為大海② 十元 2004/04/24
五穀が大海に相当するという意味で、「五穀はともに大海と為る」ではないだろうか。「大海を為す」では、五穀が大海を作り出すという意味になろうかと思う。

九氣

02-28-5 炅音桂熱也 神麴齋 2004/04/21
02-28-5 楊上善注:炅音桂熱也
擧痛論「得炅則痛立止」の『素問攷注』に、「擧痛論の末には炅字が多く有るが、『大素』がこれを載せるには、炅に作ったり熱に作ったりしているから、もともとこれが同じ字であり同じ音であって、音桂の字とは自ずから別なのがわかる」と言い、また「古くから熱を炅と為すものが有るのは、恐らくは方俗の言に過ぎないだろう。息子の約之が言うに、炅の古迥反のものには、熱という意味は無い、恐らくこれは熱字の異文、中世の俗字であって、火をこれに合したのは、たぶん会意に過ぎない、蘇を甦に作り、触を觕に作る類だろう」云々。この説明に感服していたのだが、改めて『漢語大詞典』を繙いてみると、『素問』の他に、馬王堆漢墓帛書甲本『老子・徳経』の「趮勝寒,靚勝炅。」が引いてあった。今の通行本『老子』では「燥勝寒,靜勝熱。」となっているらしい。とすると炅を熱の意味に用いることは既に漢代から有るわけで、中世の俗字とは言えない。さて、どう考えるか。
炅は熱の異体字? 神麹斎 2004/05/24
2004年5月15~16日に上海で開催された医古文学術検討会の論文集に、広州中医薬大学の范登脉というかたが「古医籍同形俗字校読五則」の一則として、以下のような文章を載せています。

寒炅
『黄帝内経太素・九気』「寒則気収聚,炅則腠理開,気泄。」楊上善注「炅音桂。」
『黄帝内経素問・挙痛論』「岐伯曰:寒氣客於脉外則脉寒,脉寒則縮踡,縮踡則脉絀急,絀急則外引小絡,故卒然而痛,得炅則痛立止,因重中於寒,則痛久矣。」『内経詞典』はこの条を釈して「炅,古迥切。」と言う。
按ずるに、裘錫圭は考古学が発見した秦漢の文字資料を根拠にして、ここの炅字は熱の異体であって、『説文』などの古代字書に載せる「炅」字とは字形は同じでも音義は異なる。「おそらくは今本のもとになった『素問』古本では元来は全てに炅が用いられていたところが、後の人が炅を熱に改め、しかもその全てを改めきれなかったので、ついに全書に炅と熱が錯出することになったのであろう。『長刺節論』に病風且寒且熱炅,汗出,一日數過とあって、熱炅の二字を重ねている。先人が炅に熱と注したもののはずなのに、後人はその意味が分からず、ついに二字をともに正文として書いたのである。『太素・雑刺』に病風,且寒且炅,一日數過とあって、炅の上に熱字なぞ無いのが証拠となる。人民衛生出版社が出版した『黄帝内経素問』が上に引いた『長刺節論』の文に標点を施して病風且寒且熱,炅汗出とするのは、妥当ではない。」朱徳煕もまた「炅は日と火から合成され、火と日はいずれも熱を発し、日字の音もまた熱とはなはだ近い。『内経』の炅は明らかに漢代の抄本が遺留してきた熱字の異体字であり、一般の人が用いる字書の中の音でそれを読むのは、誤りである。」と言う。

つまり、ここでも楊上善の音桂は斥けられている。しかし、一般の字書に載る炅字は意味が違うと言っても、『広韻』には光也といい、同音の熲にはさらに輝也、炯には光明皃というのであるから、音桂で熱を意味する詞が有った可能性も考慮したほうが良いのでは無かろうか。ちなみに『説文』の見也については段玉裁も疑問視している。『説文』も光也なんじゃないか。光の異体字に灮というのも有るんですがね。
炎蒸也 芝蘭亭 2004/05/25
『漢語大字典』には、『集韻・梗韻』に「烱,炎蒸也。」とあり、『正字通・火部』に「烱,俗炯字。」とあると言ってますから、やっぱりケイという音で熱という意味の詞は有ったんじゃないですかね。炅と炯は『広韻』で同音です。
 神麹斎 2004/05/27
炅が熱の異体字というのは、最も有りそうなことではある。つまりどちらも音はネツ(勿論これは話を簡単にするための方便であって、ネツという音に近いというだけのことです)で意味は熱、形だけは異なる。炅という字ははもともと光の意味で有るのに、熱の意味を表すのに日と火を組み合わせて造字したので、同形異字ができてしまった。
しかしまた、音はケイであって、意味は熱という別の詞語がもともと有って、より古くは熱をあらわすのにケイというのが普通であったか、もしくはある地方では普通であったが、後にネツに取って代わられたという可能性も皆無ではない。光とか輝くとかいう概念は、暖かいとか熱いとかいう概念と全く相容れないわけでもなかろう。もともとは光り輝き暖かくあるいは熱いという概念をあらわす詞語としてケイという言葉が(少なくともどこかの地方に)有ったのに、後には熱いという概念では(中央の雅言である)ネツという詞語に覆い尽くされ、かろうじて光という概念をあらわす詞語として残った。
上に述べたことは、「可能性は有る」というに過ぎないけれど、楊上善が簊(『素問』では篡)の音を督というにも関わらず、字義を追求するだけで、音を詮索する人はいなかったところが、トクという音で肛門をさす詞語が確かに有ったことだけはつきとめた。ケイで熱だってもっと適切な例が見つかるかも知れない。
そもそも音桂を無視するならば、それは楊上善の釈音の水準に対する疑念を含むはずなのに、誰しも口をつぐんで何も言わないのはおかしくはないか。
褒貶 神麹斎 2004/05/28
私の話はいつも分かりにくいし、今度のはなおさらそうかも知れないけれど、
要するに、
楊上善の釈音は本当はあんまり評価できない。
でもねえ……、間違うには間違うだけの理由が有るだろうし、その点の研究も必要なんでないの、ということですよ。
それに、楊上善の注釈をけなしている中国の学者は寡聞にして知らない。
でもねえ、釈音を無視するのなら、楊上善の学力について批判の一言が有っても良いんでないの、ということですよ。

調食

02-33-5 澄濁 神麴齋 2004/04/22
02-33-4 乃化糟粕以次傳下
楊上善注:(前略)其澄濁者名為糟粕泌別汁入於膀胱故曰以次傳下也(下略)
「澄濁」は不審。『泰素後案』にも「按。澄濁。澄字必誤。」と言う。袁本は「沈濁」に改めるが、根拠は言わない。
「澄」はあるいは「濇」の誤りではないか。仁和寺本『太素』に多い字形ではそんなに似てないようだが、03-27-1「觀浮沈滑濇」の「濇」の右下部分は似ているように思う。またユニコードに収められた異体字には「瀒」というのが有る。この右上部(來)は問題の字形の右上部に接近していく可能性が有ると思う。
あるいは 神麴齋 2004/04/22
あるいは、問題の文字は氵に蚤ではないか。
氵に蚤という字は、字書に「淘米声」(米をとぐ音)として載っており、{氵蚤}{氵蚤}はまた溲溲とも書くという。溲は小便、あるいは小便をする。「小便のように濁った」のつもりか。
あるいはまた、蚤は糟粕の糟と同音もしくは近音なのではないか。つまり、「糟粕のように濁った」ということを言うつもりで、新しい文字を創作してしまったのかも知れない。とんでもない話ではあるけれど、彼、楊上善には前科が有る。例えば胳。
澄濁 十元 2004/04/23
澄濁は、清濁の謂ではないでしょうか。難経三十一難に「下焦者.當膀胱上口.主分別清濁.主出而不内.以傳導也.」とあるのが参考になろうかと思います。
濁を澄ませる 神麴齋 2004/04/23
澄濁は不審ではあるけれど、「濁を澄ませる」という意味で澄濁と言った例は有る。晋の孫拯『贈陸士龍』詩之八に「澄濁以清,罔有不暉。」

濁ったものを澄ませて沈殿させて底にたまるものを糟粕といい、しみ出した汁が別れて膀胱に入る、だから順序に従って下に送られると言う。

氵に蚤なんて字は突飛すぎるとは、私も思いますが、澄という字だって、実はもう一カ所、反切に使われているだけのはず。楊上善の用字としては、澄濁だって充分に突飛ではある。
澄濁は偏義複詞 十元 2004/04/24
この文章に続いて、営衛についての問答があることからすれば、清気と濁気を指して、澄濁と表したのではないだろうか。
また、澄濁は糟粕になると書かれているから、もしかすると偏義複詞の可能性もある。
けっきょくわからん 神麴齋 2004/04/24
この文章の後に営衛についての問答は有るが、この楊上善注の前の部分にすでに「水穀化為津液,清氣猶如霧露,名營衛,行脉内外,無所滯礙,故曰大通」と言うから、清気と濁気、営気と衛気を指して澄濁というわけにはいかない。
つりあいから言って、ここは濁の意味だけのはずということなら、偏義複詞というのは良いせんだとは思うが、何もそんなややこしいことをして分りにくくすることもなかろうとも思う。しかも澄なんてあまり使わない字を用いて。「清濁」としないでわざわざ「澄濁」としたのは、清と濁ということではない、というつもりかも知れないけれど。
濁の意味だけのはずという点からは、私のあげた可能性の中では「溲濁」もしくは「糟濁」。
むしろ「水穀化為津液」とつりあわせたいということなら、ちょっと苦しいけど「濁を澄ませる」。
あるいはいっそ、上には清気として実は営と衛を言うわけだから、ここの澄濁は汁と糟粕……。

いずれにせよ、何だか腑に落ちない。
化為糟粕及濁氣并尿 芝蘭亭 2004/04/28
02-34-4の楊上善注に:
穀化為氣,計有四道。
精微營衛,以為二道。
化為糟粕及濁氣并尿。
其與精下傳,復為一道。
槫而不行,積於胷中,名氣海,以為呼吸,復為一道。
合為四道也。
従って、問題の「其澄濁者,名為糟粕,泌別汁入於膀胱」と「化為糟粕及濁氣并尿」が照応する。「澄濁」は澄と濁を分かつというような意味だと思う。

「糟粕及濁氣并尿」を、「糟粕、濁氣and尿」というような意味の表現と解していますが、自信が有りません。どなたか解説をお願いします。

02-34-4 槫謗各反聚也 神麴齋 2004/04/25
02-34-2 其大氣之槫而不行者(下略)
楊上善注:槫謗各反聚也(下略)
もうさんざん議論されてきた箇所ではあるけれど、私自身は未だにどちらとも軍配を挙げかねているので取り上げます。
要するに、ここでは一応「槫」とした文字の右旁は專(専)なのか尃なのか。
音から言えば尃、意から言えば專(専)のほうが相応しい。
純粋に形から言えば、右上に一点の無い專(専)であろうが、それくらいは蠹と抄者のミスでどうとでもなってしまう。

