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こだまの世界
---倫理学者のふしぎな日記---
99年4月下旬号
……当時[1960年ごろ]のオックスフォードは、
勉強することをあまり重視しない風潮があり、
努力しないでよい成績をおさめるか、
自分の限界を受け入れて第四等級に甘んじるか、
どちらかでした。
ガリ勉してまでよい成績をとったりすると、
オックスフォード独特の言葉で最低を意味する
「グレーマン」[grey man]の烙印を押されたのです。
実際、当時のオックスフォードの物理学コースのカリキュラムは、
勉強しないですむようにたいへんやさしく組まれていました。
……。計算してみたこともありますが、
オックスフォードにいた三年間に勉強した時間はおよそ一千時間、
一日にならすとわずか一時間というところでした。
私は自分の不勉強を自慢しているのではなく、
ただ当時の私を含めた学生たちの考え方を述べているのです。
まったく怠惰で、努力に値するものは何もないという態度でした。
しかし、私の病気がこのような考え方を一変させました。
早死するかもしれないという現実に直面すれば、
誰でも命の大切さや、
やるべきことが山ほどあることに気づくものです。
(スティーヴン・W・ホーキング、『ホーキングの最新宇宙論』、
佐藤勝彦監訳、日本放送協会、1990年、17-8頁、
[…]はこだまの補足)
4月下旬の主な話題
- 23日から授業開始。
- 4月になったので、
トップページを更新して、
自己紹介を書いておいた。
他のページもいくらか更新した。
- 27日に、第二演習で発表。
修論の内容を、原稿を見ずにアドリブでやり、
内容面と発表面でいろいろ叩かれる。いやはや。
- 後半、生命倫理学に対する情熱が高まり、
リンクを増やしたり
生命倫理学用語集を作ったりする。
- ナイチンゲールの名前についてふと所感を書く。
- 30日に、
生命倫理の読書会で発表。
これと第二演習の発表が終わったのでようやく少し暇になった。
しばらくいろいろ勉強しよう。
- 全般的に金がなくて苦しむ。
昼下がり
昨夜は、某所と某所に寄って古本を買い、
コンビニでヨーグルトを二つ購入してから下宿へ。
- フレドリック・ブラウン、『未来世界ら来た男』、
小西宏訳、創元推理文庫、1963年、105円
- 筒井康隆、『馬の首風雲録』、ハヤカワSF文庫、
1972年、105円
「ケンブリッジ・プラトニスト」という語句を
例の用語集に加えようとしたら、
説明すべき言葉が次々と数珠つなぎに出てきて、
延々といいかげんな説明を書くはめになった。
しかもまだ肝心のケンブリッジ・プラトニストの説明が書けていない。
いつになったら終わるのやら。
それにしても、もっと勉強しなきゃな。
それから、風呂に入ってカレーを食べたあと、3時くらいに寝る。
朝起きてBMOR読書会の予習。布団を干し、洗濯物をする。
やはりカレーを食べて大学へ。
ルネでビジネス英語のテキストを買う。
それから某所に行くと、バイト代が出ているというので、
はんこを持って会計へ。
半分切れかけていた首がつながる。
30分近く遅刻して(→すいません)、某教授の応用倫理学の授業に出る。
生命倫理のお話を拝聴する。
夜
昼下がりからBMOR読書会。
ようやくホッブズを読み終わり、
次はカンバーランド。
夕方、お腹が減ったので某喫茶店でピラフセット。
サンデー、マガジン。
それから某所にてBMOR読書会のまとめを書く。
久しぶりに某先輩を拝見する。
夕方
雨が降りそう。
某教授が
「環境倫理
--人と自然--」
という文章を書かれているので、
是非ご一読を。
日記の整理をしたり。
しかし、雑用をしてないで明日の授業の予習と演習発表の準備をせねば。
お昼前
昨夜は下宿でのんびり。
カレーを食べ終わる。
食器洗う。
風呂入る。
スクラーの予習をする(未完)。
生命倫理勉強会の予習をする。
朝起きて、強い風の中、某喫茶店へ。
チャンピオン。プレイボーイ。
昼下がり
某先生の授業に出席。疲弊。
一日のエネルギーを使い果たす。
中央食堂でお昼を食べる。
