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こだまの世界

---倫理学者のふしぎな日記---
今月で一周年

97年9月後半号

9月後半の主な話題


ご意見のある方は、 kodama@socio.kyoto-u.ac.jpまたはメイルを 送るまで。


09/16/97(Tuesday/mardi/Dienstag)

・真夜中・

・あいや〜。思わず下宿に戻って寝てしまったよ。さて困った困った。大 ピンチ。さあ、気合いを入れて宿題やらなきゃ。


・もうすぐ暁・

たった今知ったが、geometryを「幾何学」と訳 すのは、geoの音訳が「幾何(中国語ではジホと読むらしい)」であり、metryを とりあえず「学」と訳したからなんだそうだ。ゆるゆるゆるゆるゆゆゆゆゆゆっ ゆっゆるせんっ。なんていいかげんな訳だっ。アイロン(ironから)やミシン (machineから)じゃあるまいしっ。これじゃあ意味がわからんだろうがっ(それ がある種の効果を持つことは認めるが)。ちゃんと「測地法」とか「測量法」 とか訳せっ。ああ許せん許せん。

(追記。よ○むらさんに教えてもらったが、一応「幾何」には「どのくらい の」という意味があるのだそうだ。しかし、それでもまだ「測地学」の方が意 味がはっきりしていて良いと思う)


・早朝・

・ひ〜ん。疲れたよ〜。レポー トはとりあえずほぼ完成したが、授業の予習もしなくちゃいけない。そう、 今日から二学期なのだ。もう寝れそうにない…。


・昼・

・結局、レポートをプリント・アウトしてから、一度下宿に戻って寝た。2 コマ目の授業が始まる30分前に起きて急いで予習をして、なんとか授業をこな した。久しぶりの1時間30分たっぷりの授業は疲れる。

(しかし、レポートで「ユークリッド幾何学」と書かずに「ユークリッド 測地法」と書いてしまったが、あれは怒られるだろうなあ。 ぼくは間違っていないと思うのだが…)


・宵・

・4コマ目終わり。長かった。今日は2コマ、3コマ、4コマと連続して出た ので、すでに白い灰と化している。しかし、これからさらにロック読書会。も う早く帰って寝たい。

・ところで、これは内緒だが、3級というのはアマ将棋で3級だからで、5級 というのは同じく5級だからである。


・夜・

・おく○くん、つ○たさんと一緒に天下一品の銀閣寺店を探し回る。目立 つ看板なのですぐに見つかると思っていたのに全然見つからない。実は、今日 は定休日で照明が消えていたのだ。かなり遠くまで探し回ってしまった。ばか。


・ロック読書会中。死ぬ。終わったらすぐ帰って寝ます。


09/17/97(Wednesday/mercredi/Mittwoch)

・お昼前・

・昨日は帰ってから爆睡。雨の音がすごかったので学校にも行けないし、 朝まで寝てた。

昨日の第二演習では、一緒にベンタム読書会をして いるM2の先輩が修論の中間発表された。

・修論のテーマは子ミル(ジョン・ステュアート・ミル)の「1)自由原理の 下で個々人は発展し、2)この発展は当人の幸福に結びつく」という主張を検討 する、というもの。


・子ミル(1806-1873)というのは、われらがベンタムの一番弟子だったジェー ムズ・ミル(父ミル)の息子で、『自由論』(1859)という自由主義礼賛の本を書 いた偉いイギリス人。

・子ミルも功利主義者なんだけど、ベンタム批判が厳しくって(しかもベン タムが死んでからぼろくそに言った...ひどい奴)、「ベンタムは人間本性を理 解していない」とわめきたてたので有名。


・さて、子ミルもベンタムと同様に、「幸福とは、快楽の存在、苦痛の不 在を意味する」という快楽説を取る。他方、子ミルの功利主義がベンタムのそ れと大きく異なる点は、「快楽の質」という考えを取り入れたところ。

・要するに、子ミルは、快楽に「高級な快楽」と「低級な快楽」があるっ ていうわけ。(もちろん「高級な快楽」とは、人間らしい快楽、精神的な快楽を 指し、「低級な快楽」とは、畜生の快楽、お下劣な肉の快楽を指す)

・じゃあ、この質はどうやって区別するんでしょ?子ミルによると、この区 別は「二つの快楽(快楽Aと快楽B)を以前に体験したことがある人の大多数が、 たとえ快楽Aを圧倒的に上回る量の快楽Bを与えられたとしても、それでも快楽 Aを選ぶのなら、快楽Aは快楽Bよりも高級だ」という仕方でなされます。


・しかし、「経験を積んだものには快楽の質がわかる」というのは、「低 級な快楽を選ぶ人間は、経験を積んでいないからだ」ということになるんじゃ ない?また、これは「だから、経験を持った人間の言うことを聞きなさい、そ うすればあなたはより幸せになれます」という主張にたやすく結びつくと思う。 子ミルがエリート主義あるいは愚民思想を持ってると思うのはぼくだけだろう か。

・さらに問題なのは、「幸福は快楽(の存在と苦痛の不在)でできている」 という前提があって、「快楽には質がある(おそらく苦痛にも)」ということを 認めると、「幸福には質がある」ということになると考えられるということで す。でしょ?