02-35-3 七日不食云々 蔭軒 2004/04/26
02-34-6 天之精氣,其大數常出三入一,故穀不入,半日則氣衰,一日則氣少矣。
楊上善注:天之精氣,則氣海中氣也。氣海之中,穀之精氣,隨呼吸出入也。人之呼也,穀之精氣三分出已,及其吸也,一分還入,即須資食,充其腸胃之虚,以接不還之氣。若半日不食,則腸胃漸虚,穀氣衰也。一日不食,腸胃大虚,穀氣少也。七日不食,腸胃虚竭,穀氣皆盡,遂命終也。
この楊上善注に言う「七日食わざれば」云々の算数がわかりません。
呼くときに気を三出して、吸うときにその一を取り戻す。不足分は食事によって補う。だから半日食わなければ気が衰え、一日食わなければ気が少なくなる。ここまでは良い。それが七日続くと穀気が尽きて死ぬという計算がわからない。
平人日再後 神麴齋 2004/04/27
七日続くと穀気が尽きて死ぬという計算は、巻13腸度の
故腸胃之中,常留穀二斗四升,水一斗一升。故平人日再後,後二升半,一日中五升,七日五七三斗五升而留水穀盡矣。故平人不飲食,七日而死者,水穀、精氣、津液皆盡矣,故七日而死矣。
のことだろうと思う。ただ、ここに持ち出すのが適当かどうかには、やっぱり大いに疑問がある。

02-41-6 篆字○也 神麴齋 2004/05/02
02-41-6 (前略)多食之令人癃
楊上善注:力中反淋也篆字癃也
癃としたのは、ユニコードCJK統合漢字の制約により、袁昶本に従ったもので、影印では実際は阝を欠く。(拡張領域Bには有る。)
釈然としないのは、経文の文字と「篆字○也」という字が同じということです。ここは、経文の文字はこうこうだけど、それはこうこういう文字の篆字体ですよ、という注記ではないんですかね。蕭延平は、経文の文字を阝の無い字形、楊注の文字を癃にしている。そのほうが理解はしやすいと思うんですが。
楊上善は何者 十元 2004/05/04
書き写した人には、意味が分からなかったのでしょう。誤字を保存している点では、仁和寺本はやはり善本なんでしょうね。蕭本が気を利かした改字が正しいのだろうが、旧貌を存するに違反している。ところで、小篆を知っている楊上善は、相当な学者なんじゃないでしょうか。明堂に楊上善序文があるけれど、なかなか難しい文章だし。ということは、太素楊上善注を読むにも、相当なる素養が必要なのでは。
善本 神麴齋 2004/05/05
私は最近、善本というものの定義を改めているんです。
つまり、誤りをきちんと訂正してある本が善本である。
ただし、この「きちんと訂正」というのが難物で、改めたから間違ったということが屡々有るわけです。だから最低限の心遣いとして、改めたらその理由を述べて改めたことを明記しなくてはならない。
こういった点からみて、蕭延平本には若干問題が有ると思う。そして恐らくは楊上善にも。大学者だし、割合きちんと元貌を残しているし、きちんと校語をつけている方だとは思うけれど。所詮は時代の子です。そして当然ながら仁和寺本にも。所詮は日本人が抄したものです。
ひょっとすると 神麴齋 2004/05/21
李今庸『古医書研究』のp.204に(話題としては別の問題ですが)、
「癃,一作𤸇,籀文作𤵸」云々と有りました。
残念ながら仁和寺本の字形は両方とも𤸇のようですが、ひょっとすると楊上善は李先生の言われる籀文を書いていたのかも知れません。

上の一作の字形は癃から阝を除いたものです。籀文作の字形は疒に夅です。いずれもCJK統合漢字拡張領域Bの漢字です。
OSがXPの場合、CJK統合漢字拡張領域Bの漢字が表示されないのは、フォントの問題です。一万円程度の予算で入手できるはずです。

以下はこの「太素を読む会」が発足するきっかけとなった問答です。整理して再掲します。
02-44-3 涘音俟水厓水義當凝也 神麴齋 2004/03/21
太素のカラー写真を見たからと言って何でもかんでも解決するというものではない。でも幾つかの疑問は解けるのではないかと思う。例えば巻2調食「血氣與鹹相得則血涘」の楊上善注「涘音俟水厓水義當凝也」。
涘は、『説文』に「水厓也」とあり、『霊枢』は血涘が凝に作られるのであるから、岸辺から転じて限界、さらに凝りかたまるという理屈はわからないでもない。(保留付き。)問題は、「水義當凝也」の方である。『説文』に、「冰,水堅也」とあり、凝は冰の俗という。してみると、「水義當凝也」でなく、「氷義當凝也」である可能性が有る。水の左にヒとあるように見えるのも、ヒョウと読めということかも知れないし、冫なのかも知れない。しかしそれでは、冰あるいは氷の出所が分からない。
カラー写真を見れば、取りあえず水の左に有るのが冫(にすい)なのかカタカナなのかはたぶん分かる。それだけでもいろいろ考えるのに大きな助けになると思う。
Re: かいちょう 2004/03/24
「涘音俟水厓水義當凝也」を区切れば、「涘、音俟、水厓水、義當凝也」となり、涘は、岸辺の水という意味で、そのこころは凝滞である。「水」の出所はわからないが、楊上善らしく、文脈を案じて付加したものだろう。と、僕は考えた。
 ここをどう読むのか、太素についているオコト点を調べれば分かりそうである。というわけで、カラー版が重要なのである。から、オリ社から出ているなら、なんとか入手するようなことを考えたい。
Re: 神麴齋 2004/03/24
「涘音俟水厓水義當凝也」の区切りかたは、「涘、音俟、水厓、水義當凝也」だろうと思うんです。これは『説文解字』が「水厓也」だからというのが理由です。崖じゃなくて、崖の水であるべきという説も知らないんですが。ただ、「水義當凝也」を、水は意味から判断すれば凝と理解すべきだ、という意味だとすると、水では困る氷であってほしい、しかし、水にしろ氷にしろどこからそんな字が出てくるんだ、とまあ千々に心乱れるわけです。本物を見れば、あるいは少なくともカラー写真を見れば、少しは解決に近づけるかなと。(今のところ、かいちょうが言うような、「水厓水」とする『説文解字』が有るのが一番すっきりするかも。でも、そうすると影印の水の左脇のヒもしくは冫は何だろう。)
水ではなく、冰としたらどうでしょう みろり 2004/03/24
「涘の音は俟で、(意味は)水厓です。(涘は)冰(とも書きます/の異体字です)。(意)義は當に凝とすべきです」
さて、「厓」の右傍のカタカナのような文字?は、なんと読みましょうか。「厓」の訓の一部でしょうか。
ノ・ソ・ワ?
涘 水厓也 神麴齋 2004/03/24
う~ん、涘と冰が異体字というのはどうなんでしょう。音義ともに違うように思いますが。
氷と冰は異体字ですね。氷・冰と凝は微妙なところ、というか異体字であると主張している場面は有るような……。
今のところの推測としては、本来は「涘。音俟。水厓也。義當凝也。」(涘の音は俟で、意味は水厓である。ただし、ここでは凝の意味に理解すべきである。)と有るべきものが、也の字が、何らかの事情で、水もしくは冰に紛れる字形に変わり、そこで抄者が四苦八苦しているんじゃないかと思うんです。だから、仁和寺本に抄者がどう書いたつもりかには、カラー写真によって大いに近づけるけれど、本来どうだったかにはまた別の考察が必要だと思います。つまり「訓詁学を越えた何らかの方法」が必要だと思うわけですが、うかつに越えようとするのは危なっかしくてしょうがない。宮崎市定先生もおっしゃっていたと思いますが、重箱の隅をつっついて然る後に飛躍する、ということでしょうね。
ひつこく かいちょう 2004/03/24
「涘音俟水厓水義當凝也」を区切れば、やはり「涘、音俟、水厓水、義當凝也」だろう。「義當凝」の被釈字は何かと考えれば「水」しかないだろう。凝滞している水の流れとおなじように血液も凝滞している、と解釈したところなのである。「水厓」は水辺の意味で、凝滞しているのは水辺の水である。「水厓水」という訓詁は見えないけれど、楊上善が作り上げた訓詁だと考えられる。「水厓也」も悪くはないけれど、発展しすぎか。「氷」では、凝固の意味になるので、血流の悪さを形容するには不適当なのではないだろうか。
涘義當凝也 神麴齋 2004/03/24
「義當凝」の被釈字は「涘」です。
巻28の諸風数類に「衛氣有所涘而不行」とあり、楊上善注に「涘義當凝也」(28-05-7)と言ってます。
また、冰と凝はもともと同じ字でしょう。『説文解字』十一下に、凝は俗冰とあります。
またひつこく かいちょう 2004/03/25
被釈字は「涘」でしたね。被釈字という使い方を間違いました。言いたかったのは、①涘=②水厓水=③義當凝也、であるからには、凝滞するのは流体である「水厓の水」であり、固体である「水厓」(岸辺)という場所ではないから、やっぱし、「水厓水、義當凝也」だろう、ということ。
 楊上善は『説文』によって冰と凝が異体字の関係にあるのを知っているなら、「冰義当凝也」という注釈を書かなかったのではないだろうか。「冰正凝俗」か、「冰俗凝也」とか書くのでは?
あのちょっと 神麴齋 2004/03/25
あのちょっと違います。
楊上善が言いたかったのは、古典的知識では①涘=②水厓水(或いは也)なんだけど、ここでは違うよ③義當凝也だよ(ここでの意味は凝だよ)、ということだと思います。凝滞するのは流体であるとか、固体ではないから岸ではないとかいうのは、この際関係ないけど、つまり楊上善自身が、かいちょうと同じような感覚にもとづいて古典的知識を否定しているわけです。
冰と凝が異体字の関係にあるのを知っているなら、「冰義当凝也」という注釈を書かなかったのではないだろうか、というのには賛成します。だからちょっと苦しいけど「水厓也」なんじゃないか、というわけです。でも、少なくとも抄者はそうは思ってない。

こうしてぐだぐだやってますが、実際にはどういうことかと言えば、森立之の涘は凝の右の部分が欠けたものに過ぎないという意見が正解だと思います。ただ、そのことに楊上善がそもそも気付いてない、らしい。でも流石に直観的に意味は凝のはずだと言い当てている。
言いたかったこと かいちょう 2004/03/26
ところで「涘音俟水厓冰義當凝也」の「冰」字らしき右下に朱点、右傍に「ソ」と書いてあるけど、どういう意味なんだろう。朱点は、ここで区切ったという意味なんだろうけど。とすると、「水厓」と読んだのだろうなあ。
02-44-3 涘 神麹斎 2004/08/25
02-44-3 涘音俟水厓水義當凝也
最初の頃に悩んだ箇所ですが、下の水の左脇に有る「ヒ」に見える符号が、13-10-5の楊上善注「…急桂酒洩熱故可療緩筋也」の急字の左脇にも有ります。この符号を抹消の意味に取ったようで、『九巻經纂録』には急字は有りません。もし、「ヒ」に見える符号が一般に削去の指示であるとすれば、問題の楊上善注は「涘,音俟,水厓。義當凝也。」で、悩みは雲散霧消です。
「ヒ」について 菉竹 2004/08/26
沈澍農さんの『中医古籍用字研究』に、
日本の漢字読音では「否」と「非」はどちらも「ヒ」と読み、「ヒ」を用いて削除の意とするのだろう、
とあります。
Re: 「ヒ」について 神麹斎  2004/08/26
沈澍農氏が言うのだから、少なくとも中国の伝統的な符号では無いようですね。
ただ、沈氏の言うところと、沈氏の指摘する『医心方』の具体例を見てみると、校改の符号であって、削去の符号では無いようです。問題になる文字に左に「ヒ」、右に正しい文字が必ず有るようですが、削去の場合にも使われると考えて大丈夫でしょうか。
Re: 「ヒ」について 菉竹  2004/08/27
『九巻經纂録』のような例や、傍らに「ヒ」がついていてその文字を除くと筋が通る例(最初に提言されたもの)を『太素』『医心方』で集めてみれば、「ヒ」を校改記号のみならず、削除記号としても使っていたといえると思います。
圏点も削除と校改の両方で使われているものもありますから、「ヒ」は厳密に校改記号として使われたとは上の例からしていないだろうと印象として思います。
Re: 「ヒ」について 神麹斎  2004/08/27
仁和寺本『太素』で、「ヒ」が使用されている例は、今のところ先にあげた二箇所しか見つけていません。実は電子化した早い時期に13-10-5で左に「ヒ」の有る文字の削除には気づいていたのに、涘音俟水厓水義當凝也と結びつけて考えることが出来ませんでした。やっぱり、我ながら頭が悪いねえ。