新メニューコンテストで採用された、
某先輩発案の「肉味噌高菜丼」を注文。
注文数を競い合ってるらしいので、みなも食べに行こう。
しかし、「肉味噌高菜丼」という名前はあんまりインパクトがないよね。
売り上げ高を伸ばすには、
「ヘーゲリアン・レディー」
とか、
「ホテル・ニューエンチクロペディー」
とか、
度肝を抜く名前にしたいところだ。
(あ。身内ネタになってしまったので一応説明を加えておくと、
某先輩はヘーゲル研究者です)
あと、理学部の学生か、
文学部の哲学科の学生なら、
「デカル丼」とか、
「ニュー丼」とか、
「ライプリッツ」とかいうネーミングも可能かと思う。
夕方
R・M・ヘアの新刊
(Objective Prescriptions, Oxford, 1999)
が出ている。
序文に彼が、
「もうおれはそろそろ80才になるんで、
これが最後の本になると思うが…」
と書いていたので少し泣く。
夜
スクラーの授業の復習。大変。
セクションB 幾何学の歴史の概略
1. ユークリッド幾何学の発展
- 幾何学の始まりはよくわからんが、たぶんエジプトで発祥したのであろう。
ギリシア哲学の黄金期には、すでに体系立った幾何学的知識があった。
ギリシア人数学者たちによって、
平面図形の合同、図形の面積、正多面体の理論、
角を等しい部分に分ける方法など、
いろいろな問題が扱われたが、
その中でも、特に体系立った知識が揃っていたのは、
直線によって区切られた平面図形の研究であった。
たとえば、三角形の内角の和は二直角に等しいとか、
直角三角形の斜辺の長さの二乗は、
他の二辺の長さの二乗の和に等しいとか。
もちろん、ユークリッド幾何学の大半も、
この平面幾何学に関するものである。
- われわれの持つ幾何学の仮定に対する信念は
どうやって正当化されるのかという問題は、
ギリシア人たちは暗黙のうちに、あるいははっきりと、意識していた。
そこでなされている想定は、
「幾何学的命題の真理は、
その命題が、
より直接的に真であると考えられる命題から、
演繹されうる場合にだけ、
合理的に信じることができる」というものである。
- 平面幾何学についてのユークリッドの体系の構造は、
よく知られている通り、まずその基礎に定義、公理axioms、
公準postulatesがある。
定義について言えば、「直線とは、長さがあるが幅のない要素である」
などという情報はその後の論証に役立つわけではない。
- 公理と公準は、命題の形で述べられており、
端的に真であるものとして主張されている。
そして、これらの公理と公準から、他の幾何学的真理が、
純粋に論理的な推論のみを用いて導出される。
これらの公理と公準から演繹しうるということが、
それら以外の幾何学的真理を合理的に信じる根拠となる。
- 公理と公準がどのような基準によって区別されるのかは、
あまり明確ではないが、
公理は「幾何学だけに限定されず、
他の(数学的)分野にもあてはまる真理」であり、
公準は「特に幾何学的な事柄に関する真理」
であるということができる。
以下に公理と公準を記す。
公理
- 同じものに相等しいものは、
また、互いに相等しい。
- 相等しいものに相等しいものを加えると、
結果もまた相等しい。
- 相等しいものから相等しいものを引けば、
結果もまた相等しい。
- 互いに重なり合うものは、相等しい。
- 全体は部分より大きい。
公準
- 任意の点と、これと異なる他の任意の点とを結ぶ直線は、
一つ、そしてただ一つひくことができる。
- 任意の線分は、これを両方へ望むだけ延長することができる。
- 任意の点を中心として、
任意の半径で円をかくことができる。
- 直角はすべて相等しい。
- 一直線が二直線に交わるとき、
もしその同じ側にある内角を加えたものが二直角より小さかったならば、
二直線はこの方向へ延長してゆけば、かならず交わる。
(以上、矢野健太郎、『数学の考え方』、
講談社現代新書、1964年、126-7頁を参照した)
- 公準5は特に重要なので、
「平行線の公理」として知られる、
公準5と論理的に同値な命題を記しておく。