・「快楽に質がある」ということを認める人はひょっとすると大勢いるか も知れないけど、「幸福に質がある」ということを認める人はちょっといない んじゃないだろうか。

・それとも、ひょっとするとぼく以外の人は「わたしは幸福である。また、 隣の人もわたしと同じぐらい幸福そうに見える。しかし、わたしの幸福は隣人 の幸福よりも質的に高い。あはははは」とか思ってるんだろうか。

・とはいえ、もちろん自分一人で「快楽(幸福)Aは快楽(幸福)Bよりも高級 である」思うのはその人の勝手で、その分には別に問題があるようには思えな い。しかし問題はその「質的な区別」を他人に押しつけようとする場合。

・たとえば、「あんたは馬鹿だからよくわかってないみたいだけど、こっ ちの快楽(幸福)の方が質的に高いんだから。あ〜もう、つべこべ言わずにこっ ちにしときなさい。わたしの言うことが正しいんだから」とか。

・これではほとんど趣味の押しつけです。果して子ミルはそんな気は全く なしにこのようなことを言ったんでしょうか。(快楽の質の議論は子ミルの 『功利主義論』の第二章にある。ついでに、『功利主義論』は中央公論社の 「世界の名著」シリーズに入っている。あまり良い訳ではないらしいが)

・ちなみに、ベンタムは「子供のささいな遊びの快楽と、詩を作る快楽は、 量が同じならば全く変わるところはない」というような主張をしてます。ぼく はこっちの方が納得が行くが、皆さんはどうなんでしょう?


快楽には質が
あると思う
ないと思う

その他


・お昼過ぎ・

快楽に質があると「思う」が1票、「思わない」が1票。

・ついでに、ベンタムの「一つの快楽あるいは苦痛の価値の計り方」の説 明を簡単にまとめておきましょう。

・まず、快苦の価値は、「快苦を感じる当人」と「その快苦」だけに限っ て考えると、次の要素が考えられます。

  1. その強さ

  2. その長さ

  3. その確かさ、あるいは不確かさ
    (ある行為をすると快楽が得られるかどうかという予想をしたときに、当 の行為をすると快楽を確実に得られそうかどうかということ)

  4. その近さ、あるいは遠さ
    (ある行為をすると、快楽が明日得られるのか、10年後に得られるのか、 ということ。これはわれわれ「殺那型」の人間にとっては死活問題である)

・次に、「快苦を感じる当人」の「ある行為」においての快苦の価値を問 題にするときは、以上の四つに加え、さらに二つの要素が考慮されます。

  1. その強さ

  2. その長さ

  3. その確かさ、あるいは不確かさ

  4. その近さ、あるいは遠さ

  5. その多産性
    (ある行為をしたときに得られる快楽が他の快楽を伴うかどうか、という こと。たとえば、良い例を思い付かないが、「水泳をする快楽」は「よく食べ れる快楽」や「よく眠れる快楽」を伴うとか)

  6. その純粋性
    (ある行為をしたときに得られる快楽が苦痛を伴わないかどうか、あるい は逆にある行為をしたときに得られる苦痛が、快楽を伴わないかどうか、とい うこと。これは簡単。「タバコを吸う快楽」は「肺ガンで苦しむ苦痛」を伴う。 ただし、その苦痛の「確かさ」は明確でないし、「遠い」ものであるわけだが)

・今の二つの要素は、厳密には「一つの快楽(苦痛)」そのものの性質では なく、「一つの行為」の持つ性質なんだって。

・最後に、「快苦を感じる当人」だけではなく、「周りの人間」のことも 考慮に入れて快苦の価値を考える場合は、上の六つに加えて、次の要素が入ります。

  1. その強さ

  2. その長さ

  3. その確かさ、あるいは不確かさ

  4. その近さ、あるいは遠さ

  5. その多産性

  6. その純粋性

  7. その範囲
    (もちろん、何人の人間に影響が及ぶか、ということ)

