1. 生命倫理学って何だろう?
歴史的序説

ヘルガ・クーゼ、ピーター・シンガー

論文紹介者 児玉聡


論文の構成

  1. 導入
  2. 医の倫理medical ethics
  3. 看護の倫理nursing ethics
  4. 生命倫理学bioethics


導入

「バイオエシックス」という語の誕生

1960年代に医療や医学に市民の関心が高まったのはなぜか?

「バイオエシックス」 --生物学者V・R・ポッターの造語「生存の科学」(1970)


ポッターは、当時の第一次エコロジー危機を背景にして、 人類が生き残るための英知の学を、生命科学の上に建設しようと提唱し、 そのプログラムに「バイオエシックス」という名称を与えた。 そして、その書物の中でポッターが述べていた内容は、 今の言葉で言えば「地球環境倫理」であって、 決して「医療倫理」ではない。 すなわち、バイオエシックスという言葉が案出された時点で、 その言葉に著者が託した意味内容は「環境倫理」「科学倫理」 であったという点に、我々は注目しなければならない。
(森岡正博 1993 110-1頁)


生命倫理学と医の倫理の相違点

医の倫理--「医者はどうあるべきか?」医者-患者関係、医者-医者関係に注目

生命倫理学は:

  1. 倫理規範を作ったり守ったりすることよりもむしろ、 問題のより良い理解を目指す
  2. 哲学的な難しい問題を問う心構えがある --倫理とは何か? 生命の価値って? 人格って何だろう? 人間であることって重要なのか?
  3. 公共政策の問題や科学の規制の問題をも包括

バイオエシックスとは、 bios(生命)とethike(倫理)というギリシア語から作られた複合語である。 それは、「学際的な状況においてさまざまな倫理学的方法論を用いながら、 生命科学と健康科学の道徳的側面--そこには、 道徳的な考え方、判断、行為、政策が含まれる--を体系的に研究するもの」 と定義されうる。(Reich 1995 p. xxi)


医の倫理

ヒポクラテスの誓い

西洋の医の倫理における二つの意義:


「医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、バナケイア及び全ての男神と 女神に誓う、私の能力と判断に従ってこの誓いと約束を守ることを。この術を 私に教えた人を我が親の如く敬い、我が財を分かって、その必要あるとき助け る。その子孫を私自身の兄弟の如くみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なし にこの術を教える。そして書き物や講義その他あらゆる方法で、私のもつ医術 の知識を我が息子、我が師の息子、また医の規則に基づき約束と誓いで結ばれ ている弟子どもに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。私は能力と判断の 限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとら ない。
頼まれても、死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同 様に婦人を流産に導く道具を与えない。
純粋と神聖をもって我が生涯を貫き、我が術を行う。結石を切り出すことは神 かけてしない。それを業とする者に任せる。
いかなる患家を訪れるときも、それはただ病者を利益するためであり、あらゆ る勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷の違いを考慮しな い。医に関すると否とに関わらず、他人の生活についての秘密を守る。
この誓いを守り続ける限り、私は、いつも医術の実践を楽しみつつ生きて、全 ての人から尊敬されるであろう。もしもこの誓いを破るならば、その反対の運 命を賜りたい。」(http://kenko.human.waseda.ac.jp/rihito/hipo-j.html)


キリスト教の医の倫理

隣人愛の思想、平等主義-- 「医者は金もうけに走ってはならない。 また、貧富の別なく患者を助けなければならない。 さもなければ地獄に落ちるべし」

安楽死の禁止--いかなる場合でも自殺はだめ

妊娠中絶--アクィナスなど「霊魂が入ってない胎児ならやってもよい」 →ピウス9世「全面禁止」(1869)


医の倫理の脱宗教化

ジョン・グレゴリー(1724-73)--啓蒙期のスコットランドの医師兼哲学者 「医者は患者の苦しみを分かち合えるように(ヒュームの言うような) 共感能力を身に付けんとあかん」
→宗教に依存しない医の倫理であると同時に、 「ケアの倫理」の先駆とも理解しうる


看護の倫理

ナイチンゲール (1820-1910)