「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
一本、そしてただ一本ひける」
(同書、128頁を参照した)
- たったこれだけの基礎から、
ギリシア人数学者たちの偉大な発見、
たとえば三角形の内角の和や、ピタゴラスの定理が、
論理だけを用いて演繹することができるのである。
- しかし、ほんとはそうではない。
公理と公準は十分ではなく、
ユークリッドはさまざまな定理を導出するさいに、
暗黙の前提をおいている。
たとえば、彼は、
「円の中心を通る直線は円とちょうど二度交わる」
ということを前提しているが、
これは上の公理と公準からは導き出せないのである。
しかし、公理の完全性については、
ヒルベルトの議論を説明するところ(II, B, 3)で話す。
- しかし、ユークリッドの公理化が完全で、
彼が示している定理がすべて公理と公準から導出可能だったとしても、
彼の体系は、すべての幾何学的知識を包括するものではない。
たとえば、微積分に基づく幾何学的真理や、
曲面に描かれた図形についての真理は、
ユークリッド幾何学の範疇の外にある。
- ま、それにしても、やはりユークリッドの理論は驚くべきものである。
いくつか問題があるにせよ、
ほんの少しの基礎からいかに多くのさまざまな定理が演繹されるかを考えると、
それは驚くべきことであるし、
また、公理と公準の簡潔さと明白さはさらに驚くべきことである。
とはいえ、その明白さには程度の違いがあり、
特に第五公準(平行線の公理)の複雑さこそが、
幾何学の発展に影響をもたらしたと言える。
- 「定理が信じるに値いするかどうかは、
それが基礎的な命題から導出されうるかどうかによる」。
しかし、こう言われると、
頭の良い人なら直ちに次の二つの問いを発するであろう。
- なんで基礎的な命題が真であると信じんとあかんの?
- 基礎的な命題から定理が導出されるとき、
なんで真理が「保たれる」って信じんとあかんの?
第二の問いは、演繹的論理の法則の認識論的な地位の問題であるが、
これは論じない。第一の問いは、もうすぐ(II, E)論じるが、
とりあえず幾何学の歴史的概略の話を続ける。
- ここで論点を整理しておこう。
- ユークリッドによる幾何学の体系化は、
膨大な幾何学的真理の理論的体系化になっている。
- ユークリッド幾何学は、
ギリシア人やそれ以降の学者たちに、
完全さと「完璧な」真理を主張できる科学の
唯一の例を与えている。
- ユークリッド幾何学は、
極度に単純で「明白な」真理を有するいくつかの命題と、
それらの基礎的な真理から論理のみを用いて導出されうる
真理によって構成されている。
- というわけで、幾何学は、哲学者たちに、
哲学的分析の典型的な問題と、
科学的理論がどうあるべきかについての典型的な例を
与えてくれているのである。
2. 非ユークリッド幾何学の出現
- ユークリッドの『原論』と非ユークリッド幾何学の展開までの間に、
幾何学にはなんらの進歩もなかったのかというと、
そういうわけではない。
特に、デカルトの解析幾何学や、
ニュートンやライプニッツによる微積分の研究は、
ユークリッドの体系に収まりきらない方法や問題を提出した。
しかし、これらの成果は、ユークリッド幾何学の延長とみなされ、
ユークリッド幾何学の地位を脅かすものとは考えられなかった。
初めてユークリッド幾何学の認識論的基盤の再考を迫ったのは、
やはり、非ユークリッド幾何学である。
- 非ユークリッドへの動きを推進したのは、
第5公準の特異さであり、第5公準は、他の公理や公準に比べて、
「自明性」を欠いているように思われた。
しかし、幾何学の命題が真理であるかどうかは、
公理や公準の自明性に大きく依存しているので、
これでは困ったことになる。
そこで、この問題を解決するために、
人々は、第5公準が実は基礎ではなく、
それ以外の公理や公準から導きだせる定理であることを示そうとした。
- こうした試みの中で最も興味深いのは、
ジローラモ・サッケーリが『ユークリッドのすべての汚点を除去す』
において行なっているものである。
