靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

七診

『素問』三部九候論に「七診雖見,九候皆順者不死。」とある。九候は上中下の三部それぞれに天地人で,合わせて九候である。それでは七診とは何か。一説には「察九候,獨小者病,獨大者病,獨疾者病,獨遲者病,獨熱者病,獨寒者病,獨陷下者病。」で,王冰はこちらを採っているらしい。もう一つは楊上善の説で,沈細懸絶、盛躁喘数、寒熱病、熱中病、風病、病水、形肉已脱を挙げる。ただし,最後の形肉已脱は疑わしい。「形肉已脱,九候雖調猶死。」の注に「土爲肉也,肉爲身主,故脉雖調,肉脱故死。此爲七診也。」とあるのだから,楊上善説の第七診は形肉已脱と考えるのが,まあ普通ではあろうけれど,その次にまとめて「七診雖見,九候皆順者不死。」と言うのだから,七診の中に形肉已脱が有るのはおかしい。「形肉がすでに脱してしまえば,九候が調っていたとしても死んでしまう」と「七診が現れたとしても,その中の一つ形肉がすでに脱するという状況になったとしても,九候がみな順であれば死なない」,やっぱり矛盾するでしょう。実は「形肉已脱,九候雖調猶死。」の前に「其脉乍䟽乍數,乍遲乍疾,以日乘四季死。」という一条が有って,その楊注には何故だか「此爲○診也」が無い。ひょっとすると,「此爲七診也」は「其脉乍䟽乍數,乍遲乍疾,以日乘四季死。」に対する楊注の末尾に在るべきではないか。そうすれば第七診は「其脉乍䟽乍數,乍遲乍疾」である。

ここでも『素問』の注釈者は概ね王冰説を採り,『太素』の注釈者は概ね楊上善説を採っている。おもしろいねえ。ただし,森立之『素問攷注』では,楊上善説が是であると,明言はしてないようだけれど,楊上善説によって第一診から第六診まで番号を振って,しかも「其脉乍䟽乍數,乍遲乍疾,以日乘四季死。」の上に,ちゃんと第七診と書き込んでいる。ちゃっかりしているねえ。

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