「看護婦=医者に仕える機械」

1899年 国際看護婦協会設立
1901年 イザベル・ハンプトン・ロブ Nursing Ethics for Hospitals and Private Use

医者-看護婦関係は社会における男性-女性関係を反映
--「看護婦の主な責任は、患者ではなく医者に対してある」という想定


フェミニズム運動と合流

1960年代 看護婦の意識の変化
→1973年の国際看護婦倫理綱領
「看護婦の主な責任は、看護を必要とする人々に対するものである」


ケアの倫理へ

ネル・ノディングズらのフェミニストによる、 伝統的な男性的倫理観への挑戦
--抽象的で普遍的な原則としての倫理から、 個人的な関係から生まれるケアと責任としての倫理へ

ジーン・ワトソンら--ケアの倫理に基づく看護婦の倫理の構築
「ケアの倫理によって、われわれ看護婦は、倫理原則にではなく、 看護を必要とする人々に結びつくことができる」


生命倫理学

社会運動と哲学者

1954年 状況倫理学者J・フレッチャー Morals and Medicine --生命倫理の先駆的仕事

1960年代から70年代にかけての社会運動 --公民権運動、冷戦、ヴェトナム戦争、フェミニズム、学園闘争
→言語分析ばかりしていた哲学者が社会問題について発言するように
→生命倫理学の確立につながる


医療技術の革新

人工透析--医療資源の分配の問題

1962年 ワシントン州シアトル市の人工腎臓研究所で作られた委員会「神の委員会」 --どのような基準で治療を受けることのできる人を選ぶべきか


心臓移植--脳死基準の問題

1967年 世界初の心臓移植(南アフリカ共和国の外科医クリスチャン・バーナード)
→脳死患者は臓器提供者となりうるという認識→脳死基準の確立へ

ハーヴァード脳死委員会
「中枢神経系の活動がまったく見てとれないということが、 死の新しい基準となるべきだ」


延命措置--生命の質の問題

意思表示ができない患者の延命措置
「患者が『いいえ』と言えないのであれば、 治療をいつまででも続けるべきなのか?」

1973年 小児科医R・ダフとA・G・M・キャンベルの問題提起:一部の重度障害新生児は治療中止が正当化される

英国やオーストラリアの医師も議論に参加--「生命の質quality of life」か、 「生命の神聖さsanctity of life」か

1976年 カレン・アン・クインラン事件
ニュージャージー州最高裁 「場合によっては、医者は、殺人の罪に問われることなしに、 生命維持装置を停止させることができる」
この事件は、

などの問題にも影響を与えることになった

人体実験--ベルモント報告書

1973年 「生物医学および行動科学の研究における被験者の保護のための 国家委員会」設立→ベルモント報告書(1979)
生命倫理学全体に影響を及ぼす倫理原則の定式化「人格の尊重、善行、正義」


生命倫理学研究所の設立

1969年 ヘイスティングズ・センター (D・キャラハン、W・ゲイリン) --Hastings Center Report
[1971年 ジョージタウン大学ケネディー倫理学研究所 --Encyclopedia of Bioethics]


「学際的」生命倫理学の国際化


参考文献、参考ウェブサイト

森岡正博 1993: 「地球生命倫理としてのバイオエシックス --V・R・ポッターの「バイオエシックス」論再考、 『応用倫理学研究I』、千葉大学教養部倫理学教室、110-9頁

Reich 1995: Encyclopedia of Bioethics Revised Edition, edited by Warren Thomas Reich, Simon & Schuster Macmillan.

「生命をめぐる諸概念の動態: バイオサイエンスの社会的受容のために」
熊本大の八幡先生の論文。
(http://www.educ.kumamoto-u.ac.jp/~shakai/ethics/1998a.html)
Florence Nightingale Museum Web Site
ナイチンゲール博物館のウェブサイト。 (http://www.florence-nightingale.co.uk/)
患者の権利 資料集
日英対照のヒポクラテスの誓いがある他、 ジュネーブ宣言とか、 ナイチンゲール誓詞とか、 国際看護婦倫理綱領とかもある。
(http://www.apionet.or.jp/~niss/days/siryou.html)
The Belmont Report, OHSR
1979年に出されたベルモントレポートの原文。 (http://www.nih.gov/grants/oprr/humansubjects/guidance/belmont.htm)

KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Thu Oct 9 12:57:49 JST 2014