02-47-6 淡入胃 神麴齋 2004/05/03
02-47-5 五味所入酸入肝辛入肺苦入心甘入脾醎入腎淡入胃是謂五味
楊上善注:五味各入其藏甘味二種甘與淡也穀入於胃變為甘味未成曰淡屬其在於胃已成為甘走入於脾也
疑問の第一は、「淡入胃」が有ると「六味所入」になってしまわないかということ。『素問』には無い。
疑問の第二は、楊注の「穀入於胃」以下の句読はどうあるべきかということ。より具体的に言えば、「屬」字は上の句に属するのか、下の句に属するのか。
第一の疑問について 菉竹 2004/05/04
この問題については、黄龍祥が「経絡学説の変遷」(『内経』154号)の11p下段で論及していることと関連があるのでしょう。
『太素』巻三陰陽雑説は「黄色入通於脾胃」03-57-2となっているのに、『素問』金匱真言論(04)は「黄色入通於脾」となっていて、「胃」字がない。楊上善『太素』が引用しているのは歴史的には五蔵のひとつであった胃が、脾に取って代わられる以前の過渡期の文献であって脾胃が併論されており、現『素問』では整理された結果として「胃」が削られている。そうとらえると、『太素』02-47-5は、あとから脾が加えられて六味になってしまったけれど、以前からあった胃もはずすわけには行かない。要するに、蔵府学説と五行学説の結合がうまくいっていない。「六味」になってしまうことには目をつぶった。
現『素問』の編者は、もう頭の中は五行説優位であるから、それと齟齬をきたすもの(胃も五蔵のひとつとする考え)は容赦なく除いた。『内経』全体を見れば、不徹底ですが。
ついでにいえば、これを徹底して理論的整合性を追求しようとしているのが、現在の学校でおしえている中医学基礎理論ではないでしょうか。

壽限

02-53-3 平盛不揺 神麴齋 2004/05/10
02-53-2 卌歲五藏六府十二經脉皆大盛以平定腠理始踈榮華頺落髮鬢頒白㔻盛不揺故好坐
郭靄春云:平盛を、『太平聖恵方』巻一『論形気盛衰法』は「平減」に作る。按ずるに「減」に作るのが正しい。そうでないと、上の「大盛以平定」と意味の上で重複する。上に「大盛」といい、これに「平減」というのは、乃ち人も四十になると、壮から次第に老におもむき、盛んな状態から次第に衰えていくことをいうのである。(『黄帝内経霊枢校注語訳』p377校)
又云:「盛」は「減」の誤字である。「平減不揺」とは物事の簡易なるを喜び、動作するのを好まないのをいう。『爾雅・釈詁』に「平,易也」とあり、「減」と「簡」とは意味の上で通じる。「揺」に「動」の意味が有ることは、『広雅・釈詁一』に見える。(同上 p378注)
銭超塵云:『太素・寿限』「㔻盛不揺」中の「㔻」を、蕭延平本『太素』も袁昶通隠堂本『太素』も「平」に作る。仁和寺古抄本『太素』を細かに調べてみると、「㔻」字の下の注に「㔻,彼悲反,大也」という六字が有る。蕭延平の按語には「疑うらくは平盛はまさに丕に作るべし」という。『干禄字書』を調べてみると、その平声に「㔻丕,上通下正」という。按ずるに「㔻」字の手写体と和平の「平」字の形はきわめて近いから、抄者があるいは「㔻」字を知らず、誤って「平」字としたのではないか。『干禄字書』に「㔻」を載せて「丕」の俗字とするから、この疑問は渙然として氷解する。(『黄帝内経太素研究』p389)(㔻は不の下に十)
郭靄春の訓詁 芝蘭亭 2004/05/11
郭靄春の訓詁の方法には危うさを感じる。
『爾雅』とか『広雅』とかいう書物は、先行する経典的著作に対する注釈を寄せ集めてなったものである。従って、厳密にはその箇所ではそう解釈できるということであって、一般的にそう解釈してよいという保証にはならない。
『広雅疏証』を繙いてみても(漢字が足りないので、残念ながらその文章をあげることはしない)、「揺」は「ゆらぐ」とか「振動する」とかいう意味であって、一般的な動作、行動をさすことが有るとは思えない。例えば『左伝』「迎于門、頷之而已」の杜預注に「頷、揺其頭也」とか、『方言』「偽謂之扤、扤、不安也」の郭璞注に「船動揺之貌也」とか。ざっと目を通しただけだから見落としているかも知れないけれど、『広雅疏証』には「揺、動也」の出所を明示してないように思う。

02-57 壽限の末尾 神麴齋 2004/06/05
仁和寺本『太素』の巻二・寿限は、
「腎者生水受五藏六府之精而藏之故五藏盛乃冩今五藏皆衰」までで、以下は失われている。
『医家千字文註』に引くものには、さらに「筋骨解惰天癸盡矣」の八字が有るらしい。『太素』の復元で、ここまではほぼ確実と考えて良いだろう。
『甲乙経』では巻六の「形気盛衰大論」に収められ、さらに「故髮鬢白體重行步不正而無子耳」の十四字が続く。あるいは、ここまでは許すべきか。
『泰素後案』は、『素問』によってさらに以下の九十字を補う。
「帝曰有其年已老而有子者何也岐伯曰此其天壽過度氣脉常通而腎氣有餘也此雖有子男不過盡八八女不過盡七七而天地之精氣皆竭矣帝曰夫道者年皆百數能有子乎岐伯曰夫道者能却老而全形身年雖壽能生子也」
これは不老長寿という幻想からくるしつこい問いかけに過ぎないと思うんですがね。諸氏はどう思われますか。

黄帝内經太素校正(試用)卷第二 攝生之二

黄帝内經太素卷第三 陰陽
陰陽大論

03-02-3 變化之父母 神麴齋 2004/08/06
 『太素』を読む会の2本柱の一つとして、「最初から順番に読んでいく」というのを挙げましたので、巻3・陰陽大論をしつこく検討というのから、改めて開始しようと思います。

變化之父母也,
【楊】萬物之生,忽然而有,故謂之化也。化咸而已,故異百端,謂之變也,莫不皆以陰陽雄雌合成變化,故曰父母。

この中の「化咸而已」にはいささか不安が有ります。
Re: 芝蘭亭 2004/08/06
化と咸の間に縦棒が有るから、抄者は化咸を熟語と見ているようだが、化咸という熟語は無いようである。古籍に見えるものはいずれも「化はみな」云々と解される。で、ここの「化咸□已」は、「化はみな〈なんとかして〉已わる」ということであろうから、咸の下は而でなくて、具体的な動詞のほうが良さそうである。また、影印に残っている文字の部分からしてもこれは「而」ではなさそうに思う。
Re: 03-02-3 變化之父母也 十元 2004/08/07
 巻3の冒頭は、原本ではなく、補抄である。虫食い部分をなぞっているところがあるので、文字と区別しにくいところがある。化咸而已の而はまさにそのところで、文字を特定するのは難しい。合成変化、といっているので、おそらく化成○已なのだろうが、としても已との関係も難しい。
 まあ、難しいという意見だけですけど。
こころみに 蔭軒 2004/08/07
万物の生は、忽然として有り、故にこれを化と謂うなり。化咸くして已み(化がゆきわたるのみで、ゆきわたれば)、故に百端を異にす、これを変と謂うなり。みな陰陽雄雌を以て合成変化せざるは莫し、故に父母と曰う。
(残った字形を而の一部と見るのはやはり苦しいけれど、咸でなくて成というのもやや苦しい。)
万物は何も無いところに忽然として現れる、だからこれを化と言う。化がいきわたれば、だからここに様々な違いが出てくる、これを変という。この変といい化というものをひきおこすもので、陰陽=雌雄によらないものは無い、だからこれを変化の父母と言うのである。

03-01-005 芝蘭亭 2004/07/09
神明之府也
【楊】兩儀之□,謂之神明。玄元皇帝曰:天不能轉,日月不能行,風不能燥,雨不能潤,誰使之尓,謂之神明。斯則陰陽之所不測,化陰陽以為神,通窈冥以忘知,鏡七曜而為測,一也。人法天地,具有五藏六府四支百體,中有鑒物之靈,為神明二也。亦以陰陽和氣,故得神而无仞,故為府也。

 玄元皇帝とは老子のことだという話は聞いたことが有りますが、ここに玄元皇帝曰として引用される文章は今の『老子』に見つからないようです。どこに載っているんでしょうか。
 また、「鏡七曜而為測」の鏡の意味も良くわかりません。これにも何か典故が有りそうなんですが。
玄元皇帝? 七面堂 2004/08/25
巻三の陰陽大論のはじめのほうに「神明之府也」と有って、その楊上善注に「玄元皇帝曰:天不能轉,日月不能行,風不能燥,雨不能潤,誰使之爾,謂之神明。」という引用が有ります。この出典って分かりますか。
Re: 玄元皇帝? 菉竹 2004/08/26
 玄元皇帝とは、老子のことですが、現行本『老子』には見えないようです。
また、この出典に言及されたものは寡聞にして知りません。
楊上善の時は存在し、今に伝わっていない文献なのでしょうか。
補足 菉竹 2004/08/27
 引用文が道教経典に見られるものでしたら、雲笈七籤に引用文を見つけられるかも知れません。
道教の専門家に尋ねるか、雲笈七籤のデータベースを探していただけないでしょうか。
Re: 玄元皇帝? ななし 2004/08/27
雲笈七籤等を含む漢籍テキスト・データベース檢索が、京都大學人文科學研究所・道氣社のHPにあります。
Re: 玄元皇帝? 七面堂 2004/08/27
『雲笈七籤』のデータ情報ありがとうございます。
残念ながら検索が下手なのか、問題の出典はまだ見つかりません。

そもそも上の質問をしたのは、「神明之府也」について『素問識』では『淮南子』泰族訓「その物を生ずるや、その養う所を見ることなくして物長じ、その物を殺するや、その喪う所を見ることなくして物亡ぶ、これをこれ神明と謂う」を引いて説明しています。それでわかったようなつもりでいたのですが、『太素』楊上善注は上記のような具合で、何だか分かったような分からないような、何だか別のことを言っているような気がするので、出典が分かればもう少しなんとかなるかと思ったわけです。