・だから、ベンタムによると、ある行為が自分にとって良いのかどうかを 知りたい場合は、上の六つまでの要素を考慮に入れて、足し引きしてみて、快 楽の方が苦痛よりも大きければ、その行為は自分にとって良い、ということに なります。(それでは「他人の快苦が自分の幸福に反映されないではないか、 という人がいるかも知れません。しかし、もちろん「ぼくがタバコを吸うと友 人がいやがってぼくを仲間外れにする苦痛」とかいうのも計算に入れる必要が あります)

・また、ある行為が社会的に良いのかどうか(つまり、ある行為が正しいかど うか)を知りたい場合は、上の七つすべての要素を考慮に入れて、足し引きし てみて、快楽の方が苦痛よりも大きければ、その行為は社会的に良い、という ことになります。

・とはいえ、その計算が難しいことはベンタムも認めてます。いつもいつ もこういう計算をしなさいと言うわけではないです。しかし、なるべく考えた 方が正確な判断ができると。

・あれ、何が言いたかったんだろう。ああ、そうだ、「その後の人生に有 用な快楽かどうかという意味では,有用なものとその時だけというものの違い が出てくると思う」とアンケートに書かれた方がいたので、ベンタムはそれも (質の違いとは考えずに)数値化して量的に捉えてるって言いたかったんだ。そ れじゃだめですかね。


・夕方・

・ロック読書会終わり。今日はおくだっちも参加。

快楽に質があると「思う」が3票、「思わない」 が2票。ううむ。某氏は「快楽にも質があるし、幸福にも質がある」と公言し ていた。それでいいのだろうか。

・「わたしは高級な快楽を追求している」とか、「快楽には質的な違いが ある」という考え自体に快楽を認めている人もいるが、それとてやはり(質の) 同じ快楽に違いない、と言う方もいる。

・では一時帰郷します。また明日。


09/18/97(Thursday/jeudi/Donnerstag)

・夕方・

・昨日は高槻に帰り、夜中に3級の助けを借りたりして忙しく過ごし、朝起 きてこれから始まる倫理学入門書読書会の予習をして、そのあと汗を垂らしな がら荷物をまとめ、んで高槻に帰って来ていた兄の運転で下宿に荷物を運んで もらい、それからまた汗を垂らしながら下宿に荷物を入れる。忙しい。すでに 力尽きた。

快楽に質があると「思う」が7票、「思わない」 が7票。うそっ、こんなに意見が分かれるとは。(あっ、また蚊に刺された)読 書会の後で、思うところを書きたい。

・ところで、最近ごはん食べるときになんか歯が痛いなあ、虫歯かなあ、 と不安に思っていたのだが、昨日鏡で歯を見てみると、左下側の歯に、なんと 直径一ミリの大きな穴が空いてるのである。ぎょえっ。

・それを見た途端、歯医者に行って「はい痛くないですよ〜」とか言われ つつ歯茎に注射を打ち込まれ、野蛮なドリルでごりごりやられて思わずホロリ と涙ぐむ近未来のぼくを想像して、すうっと気が遠くなってしまった。

・まあ、ほっとくとさらに大きな苦痛が確実に待ち構えているはずなので、 仕方ないから京大本部の診療所にでもお世話になろうと思う。…それにしても、 ちゃんと歯を磨いてるつもりなんだけどなあ。ガムの噛み過ぎか。


09/19/97(Friday/vendredi/Freitag)

・朝・

・だっ、だはあっ。寝てたっ。

・昨日の倫理学入門書読書会(「義務論」の巻その3)が終わった後、一部の 人々と夕ごはんを食べに行き、下宿に帰ってから「携帯にしようかPHSにしよ うかそれが問題だ」と考えているうちに寝てしまった。だはあっ。

・とりあえず今日のドイツ語の授業の予習をせねばっ(一学期にも同じこと を書いていたと思う)。


・昼下がり・

・だはあっ。ね、眠い。さすがに2コマ連続でドイツ語哲学の授業に出ると 脳が溶けて耳から流れ出して来る。あ〜耳かき耳かき。

ところでVorstellungという語 (名詞)は、ぼくのようなドイツ哲学初心者にとっては恐るべき言葉である。哲 学用語としては一般的に「表象」と訳される。「おもてのぞう」ってなんなん だ?

