ニューヨークの小学校を訪ねて、子供たちの「自由研究」のレベルの高さに 驚いた。幼稚さはあるが、どの研究も近代科学のアプローチをきちんと踏まえて いたからだ。(…)。こうしたアプローチの方法は、学校で教育される。 自由研究を指導するプリントには、「科学研究って何?」というタイトルで、 こんな説明があった。
さらに、「科学研究ではないもの」の説明もあった。
- 問題を選ぶ
- 質問を考える
- 調べる
- 仮説を立てる
- 実験する
日本の夏休みの宿題でしばしば出される自由研究は、 「研究」とは認められないだろう。 それらはおおむね「事実を並べたもの」だからだ。(…)。 日本では往々にして、 「事実を並べる」ことで高得点を取ってきた生徒も研究者を志す。 明らかに適性が違う。 こうした長所は別の生かし方がある。 困ったことに、大学院に行っても自覚がない場合が多いようだ。(…)。 かくして多くの日本人研究者が、 事実を並べる頭を引きずって科学論文を発表し続けることになる。
- 無関係なものの寄せ集め
- 事実を並べたもの
---坂本英彰、「204:9の断層--ノーベル賞の風土--(9): 科学的思考」 (産経新聞2003年6月5日)
最後のポイントは、人間の精神が歴史を動かしているということです。 二十世紀を動かしたのは、物質的条件が歴史を動かすというマルクス主義の考え方 でしたが、八十年かけてうそだったことがわかりました。
---中西輝政
早寝遅起き。起きてから洗濯物を干し、朝食(キウイとサラダ)、 買物。冷蔵庫がニンニク臭いので、ニンニクを処分し、 脱臭剤を買ってくる。
先日からちょっとウェーバーのプロ倫について勉強。 いろいろ蒙を啓かれている。
昼下がりに駅前のファーストキッチンでお昼を食べたあと、 東急で日吉に行き、某研究会に出席する。自由と責任についての話。 また自由意志論も勉強してみるか。
今日は映画の日だったので、終わってから渋谷に行き、 『トゥーウィークスノーティス』 を観た。ヒューグラントとサンドラブロックのラブコメ。 たいした内容ではないが、なかなかユーモアがあっておもしろい。 テンポもよく、サンドラブロックも役がはまっている。 OLが週末に見て元気を出すようなフィールグッドムービー。B-
それから中華料理を食べて帰宅。眠い。
早寝早起き。朝食。散歩。
こないだ観た『中国の小さなお針子』で言及されていた三峡ダムが、 正式に稼働しはじめたそうだ (人民日報)。 多くの都市に電力を供給できる一方で、 たくさんの農村が沈んでしまったわけだ。
新聞。スーチーの拘束については、軍事政権は「保護」と呼んでいる。 同一の事態を異なる仕方でする記述する例の一つ。
お腹の調子が悪い。
ちょっと残っているダンボールをひっくり返して本を探す。 ダンボールからすべての本を出さずにおいておくと、 「あの本はどこにあったかな」と思うたびに何度も同じダンボールを 積み上げたり下ろしたりしないといけなくなるのでたいへん非効率だ。 もう一つ本棚を買って、不要な本も外に出しておくべきか。
駅前の某喫茶店で勉強する。なかなか集中できる。 ときどき気分転換に喫茶店に行くことにしよう。
シャワー。
ひさしぶりにごはんを炊いて晩ごはん。 鮭の塩焼き、ホウレン草のおひたし、もずく、その他つけもの。 うまい。
早寝早起き。朝食、散歩。
「勉強しろ、勉強。発表の準備をしろ」
「わかってます。やりますよ」
新聞。
メモ。体脂肪は男性25%、女性30%以上が肥満。 このあたりから健康障害が出るとのこと。 BMI(Body Mass Index=体格指数)は体重(kg)/身長(m)/身長(m)で、 22が適正体重、18.5以上25未満が普通、それ以上は肥満、それ以下はやせ。 60/1.73/1.73だと20.0になるので普通。 生活習慣病の原因になりやすいのは閉経前の女性に多い皮下脂肪よりも、 男性に多い内臓脂肪(おなかポッコリ体形)。 体重増加を20代の体重の10%にとどめること。