ここに引かれた玄元皇帝曰の内容は、どういう意味なんでしょうか。

03-01-009~010 蔭軒 2004/07/02
陽生隂長隂煞陽藏
楊上善の注に「有本云隂生陽煞也」と有ります。これは経文を「隂生隂長陽煞陽藏」とせよと言っているんでしょうか、それとも「隂生陽長陽煞隂藏」とせよと言っているんでしょうか。
有本云 菉竹 2004/07/03
「有本云」とは、楊上善がいくつかの『素問』(あるいは『太素』)の抄本を集めて校勘したところ、自分は「隂煞陽藏」という経文を選んだけれども、「隂生陽煞」に作る本もあるよ、と紹介しているだけだろうと思います。
もし楊上善が「隂生陽煞」の方がよいと思っていたら、こちらを経文としてあげ、それに則って注釈を施したと思います。
Re: 蔭軒 2004/07/04
機械的にはと言うか、常識的にはと言うか、菉竹氏の言われるように「陰煞陽藏」じゃなくて「陰生陽煞」となっている本も有りますということだ、と考えるのが普通だろうと思います。ただ、そうすると前の句を合わせて「陽生陰長陰生陽煞」となります。それで良いのかなとちょっと心配になったわけです。感覚的にはここには生長殺蔵という組み合わせは残したい。
そこで、前の句と合わせて「陽生」じゃなくて「陰生」、「陰煞」じゃなくて「陽煞」となっている本も有るということを言うために、「有本云陰生陽煞也」と書く可能性は無いのだろうか、と思ったわけです。さらに、陰陽の片方を言ったらもう片方も当然言ってるんだよ、だから「陰生陽長陽煞陰藏」となっている本も有るということだよ、のつもりという可能性は皆無なんだろうか、という疑問なんです。
校勘 菉竹 2004/07/04
「有本」ではじまる校勘の文は、45箇所以上あるようです。そのいくつかで「非/誤」などと明確に否定しています。ですから、「有本云隂生陽煞也之」は否定されてはいないと考えられます。ただ、2経文にまたがる校勘記事はないように思えるのですがどうでしょうか。
楊上善は「生長殺蔵」という組み合わせを残したいからこそ、「陽生隂長、隂煞陽藏」を選んだのではないでしょうか。でもここ以外に「生長殺蔵」の組み合わせは、どこかにありましたでしょうか。
「陰生陽長陽煞陰藏」となっている本も有るということだよ、というのでしたら、40箇所以上の校勘記事を書く楊上善先生ですから、上文でも、校勘記事を入れたのでは。
Re:  神麹斎 2004/07/04
「陽生陰長陰殺陽藏」は、『素問』では「陽生陰長陽殺陰藏」になっています。そして『素問攷注』に「生長殺藏者,即生長收藏,收與殺為同義。」と言っています。だから、生長殺蔵という組み合わせを残したいという感覚は理解できます。ただ、王冰注に引く『神農』では「天以陽生陰長,地以陽殺陰藏。」とありますので、生と長の組み合わせと殺と藏の組み合わせであって、生長殺蔵と続けて考える必要は無いのかも知れません。
しかし、それにしても「陽生陰長」の直後にまた「陰生陽殺」と言って、両句に「生」の字を用いるのは、修辞法としてはいささか拙だと思います。まあ、だから楊上善も王冰も採用しなかったのかも知れませんが。(王冰はそもそも見ていない?無視している?)

本当は「陰殺陽藏」と「陽殺陰藏」と、はたまた「陰生陽殺」と、どれを採るか、という議論に転換したほうが良いかも知れません。
無題  十元 2004/07/06
「有本云陰生陽殺也」の区切りですが、「有本云『陰生陽殺』也」か、「有本云『陰生陽殺也』」になろうかと思いますが、個人的には後者だと思います。ということは、「陽生陰長陰殺陽蔵」の後句に対する校記ではないでしょうか。いずれにしても解釈の難しい句ですね。

03-01-016/017 神麴齋 2004/07/10
016故清陽為天,濁陰為地,地氣上為雲,天氣下為雨;
【楊】地之濁氣上昇,與陽氣合為雲;天之清氣下降,與陰氣合為雨也。
017雨出地,氣出天,
【楊】雨是地之陰氣,上昇得陽為雨;氣是天之陽氣,下降得陰為氣。氣,霧。

突飛な疑問ですが、この二つの楊上善注ってそっくりですよね。
上昇して陽気と合するのと、上昇して陽を得るのは、どう違うんでしょうか。下降して陰気と合するのと、下降して陰を得るのは、どう違うんでしょうか。
こういうような文章作法って普通に有るんでしょうか。

03-01-018 神麴齋 2004/07/12
故清陽出上竅,濁陰出下竅;
【楊】……濁者別廻腸下行故曰濁陰陽出下竅也
普通に考えれば濁陰陽の陽は衍文だと思うのですが、影印を子細に眺めてみると、陰の右下に朱点(墨点?)が有るらしい。ただ、それが句点であるのか、はたまたヲコト点であるのか、それがはっきりしません。またいずれにせよ、どう訓ませるつもりか不審です。
Re: 芝蘭亭 2004/07/17
今さらなんですが、半井家本医心方の附録「医心方の研究」の中に、「半井本医心方の訓点について」という論文が載っています。筆者は以前に菉竹氏が紹介していた中央公論社『日本語の世界』5「仮名」と同じく築島裕氏です。その中に、仁和寺蔵太素の仮名とヲコト点にもふれた箇所が有ります。
で、右下の点は「ハ」もしくは句点のようです。とするとここは句点と判断して、「故に濁陰と曰う、陽は下竅に出るなり」でしょうか。やっぱり良くわかりません。
ついでに言えば、左下の点は「テ」もしくは返点のようです。

穴冠に勿 菉竹 2004/09/02
03-02-7通寂冥以忘知鏡七曜而為測一也
神麹斎翻字の「寂」字は、穴冠に勿。これと似た文字を『医心方』で見つけました。
巻28-2玉房指要云……淫衍{穴冠に勿}窕乍男身……。
沈氏の翻字は「窈窕」。
この字については、神麹斎『太素』末の校正記事を参照してください。
穴冠に幺の下に力  神麹斎 2004/09/02
03-02-7の寂冥については、「底本の形だけを追えば、上は穴冠に勿」で、その字形を探し求めても、内閣文庫所蔵朝鮮本『竜龕手鑑』に、寂の異体字しか見つかってないから、形にこだわって「寂」を入力というだけのことで、正解は何かとならば、おそらくは荒川緑説の窈だろうと言っているつもりですのでお間違えなく。
で、穴冠に勿に見えるのは実は穴冠に幺の下に力ではないかともほのめかしています。実は沈澍農氏の『中医古籍用字研究』にも、当然この箇所についての論考が有り、朱起鳳『辞通』を繙いたところ、卷十「杳冥」「窈冥」のもとに、漢韓勑后碑に「窈」を正しくそうした書き方をしたものが有る、と載っていたと言っています。そして、菉竹氏の言う『医心方』巻二十八の二に見える文字も、半井家本では「穴冠に勿」よりは、「穴冠に幺の下に力」に近いようです。
そして、仁和寺本『太素』の字形も、確かに「穴冠に勿」というわけではなくて、「穴冠に幺の下に力」との中間くらいのものでしょう。

楊上善注の不思議 芝蘭亭 2004/07/19
「そもそも楊上善の注がおかしい」というのは、常々悩まされているからつい口走ってしまったんでしょうが、「おかしい」まではともかく「不思議」なのは結構有ります。

巻三・陰陽大論03-11-4~
重陰必陽,重陽必陰。故曰:冬傷於寒、春必病温。
【楊】傷,過多也。冬寒,陰也。人於冬時,温衣熱食,腠理開發,多取寒涼以快其志者,寒入腠理,腠理遂閉,内行藏府,至春寒極,變為温病也。
 冬に寒に傷なわれるのは、単純に冬は寒いからではないんです。寒いのに温衣熱食するから、腠理が開いて、温衣熱食するからこのほうがかえって気持ち良いなどと言って涼をとる、だから寒が腠理から侵入するんです。現代だったら、夏の冷房病について同じような表現をするんだろうけど、昔は冷房は無いからねえ。
Re:  神麹斎 2004/07/31
楊上善の注がおかしいと感じる理由には、そもそも楊上善の経文に対する理解の水準に多少の疑問が有るということ以外に、楊上善の文章力に対する評価の問題が有ります。それほど達意の文章とは言えないのではないか。もっとも、これは私たちが隋唐の文章に不慣れであるから、という可能性が大いに有ります。
それから、もっと大きな問題として、日本における抄者の学力と注意力が、本当は相当に危ういのではないか。仁和寺本の『太素』を見ていると、日本語的な語順とか、うっかりとしか思えないような虚詞の脱落が目立ちます。
だから、『太素』の校訂にあたっては、『素問』『霊枢』の場合よりももっともっと手を入れて良いのではないか、いや入れるべきではないかと考えています。

夭喪 神麴齋 2004/11/11
順番にしつこく読んでいく、というのを復活します。
多分、卷三・隂陽大論の途中からじゃなかったかな、ということで:
03-23-2故治不法天之紀不用地之理則灾害至矣
【楊注】為家為國之道不依天之八紀地之五理國有亡破之灾身有夭喪之害也
一応、「夭喪」と判断しているのですが、少々不安です。
下の字の反切が右脇に注記されているようですが、よく見えません。
それでも「□□即反已也」じゃないかと思うんですが、これって「喪」と齟齬しませんか。
Re:夭喪  菉竹 2004/11/11
「喪」字から逆にたどると「切,息郎反,亡也」とよめます。
「有亡破之灾」の「亡」とここの「ヨ」を裏返したような字は同じ字だに見えます。『説文』に「喪,亡也」とあるから,これも「亡」でしょう。あとは韻書で反切をみると「蘇郎切」でそれに合わせて文字をさがすと「息郎反」と見えるのではないでしょうか。そうすると,一番上の文字は,『医心方』でよくみる「切韻」をあらわす「切」に見えてきますが,いかがでしょうか。
Re:夭喪  神麹斎 2004/11/12
なるほど。
そうすると、亡には兦という異体字を使っている可能性が高いんですかね。
(この異体字、見えてますか?)
ちなみに、夭喪という言葉は、『後漢書』などにも見えます。
Re:夭喪  菉竹 2004/11/12
「兦」見えています。 ただ「亡には兦という異体字を使っている」というくくり方にはいささか抵抗を覚えます。この「ヒ」の上に「一」を加えた文字は,『碑別字』などでは,ひとつの字体として認識されているように思います。
基準とする字体をどれにするかによりますが,「亡」を基準とするとこの字は「言」字のように最初の二画をナベブタで書くのと「二」で書くのの違いのようにとらえられます。つまり「亠」+「∟」とするか,「ニ」+「∟」とするかです。「兦」を基準とすると「入」を「ニ」と斜め棒を横棒に変えた字体ということになると思います。
Re:夭喪  菉竹 2004/11/12
甲骨文や篆書をみると,それを楷書化すると「兦」字形になります。この字の斜め棒「入」が縦横棒化しのたが現在通行している「亡」字でしょう。そうするといま問題にしている,横棒二本「ニ」+「∟」型の異体字は,その過渡期にあらわれた字体ではないでしょうか。
Re:夭喪  菉竹 2004/11/12
現在話題にしている文字は,今昔文字鏡M:13-95D6, 文字番号70180です。今昔文字鏡の表現では,「亡」基本字,「兦」本字となります。
Re:夭喪  神麹斎 2004/11/12
全面的に菉竹氏の説明に同意します。
仁和寺本『太素』では、亡は字素として用いられた場合を含めて概ね「ニ」+「∟」型です。
「亡には兦という異体字を使っている可能性が高いんですかね」という言い方は軽率でした。つもりとしては、「パソコンで使える字形の中では、兦という異体字を使ったほうが原本に近いと言えるんですかね」といったことです。確かめもせず言ってました。二の第一画と第二画の筆の方向が逆かと思ってました。(台湾フォントがこだわってニクヅキをそうしているように。)今、改めて見るとそうとも言えませんね。全面的に訂正します。