・ドイツ哲学を専門にされている先輩に「『ふぉふぉふぉ、ふぉあしゅて るんぐ』ってどんな感じの意味なんですか」と尋ねると、「なんらかの対象が 頭の中に浮かんでくる、そのイメージのことよん」というような答えをいただ いた記憶がある。動詞vorstellenはvor「前に」+stellen「立てる」 だから、まさに「目の前に(あるいはまぶたの裏か)立てられたもの)」なので あろう。

・ラテン語ではideaeがこの語に対応するようだ(哲学者によって は異なるかも知れないが、少なくともブレンターノの用法ではそういうことに なる)。すると、イギリス哲学(限定すれば、ロック)ではこの語は idea(観念)に対応する語だと言えるのではないだろうか。と、今日 思った。

Vorstellungを「表象」と訳すとわかりにくいが、「イギリス 哲学の『観念』と大体同じものよん」と言われるとイギリス哲学びいきのぼく なんかにはずっとわかりやすい。それともやはり「表象」と「観念」は(見た めどおりに)ずいぶん違うものなのだろうか。

(今ドイツ語の辞書を見ると、「観念、心象(しんしょう)、概念」などの訳 語もあった。例に挙がっているIch habe keine Vorstellung davon.なんかは まさにI have no idea of it.「わたしにはとんと見当が付かない」ですよね)


・夕方・

・京大の診療所の歯科は金属の詰めものはしてくれないそうなので、どこ か他の歯医者に行く必要あり。だれかこの近辺で良い歯医者(すなわち患者に 大きな苦痛を与えずに治療をする医者)を知りません?

・これからベンタム読書会。


・夜・

ベンタム読書会を終えてから、夕ごはんを食べ ながら『お〜い竜馬』の九巻から十一巻の途中まで読む。面白い。以下は読み ながら思ったこと。

・幕末当時、開国論には相当反感があったのだなあ、としみじみ思う。確 かに、神国日本が敵国である西洋諸国と貿易し、後々に仕 返しするためにせよ、相手国の技術を学ぶなどという考えは、普通の人には思 いもよらなかったのであろう。

・考えてみて欲しい。もし今、火星人と金星人と土星人が圧倒的な軍事力 をもって地球にせめて来たとして、そのときにぼくが「いやいや。たとえ治外 法権を認め、関税自主権を失うことになろうと、ここはひとまず我慢して火星 人や金星人や土星人と貿易を行なおうではないか。そうして彼らの技術を盗み、 10年後、20年後に仕返しをしてやろう」など言ったとしたら、あなたはこの意 見に賛成できるであろうか。

・しかも当時はみな、圧倒的な情報不足で、西洋の戦艦(黒船)の本当の威 力を認識していないのである。いわば、「いや、アメリカには核兵器があるか ら、地球は絶対に火星などには負けはしないよん」と多くの人々は信じている のである。

・こういう攘夷派の人々が開国の知らせを聞いたときの驚きや悔しさは、 長い太平洋戦争の末に、玉音放送を聞いた人々の驚きや悔しさに比することが できるのかも知れない。

・そう考えると日本史でなにげなく覚えた「和魂洋才」っていう言葉もす ごく重い響きを持っていることに気付く。当時のこんな会話が目に浮かぶ。

・「お前もむかつくだろう、いや、俺もほんとにむかつくんだよ実際、開 国には。けど、こうしなければ日本は西洋諸国の植民地になっていたんだ。く やしいけど今は我慢しようじゃあないか。なあに、今に見てるがいいさ。あい つらの技術を盗んで日本は富国強兵を成し遂げ、すぐに見返してやるさ。たと え西洋の技術を学んだとしても大和魂を忘れるわけじゃあない。和魂洋才じゃ き、和魂洋才。たまるか」

・というわけで実は「和魂洋才」って、「臥薪嘗胆」と同じくらい、いや もしかするとそれ以上の暗〜い情念がこもった言葉だったのではないだろうか。 ん、話がよれちゃったか。


・真夜中・

・下宿に戻ろう。勉強しなくちゃ。やっぱり授業は刺激になるなあ。


09/20/97(Saturday/samedi/Sonnabend)

・お昼・

・ごめん、「和魂洋西」じゃなくて「和魂洋才」です。間違い間違い。恥 ずかし。

快楽に質があると「思う」が9票、「思わない」 が7票。ちょっと質問の仕方が曖昧だったかな、と反省中。けどもう少しした らまた書き足すつもり。


・お昼過ぎ・

・ロック読書会終わり。これから用事でJR京都駅に寄って、それから高槻 に戻る。明日の午前中は前に教えていた塾でテスト監督をやって、そのあと京 大に戻りバンドの練習の予定。ではまた。


09/22/97(Monday/lundi/Montag)

・昼下がり・

・あれ、どんどん日付が更新されて行くぞ?なんか一日がやたらと短くないか?

