靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

人迎脈口診とは何だったのか?

Ⅰ 『霊枢』の旗印か?
 話の発端は、先輩諸氏から、『霊枢』を代表する脈診は人迎脈口診であり、『素問』を代表する脈診は 三部九候診であると教わってきたが、はたしてそうか、という疑問である。
 人迎脈口診の主な資料は『霊枢』に在る、という主張に異存はない。ただ、人迎脈口診とは何かを曖昧にしたままの発言であったとすれば拙いだろう。『霊枢』のいくつかの篇に紹介されている人迎脈口診には、歴史的変遷があったはずであり、それはそれぞれの段階ごとに評価すべきである。そこで方便として、『太素』の構成と、その楊上善注とを参考にして、資料が出そろったころの様子をうかがい、「人迎脈口診とは何だったのか」という問題を、少し考えてみようと思う。
……
Ⅱ 人迎脈口診の変遷
 楊氏に歴史的変遷という認識は乏しいようである。経典にあることが絶対であって、以後の工夫は邪説扱いである。『太素』巻14人迎脈口診篇(『霊枢』禁服篇)の「寸口主中,人迎主外」について、楊注の中に「この経で人迎とか寸口とかいうところは数十カ所あるが、左手寸口を人迎とし、右手関上を寸口とするなどということはついに無い」、だから左人迎、右気口などは、拠り所も無いようなしろものであるから、行うべきではないといっている。巻9の経脈別異篇(『霊枢』動輸篇)の注中でも、ほぼ同じことをいっている。※ 逆に、書かれていることに対しては、それがある時期における試案にすぎない可能性などは考慮しない。
 それでは、当時の常識、正統的な考えが、如何なるものであったかをさぐるために、先ず『太素』巻14の人迎脈口診篇の構成を見てみる。※※ その主要な材料は、『霊枢』の禁服、五色、終始の各篇である。これには何の不思議も無い。ただ、楊氏はこの三篇における人迎脈口診を、変遷という角度からは考察してないようである。
☞※これらのことは、実は井上雅文先生から聞いたのが最初である。「だから、俺のやっていることはインチキなんだ、だけど使えるからしょうがない」といわれた。こうした柔軟さは、楊氏には無い。
※※『太素』の撰が楊氏によるものかどうかの考察は棚上げにする。ただ、摂生を最初に持ってくるのと、王冰が上古天真論を『素問』の第1篇としたこととの間には、共通する時代風潮を感じる。


Ⅲ 「どんな」か「どこで」か
 そこで、それぞれの篇の人迎脈口診を簡単に一言でいえば、五色篇では「どんな」であり、禁服篇では「どんな」に「どこで」が加わり、終始篇では「どこで」だけが残った。
 もう少しだけ丁寧にいうと、五色篇では、脈口に異常があれば、病は中に在り、その原因は主として食飲によって傷なわれたことにある。人迎に異常があれば、病は外に在り、その原因は主として寒によって傷なわれたことにある。
 禁服篇でも、寸口は中を、人迎は外を主どる。人迎と寸口の脈状(盛・虚・緊・代)を診て、病状(熱・寒・痛・乍甚乍間あるいは脹満寒中食不化・熱中出糜少気溺色変・痺・乍痛乍止)が「どんな」であるかを知り、治則(写・補・取之分肉・取血絡且飲薬あるいは写・補・先刺而後灸之・取血絡而洩之)を設定する。(この他に陥下に灸と不盛不虚に経を以て取ることがある。)
 これに加えて、それが「どこで」(どの経脈の問題として)起こっているかを知るための工夫として、人迎(陽)と寸口(陰)を比較して、そのどちらがどれほど大きいかから、陰陽の度合いによって病が三陰三陽のどこに在るかを判断する。
 終始篇では、人迎あるいは脈口が、普段よりどの程度に盛んであるかで、三陰三陽の「どこで」問題がおこっているかを判断し、躁という要素が加われば手の三陰三陽とする。※ 治療は、問題があると判断した経脈およびそれと表裏を為す経脈を合わせて取り、写し補う。どの程度に補写するかは、陰陽の偏りの程度による。
☞※禁服篇では人迎と寸口との相互の比較であったのが、終始篇では普段の状態との比較になっている。清の何夢瑶の「人迎のほうがいつだって寸口より数倍大きい」という批判もあるそうだから、終始篇の言い方のほうが善いだろう。

 この変遷の延長線上に、『霊枢』経脈篇もあるはずだが、その主題は、実は流注と病症であって、脈診は添え物に過ぎない。※ 経脈説の重要な材料であったと思われる馬王堆の陰陽十一脈灸経にも脈診の記事などは無い。治則についても、禁服篇の「どんな」に対するものに近く、終始篇のような、陰陽の破綻の程度に応じて経脈を補写する程度を塩梅するなどということはいわない。※※
☞※『太素』では巻8の経脈連環篇にある。妥当な配置だろう。
※※例えば人迎三盛であれば、足陽明を写して足太陰を補い、二写一補、日に二たびこれを取る、必ず切してこれを験し、躁なればこれを上に取る。


