某スーパーが閉まる直前に買物に行き (商品がやたらと少ないと思ったら、翌日が定休日だったかららしい)、 下宿で夕ごはん。献立は、
それから少し寝て再び研究室へ。
仕事仕事。
仕事が一段落。もう一息。
倫理学入門読書会のテキストの準備(校正)。う〜ん、生活のリズムが。
あ、そういえば、次回8月の現代倫理学研究会(東京で開かれるらしい) に参加することになった。 最近熊本大の船木亨氏が 『ランド・オブ・フィクション』というベンタム研究の本をが出版されたが、 現倫研でその本の書評をすることになったのだ。 がんばらないと。
朝から下宿で睡眠。 しかし、洗濯やら入浴やら読書やらしていたため、 結局あまり寝れずに、5コマ目の授業に出席することになった。
みそ汁にはネギとわかめを入れるようにとのこと。 わかめは「ふえるわかめちゃん」を愛用しているが、 ネギって買っても残ってしまいそうなのでまだ買えずにいる。 そろそろ万能ネギってのを買ってみるか。
倫理学入門読書会(「直観主義」その2)終わり。 なかなか楽しい。
読書会が終わったあと、下宿で夕ごはん。 飽きずにやきめし。冷蔵庫に残っていた豆腐を入れてみた:-) 明日からは野菜炒めをいろいろ試してみよう。
数時間の仮眠をとってから、また研究室へ。 仕事仕事。
そういえば、2回生の頃だったか、 おれも一丁前にエコロジーに目覚めてしまい、 しばらく頭を洗うのにシャンプーもリンスも使わず、 石鹸さえ使わずにただ水だけでごしごしやってたことがあった。
しかし、しばらくすると、 夏だったせいもあってか、 髪の毛が油っぽくなってブラシが通りにくくなるようになり、 そのまま行くとドレッドヘアになってしまいそうだったので、 再びシャンプーとリンスを使うようになった。
そういうわけで現在はシャンプーやリンスや石鹸などは使っているが、 そのころのエコロジー(+健康志向)熱は完全には冷めることなく、 いろいろな形で今だに続いている。 2回生以降、魚以外の肉をほとんど食べなくなったのもその一つである。
仕事。う〜ん、不健康。 自炊ベジしててもこういう生活してると意味がない。 しかし最近研究室は昼間は結構人が集まるようになったので、 コンピュータを使った作業はしにくいしなあ。 えっ?自宅にコンピュータを買えって?ごもっとも。
読みっぱなしだったSFの感想。
今日もお昼前に下宿戻り、入浴してから昼下がりまで睡眠。 それから急いで研究室にきて久しぶりのベンタム読書会。
下宿で晩ごはんを作り(しめじとキャベツの野菜炒め他)、 仮眠をとって再び研究室へ。
ううむ。 この生活リズムが身に付きつつあるな。 しかし毎日睡眠時間が3時間以下というのはそのうち破綻が来そう。 いつか死ぬほど寝なければ。
うわあ。何もしない間に朝。
納豆は賞味期限が切れてからの方がおいしいというメイルをいただく。 人々の意見は多様だなあ。ひょっとしてこれが多元文化なのか?
KANTにワード98とMS-IME98をインストール。 使いやすくなってんのかな?
うわ。半日以上寝てしまった。 昨日はバンドの連中と下宿でギターや歌の録音をしてたりしたら半日つぶれた。 それですっかり疲れて寝たらまた半日つぶれた。ぐわ。 やることたまってるのに。
ロック読書会終わり。翻訳の仕事にもそろそろ終止符が打てそう。 今夜は下宿で夕ごはんを作ってから、 火曜日提出のレポートの準備をしなければならない。 ああ、忙しい。院生ひまなし。
う、ネームサーバ(っていうんだっけ?)がまだ落ちてるな。
昨日は下宿で(また)やきめしなどを作成、消費。 トマトソースの缶を買ってきたので明日はスパゲティを作るか。 (トマトソースも作れるみたいだから今度やってみよう)
研究室に来る途中に古本屋に寄って来た。
これから火曜日提出のレポートを作成しなきゃいけない。
某所でキムチ鍋を食べる。なんか自炊しだしてから食欲が旺盛だなあ。 痩せるどころか、 太ってしまったのでは?