巻三・調陰陽03-35-2 神麴齋 2004/07/18
因於濕首如裹攘大筋濡短小筋㢮長㢮長者為痿
【楊】如,而也。攘,除也。人有病熱,用水濕頭而以物裹人,望除其熱,是則大筋得寒濕縮,小筋得熱緩長。㢮,緩也,㢮爾反。筋之緩瘲,四支不収,故為痿也。

早速、禁を破って、ちょっと先のところ。
経文の句読は、楊上善注とつじつまを合わせるとなるとどうなるんでしょう。楊上善注の句読は、一応これで良いと思うんですが。

試案は:
因於濕首如裹,攘,大筋濡短,小筋㢮長,㢮長者為痿。
首を湿らせて(如=而?)裹むに因りては、攘いて(何を?)、大筋は濡短し、小筋は㢮長す、㢮長すれば痿と為る。 いかにもぎこちないんです。( )内は茶々です。
Re: 巻三・調陰陽03-35-2 菉竹 2004/07/18
首(カシラ)を濕(しめ)らすに因りて、(人を)裹(つつ)み(熱を)攘(のぞ)けば、……

楊上善は、「人」「熱」という目的語(賓語)を補って解釈しているのではないでしょうか。
主語はともかく、目的語を補うのは感心できませんが。
Re: さらに愚考 神麹斎 2004/07/18
早速の書き込みありがとうございます。

菉竹さんの和訓のほうがましなようですな。いやなに、そもそも楊上善の注がおかしいんだからまともな訓みができるわけはないんですが。

でも、さらにしつこく。

【楊注】如,而也。攘,除也。人有病熱,用水濕頭,而以物裹人,望除其熱,是則大筋得寒濡縮,小筋得熱緩長。㢮,緩也,㢮爾反。筋之緩瘲,四支不収,故為痿也。
「……人に病熱が有り、水を用いて頭を湿らせ、而して物を以て人を裹み、(あるいは)その熱を除かんと望めば、これ則ち大筋は寒を得て濡して縮み、小筋は熱を得て緩んで長し。……」
釣り合い上は、「寒濕」ではなくて「濡縮」ではないかと。ここの「濡」は、やわらかい、というか力が無い。「裹」は、つつむ、で、つまり熱を(つつんでこもらせて)得る。「攘」は、のぞく、で、つまり(熱をのぞいて)寒を得る。

【経文】因於濕首如裹攘,大筋濡短,小筋㢮長,㢮長者為痿。
「首を湿らせて裹(つつむ、こもらす)攘(のぞく)するに因りては、大筋は濡短し、小筋は㢮長す、㢮長すれば痿と為る。」

大筋濡短と小筋㢮長は、やはり互文でしょう。つまり、大筋も小筋も力なく縮んだり、緩んで長くなったりする。

全面解禁 神麴齋 2004/07/18
「太素を読む会」が、ここのところ静かになってしまったので、何だかもう低調になったような印象ですが、実は『素問』『霊枢』を読んでいて『太素』が気になった、というような話題は途切れてないんです。(個人的なメールで飛び交ってます。もったいない。)
ただ、「太素を読む会」は、「最初から順番に読んでいく」というのが方針、といった雰囲気で、書き込みにくいところが有るらしい。
そこで、「順番に読んでいく」のとは別に、「どの箇所についての書き込みも大歓迎」というのを言挙げしようかと思います。
そこで、ここのところいくつかの提言には、試用版の条文番号を示してましたが、条文番号付『太素』が出版されてない現状では、全面的には使いようが有りません。やっぱり、当面はオリエント出版社影印の巻数とページ数・行数でいきましょう。影印を持ってない人のために、巻数と篇名は記事のどこかに書いておいてください。

難読? 神麹斎 2004/08/18
06-19-5(五蔵命分)肝小則安無脅下之病の楊上善注を、『九巻経纂録』では「肝小不受□□故安無兩脅下痛」とするが、□□は仁和寺本の影印では「外耶」で、別に難読でも何でもない。単に別の箇所と見間違えただけのことかも知れないけれど、江戸末期に考証学派が影抄した本と、今の仁和寺本は本当に同じものかという疑問がまた首をもたげました。
似たような現象は他にもしばしば有り、全部が全部、単純なミスとか(抄者の能力を信頼します)、当時は見えたけど今は既に剥落した、ではかたづけられないような気がする。
Re: 難読? 芝蘭亭 2004/08/18
やはり抄者のミスでしょう。この箇所などは比較的はっきりしていて、だからたぶん他の箇所と取り違えたのでしょうが、多くの場合は墨の薄いところなどは行灯の下では見えにくかったのだと思います。全体的には仁和寺本影印の剥落と『九巻経纂録』の□は良く対応していると思います。

滿則引 神麹斎 2004/08/05
『太素』巻八・経脉病解
08-50-1
所謂欬則有血者陽脉傷也陽氣未盛於上腹滿滿則引故血見於鼻也
【楊】七月金主肺也肺主欬也不欬則已欬則傷陽陽傷血脉故腹滿見血於鼻中也

『素問』脉解篇は「腹滿滿則引」を「而脉滿滿則欬」に作る。

『太素』の経と注の関係から言えば:
楊注では、欬→傷陽→腹満→鼻血であり(腹満→欬→鼻血ではない)、
経文では、(前の部分はやや分かりにくいとしても)腹満→引→鼻血。
経と注の辻褄は合っていると思う。
だから『太素』の「引」を、改める必要は無い。

ところが、『素問参楊』は、この経文に対して、而脉滿作腹滿としか言わない。袁昶本も蕭延平本も欬に作る。『泰素後案』もまた欬に作る。
これは単なる抄者のミスなのか、それとも、実は仁和寺本と称するものに別本が有ったのか。

経脈の病症記述 神麹斎 2004/11/02
経脈の病症記述の標点についての試みです。

卷8・經脉連環
胃足陽明之脉,起於鼻交頞中,下循鼻外,入上齒中,還出侠口環脣,下交承漿,却循頤後下廉,出大迎,循頬車,上耳前,過客主人,循髮際,至額顱;其支者,從大迎前下人迎,循喉嚨,入缺盆,下鬲,屬胃,胳脾;其直者,從缺盆下乳内廉,下狭齊,入氣街中;其支者,起胃口,下循腹裏,下至氣街中而合,以下髀,抵伏菟,下膝,入臏中,下循胻外廉,下足跗,入中指内間;其支者,下膝三寸而別,以下入中指外間;其支者,別跗上,入大指間,出其端。
是動則病洒洒振寒,善伸數欠,顏黒,病至則惡人與火,聞木音則惕然而驚,心欲動,獨閉戶牖而處,甚則欲上高而歌,弃衣而走,賁嚮腹脹,是為䯒厥,是主血。
所生病者,狂瘧温淫汗出,鼽衂,口喎脣胗,頸腫喉痺,腹外腫,膝臏腫痛,循膺、乳、街、股、伏菟、䯒外廉、足跗上皆痛,中指不用。氣盛則身以前皆熱,其有餘於胃,則消穀善飢,溺色變。氣不足,則身以前皆寒慄,胃中寒則脹滿。
為此諸病,盛則冩之,虚則補之,熱則疾之,寒則留之,陷下則灸之,不盛不虚,以經取之。盛者則人迎大三倍於寸口,虚則人迎反小於寸口。

何を言いたいのかというと、「是主血」を前の是動病に属させたいということです。

ちなみに馬継興『馬王堆古医書考釈』は、
足陽明之脈:繫於骭骨之外廉,循骭而上,穿臏,出魚股之外廉,上穿乳,穿頰,出目外廉,環顏。
是動則病:洒洒病寒,喜伸,數欠,顏黑,病腫,病至則惡人與火,聞木音則惕然驚,心惕然,欲獨閉戶牖而處,病甚則欲登高而歌,棄衣而走,此為骭厥,是陽明脈主治。
其所產病:顏痛,鼻鼽,頷頸痛,乳痛,心與胠痛,腹外腫,腸痛,膝跳,跗上痹,爲十病。
他の学者もおおむね「是陽明脈主治」は是動病に属させています。(当たり前?)

弛か施か 神麹斎 2005/07/20
巻8経脈連環 腎足少陰之脈(『太素校注』p199)

重履而歩
【楊注】……可末磁石分著履中上施其帶令重……
底本の「㢮」(弛の異体字)と「施」は頗る紛らわしく、上文に「緩帶」と有るので、蕭延平本は「弛」とし、従って『太素校注』も「弛」とするが、ここはその帯ではなくて、履中に末磁石を著してその上から帯を施すのではないかと思う。
Re: 弛か施か 沈澍农 2005/07/21
“弛”的手写和“施”很像,因此不能从形体上区分。从语意看,神麹斎理解成“系”鞋带似乎有道理, “上施其带,令重履之而行”。但校注本读成“弛”,可能是看作前文“缓带”之意,即下着重履,上弛腰带,看来也是可以成立的。不过杨上善有必要再次指出前面的治法吗?似乎并不很合宜。因而这里读作“施”可能更好些。

「弛」は手書きしたものでは「施」とはきわめてよく似ているので,形から区別することはできません。語意から見れば,神麹斎が鞋帯を「系」する(結ぶ)と理解し,「上施其帯,令重履之而行」としたのには道理が有るようです。ただ校注本が「弛」と読んだのは,前文の「緩帯」の意味と見なして,即ち下には重履を着け,上は腰帯を弛めてということで,みたところこれもやはり成立しそうです。しかし楊上善に前にあげた治法を再びとりあげる必要が有ったでしょうか?だからここでは「施」と読むほうがより良いでしょう。
Re: 弛か施か  神麹斎 2005/07/21
仁和寺本『太素』の弓偏と方偏はきわめて紛らわしい。弓偏のはずなのにどうしても方偏に見えるものに引や強があり,族のはずなのに弓偏に近いものがある。また弛緩の弛は,仁和寺本『太素』では㢮と書くので,施との区別がいよいよ困難である。
文脈から何とか分かって,小異に気がついてなるほどという場合と,明らかに誤りであると判断がつく場合と,そして少数ながらここのように頭を悩ませるものが有る。
ただし,江戸時代末の抄本ではやはり「施」と判読していたようで,具体的に言えば,喜多村直寛『九巻経纂録』では「施」になっている。袁昶本で「弛」に作り,蕭延平本も同じ,従って『太素校注』もそれを踏襲する。