Ⅳ 人迎脈口診篇の不思議
 『太素』巻14人迎脈口診篇には、そもそも三つの段階の異なる人迎脈口診を、統合せず並列している。しかし、こういう原材料の放置は『太素』では、通常のことであるから深くは問わない。※
 ただ、ここには我々の感覚からすると、どうして人迎脈口診なのかと思うような記事が別にある。
 篇の構成としては、①禁服篇の「どんな」ことが「どこで」おこっているか、②五色篇の「どんな」ことがおこっているかが先ずある。
 その後に③『霊枢』根結篇に相当する記事が続く。つまり、五十動して一代もしなければ、五蔵はみな気を受けるといっている。四十動して一代するようなら、一蔵に気が無い、……十動して一代するようなら四蔵に気が無い、十動に満たずして一代するようなら五蔵に気が無い。これは脈口で診る。確かに中の問題ではある。
 次いで④『素問』五蔵別論に相当する記事では、「気口は何をもって独り五蔵のために気を主るか」という問いに対して、水穀から得た気味は、蔵府を養うに際して、先ず手の太陰を行って、気口に至ると答えている。人体の全てを統括する五蔵の様子は、中を主どる気口から候う。
 この後に⑤終始篇の、問題は「どこで」おこっているのかを知る法がある。
 終始篇の後の記事の一つは、⑥『素問』病能論に相当する。胃管癰の脈の説明だが、寸口が沈細なのは胃の中に傷寒逆気があるからであり、人迎が洪盛なのは、それに反応して胃管の外に熱が聚まり、変じて癰となろうとしているからだという。再び中か外かという表現になっている。
 最後は⑦『霊枢』論疾診尺篇の文章で、寸口と人迎の脈の小大とか浮沈が等しいものは「病難已」といっている。前の五色篇に相当する文章にも、同様な字句はある。それで楊上善は、脈は四季に応じて微妙に変化すべきなのに、寸口と人迎が全く同じというのは、季節に応じて変化してないということだから、それは拙い、と解釈している。しかし、禁服篇には人迎も寸口も一つの身体のことでもあり、「若引縄小大斉等」で、ほぼ同じであるべきだという。春夏は陽の人迎がやや大きくなり、秋冬は陰の寸口がやや大きくなる、ともいってはいるが。大きな違いは拙い、でも季節に応じた変化が無いのも拙い、ということか。※※
☞※『霊枢』でも、論説は篇ごとに一枚岩というわけではない、例えば九針十二原篇冒頭の徐疾の補写の手法が可能な針は九針のうちで毫針か、あるいは員利針、長針くらいのものであり、しかもそれらの用途にも経脈に気を通すなどということはいわない。
※※経文の本意としては、病んでいるのに健康な人と同じ脈では、どこから手をつけるべきか分からない、といっているのではないかと思う。偏向していれば、それを矯正すれば治る。しかし、ほとんど偏向が無かったとしたら、さて、どうするのか。


Ⅴ これも人迎脈口診?
 楊氏は、経文に人迎とか脈口とかいう文字が対挙されてないところでも、しばしば人迎と脈口を持ち出して説明している。
 『太素』の人迎脈口診篇に採られている以外の篇で、楊氏が人迎を持ち出していて興味深いのは、先ず巻15寸口診篇(『素問』平人気象論)の「春胃微弦曰平」などという箇所である。これは人迎で診る。四季の変化は外を診るべき人迎に出る。しかし、人迎は足陽明であるから、胃の脈である柔弱が、それを覆っているべきで、つまり四季の変化は僅かに見える程度である。こうなってくると、人迎は外に対応するものであるというのと、消化器系を代表するものであるというのと、どちらに重点を置くべきか微妙になってくる。
 また巻3調陰陽篇(『素問』生気通天論)では、「陰が陽に勝てず、脈が流薄するものは、疾并して乃ち狂す」に、陽が勝つというのは、人迎の脈動が異常に盛んになっているということだと説明する。これは足陽明の是動病との兼ね合いでもあろうが、人迎は外を主どるというのなら、(屁理屈のようだが)精神の異常も外の範疇に入ってくるのかと思わせる。
 禁服篇でも五色篇でも、人迎で外を、寸口=脈口で中を知るはずだが、外とは何か、中とは何かは、一筋縄ではいかないようである。人迎で診る外は気象の影響(外傷?)、寸口で診る中は飲食の不適切のせい(内傷?)などとも、単純にはいえない。より広く、人迎は陽、脈口は陰といったほうが善いかも知れない。『霊枢』四時気篇では「気口候陰,人迎候陽也」という表現になっている。また例えば、病能論の胃管癰の寸口が沈細で陰(中)に寒、人迎が洪盛で陽(外)に熱とか、あるいは生氣通天論の狂は陽の極致として人迎の脈変として現れるとかなどは、辻褄があっていそうに思える。