食事中、内井惣七先生の『科学哲学入門』を読み返していた。 すると、ここ数年でおれの(背景)知識が増えたのか、 数年前に読んでもちんぷんかんぷんだったり、 何がおもしろいんだろうと思えたところが、 今では非常に興味深く読むことができる。 若干知的興奮することを認めざるを得ない。 「批判的に」読むことができるようになったのだろうか。
と、食事中ここまで考えて、お金を払ってから店を出て研究室に戻ってくる途中、 「批判的に読む」ってどういうことだろう、と考えていた。
「批判的に読む」ことは今後の研究においても重要なことのように思われるので、 これがどういう意味なのかは、 今のうちにしっかり考えておく必要があるのではなかろうか。 いや、あるに違いない。
さて。「批判的に読む」とは一体どういう意味なんだろうか。 その意味を明らかにするために、 まずは類義語や対義語を考えてみよう。
適当に羅列してみたが、これから何か明らかになっただろうか。 結構なったんじゃないだろうか。
「批判的に読む」と言ったときに意味されているのは、 まず一つには「著者の主張の妥当性を考えながら読む」ことだろう。
この本に書いてあることは全部正しいと考えて読んだり、逆に、 この本に書いてあることで真実であることは一つもないと考えながら読んだりしたら、 それはドグマ的(=クマの一種)な読み方であるとか、 無批判であるとか言われることだろう。 批判的であるためには、 情報の真偽を確認しなければならない。 「こいつこんなこと言ってるけど、それほんまか?」と問う姿勢が重要なのである。
しかし、著者の主張の妥当性を確かめて、 「この主張は合ってます」とか、「この主張は間違っています」とか 言うだけでは、十分な批判にはならないのではないだろうか。 ○×をつけたら、その上で、 「これはええ」とか「これは全体的にあかん」 とかの採点または評価をしなくてはならない。 これが「批判的に読む」ことの第二の意味であり、 そしておそらくこの作業が批判の中心なのではなかろうか。 いや、よくわかんないんだけど。ご自由に批判して下さい。
「この著者の主張は正しい、間違っている」というためには、 たとえば料理に関することならば、 ほかの本にあたって調べたり、 自分で実際に料理をしてみたりすればよかろう。 しかし、「この著者の主張は優れている」とか 「この著者の主張は無意味」とか言うためにはどういう知識が必要なのだろうか。
ロック先生も『人間知性論』の第二巻の第25章で言っているように、 一般にあるものを「良い」とか「悪い」とか言うためには、 何か他に比べる材料がなくてはならない。 当り前の話だが、「あの女性はきれいだ」というのは、 「あの女性は(Xに比べて)きれいだ」ということであり、 そのXは何か別の女性でもソックスでもフライパンでも良いが、 とにかくある一つのものを「良い」とか「悪い」とか言うためには 比較材料として最低もう一つのものが必要なのである(と思う。批判歓迎)。
とすると、ある著作を「評価的に読む」ためには、 他のなるべく似たような著作をたくさん読んでおく必要がある。 「似たような著作」と言ったのは、ベンタムの功利主義はミルの功利主義に比べて、 かくかくしかじかの点で優れているとか、 かくかくしかじかの点で劣っているとか言うのは十分「批判的」と呼べるだろうが、 デカルトの『方法序説』は清少納言の『枕草子』より良ろし、悪ろしとか言っても、 あまり意味はないからだ(ひょっとするとあるかもしれないが)。