上で述べたように、第5公準は、
平行線の公理「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
一本、そしてただ一本ひける」と同値であるから、
第5公準が他の公理や公準から演繹できることを示すためには、
背理法を用いて、
「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
一本も引けない」という仮定と、
「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
二本以上引ける」という仮定が、
他の公理や公準と整合的に主張しえないことを示せばいいのである。
- サッケーリは、(実際にはこの平行線の公理を用いたわけではないが)
「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
一本も引けない」というのが、自己矛盾に陥いることを示した。
その際、彼は、
第2公準が
(1)「任意の直線は無限に延長しうる」
ということを主張していると解釈したが、
実は第2公準に関しては、
(2)「そうした延長には端点(終点)がない」という解釈も可能であり、
この解釈の違いがどういう含意を持つのかはあとで論じる。
とにかく、第2公準の(1)の解釈を用いるならば、
第5公準の内容の一部である「かくかくしかじかの平行線は一本以上ある」
という主張(残りの主張は「そして一本しかない」)は、
残りの公理と公準から示すことができる。
- しかし、サッケーリは、残りの半分の論証、
すなわち「かくかくしかじかの平行線は二本以上はない(一本しかない)」
ということを示せなかった。
これは言い換えると、
第5公準の代わりに、
「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
二本以上引ける」という公準を用いたとしても、
他の公理や公準とは論理的な矛盾は生み出されないということである。
また、
「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
一本も引けない」という仮定についても、
もし第2公準に関してさきほど(2)「直線には端点(終点)がない」
の解釈をとるのであれば、これまた論理的な矛盾は生じないのである。
- そこで、「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
二本以上引ける」
という公準を多-平行線公理Many-Parallel Postulate
と呼ぶことにする。
これと第5公準を除いた他の公理公準から生じる無矛盾な幾何学は、
ガウスやシュヴァイカルトやボーヤイやロバチェフスキーらがそれぞれ
独立に(しかもほぼ同時期に)展開したのだが、
これをロバチェフスキー幾何学と呼ぼう。
他方、無-平行線公理
「一点Pを通って、この点を通らない直線aに平行な直線は、
一本も引けない」と、
第5公準を除いた他の公理公準--その際、第2公準については、
(2)「直線には端点(終点)がない」の解釈を採用する--
から生じる無矛盾な幾何学は、
ゲオルグ・リーマン(Georg Friedrich Bernhard Riemann)
によって展開されたので、リーマン幾何学と呼ぶことにする。
- これらの二つの幾何学の定理に関して、ここでは深入りするつもりはないが、
重要な結果だけは知っておくべきであろう。
- ロバチェフスキー幾何学においては、
- 一点Pを通って、
この点を通らない直線aに平行な直線は、無限に引ける。
- 三角形の内角の和は二直角より小さい。
- 円周は2πより大きい。
- 異なる面積の相似図形は存在しない。
- 直線は、ユークリッド幾何学におけるのと同様、
無限に延長可能である。
- 他方、リーマン幾何学においては、
- 一点Pを通って、
この点を通らない直線aに平行な直線は、一本も引けない。
- 三角形の内角の和は二直角より大きい。
- 円周は2πより小さい。
- 異なる面積の相似図形は存在しない。