・それはともかく、昨夜はふと下宿の近辺を探検したくなったので、自転 車であてもなく西へ行ったり東へ行ったりしてみた。うむ、なるほど、こうい う位置関係にあるわけだな、などと一人で納得。また、近くのビデオ屋に倫理 学専攻の3回生さ○きくんがバイトしていることも発見。近々入会するかも。

・今日は授業がないので昼前までぐっすり睡眠。ルネ(京大生協の一つ)で 以下の本をつい買ってしまう。お金ないのに…。


・『方法序説』を第三部まで読む。すべての哲学書がこの位短ければ良い のだけれど…。


・夕方・

・今度ベンタム・メイリングリストで新しく読書会を始める予定。興味あ る人は ここを読むべし。興味のない人もできれば読むべし。


09/23/97(Tuesday/mardi/Dienstag)

・真夜中・

夕方に下宿に戻って横になったり縦になった りしながらルネちゃんの『方法序説』を読み終える。なんだあ、世界の名著に も同じのが入ってるんじゃん、と気付いて後悔したりする。ついでに情念論も 飛ばし読みして、内容が馬鹿々々しいので少し笑う(特に「笑い」や「涙」の 説明)。

・『方法序説』は、第六部まであるが、第二部で述べられる四つの規則、 すなわち明証性の規則、分析の規則、総合の規則、枚挙(数え上げ)の規則を持 ち出すところと、第三部の暫定的道徳の説明までが面白い。

・その後はどんどん話が怪しくなって行って、眉に唾を付けて読む必要が 出て来る。第四部にようやく「わたしは考える、ゆえにわたしはある」Je pense, donc je suis.が登場するが、残念ながら内容はどんどん荒唐無稽にな る。

・一番の問題は、デカルトが

「われわれがきわめて明晰に判明に理解するところのものはすべて真であ る」ということを、一般的規則として認めてよいと考えた。

と、まるで直観主義者のようないい加減なことを述べる段である。なんで そうなるのっ。

・このあと、デカルトは「理性の明証」とかなんとか言いながら、神と精 神の存在という第一真理から彼が演繹したという真理を示すのだが、その内容 が現在の視点から見れば無茶苦茶である。

・たとえば、心臓の中には光なき火があって、その熱が血液を蒸気にして 肺に送り込み、肺が蒸気となった血液を冷やして再び心臓に送り込む、という ようなことが書いてある(第五部)。

・しかも、ご丁寧に「なお、数学的論証の力を知らず、真の推理を真らし い推理から区別することに慣れていない人々が、わたしのここに述べたことを 軽はずみに否定するということのないように、次のことを注意しておきたい」 などと書いてある。あきれるほどの理性盲信である。

・そのほか、動物は理性をまったく持たないとか、物体の本質は延長であ り、空間も延長だから空間は物体であり、したがって空虚(真空)は存在しない だとか(この二点および生得観念はジョン・ロックが執拗に批判している)、現 在の科学知識からすればあきらかに誤った主張が堂々と胸を張ってなされる。

・まあ、デカルトは解析幾何学の基礎を作ったり、光学の発展にも貢献し たそうだから、あまり欠点ばかりいうのは不公平であろう。けれども、「理性 の明証」という発想にもう少し慎重であれば、より正しい推論や発見を行なえ たのではないかと残念に思う。やはり明証性の規則が一番問題だよな。

・『方法序説』を何度か読むとデカルトというおじさんは、果して人が良 いのか人間嫌いなのか、慎重なのか軽率なのか、名誉を重んじるのか軽んじる のか、よくわからなくなる。たぶんちょっと理屈っぽいが人の良いおじさんだっ たと思うんだけど…。


・その後、遅い晩ごはんを食べながら『お〜い竜馬』を十四巻まで読む。 武市半平太と岡田以蔵がついに殺された。無念。

・そろそろ死刑廃止論を進めないと…。


・夜更け・

・もうそろそろ朝が来る。ので下宿に戻って寝よう。ロック読書会の予習 も済んだことだし。ではまた。


・昼下がり・

・あ〜、よく寝た。さ、しっかり勉強しなきゃ。これからロック読書会。


・ロック読書会終わり。明日もやる。ちょっとごはん。


・夜・

・目的の中華料理屋が開くまで時間がいくらかあったので、○くだくんと つ○たさんとつるんで吉田山をさまよったり、古本屋を物色したりして時間を つぶす。

・その中華料理屋はカウンターだけの小さな店で、混んでいたため少し待 つ。なかなかおいしいのではないだろうか。


・木曜の倫理学入門書読書会の準備。「現代義務論」の次は「徳理論」を やるつもり。

・なんか疲れたので(腰が痛い…)、下宿に戻ってSFでも読む。勉強しろって。ば。


09/24/97(Wednesday/mercredi/Mittwoch)

