靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

虎になる

 私にとって中島敦の『山月記』は、「己の珠に非ざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。」という李徴の自嘲の科白に尽きる。ところが唐代伝奇の『李徴』を読み直して、もともとの話は少し違ったかも知れないと思うようになった。
隴西李徴,皇族子,家於虢略。徴少博學,善屬文,弱冠從州府貢焉,時號名士。天寶十載春,於尚書右丞楊没榜下登進士第。後數年,調補江南尉。徴性疎逸,恃才倨傲。不能屈跡卑僚,嘗欝欝不樂。毎同舍會既酣,顧謂其羣官曰:生乃與君等爲伍耶。其僚佐咸嫉之。
 『山月記』の書き出しと大して違うわけではないが、ここにはわざわざ皇族子と書いて、名族であることを誇示している。隴西の李氏は唐のいわゆる五姓七族の筆頭で、これら七族の出身であるか、あるいは少なくとも姻戚でなければ貴族とは認められなかった。李徴はその端くれであることを誇りに思い、卑僚(卑しい家柄出身の同僚)と同席することを快しとしなかった。彼には、若くして進士に及第する程度には才学も有ったのだから、そろそろ科挙が重んじられるようになる時勢に合わせることさえできれば、相当程度以上の出世は望めたはずなのである。しかし、会合のときに酒がまわるといつも、同僚を顧みて「この世に生まれて君らのようなものと仲間になるのか」などと言っていたのでは、いかに当時でも軋轢は有る。つまり、『李徴』は貴族制から官僚制に変わりつつある時代の波に乗り損ねた、あるいは乗るのを良しとしなかった不器用者の自負と苛立ちと、自嘲と自己嫌悪の物語である。詩家としての成就、名声がどうのこうのとはあまり関係が無い。自分以外はみんな卑しく阿呆であると思えた。その感情を、隠そうとはし、また改めようとはして、だが隠しもならず、また改めもならず、鬱々として楽しまず、ついに狂を発して虎となった。

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