ちょっととんで経胳別異の... 蔭軒 2004/08/08
巻九・経胳別異
09-27-4凡診胳脉,脉色青則寒且痛,赤則有熱。胃中寒,手魚之胳多青矣。胃中有熱,魚胳亦赤。魚黒者,留久痺也。其有赤有青有黒者,寒熱。
09-27-7【楊】
此言診胳虚實法也。胳色有三,青、赤、黒也。但青有寒,但赤有熱,但黒有痺,三色具者即有寒熱也。
色之候者青赤二色候胃中也皆候魚胳智者手陽明脉與太隂合太隂之脉循胃口至魚故候太隂之胳知胃寒熱
胃中有痺,亦可候魚,若耶客處久留成痺,即便診之。

この楊上善注の句読はどうあるべきでしょうか。前後はこんなものだと思うのですが、中間が分かりません。
Re:  芝蘭亭 2004/08/09
人民衛生出版社縦組排印の蕭延平本では:
色之候者,青赤二色候胃中也。皆候魚絡胃者,手陽明脈與太陰合,太陰之脈循胃口至魚,故候太陰之絡,知胃寒熱。
ただ、注意して欲しいのは、先に掲げられた文中の「智」を「胃」に作っていることです。仁和寺本では「智」です。『九巻経纂録』も『泰素後案』も、勿論「智」です。袁昶本と蕭延平本で胃に変わっています。
で、『泰素後案』は、「智は当に知に作るべし」と言っている。これに従えば:
知者,手陽明脈與太陰合,太陰之脉循胃口至魚,故候太陰之絡,知胃寒熱。
(知るとは、手の陽明脈は太陰と合し、太陰の脈は胃口を循って魚に至る,故に太陰の絡を候って、胃の寒熱を知るなり。)
ただし、その「知るとは」の「知」が、経文の何をさして解説しているのか、良く分からない。
Re: 智(知)者 沈澍农 2005/04/26
“智者”,《泰素后案》称“当作知者”似可取。“知者”可以理解为“所以知者”,即“知者”的原因(从何得知、凭什么知道)。怎么知道鱼的色可以候胃呢?(下文)因为太阴之脉循胃口至鱼,所以从鱼的青赤二色就可以诊胃之病,而胃中之“痹”也可以通过鱼的色来诊断。

「智者」は、『泰素後案』が「当さに知者に作るべし」と言うのを取るべきでしょう。「知者」は「所以知者」、即ち「知者」の原因(どうして知ることができるのか、なにによって知るのか)と理解することができます。どうして魚の色で胃を候うことができるのか?(下文)なぜならば太陰の脈は胃口を循って魚に至るから、魚の青赤二色から胃の病を診ることができるし、胃中の「痹」もまた魚の色から診断することができる。

衝脈という名の由来 神麹斎 2005/07/19
巻10衝脈
夫衝脈者,五藏六府之海也,五藏六府皆稟焉。其上者,出於頏顙,滲諸陽,灌諸精;其下者,注少陰之大胳,出之於氣街,循陰股内廉,入膕中,伏行䯒骨内,下至内踝之屬而別;其下者,並於少陰之經,滲三陰;其前者,伏行出跗屬,下循跗入大指間,滲諸胳而温肌肉,故別胳結則跗上不動,不動則厥,厥則寒矣。
衝脈を認識したきっかけの一つは、黄龍祥氏も指摘するように『霊枢』百病始生の「(積の)伏衝の脈に著する者は、これを揣すれば手に応じて動き、手を発すれば則ち熱気両股に下ること、湯沃ぐの状の如し」というようなことであったろう。その起点は、五蔵六府と言っても良いし、注ぐところの少陰の大絡(腎間の動脈)としても良いし、また出るところの気街(気衝)を挙げても良いと思う。
しかし、気衝を起点とするから衝脈と呼んだというのはどうだろう。
上の経文によると、この脈の代表的な病症として厥あるいは寒が有り、その診断点としては跗上が指示されている。黄龍祥氏の他処にしばしば見られる論法を応用すれば、これにもまた起点としての資格が有りそうである。
恐らくは先に衝脈を衝脈と呼ぶだけの理由が有って、しかる後に鼠渓部の脈動部を気衝と呼び、跗上の脈動部を太衝と呼んだのだと思う。

紉痛  神麹斎 2004/08/25
経筋13-04-2
……掖支缺盆紉痛不可左右搖
楊上善注:紉女巾反謂轉■痛也
この■に相当する文字をどう理解するか。
Re: 紉痛  菉竹 2004/08/26
話せば長くなりますが、素直に見れば■は「戻」に見えます。
犬・夭・髮の下部は、ほとんど同じように書かれて、前後関係から読みとるしかないでしょう。
「紉」は、縄のヨジレをあらわすことばだと思うから、「戸」の下は「犬」に異体に見えます。
Re: 紉痛 神麹斎 2004/08/26
分かっていることは、戸の下の形は『干禄字書』に「夭」の通です。ところが戸の下に夭という字は、字書に見えません。『竜龕手鏡』には「戾」の俗として、大を夭(右肩に一点)に作るものだ載っています。また「戾」の字義の一つとして「反曲也」が載っています。ちなみに「戻」は「輜車也」で、別字の扱いです。以上を総合すれば、おそらくは「戾」の異体字であろうと思われます。ただし、底本通りの字形は、諸字書中に発見できていません。
Re: 紉痛 菉竹 2004/08/27
『難字・異体字典』の「戾」の例として「戸」+「友」+「丶」で構成されているものとして、法隆寺伝来『細字法華經』の字体を挙げています。
「戸」の下は「方」に見えますが、その右下のふたつの点はもとは「払い」のかすれた・消えかかったものと理解します。
Re: 紉痛 神麹斎 2004/08/27
恐らくは、『難字・異体字典』の「戾」の例として載っているものは、「戸」+「犮」であって、「犮」は「犬」の俗字増画の一例だろうと思います。(右斜めはらいにノの増画の例は多いようです。)で、さらに恐らくは(恐らくはに過ぎないのですが)、もう一画「ノ」を上に増したもの(この例は見覚えが無い)も犬の俗字で良いのだろう、と判断して、結局のところ「戾」なのであろうと考えています。底本通りの字形は、諸字書中に発見できていませんが、俗字というものの性格上、まあ無理はないと思います。仁和寺本『太素』の異体字は、ほとんどの場合『干禄字書』によりどころを見いだせます。ただし当然、全てをというわけにはいきません。(『干禄字書』の画像は、福井大学所蔵のものを何故だか大阪大学のホームページで見ることが出来るようです。Googleで干禄字書を検索してみてください。)
夭の通 神麹斎 2004/08/28
念のため「夭」の異体字を挙げておきます。
『干禄字書』に「上通下正」です。

維筋相交 蔭軒 2005/09/16
巻13経筋(太素校注だとp.382)
経文:維筋急從左之右右目不可開
楊注:此筋本起於足至頂上而交至左右目故左箱有病引右箱目不得開右箱有病引左箱目不得開也
経文:上過右角並喬脈而行左絡於右故傷左角右足不用命曰維筋相交治在燔針却刺以知為數以痛為輸名曰孟春痺
楊注:喬脈至於目眥故此筋交顛左右上下於目眥與之並行也筋既交於左右故傷左額角右足不用傷右額角左足不用以此維筋相交故也

この経文の句読、特に下の経文の前半の句読がよく分かりません。仁和寺本のヲコト点を仔細に検討すると、「並喬脈而行左」で一句にしているかも知れませんが、それも腑に落ちません。
前には「右目不可開」なのに、後ろは「右足不用」なのも分かりません。上と下とて交叉しているはずじゃないかったのか。後ろは「故傷右角,左足不用」のほうが分かりやすかったのではないでしょうか。そもそもそういうことではないんでしょうか。

貼り間違え? 神麹斎 2005/05/05
巻14真藏脈形に:
(大字)
大骨枯槀大肉陷下胸中氣滿肉痛
中不便肩項身熱破䐃脱肉目匡陷真
(細字)
真藏脈見少陽脈絶兩目精壞目不見人原氣皆盡
故即立死真脈雖見目猶見人得至土時而死也
というのが有り、『素問参楊』には「蔵字以下脱」と云い、『素問攷注』には細字について「案:此三十九字,『太素』誤為注文,而上「真」字重,為衍。」と云っています。袁本には「真」の下に「藏見目不見人立死其見人者至其所不勝之時則死」が有るが、何も注記しない。恐らくは『素問』に拠って補ったと思われる。蕭本は袁本を踏襲する。
この何れにも疑問が有る。
先ず大字と細字の間はちょうど用紙の継ぎ目になっている。だから貼り間違えて難行かが隠れた可能性は有る。恐らくは前の用紙(十三行)を後ろの用紙(十行)の上に貼っているが、この巻の一紙の行数が不揃いで、隠れたのが何行であるかは確定しがたい。
『素問』に拠って補うと、一行には多すぎるし、二行にしては少なすぎる。直前の行の字数は十五字である。
細字をやっぱり楊上善注であると認めれば、この他に途中に注の入る可能性も低い。森立之の説のように細字を経文としてしまうと、ここにだけ楊上善注が無くなってしまう。それもやはり不自然である。
現物を手に取って、引っぱがしてみれば分かるはずだけど、そうもいかない。

皇甫謐録素問経 芝蘭亭  2004/11/12
「順番に読む」とは別の話題ですみません。 巻10の任脈や衝脉の楊上善注の中に、「皇甫謐録素問経」というのが出てきますよね。これって『甲乙経』のことじゃないんですか。もし、『甲乙経』のことだったら、どうして『甲乙経』と書かなかったんでしょうか。
Re: 皇甫謐録素問経 菉竹 2004/11/15
問題にされているのは「此經任脉起於胞中,紀胳於脣口。皇甫謐錄素問經/任脉起於中極之下,以上毛際,循腹裏,上關元至咽喉。10-12-7呂廣所注八十一難本,言任脉與皇甫謐所錄文同。檢素問无文」の部分だと思います。ここは『鍼灸甲乙經』巻二・奇經八脉に相当します。皇甫謐は,「素問曰」「難經曰」といっているのですから,楊上善のいう「皇甫謐錄素問經」は正確な表現だと思います。この楊上善注の最後に「檢素問无文」とあります。つまり楊上善が見た『素問』にはなかったかあるいは見つけられなかったので,皇甫謐の引用した『素問』にはあるとわざわざ断っているのだと思います。なお,現行王冰本『素問』にはあります。