というわけで、「この著者の主張は優れている」とか 「この著者の主張は無意味」とか言うためには、 それに関係するたくさんの本などを読んで比較する必要がある。 それはたとえば、「この料理の入門書は良い」というためには、 通常、他の料理の入門書を一冊以上知っておく必要があるということだ。 また、おれの日記がおもしろいかくだらないかの評価をするためには、 その他の文章(特に他の人の日記)を知っておく必要があるということだ。 そして、他の文章をたくさん知っていればいるほど、 おれの日記に対する相対的な評価は正確になるだろう。
最後に、とりあえず今思いつくかぎりではこれが最後なのだが、 「批判的に読む」と言ったときに意味されているのは、 「正確に読む」ことだろう。 あるいはむしろ、 このことは「批判的に読む」ことの前提だと言った方が良いかもしれない。
というのも、 たしかにただ「書かれている内容がわかった」だけでは批判にはならないが、 とはいえ、書かれている内容を不正確に捉えていたなら、 それに与える「正しい、誤っている」という妥当性の評価も、 「優れている、劣っている」という価値評価も、 おそらく間違ったものになるだろうからだ。
そこで、著者が書いた内容を「正確に読む」ためには、 日本語あるいは外国語の語学力を付け、 少なくとも著者と同等の豊富な背景知識を身に付けなくてはならない。
ほかにまだあるかな? このくらいじゃないだろうか。 まとめると、「批判的に読む」ためには、
いろいろコピー。そんなことしてる場合じゃないんだけど。 つい逃避。
お昼前から爆睡して、 4コマ目の授業をさぼってしまうぐらい深く寝てしまった。 不覚。
ロック読書会終わり。ああ。レポート。
やっばーい。がああ。 明日2コマ目のライヘンバッハのレポートまだ一文字も書いてないぞ。がああ。
夕方に下宿に戻って、やきそば(成功)やらほうれん草のおひたし(失敗)やらを 作って睡眠。がああ。がああ。
とにかく遊ばないで書き上げないと。やるべし。やるべし。
わああ。間に合うかな。まずいまずいまずい。
あっかーん。全然あかん。まとめになってへん。 これやったらただの翻訳やんか。字数も足らへんし。 まずいまずいまずい。
うわあ。むむ、無理だっ。どないしょ。どないしょ。 逃げたいけど逃げられへんがな。ぐわあ。あかん。
ひええ。夜が明けてしまったっっっ。 どうすんの。まだ全然できてへんやんかっ。 ひええ。
わあ。なぜかできつつある。不思議。 しかし今回はひどい点を取ることは必至。 だめだだめだ。
とりあえず終わってしまった。 下宿に戻って朝ごはん食べてこよう(それでいいのか?)。
下宿から急いで研究室に来て、 レポートをプリントアウトしたが5分ほど遅刻してしまった。 まずいまずい。 しかしとりあえず提出したので一安心。
が、ほとんど完徹状態だったので、 3コマ目と4コマ目はほぼ意識を失っていた。 しんどかった(今もしんどい)。 帰って寝るべし。
ほんと、最近は〆切に迫られてばかりだなあ。 ああ、たまには女性にも迫られたい。
夕方から真夜中まで寝て、むくっと起きてやきそばを作り (辛かった--塩・こしょうは控え目に)、読書、入浴してから夜明けに登校。 しかしなんちゅう生活リズムだ。
夜明けに自転車をこいでると、 高校時代に摂津の中央市場でバイトしてたときのことを思い出した。
たしかバイトは朝5時か6時からで、 家から5キロ近く離れている市場に行くのに 自転車で30分ぐらいかかってたんじゃなかったかなあ。 高1の初夏から始めて秋頃までやってたんだっけ? 結構長くやってた気がするけど、 実際はそれほどでもなかったのかも知れない。 友達と二人で行ってたけど、 おれはそのころから眠さには勝てなかったから、 よく休んでた。情けない情けない。 あの頃に比べて意志が強くなっただろうか?
