寸口の脈だけを診て、病の所在部位を知る?
- 医論異論
- by shenquzhai
- 2011/06/20
一カ所だけの脈を診て、分かることは、全身的な意味で、病情は如何に、であろう。
寸口という一カ所の脈を診て、病は何処に在るのか、を知ろうとすれば、別の工夫が必要となる。
一つには、『素問』三部九候論(ただし、原形と思われる頭に三カ所、臍以上に三カ所、臍以下に各三カ所の脈診部位を想定するもの、それの臍以上と臍以下)を、腕関節部に持ってきて(少し調整して)、いわばミニチュア版の三部九候診を試みることがある。大雑把に言えば、耳の針で、耳殻に全身を投影した図が有るでしょう、まあ、あんな感じです。
もう一つには、手首のどこかを陰陽の境界線と想定して、そのどちら側に問題が在りそうかを診て、そこから陰陽論的に問題の所在を割り出すことを試みる。
現代日本の、所謂六部定位脈診は、左右の寸関尺に五蔵を配置し、そのうえで五行の相克関係から、虚している蔵を割り出そうとしている。上の二つの行き方の、どちらの正嫡なんだろう。
寸口という一カ所の脈を診て、病は何処に在るのか、を知ろうとすれば、別の工夫が必要となる。
一つには、『素問』三部九候論(ただし、原形と思われる頭に三カ所、臍以上に三カ所、臍以下に各三カ所の脈診部位を想定するもの、それの臍以上と臍以下)を、腕関節部に持ってきて(少し調整して)、いわばミニチュア版の三部九候診を試みることがある。大雑把に言えば、耳の針で、耳殻に全身を投影した図が有るでしょう、まあ、あんな感じです。
もう一つには、手首のどこかを陰陽の境界線と想定して、そのどちら側に問題が在りそうかを診て、そこから陰陽論的に問題の所在を割り出すことを試みる。
現代日本の、所謂六部定位脈診は、左右の寸関尺に五蔵を配置し、そのうえで五行の相克関係から、虚している蔵を割り出そうとしている。上の二つの行き方の、どちらの正嫡なんだろう。
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