靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

脉訳

「譯」の略字「訳」は,草書を楷化したものと思っていたけれど,そうでもないかも知れない。杉本つとむさんの説明では,「釋迦」を「尺迦」と書いた仏典があるそうです。シャカというのはもともと中国語ではないのですから,どちらでもよいようなものですが,「釋迦」が普通の書き方として定着して,でも「尺迦」も仏典に有るとなると,「尺迦」にも一種の権威が生まれます。そこで,他の場面での「釋」の代わりにも「尺」を用いる習慣が生れました。そしてやがて,「釋」の声符「睪」の代わりに「尺」を用いることがはじまります。「采に従い睪の声」が,「采に従い尺の声」に変わったわけです。それがさらに他の「睪」を声符とする文字にも敷延されて,「駅」とか「訳」とかいう文字が用いられるようになった。
どうしてこんなことを調べ始めたかというと,『難経集註 旧鈔本』に『皇甫子安脉訳』とか『華佗脉訳』が登場すると見て,校勘表にわざわざ慶安本は「訳」を「訣」に作るといっているからです。そもそも私には先の「訳」だという文字は「訣」に見えます。でも後の文字の右部分は,確かに「尺寸」などと書いているところの「尺」と全く同じです。でもね,「訳」なんて略字はいつころから有るんだろうか,当時は無かったんじゃないか,とね,調べ始めて,でもそれは突き止められませんでした。
で,鈔者が言偏に尺の字だと見て摸写して「訳」と書いたとして,それが「譯」の略字であることを認識してなかったとしたら,校勘ではどう処理するのが本当なんだろう。

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