・お昼前・

・今から急いで哲閲(哲学閲覧室)の書庫に行って調べ物をして来る。


・昼下がり・

倫理学概論はちょうどデカルトの「明証的に 真」の話。方法論的懐疑についていろいろ。

・方法論的懐疑とは、実験的に様々なことがらを懐疑してみること。デカ ルトによると、感覚や想像や記憶や数学の証明などは、厳密に考えてみると間 違っていることもありうるから、いったん全部偽として退ける。しかし、たと えあらゆるものを疑ってみても、そのように疑っている私自身が存在している ことはどうしても疑い得ない。したがって、「私が存在する」は明証的に真で ある。

・この話からしてあまり好きではないのだが、とりわけ「知的精神の判断 能力」によって事物の本質を「直観的に洞察する」とかいう表現は許せん。い かんちゃ。


・夕方・

・午前中に引続き、哲閲で雑誌の物色。う、こんなに購読してるのか。い ちいちチェックするのは大変。とりあえず哲学、哲学史、倫理の新着の分に目 を通す。


・夜・

・ロック読書会終わり。次回は第二巻第十四章第二十三節から。なんだか 寒い。風邪に御用心。


09/25/97(Thursday/jeudi/Donnerstag)

・真夜中・

・あらら。もう木曜日。矢のように飛んで行きますな。これから今日の夜 に行なわれる倫理学入門書読書会のお勉強。


・う、進まない。ちょっと夜食兼読書をば…。


・定食屋で煮込みうどんを食べながら、『お〜い竜馬』15巻、16巻を読む。 いろいろと考えさせられる。


・そろそろ夜明け・

・うう、読書会の準備にえらい時間がかかってしまった。金曜のドイツ語 の予習もせにゃあかんのに。が、とりあえず下宿に戻って寝ましょ。

・あ、昨日哲閲で借りてコピーした論文、二つ。

・まだ読んでいないが、読んだらきちんと書評を書いて行くことにしよう。


・昼下がり・

・不覚。また寝すぎた。涼しくなって寝やすいんだからしょうがない。夜 空も綺麗になって来たし。


・夕方・

・倫理学入門書読書会で次に読む『徳理論』の予習をする。どこかで読ん だような文章が出て来てニヤリとする。


徳理論について

・徳理論(徳倫理)のキーワードは、性格characterです。徳理論を支持する 人は皆、(性格が悪いので)、日々性格の向上を目指しています。自分の持つ可 能性の実現を目指すタイプの道徳と言えますね。こういうのを倫理学用語では 「自己実現」型道徳とか、「完成」型道徳と言います。

・たとえば、この手の人は「勇敢な人間になれ」とか「知恵のある人間に なれ」と命じるわけです。みんな理想に向かって突き進むのです。

・さて、徳理論の擁護者は、「功利主義やカント的な義務論では、『わた しはどのような性格の人間になるべきか』という、われわれにとって本当に重 要な問題が問われていない」と批判して来ます。よくある批判ですね。彼らに 言わせれば、功利主義者は快楽追求ロボットで、義務論者は規則フェチの変態 だ、ということになります。

・けど、ぼくに言わせれば、徳理論なんて何っにも役に立ちません。これ は実現不可能な理想を文学的に表現することによって人を惑わすだけの無用の 理論です。共同体主義にせよ、徳倫理の復権にせよ、1980年代に起こった一種 の信仰宗教とも言えます。

・たとえば、彼らは「古代ギリシアのポリスの理想に戻れ」って言います けど、ぼくらはそんな奴隷制度があって女性は参政権を持たないような社会に 戻るつもりはありません。

・第一、徳理論でどうやって議論を調停したり法を作ったりできるのっ。 徳なんてものはあくまで個人の心の持ちようの問題であって、個人間の問題を 解決できるようなもんじゃないでしょ。

・個人間の問題とか、広く社会的な問題には、徳などというわけのわから ないものは役に立たないわけで、やはり実践的な功利主義か、あるいは一歩譲っ ても義務論とか権利論みたいなものが必要になって来ます。

・というように、徳理論と功利主義、あるいは徳理論と義務論は全然違う 分野のことを問題にしているんだから、批判しあってもほとんど意味がないわ けです。片方が立てばもう片方が立たない、という関係ではなく、お互いに住 み分けができるはずなの。