Ⅵ 可能性としての祖先
 人迎脈口診の祖先の可能性として、『霊枢』衛気篇の標本に思い至る。手足の三陰三陽の経脈について、手足の端近くの起点として本を、上部の到達点としてそれぞれに一二の標を挙げている。そして、標が実していれば熱であり、本が虚していれば厥であるという。また、標が虚していれば眩であり、本が実していれば熱であるという。ところが『霊枢』動輸篇では、休まず動じているのは、手太陰、足少陽と足陽明である。休まず拍動してなくては、脈診部としては相応しくない。足少陽は棚上げするとして、標(陽)の代表として足陽明の人迎を選び、本(陰)の代表として手太陰の脈口を選べば、人迎脈口診となる。

Ⅶ 人迎脈口診は「どんな」の脈診
 人迎脈口診は、その変遷からも、診断と治則の関係の充実度からも、もともとは「どんな」を知ろうとする脈診であったと思われる。
 それが外で起こっているのなら、(容易ではないにしても)見ればわかる。ところが中で起こった場合には、古代の科学水準であってみれば、さぐる方法として、脈診以外にはあまり考えられない。※ そこで、寸口に触れることによって、中で「どんな」ことが起こっているのか、を知ることの重みが認識される。人迎脈口診から脈口診に切り替わったのではなくて、人迎脈口診のうちの人迎診(外で「どんな」ことが起こっているか)は、多くの場合に省略されるようになったのである。
 人迎で診たのか、脈口=寸口で診たのかから、外でおこった問題なのか、中でおこった問題なのかまではいえる。
☞※扁鵲などは特別である。それにしても、秘薬を飲んで得た透視能力を、誤魔化すためには診脈を名としている。

Ⅷ 「どこで」はどうする?
 それでは、もう少し詳しい「どこで」の問題はどうなったのか。人迎と寸口を比較して、病んだ経脈を推測する方法は試みに終わったと考える。
 先輩諸氏には、三部九候診が『素問』を代表する脈診であるという意見があった。現在の『素問』三部九候論を見る限りでは、上部は頭の各部だが、中部と下部では手足で診ることになっており、それが教科書的な理解になっている。しかし、その脈診部位を記した文章は、『太素』では篇末にあり、『素問』の新校正によれば、『素問』でも篇末に在ったのを、文脈を離れておかしな位置にあるとして、彼らが今在る箇所に移したのである。してみれば、 三部九候診の原初は、現場の近くの脈動によるものであったと考えられる。つまり、例えば雲門とか中府とか、あるいは肺兪とかに異常な脈動を診て、その奧に在るはずの肺の異常を推し測るものであった可能性が高い。こうした募穴や背兪を診ることが「どこで」の脈診の祖先ではないか。異常な脈状が現れた箇所に、異常がある。それを臨床の実際の都合によって手足に移して、手足の太陰、手足の少陰、足の厥陰と手陽明を診ることにした。※ これはほとんど九針十二原篇の原穴診に近いものになる。ところで、人迎脈口診のほうは、事実上、寸口だけを診るように変化している。そうした趨勢に在って、五カ所もの陰経脈あるいは原穴を診るのは大儀であると考えられるようになったのではないか。そこで、寸口の一カ所に統合して、それでも「どこで」がいえるための工夫として、例えば『難経』十八難では、関を境に陰陽を配して、寸関尺の寸で手、尺で足を診、ひいては寸で心肺、尺で肝腎を診ることにする。それをさらに左右に分けることを思いつけば、ここまで来れば、現代の六部定位脈診まで、もうほんの一歩である。左右の寸関尺に胴体部の五蔵を配比したことになる。つまり現代の六部定位脈診、(左右の寸関尺に五蔵を配当した)現代の三部九候診は、古代の三部九候診のミニチュア版である。五行説に基づいた相対論となっているが、基本的な考えとしてはそういうことになる。
☞※それが『素問』三部九侯論の篇末に加えられた「工夫」である。

Ⅸ 今の我々は何をやっているのか
 脈診に限らず、診断とは、「どこで」、「どんな」ことが起こっているのか、を知るための方便である。してみれば、脈診においても、「どこで」と「どんな」は区別して考えたほうが善いのではないか。脈診は二本立てであるべきではないか。
 つまり、「どこで」の問題は、六部定位脈診=ミニチュア版の三部九候診で知る。しかし、左右の寸関尺の微妙な虚実の判定が、そう容易なはずがない。自信が持てなければ、五陰経脈を切診してみてもいい。さらには募穴とか背兪とかを探ってみればいい。三部九侯診は、本来はそうしたものだったかもしれない。
 中で「どんな」ことが起こっているのか、を知りたいが為には寸口を診る。外には、今のところ関心がない(問題は無さそうである)。だから、人迎脈口診のうちの脈口診だけを行う。もし、外で「どんな」ことが起こっているのかも知りたければ、人迎にも触れてみればいい。本来の人迎脈口診に立ち返ることになる。

 我々も実は、今なお 三部九候診も人迎脈口診もやっている。そして結局のところ、「どこで」はどこの脈でそれを診たかによる以外にはない。今の六部定位脈診では狭いところでさぐり、昔の三部九候診では広く胸腹にさぐったというだけのことである。そして、どんな脈状であるかによって分かるのは「どんな」病状のほうである。このことは、はっきりと認識しておいたほうが善いと考える。
 

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