不瞑不臥出者 神麹斎 2005/09/01

巻12營衛氣行の冒頭
「或令□□不瞑不臥出者何氣使然」
□□は『霊枢』邪客篇によれば「人目」です。
『甲乙』巻12第3は「或令人目不得眠者何也」に作り、つまり「出」に相応する字が無い。
で、仁和寺本を熟視してみると「出」の横にある仮名は「お」のようなんです(築島裕氏の資料による)が、「出」の読み仮名にせよ、送り仮名にせよ、「お」というのは不審です。この「出」ということになっている字は、本当に「出」なんでしょうか。
Re: 不瞑不臥出者 菉竹 2005/09/02
次のページである12-19に何字か同じ筆法の文字が見え,それは「出」で解釈できます。ですから,ここも「出」と書いたといわざるを得ないと思います。
Re: 不瞑不臥出者 神麹斎 2005/09/02
これには実はちょっとした背景が有りまして、そもそもこの経文の意味が良く分からなくて困っていたんですが、周学海もやっぱり困ったみたいで「不臥出者」は「不汗出者」の誤りではないかと言ってます。でも、それもなんだかしっくりしなくて、『甲乙』を見てみると「出」に相応する字が無かったんです。そこでそもそも「出」はどう読むのかと、仁和寺本の句読と仮名を調べてみたけれど、「お」ではやっぱり分からない、ということなんです。「お」ではない可能性も有りますが。
この字形が、少なくとも直接の抄者にとって「出」であるのは間違いないだろうとは思うのですが、仮名をふった人にとっては違う字であった可能性は無かろうか、と。
仮名のほうが最終抄者よりも古いという可能性も、なんだかなあ……なんですけどね。
Re: 不瞑不臥出者 菉竹 2005/09/02
この経文の注文を見ると「臥起」と読める部分があります。
そこから逆算するとこの「出」は「オキル」(眠れなくて起き出る)と訓じたのではないでしょうか。 それで傍訓に「オ」とあるのでは?
Re: おまけ 菉竹 2005/09/02
神麹斎先生のいう「築島裕氏の資料」とは、オリエント出版社『半井家本医心方 附録』=「医心方の研究」所収の論文「半井家本医心方の訓点について」です。たぶん。
とりあえず 神麹斎 2005/09/03
ここの経文と楊上善注は,私の目には次のように見えます。
経文:
黄帝問伯高曰夫耶氣之客於人也或令□□不瞑不臥出者何氣使然
楊上善注:
厥耶客人為病目開□□□臥起□□起也
そして,問題の箇所は「不臥」の左下,「出者」の真下に小丸が有るようです。築島裕氏の資料(菉竹氏の推測どおりのものです)では左下はテ(返)、真下はコト(切)のようです。そうすると問題の箇所は,「……瞑せず臥さずしテ,出るコトは……」となりそうです。やっぱり「出」の上か下に何か有るべきではないでしょうか。菉竹氏の「オキル」(眠れなくて起き出る)には,可能性を感じますが,蒲団とか寝床とかから出ると言わずにただ「出」というだけで,(眠れなくて)「起き出る」を表現できるのかどうか,やや少し不安です。
一方,楊注のほうは,より大胆に言えば,「……目開不得合,臥起不得起也」ではないかと思いますが,残念ながら「臥起」の上,「起也」の上に一部分のこる文字が推定とあまり上手く合致するとは言えないようです。あるいは「……目開不得瞑。臥起者,寢起也」か。でも,こういう意味なら,「臥出者,寢起也」とでも書くべきでしょうね。
Re: 不瞑不臥出者 菉竹 2005/09/03
>蒲団とか寝床とかから出ると言わずにただ「出」というだけで,(眠れなくて)「起き出る」を表現できるのかどうか,やや少し不安

訓点・送りがなをつける人にとっては,(原文のみの場合は別)原文を自分がどう理解したか・正しい理解は何なのかは第一義的な問題ではなく,楊上善がどう読んだか・どう理解したかが大切である。そのため「出」を楊上善注「起」にあわせて,「おきる」と理解した。
言い換えれば,訓点者も理解に苦心したから,「いづ」では意味が取れないので,わざわざ「お」という訓をつけた。
以上のよう思量します。
Re: 不瞑不臥出者 神麹斎 2005/09/03
そうすると、楊上善の注をどう読んだのかが問題になると思います。
剥落して見えない字が有るのですが、一応は
 厥耶客人(厥耶人に客しテ)
 為病目開(病を為すトキハ目開きテ)
 □□□臥起
 □□起也
ではないかと思います。 訓はヲコト点を築島氏の資料で読み込んでみました。
あまり自信は有りませんし、肝心の下半が全くダメです。
「臥」の真下(ノorコト?)および右下(直下の点よりさらに下)(テ?)にも点が有りそうです。

袁本は厥邪客人為病目開【不得合】臥起【方□】起也に作りますが、喜多村直寛『九巻経纂録』は上の私の判字と同じです。現状で「臥起」の上は「合」よりは「瞑」のほうに可能性が有り、「起也」の上の左半はあるいは「方」かも知れませんが、全く空白で不明なのはその上の字です。つまり少なくとも「方□」は乙です。【 】は違いが目立つようにつけたので、原本にはそういうものは勿論有りません。

「起」が「出」の注に相当するはずとなると、どう缺字を補い、どう訓むことになるのでしょうか。
クイズということに… 神麹斎 2005/09/04
つまり,現在の質問としては,楊注の□をどう補い,楊注全文をどう訓むかです。
と言っても判断材料が足りないので,想像力の問題,思いつきを述べ合うといったクイズのようなものです。
中で有力なヒントとしては,菉竹氏の「〈出〉を楊上善注〈起〉にあわせて,〈おきる〉と理解した」という意見です。逆に言えば,そう言えるためには楊注はどんな文句だった可能性があるかです。
そしてもう一つは,やっぱり袁本の「不得合」と「方」です。ただし,これは恐らくは小島宝素抄本には無かったと考えられるので,出所が不審であるし,また「合」と「方」はまず間違いなく見間違いです。

私の現時点の思いつきは,前半は「厥耶客人為病目開不得瞑」(厥邪人に客して病を為すときは目開きて瞑するを得ず)です。後半については今のところ何も思いつきません。「臥起者寢起也」(臥起とは寢起なり)では存在しない句の解説になってしまうし,「臥出者寢起也」(臥出とは寢起なり)のように,見えている文字を改めるのは反則です。袁本が「方」というのが,実は「爿」偏という可能性は有ると思いますが。

三腸? 芝蘭亭  2005/01/05
久しぶりだけど、また順番じゃなくてすみません。
巻13腸度の冒頭
黄帝問伯高曰余願聞六府傳穀者腸胃之小大長短受穀之多少奈何
楊上善注:三膲府傳於穀氣膽府受於穀精三腸及胃傳穀糟粕傳糟粕者行穀之要故脹胃有六種之別者
この「三腸」って何なんですか。六府から(三膲、膽、胃を)引き算すれば大腸、小腸と膀胱なんですが、そういう言い方って有りましたかね。
Re: 三腸? 菉竹  2005/01/07
下文を読むと,小膓・迴膓・廣膓が三腸にあたると思います。
Re: 三腸? 神麹斎  2005/01/08
菉竹さんのおっしゃるとおりだと思います。

ただね、三膲・胆・胃・小腸・廻腸・広腸で六府というのも珍しいんじゃないですか。
膀胱は伝穀じゃないとは言えそうですが、じゃあ三膲・胆は伝穀かと言われるとねえ。

経文には大腸という詞は出てこないと思うけど、楊上善注には出てきます。
「廻腸,大腸也」あるいは「広腸,…以受大腸糟粕」など。

六府とは何か?にも昔はいろいろ有ったんでしょうね。

実は、この指摘の前には、三腸を三膲と誤入力してました。今は修正してあります。

望欲從外知内  神麹斎 2005/02/02
巻15尺診の冒頭
黄帝問於岐伯曰。余欲無視色持脉。獨調其尺。以言其病。從外知内。為之奈何。
楊注:無視面之五色。無持寸口之脉。唯診尺脉及尺皮膚。望欲從外知内。病生所由。
喜多村直寛の『九巻経纂録』ではこの通りだが、田沢仲舒『泰素後案』では「望欲」を「望以」に作る。仁和寺本影印を確かめると、中央に蠹が有るが、どちらかと言えば『九巻経纂録』に軍配を上げたい。それにしても、喜多村直寛も田沢仲舒も実物を見てはいないはずなのに、どうしてこういう相違が生ずるのであろうか。
Re: 望欲從外知内  菉竹 2005/02/05
実物を見ていないからこそ,違いが生じたのではないでしょうか。誰か(違う人)が抄写したものをもとに,二人はそれぞれ書き記したのでしょうから,そこに相違が生まれたのでしょう。
ふたりの前に,すくなくとも二つの伝写があった。
それともどちらかが写し間違えたのか。
ふたりが同じ写本を用いた可能性は高いのでしょうか?
Re: 望欲從外知内  神麹斎 2005/02/05
喜多村直寛の『九巻経纂録』は、小島宝素が秘蔵していた写本によったはずです。そもそも江戸で流布した『太素』抄本は概ね同様に、小島宝素本に由来すると考えられます。田沢仲舒の『泰素後案』は、恐らくは実兄の奈須恒徳の抄本によったと思われますが、それも小島宝素本からの再抄であったと、私は単純に何となく考えていました。(奈須も田沢も江戸在住のはず。)
小島宝素本の全てが、浅井氏抄本からの再抄であったか、少なくとも一部は仁和寺本からの直接の抄写であったかは、いろんな人の解説を読んでももう一つはっきりしません。(そういろいろの人に何度も抄写を許したとは思えません。)
小島宝素本で「望欲」となっているのを、奈須恒徳(もしくは田沢仲舒)が「望以」と見間違えたのではなく、仁和寺本を見た二人のうちの一人は「望以」と判断し、もう一人は「望欲」と判断したとすると、小島宝素本の少なくとも一部は仁和寺本からの直接の抄写であったことになりそうです。そして、奈須恒徳本は何故だか小島宝素本からでなく、浅井氏抄本からの再抄であったことになりませんか。
なんだか通説と違うような気がするのですが、私の誤解でしょうか。

頭以下汗出不可止  神麹斎 2005/02/09
巻15五藏脉診
微緩為痿漏風。頭以下汗出。不可止。
『泰素後案』は、「止」を「也」に作り、しかも「靈樞作止」と注記し、さらに「按,也靈樞作止,為是」と言う。
今、仁和寺本の影印を見ると、筆写体でさらに真ん中がやや薄れているので間違われやすそうではあるが、確かに「止」である。
喜多村直寛の『九巻経纂録』も勿論「止」である。
『泰素後案』はどうして間違えることが出来たんだろう。
Re:頭以下汗出不可止  神麹斎 2005/02/11
考えてみれば、浅井氏抄本ひいては小島氏抄本が、ごくごく丁寧な模写であれば、そこから書き写す際に、独りは止と見、独りは也と見る、ということも有り得無いことでは無いのかも……。でもねえ。

火偏に匡? 神麹斎 2004/08/29
前にユニコードの拡張領域Bまで使えば、『太素』の文字は全部入力できると言いましたが、これはインチキですね。本当は「文字学的に通用する」(だろう)ものですませているのが有ります。

中でも、巻十五・尺診(15-26)の、
 尺膚■然先熱後寒者寒熱也
は、『霊枢』の文字でごまかしてます。一応、『竜龕手鏡』に「俗,去王反」と有るには有るんですがね、何の俗なのか判らない。『竜龕手鏡』の体例を誤解しているのかなあ。

絶?!  神麹斎 2005/08/02

この文字わかりますか?
『太素』巻21の数カ所に見える文字です。文脈としては,九針要道の
凡將用鍼,必先診脈,視氣之劇易,乃可以治病。五藏之氣已紽於内,而用鍼者又實其外,是謂重竭,重竭則必其死,其死也靜,治之者,輙反其氣,取掖與膺;五藏之氣已紽於外,而用鍼者又實其内,是謂逆厥,逆厥則必死也躁,治之者,反取四末。
というところです。貼り込んだ字形そのものはこれに相応する九針要解のものです。それが一番明瞭なんでそれを貼り込みました。
文脈から分かるでしょうが(あるいは『霊枢』と付き合わせれば分かるでしょうが)これは「絶」です。仁和寺本『太素』の「絶」は一般に「絁」と書かれます。これはまた仁和寺本『太素』では「色」を「㐌」のように書くところから来ています。で,「㐌」と「它」は通用するようです。例えば滂沱の涙の「沱」を「沲」と書くことが有ります。華佗を華他と書くことが有るのは常識ですよね。その「他」の「也」をさらに「㐌」と書いた例が有るかどうか知りませんが,なんだか有りそうでしょう。
だから,文脈から言っても,字形の変異の理屈から言っても,「紽」に見えるけれど実は「絶」のつもりなんです。でも「已紽於内」と書いて「已絶於内」と読めという要求は,ちょっと理不尽だと思いませんか。でも読めてしまうから,「漢字は偉い」なのか「漢字は困ったものだ」なのか。