そのお金でギターを買ったんじゃなかったかな。安いの。
仕事。また(まだ?)やってる。
昨日と今日、 加藤先生のホームページ に新しい論文一本ずつを掲載したので時間があればそちらも御覧ください。
久しぶりに窓から外を眺める。 コンピュータの配置換えをして以来、 景色を眺める機会が少なくなった。
喫茶店でモーニング。 今週号のマガジンやサンデーを読みに行ったのだが、 あいにくまだ置いてなかったので、 楳図かずおを読んでいた。 アリ人間の話など。 物語が良くできてるなあ。
う〜む。仕事。楽しい。
昼ごはんが長くなってしまったので3コマ目を自主休講してしまい、 そのまま下宿に戻って洗濯して(風呂のお湯で…おれって経済的な奴)から 寝てしまった。夕ごはんはトマトソースのスパゲティとサラダと 目玉焼き(の出来損ない)。
研究室に来る途中で古本屋へ。
一応科哲のレポートを掲載。 心配。来週が怖い。
うわ。ソファで思いっ切り寝てしまった。 まずいまずい。仕事仕事。
仕事。眠い。死ぬ。
お昼を食べてから下宿に戻って仮眠。 そいからまた研究室に戻ってきて、ロック読書会。眠い。
倫理学入門読書会(「直観主義」その3)終わり。 しんどい。つかれた。うう。
雨。 某助教授と某師匠と某嬢と近くの飲み屋で景気の良い話をして盛り上がる。 ごちそうさまでした。
雨がかなり降っていて下宿に戻る気にならないので、仕事。 今夜はめずらしく、おれの他にも研究室で夜なべをしている人が2名いるので、 いすに座ったまま寝たり。 某所に食料を漁りに行ったり。
まだ仕事。 英語の単語や熟語の意味がはっきりしないときに、 gooで検索すると用例がたくさん出てくるので非常に便利。 調べたい単語の意味が事前にはわかっていない場合でさえ、 例文がたくさんあれば大体意味がつかめる。 ほんとに便利。
ぷはあっ。 翻訳の仕事終わりっ。 さあ、 これで学振も終わったし、翻訳も終わったし、修論書こう、修論。
わ。やってしまった。昨日の昼下がりのベンタム読書会を寝飛ばしてしまった。 ぐわ。ダメ人間。ごめんなさい、某先輩、気づいたら夕方だったんです。 (寝てる間に一度電話が鳴っていた気がするが…)
というわけで昨日は反省してずっと下宿で勉強していた。 サッチャー時代のイギリスの勉強や相対性理論の勉強や功利主義の勉強等。 夕ごはんはやきそば等。
今日は朝からホッブズの勉強など。 お昼はペペロンチーノ・スパゲチィ。 鷹の爪をいじったせいで指の先がものすごく痛い。 死ぬ。ぐあ。
仕事。うあ。バンドの練習行かなきゃ。
バンドの練習終わり。眠い。
うわ。研究室でちょっと寝るつもりが、丸太のように寝てしまった。 しかもこんな中途半端な時間に起きて、どうしたらいいんだろうか。 何をしようか…。
『サッチャー時代のイギリス』読了。なかなかためになった。 時事問題に疎いおれは、 サッチャー以降、何党の誰が首相になっているのか知らないので(恥)、 ちょっとは勉強せねば。 (そういやたしかメジャーとかいうマイナーな首相の名を以前に聞いた気がするなあ)
ああ、腹減った。よく考えたら昨日のお昼にスパゲティを食べて以来、 何も食べてないじゃないか。水の一滴すら飲んでない(ガムはかんでるけど)。 は。まさか何も食べなくても生きていける身体になったのでは?
快晴。そのせいか気分も晴れている。
朝に下宿に戻って、スパゲティをまず作り、 それからガーリックライスに挑戦。 バターを使わないという方針だから大変。 初めに、オリーブ油を使って作ったら、 再び得体の知れないものを生みだしてしまった。 次に、(もうお腹はかなり膨らんでいたが)ごま油を使って、 さらに最後にしょうゆをかけたりしたら、 焼おにぎりのようなものができてしまった。挫折。
ロック読書会終わり。腹減った。
天気が良いのでちょっと古本屋へ(天気が悪くても行くが…)。
さっき買ってきたエアを読む。 ある事柄について、 二人の人間の価値判断が異なるとき、 それらが異なるのは、多くの場合、 事実判断が異なっているからであろう。
たとえば原子力発電所の建設に関して、 ある人は正しいと言い、ある人は正しくないと言う場合、 それはたとえば一方は放射能漏れの可能性が非常に低いと考えており、 他方はその可能性が非常に高いと考えているせいかもしれない。
こういう事実判断の違いならば、 事実を確かめることによっておそらく価値判断の違いをなくすことができる。
しかし、彼らがある事柄に関してすべての事実を共有したとしても、 なお価値判断の相違がありうるのかどうか。う〜ん、どうなんだろう。 (きっと「すべての事実」というのにどこまでを含むかが問題なんだろうな)
そして、もし二人の事実判断が一緒でも価値判断に違いがある場合があるなら、 その場合には一体どうすれば良いのだろう。 相対主義を受け入れてどうしようもないと言うか、 あるいは事実に訴えるのとは別の説得の仕方を考えるか。 エア先生はもう仕方ないとあきらめちゃうみたいですね。
そういえば、筒井康隆の『バブリング創世記』も読了。 全体的には今いちかな、という気がしたが、 解説で井上ひさしも誉めているように、 フロイト的な「鍵」が楽しめた。というか恐かった。