・とはいえ、ぼくはあんまり徳理論って好きじゃないけどね。やっぱイン チキ臭くって。

(追記)アメリカに留学中の先輩の話によると、徳倫理の基本は、「徳のあ る人ならばどのように行動するか」という問いを行動指針にすることなのだそ うだ。だから、徳倫理は必ずしも完成型道徳になるとは限らず、たとえば「徳 のある人物になるように行動する(のが正しい)」という形式をとる必要はない んだそうだ。要勉強。


・夜・

・倫理学入門書読書会終わり。来週は「現代義務論」その4と、「徳理論」 その1をやる予定。終わってから皆でオムライスをはむはむと食べる。はむはむ。

・雨が降っていて帰るのがめんどくさい。眠いし。


09/26/97(Friday/vendredi/Freitag)

・早朝・

・昨日は一晩中雨が降っていたようだ。たまにはそういうのも良い。

・昨日は一晩中僕は眠っていたようだ。たまにはそういうのも良い。たまには。


・朝・

・これからドイツ語の授業。ドイツ語はなかなか上達しません。困ったものです。


・昼下がり・

・雨が降ったり止んだり。ドイツ語の授業、すなわちブレンタノ・シェラ (←音を伸ばさないのが「通」である……うそ)の演習は、ある程度内容がわか り、話になんとかついて行けるので楽しい。

ところで、身内の話で恐縮だが、ニューヨー クに住む姉の夫(アメリカ人)がドラムを叩いているバンド、 BARKMARKET が、近々初来日する。ので、ちょっと宣伝。

・最近、ようやく日本版のCDが発売された。9月号のMUSIC LIFEなどにも写 真とアルバム・レヴューが載っているので、レッド・ホット・チリ・ペッパー ズとか、ニルヴァーナとかヘルメットなどが好きな人はチェックしてみて欲し い。

・あと、ライブ情報も以下に記す。ぼくは友達と18日のライブに行くつもり。

10/16th. Club Quatro (Tokyo) with Helmet
17th. Kohenji 20000 VOLT (Tokyo) Headline live
18th. Club Quatro (Osaka) with Helmet


・下宿に戻って少し寝て、また来ます。寝てばっか。


・夜・

・ベンタム読書会の後、某助教授、やま○きさん、すず○きさんとぼくと いう割と珍しい組合せで晩餐。正しい博士過程の過ごし方、雑誌購読の話題な ど。ごちそうさまでした。


・あ、すいませんすいません、Fritagじゃなくて、Freitagです。ごめんな さい。これってだいぶ前からやってますね。直ちに直します。いやいや、すみ ません。許して。降参。(といってお腹を見せる)


・真夜中・

・あらら、ベンタム読書会のまとめをしていたらこんな時間になっちゃっ た。銭湯に行くので帰ります。ではごめん。


09/27/97(Saturday/samedi/Sonnabend)

・お昼前・

・真夜中の銭湯は学生で満ち満ちていた。なるべく夕方に行くべき。

・ジュール・ヴェルヌの『地底旅行 』を読了。お次はウェルズの『宇宙戦争』だっ。


・夕方・

・ロック読書会終わり(次回は火曜の4コマ後)。その後、つ○たさん、おく ○くんと早い夕ごはん。

・これからソウルバンドの練習。


・夜・

・バンドの練習はいろいろあって(そんなになかったが)中止になった。むむ。

・下宿に戻る。


09/28/97(Sunday/dimanche/Sonntag)

・昼下がり・

・下宿生活になってずいぶん時間に余裕ができたはずなんだけど、あいか わらず心に余裕がない。「ああ、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」って 心持ちになってる。

・当面やるべきこと。

・これ以外に今までの読書会や、授業もあるが、大したことはない(はず)。 あまり先のことは心配しないで、〆切まぎわに苦しむことにしよう。


・夕方・

・『お〜い竜馬』、十七巻、十八巻。ついに薩長同盟がなる。犬と猿の仲 であった薩摩と長州に、竜馬が大きな情熱と尽力でもって手を結ばせる。すご い。

・これからバンドの練習。その後、高槻に帰るつもり。


・宵・

♪帰ろう帰ろう洗濯物持って帰ろうっ♪(実はまだこちらに来て一度も自分 で洗濯をしていない…)


09/29/97(Monday/lundi/Montag)