- 直線はすべて、十分に延長されたとき、
同じ有限の長さになる。
- ところで、上で、無矛盾なロバチェフスキー幾何学とか、
無矛盾なリーマン幾何学とか述べたが、
いったいこれらの幾何学が無矛盾であることは
どのようにして知ることができるのだろうか。
ただ「これまでに矛盾を見出せなかった」
だけでは無矛盾である保証にはならない。
- ある理論の無矛盾性を示すにはいくつか方法がある。
その一つは「力わざ」を用いる方法で、
これは理論そのものを研究対象にして、
その論理的形式を「メタ言語」の視点から検討し、
その理論の基礎命題の論理的形式が論理矛盾を引き起こすものではないことを
直接的に論証してしまう、というやり方である。
(→証明論的な方法と呼ばれるらしい。
幾何学に関しては、リーマンがこれをやっているそうだ)
- 別の方法は、相対的な無矛盾性証明を与えることである。
これは、ある理論の無矛盾性を示すために、
当の理論とは別個のある理論の無矛盾性を前提するものであるので、
その証明の確実性に関しては、
その別個の理論に対する信頼以上のものは得ることはできない。
以下では、この略式の証明法によって、
ユークリッド幾何学が無矛盾である(想定されている)ことを用いて、
ロバチェフスキー幾何学とリーマン幾何学の無矛盾性を証明する。
トップページを書き換えた。
以下は自己紹介の部分。
はじめまして。こだまです。
時の流れはまことに速いもので、
いつのまにやら
(いや、今年の春からなんですけど)
博士後期課程1回生になってしまいました。
ぼくのことを知らない人のために、
箇条書きで簡単な自己紹介をしておきます。
- 残念ながら男です。
- 目は二つあります。
どちらも近視です。
メガネかけてます。
- 鼻は一つです。
穴は二つ開いてますが。
- 口は一つです。
ガムが入っていることがしばしばです。
- 洋服のサイズはMです。
幸か不幸かまだ太ってません。
- スポーツはしません。
ボーリングなどには決して誘わないでください。
- 性格は腐ってます。
用心してください。
利己心に訴えればうまく操作することができるかもしれません。
- 酒は一切飲みません。
勧めないでください。
- タバコも一切やりません。
向こうに行って吸ってください。
- 麻薬もやったことがありません。
持っている人はすみやかに警察に行ってください。
- 左京区に下宿しています。
自転車通学です。
- 趣味は音楽です。
勉強も趣味と言えるかもしれません。
古本収集もすでに趣味の域に到達しているかもしれません。
ウェブ日記を書くことも
趣味かもしれません。
- 倫理学を勉強しています。
- 英国の道徳思想、
とくに功利主義者ベンタムの思想を中心に研究しています。
- 他に、情報倫理、生命倫理、環境倫理、企業倫理、
死刑廃止論などにもそこそこ関心があります。
- 修士課程のときは赤貧の生活を送っていましたが、
今年から学振の特別研究員になったので、
ひょっとすると小市民的な幸せを亨受できるかもしれません。
というわけで、
このウェブサイトには倫理学、応用倫理学、
その他の事柄に関する有益な情報、無益な情報、
もしくは有害な情報が含まれています。
関心のある方は御覧になって、
ご質問やご意見などがあればメイルしてください。
ではまた。(04/23/99)
夕方
昨夜は、某古本屋でモーニングと他に一冊本を購入。
- ソコロフスキー、『相対性理論の初等講義』、
宮本徹・吉村久光訳、東京図書、1966年、200円
ソ連で教科書に使われていた本らしい。
レーニンとかエンゲルスとかいう名前が出てきておもしろい。
疲れていたのか半日以上寝てしまう。勉強しなきゃ。
今日も天気が悪い。
夜
米国憲法修正第一条(→信仰の自由、表現の自由)
に触れる恐れのある某雑用をし終える。
リンクの
ページを更新したり。逃避中。
夕方
昨晩は、某古本屋でCDを一枚購入したあと、
某所でお好み焼きを食べた。
『モンスター』第2巻から第3巻まで読む。
- TALKINGHEADS, The Best of- ONCE IN A LIFETIME,
EMI, 1992, 300yen.