『太素校注』は何にも言ってません。まあ「絶」で良いんだから,言わなくても良いんですがね。ちょっと断っておいて欲しかった。無理かなあ,気が付いてもいないみたいなんだから。

これは31日の講演会用に用意した資料のかけらです。

凡六刺?  洒狗 2005/05/25
巻23量繆刺
耶客於足少陰之胳,令人咽痛不可内食,無故善怒,氣上走賁上,刺足下中央之脈各三痏,凡六刺,立已,左刺右,右刺左。
【足少陰大鍾之胳,別者傍經上走心包,故咽痛不能内食也。少陰正經,直者上貫肝膈,胳既傍經而上,故喜怒氣走賁上也。賁,膈也。足下中央有涌泉穴,刺於勇泉穴,少陰脈也。】

足下の中央の脈を刺すと言いながら「各三痏」と言うのは、どういうことでしょうか。同じところを三度刺すという意味でしょうか。
「凡六刺」と言いながら、「左刺右,右刺左」と言うのも分かりません。凡そ六刺というのは、左右合わせて六刺じゃないんでしょうか。他のところにも各一痏と言いながら、また左は右を刺し、右は左を刺すと度々言っているようです。「各」というのはどういう意味なんでしょうか。
Re: 凡六刺?  神麹斎 2005/05/26
『素問識』:〈高〉云「左刺右右刺左六字。衍文」。〈簡〉按。下文嗌中腫云云。亦邪客於足少陰者。故以此六字爲衍文。然嗌中腫二十八字。〈王〉所移于此。未可果爲衍文。
『素問攷注』眉注:「凡六刺」。古來不疑。可咲。此三字後人旁記之誤入者。可刪正。若曰「凡六刺」。則非繆刺偏病法。
Re: 凡六刺?  菉竹 2005/05/26
「各三痏」について,黄龍祥先生は「三回」と考えています。(『針刺研究』1998年第三期「腧穴概念的演変」→翻訳:季刊『内経』2004年冬号(157号)44~46頁)
Re: 凡六刺  神麹斎 2005/05/27
郭靄春『黄帝内経素問校注語訳』繆刺論の語訳を翻訳すれば:
「邪気が足少陰の絡脈に浸入すると、人に咽が痛んで、食事が取れず、理由も無く怒り、気が胸膈に逆上するといった症状を発生させます。これには足心の涌泉穴を刺すべきであり、左右おのおの三度、合わせて六刺すると、たちどころに効果が有ります。刺法は左の病には右を刺し、右の病には左を刺します。」
また「各一痏」もおおむね「左右各刺一次」と語訳しています。そのくせ「左刺右,右刺左」です。まことに「笑う可き」であります。
ただし、よく考えてみると、上の「耶客於足少陰之胳」の症状のどこに左病とか右病とかが有るのでしょう。そもそも繆刺というものの概念を再考する必要が有るのかも知れません。
Re: 凡六刺?  神麹斎 2005/06/04
今、島田隆司先生の『素問』講義のテープ起こしをしていて、瘧論のところへさしかかっているんです。で、私も最終段階で原稿のチェックをしてるのだけど、島田先生の繆刺の解釈が有りました。

…… 「誤謬」の「謬」というふうにとって「間違える」、「互い違いになる」っていうふうに解釈したのが大きな間違いですね。これはね「束ねる」っていう意味しかないんです、原義は。「束」。だから繆刺っていうのはどっかを縛って束ねて、それで浮き上がったところを血を採るという、そういう方法ですね。……

いや面目ない。聴いたことは有るはずなんだけど、記憶に残ってない。これ正解かも知れません。少なくとも魅力的な説です。定説になるためにはもう少し理詰めに考察を深める必要が有るでしょうが、この「左右おのおの三度、合わせて六刺する」も突破口の一つとして期待できませんか。

闕六字or闕三字 神麹斎 2004/09/15
おもしろいと言うか、変なものを見つけました。
巻25熱病决の冒頭「黄帝問於岐伯曰今夫熱病者皆傷寒之類也」の楊上善注の一部に剥落が有って、その剥落部分の字数が『素問参楊』では3字分なのに、『素問攷注』に引かれているものでは6字分なんです。そして『泰素後案』では「舊小書曰、以下闕六字者、誤也、原本三字之位也」と言っています。
今、影印を調べてみると、三字くらいというのが妥当なんですが、何を見て「闕六字」と言い、何を見て「原本三字之位也」と言っているんですかね。田沢仲舒が『太素』の現物を見た可能性なんて無いですよね。
精抄本 七面堂  2004/09/16
巻25瘧解「隂與陽爭不得出是以間日而作」の楊上善注の3行目と4行目の長さは不揃いである。(25-54)(1行目と2行目が短いのは経文が行末にせまっているから。)
 其耶
 氣因
 衛入内内薄於隂共陽交爭
 不得日日與衛外出之陽故間日而作也
そこで、『泰素後案』では3つの空格を置く。しかるに、『素問参楊』にはそのようなものは無い。影印を調べてもきれいなもので、剥落など有りそうにない。これは単に総字数の見当を誤って、最終行が長くなっただけのことだと思われる。よって案ずるに、浅井氏による最初の影抄本、そして少なくともその再抄である小島宝素本は、一行の字数に至るまで仁和寺本と同じになるように、丁寧な作業がなされていたと思われる。上で田沢仲舒が「原本三字之位也」と言っているのも、つまり原本通りに文字が配置されているのを前提にして言うのだろう。

どうして字数がわかる  神麹斎 2005/04/09
巻25熱病决の冒頭
黄帝問於岐伯曰。今夫熱病者。皆傷寒之類也。
【註】夫傷寒者。人於冬時。温室温衣。熱飲熱食。腠理開發。快意受寒。腠理因閉。寒居其(舊小書曰。以下闕六字。誤也。原本三字之位也。)寒極為熱。三隂三陽之脉。五藏六府受熱為病。名曰熱病。斯之熱病。本因受寒傷多。亦為寒氣所傷。得此熱病。以本為名。故稱此熱病傷寒類也。故曰冬傷於寒。春為温病也。其病夏至前發者。名為病温。夏至後發者。名為病暑也。

前にも同様な疑問を呈したことは有るんですが、この( )内に入れた『泰素後案』田沢仲舒の注記は、どうしてこんなことが言えるんでしょう。精密な模写になっていて、その傍らに小書が有るんでしょうか。ちなみに『素問参楊』では□三つに、『素問攷注』の引用では□六つになっています。
影印を見れば、まあ確かに「原本は三つのくらいなり」でしょうが。

疽音且,内熱病也。  神麹斎 2005/07/02
巻25十二瘧
胃瘧,令人疽病也,……
楊上善注:疽音且,内熱病也。……

按ずるに、楊注に内熱病と言うからには、「疽」は「疸」の形誤であろう。『太素』巻8經脈連環の主脾所生病の中に黄癉が有り、楊注に「内熱身黄病也」と言う。したがって「音且」もまた「音旦」の誤りであろう。仁和寺本に「且」と「旦」程度の紛れは枚挙にいとまがない。
ただし、『素問』刺瘧論は「胃瘧,令人且病也」に作り、(少なくとも顧従徳本の)新校正に「按『太素』,且病作疽病」と言っている。疸を疽と誤ってからの歴史もまた長いというべきであるし、また林億らも経と注の関係に気付いてなさそうなのはいささか不審である。疽もまた内熱の病である、と言うつもりかも知れないけど。
蕭延平本ではおおむね「疸」あるいは「旦」に改めて(『素問』、『甲乙』、巣氏は「且」と言っている。)、あまつさえ「新校正云:『太素』且病作疸病」としています。だから『太素校注』も何も悩んでません。平和なもんです。

島田先生の最後の『素問』講義では、迷いながらも、「且」を助動詞として、「人をしてまさに病ましむるや」云々と訓みたい、とおっしゃってました。
Re: 疽音且,内熱病也。  菉竹 2005/07/06
『後漢書』華佗傳 廣陵太守陳登忽患匈中煩懣,面赤,不食.佗脉之,曰:「府君胃中有蟲,欲成內疽,腥物所為也.」即作湯二升,再服,須臾,吐出三升許蟲。

ここの「疽」も「疸」の誤りなのでしょうか。「疽」は体表上にできるもののみをいうのでしょうか?あるいは,華佗の時代は『内経』の時代とはこの言葉の用法が変わってしまったのでしょうか?
Re: 疽音且,内熱病也。  神麹斎 2005/07/06
これは疽で良いんだと思います。
『諸病源候論』九蟲病諸候中の三蟲候に:
……蟯蟲至細微,形如菜蟲也,居胴腸間,多則為痔,極則為癩,因人瘡處,以生諸癰、疽、癬、瘻、瘑、疥、齲蟲,无所不為。……
と有ります。
こういうものも尽く「疸」の誤りという恐れも無くは無いけれど、「癰、疽、癬……」などと列挙してくる中のものは、やっぱり「疽」でしょう。

齒齲  七面堂 2005/06/10
巻26寒熱雑病に:
臂陽明有入鼽徧齒者,名曰人迎,下齒齲,取之臂,惡寒補之,不惡寒寫之。
足之太陽有入頬偏齒者,名曰角孫,上齒齲,取之在鼻與鼽前,方病之時,其脈盛則寫之,虚則補之。一曰取之出眉外,方病之時,盛寫虚補。
と有りますが、いろいろ不審な点が有ります。
第一に角孫は足の太陽ではなくて、手の少陽でしょう。まあ穴の脈への帰属が確定する前の文献であると開き直って、取りあえず両条の臂陽明と足之太陽は無視しましょう。
ついで問題になるのは、名曰と取之の関係です。上齒齲のほうの一曰に対する楊上善の説明では、眉外というのは上關であって、だから上關を取って補瀉するんだと言っています。まあ、すっきりはします。とすると、実は角孫と鼻與鼽前は同じ箇所を指していることになり、従って角孫というのは角孫という部位ということであって、角孫穴のことではないということになります。すると逆に足の陽明でも良いのかも知れない。
同じ理屈でいえば、人迎と臂は同じ箇所のはずなんだけれど、これはいかに何でも無理でしょう。人迎は『霊枢』と『甲乙』では大迎です。このほうが多分ましだろうが、でもやっぱり臂というわけにはいかない。臂に似た文字でアゴのあたりを指す文字を探すべきではなかろうか。張介賓は臂が惡寒するかどうか、と解している。それなら取之は大迎である。ただし、馬玄台は臂字を上句に接せしめているし、多紀元簡はそれを是に似ると言っている。第一、そうでないと上齒齲のほうの文章との釣り合いが悪い。

要するに、銭超塵教授の『黄帝内経太素新校正』が出版されるまで休止、ということです。