・お昼・

・昨日はその後バンドの連中と三条河原町の辺りの飲み屋で飲み食いして、 ゲーセンに寄ってから高槻へ。

・『電車でGo!』(という名前だったと思う)というゲームをやったが、これ がなかなか面白い。

・JRの運転手になって電車を走らせ、時間通りに駅に到着し、停止線でぴっ たり止める、というだけのいたってシンプルなゲームなのだが、映像もきれい で、本当に電車を運転した気になれる。かなり難しいが、おすすめ。

・そいえば、昔フライトシュミレーターもののゲームがあったが(今でもあ るか?)、あれは難しすぎて全然できなかった。飛行機より電車の方がよっぽど 操縦は簡単なはずなのに、なぜ今まで電車運転のゲームは出なかったのだろう (出てたのかも知れないが)。地味だからか。


・昼下がり・

・『お〜い竜馬』十九巻から二十一巻まで。高杉晋作も死に、いよいよ薩 長連合軍と幕府軍が正面衝突しようとしているところに、竜馬の策によって動 いた土佐藩が大政奉還を幕府に進言する。ああ、もうすぐ竜馬死んじゃう。

・よく考えてみると、竜馬たちがいたおかげでぼくは今こういう生活を送 れてるわけで、(たとえ現在、身分差別が完全になくなってないにせよ、また 民主主義が形骸化してるという批判があるにせよ)感謝しないとばちが当たる よなあ。

・竜馬を含め、あなたがた民主主義の確立に貢献した人々(ロック、ベンタ ム、その他大勢)にはほんとに感謝しております。あなたたちがいなかったら おそらくぼくはここで勉強(?)していないことでしょう。ぼくも世の中が少し でも暮らしやすくなるように尽力します。

・というわけで、今日は謙虚に過去の人々に感謝。温故知新の心なり。


・お昼過ぎに哲閲でC.D.Broadの"Five Types of Ethical Theory"(Kegan Paul, 1930)を借りる(倫理/A/260)。1994年の10月に借りられたのが最後ら しい。かなり分厚い本だが、一番最後のページまで鉛筆で下線や書き込みがな されている。先達恐るべし。

・一日一度は哲閲の書庫に入って「ああ、こんなにも読むべき本があるん だ」と謙虚な気持ちになるべきかもしれない。


・夜・

・ちょっと下宿で夕方寝してました。これから科哲の予習、ロック読書会 の予習など。

・明日の夕方、旧研究室にあるコンピュータを新研究室に持って行くだろ うから、重要なデータはバックアップを取る。この部屋とも今夜でお別れか。


・真夜中・

・ホームページを作ってから今までに行なった アンケートの結果 を少しまとめてみる。答えてくれた人全員に感謝。

・こういうこと(↑)をしていたのでもちろん勉強は捗っていない。まずい。 しかしとりあえず晩ごはんを食べて来よう。そのまま帰るかも。


09/30/97(Tuesday/mardi/Dienstag)

・お昼過ぎ・

・引越し引越し。授業授業。忙し忙しっ。

・昨晩、『お〜い竜馬』を最後まで(二十三巻)読み終える。感想はまた後 ほど。忙し。


・夜・

・残念ながら、ぼくはO型ではありません…。

ええと、2コマ目の授業に出てレポートを返してもらいました。

・ええと、3コマ目の授業はポストモダンな情報と倫理と言うことで、エク リチュールと戯れて脱-毛化してました(あ〜、うそ、うそです。冗談冗談っ!!)。 詳しくは 奥田くんのページ を参照。

・ええと、4コマ目はM2の○いとうさんの修論の中間発表で、カントの法論 のお話。大変面白いし、わかりやすかった。いくらかでも理解できたのは、 『グルントレーグング』を読み始めたためであろう。(まだ第2章の最後の方で す…)

・それから新研究室の方にあらかたコンピュータを運んでしまって、疲れ 果てた○るたさん、お○だくんと共に、ロック読書会。続きはまた明日。確か に今日は疲れた。

・読書会が終わってから、三人で夕ごはんを食べる。あ、お金がなくって 困ってたんだけど、塾の代講をすることになって臨時収入が入る。またうれし からずや。

・現在位置は、相変わらず旧研究室です。まだ文学部新館ではネットワー クの調整が終わってないみたい。

・では、これから大家さんに家賃を払いに下宿に戻ります。今晩はいろい ろやりたいことがあるので、ちょっと休んだらまた戻って来るでしょう。たぶん。

・あと、『カッコーの巣の上で』は前に見ました。それまでに見た中で一 番良い映画でした(どこが、と言われると難しいですが…雰囲気かな)。でもま た見よっかな。


Satoshi Kodama
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Last modified: Sat Sep 17 13:38:45 JST 2005