その後、某所と某所に寄り、
さらに古本を購入。
- ロバート・L・ハイルブローナー、
『入門経済思想史 世俗の思想家たち』、
八木甫監訳、HBJ出版局、210円
なかなかおもしろい。啓発的というか。
- ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ、
『資本主義と分裂症 千のプラトー』、
宇野邦一他訳、河出書房新社、1994年、525円
こんな本当分読まないと思うが、
研究室に置いておけば読む人もいるかと思って。
(追記)二、三頁見ただけでクラクラと来ました。
さらに、某所で三島由紀夫の本を買う。
これは頼まれもの。
『世俗の思想家たち』などを読んだあと、
真夜中の3時くらいに寝て、昼下がりに起きる。
怠惰すぎる。
♪サイコッキラー〜〜ケスクセッ・ファファファファーファ、ファファファーファ♪
(というわけで)
トーキングヘッズのページ。
トコロデ、
カタカナデ文章ヲ書クト変ナ感ジニ思エルノハ、
タイヘン興味深イ現象ダト思ウ。
トクニ、漢字トカタカナガ混ザッテイルノハ、
不気味デアル。
カタカナデ文章ヲ書クト、ロボットヲ連想シテシマウノハオレダケダロウカ。
カタカナトロボットノ間ニハ、
強力ナ観念連合ガ
働イテイルヨウナ気ガスル。
夜
バンドの練習。ギターまた来ず。むむ。
練習が終わってから、某お好み焼き屋で晩ごはん。
2時間ぐらい居座る。
帰りに、某古本屋に寄って買物をする。
- スティーヴン・W・ホーキング、『ホーキングの最新宇宙論』、
佐藤勝彦監訳、日本放送協会、1990年、200円
う。勉強せねば。
真夜中
みんなのやっている恋愛云々のテストをやってみようと思ったが、
質問の多さ(と質問内容の曖昧さ)に辟易して途中で挫折してしまう。
もっと自分についてよく知るべきだとは常日頃から思ってるんだけど。
真夜中
ホーキングの本を少し読む。少し泣く。
お昼前
朝9時に起きる。健全。
某喫茶店でモーニングを食べ、
その後郵便局で某用事。
学生教育研究災害傷害保険とか、
京都大学学生健康保険組合とかの掛金も振り込む。
ネットの調子が悪いようだ。
夕方
あっ。というまに夕方。
3コマ目、某教授のヘーゲル。
無限であることは絶対者の定義の一つだとか、
真無限と悪無限ていうのがあって、とかいう話。
クラクラ来ました。しかし一年間がんばります。
4コマ目、某教授の倫理学講義。
東洋と西洋の一元論の話。
2コマ連続で出たのですっかり疲労してしまい、
お腹も減っていたので、5コマ目はさぼって生協で食事。
すいません。
というわけで、4コマ目の授業に出るのはやめるかもしれない。
そもそも講義を一時間半じっと聴くというのはちょっと苦痛だ。
そのあと明日の発表の準備。はかどらず。
ネットの調子がまだ悪いようだ。
お昼前
演習発表の準備に忙しいのでまた後で。
お昼過ぎ
緊張してきた。
心臓に悪い。
配布用に修論で使った引用を集めておいた
(全部ではない--新たに付け加えたのもある)。
原稿を読まずにうまく発表できるだろうか。うう。緊張。
夕方
演習発表終わり。ばしばし叩かれる。
宵
昨夜、某古本屋で購入した本。
- スティーヴン・W・ホーキング、
『ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで』、
林一訳、早川書房、1989年、200円
買ったと思っていたが、下宿を探してもなかったので。
- フィリス・バッテル、『カレン・アンの永い眠り 世界が見つめた安楽死』、
常盤新平訳、講談社、1979年、100円
生命倫理で問題になる、カレン・アン・クインランの話。偶然見かける。
お昼前に大学に来て、当日に手渡すプリントを作る。
某先輩に用事を頼まれたので、それも済ます。
4コマ目発表。これについてはまた後で。
発表のあと、某所の手伝いを一時間ほどする。どっと疲れた。
真夜中
ようやく某教授に頼まれた某雑用を終える。疲れた。
さて、下宿に戻って生命倫理の勉強を始めよう。
夕方
昨晩、某所でジャンプを買う。
お昼前まで爆睡。起きてから風呂、洗濯、布団干し。
下宿が川のそばにあるせいか、
汗をかかなくても布団の下がすぐに湿気るので、
床と布団の間に新聞紙を引いてみた。
ちょっと成功した様子。
BMOR読書会の予習をして大学へ。
途中、某喫茶店でミックスサンドのセット。
サンデー。
昼下がりからBMOR読書会。
今日からカンバーランド。
みなでぶうぶう言いながら読み進む。
生命倫理勉強会の準備。進まず。やばい。
その原因は、
リンク集を
増やしてみたり、
「バイオエシックス用語集」
を作ったり、
某所で千葉大の資料集を漁ったりしていたせいであろう。
千葉大の資料集というのは結構すごいなあと思ったり。
ファインバーグがおもしろいことを言ってるようなので、
コピーしてみたり。みたりみたり。みたみたみたり。
夕方
あっ。今日は休日だったのか。
某所でマガジンを買って大学へ。
生命倫理の勉強をせねばっ。
夜
生命倫理学の勉強中。
明日の授業の予習もしないといけないので大変。
真夜中
某所でキムチ鍋。『一二の三四郎』第3巻から第6巻まで読む。
ようやくおもしろくなってきた。
外に出るとやたら寒い。死ぬっす。
ところで、ナイチンゲールっていうのは変な名前だと思う。
なぜそう思うか以下で簡単に説明しよう。
彼女は英国人だが、
両親がヨーロッパで二年という長い新婚旅行をしている最中に、
イタリアはフィレンツェ(フローレンス)で生まれたから、
「フローレンス・ナイチンゲール」と名付けられたんだそうだ。
また、ナイチンゲールというのは、
鳥の名前で、
「サヨナキドリ」と訳されるらしい。
コマドリ属の一種でウグイスに近い鳥のようだ。
とすると、彼女は、苗字は鳥の名前で、名前は地名なわけだ。
これが日本だったらどうなるだろう。
たとえば、「うぐいす」という名前の裕福な夫婦が、
新婚旅行で中国に二年間滞在している間に、
たまたま武漢で子供を生むことになったとしよう。
玉のような女の子が生まれて、両親が新婚旅行の記念だと言うので、
付ける名前は「うぐいす武漢」……。
ね、やっぱりナイチンゲールって変でしょ?
早朝
わ。やっと生命倫理のレジメができた。
これからどうすべきだろう。
とりあえず下宿に戻って寝るべきか?
それともあきらめて大学で科哲の予習をするべきか?
今日は大変な一日になりそうだ。
お昼
げ。結局3時間しか寝れなかった。
今朝はものすごく寒かったが、
うそみたいに暖かくなった。
明日から古本市が始まるらしい。金ないぞ。
昼下がり
スクラーの授業に出る。
それから生命倫理のレジメの
手直し。忙しい。
夕方
生命倫理の読書会終わり。
学際的な場で発表するのは初めてなので、
(しかもほとんど釈迦に説法をするような発表内容だったので)
大変緊張した。
今日の発表が終わったので、
これからしばらく予定に少し余裕ができるはずだが、
知らない間にやることがいろいろたまってきている。
まあ、休日を使ってゆっくり片付けよっと。
何か一言
KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Wed Apr 26 23:56:39 JST 2006