新聞を読んでいると朝が終わってしまう…。いかん、これでは。
ちょっと寝てしまった。起きてから蕎麦。
大学に行かねば。
というわけで、大学に来た。 科研費の書類を作成。図書室にも行こう。
図書室で借りたいろいろな雑誌のコピーを済ませてから大学を出る。 自由ヶ丘駅前のスタバに初めて行く。なかなか快適。
何度も忘れているので、忘れないうちに書いておくが、 このSANYOのPHS機は操作性が悪い。 どうにも直感的に使用できない。もちろん、 人それぞれに直感があるだろうから、 ぴったり来る人もいるのかもしれないが。
スタバで2時間ほど本を読んでから帰宅。 もっと勉強せねば。
「読むだけじゃなくて書けってば。発表の準備をしろ」
「わかってますよ」
「ほんとにきみは合理的じゃないんだから…」
晩ごはん。昨日とほぼ同じ献立。みそ汁も作った。
ちょっと某勉強。
早寝早起き。朝食、散歩。くもり。資源ゴミの日なので、 大量にあったダンボールを処分する。
新聞読む。
19世紀の英国の政治思想史についての理解を深めるために、 メーリングリストでCollini, Winch and BurrowのThat noble science of politicsの読書会を始めることにした (この本の翻訳がそのうち出るらしいが)。 関心のある方はメールにてご一報ください。
ひさしぶりにシンガーの翻訳の続きをする。 聖書からの引用があったのだが、 こないだまで聖書が見つからなかったので滞っていたのだ。
少し昼寝していた。茶蕎麦ともずく。
大リーグのソーサが禁止されているコルク入のバットを使っていた問題で、 米国では衝撃が広がっているそうだ。こないだニューヨークタイムズの黒人記者の 記事捏造事件が大きな問題になったあとだけに、 黒人に対する偏見が強まることが懸念される。
首が痛い。左側。どうも左下の親不知がいたずらをしている気がするのだが。
小雨の降る中、駅前のスタバに来る。 昨日コピーした論文をざっと読む予定。
某東急ストアで買物をしてから帰宅。 某スタバは勉強するのに適していることがわかった。 ただし、トイレが男女共用で一つしかないのが難点。
眠い。
晩ごはん。海親子丼、えのきのバター炒め、その他。またごはんを食べすぎる。
やっぱり親不知が生えてきているようだ。あれ、しかし、 過去の日記を調べてみると、 すでに左下の親不知は抜いてあるようだな。 とすると、気のせいか。
眠くて眠くて帰宅してからは勉強できず。もう寝るか。
日記の整理。眠い。
そういえば、ラジオヘッドの新譜と、ステレオフォニックスの新譜も出るようだ。
昨日の続き。
もうあかん。続きは起きてから。金曜日の予習もせにゃならんしなあ。
「ぶつくさ言ってないで、さっさと寝てからまた勉強しろ。 さっさとD論書け」
「わかってます、わかってますってば」
ここ半年ほど、アクビをすると左のアゴがパキっと鳴っていたのだが、 昨日からアゴが痛くなってきた。ひょっとして肩こりの原因はこれか? というか、アゴは大丈夫だろうか。まいったなあ。 閉じなくなったらどうしよう。
遅寝早起き。眠い。
ふとんを干して掃除機をかける。えらい。
シャワーを浴びてから駅前のスタバへ。新聞。
「やっぱり喫茶店の方が快調ですね。集中できます」
「せっかく自宅には広い部屋と机があるのに、もったいない」
「まあ、コーヒー代を払うだけで集中して勉強できるんなら、安いもんです」
スタバで勉強中だが、近くに親子連れが座り、幼児が泣き出した。 う〜ん。
いったん帰宅し、近くのスーパーで買物。 ついでに郵便局でガス代と年金保険料を2ヶ月分支払う。 年賀状を持っていき、4等の切手も一セットもらう。 当たりを送ってくれた某氏、ありがとうございます。
戻ってきてからそうめんとサラダを作る。豆もすこし。
顎が少し痛くなってきたのだが、今のところはまだ大丈夫そう。 やばくなったら口腔外科に行くとよいそうだ。以下、顎関節症についてのサイトを いくつか。姿勢が悪いとよくないそうだ。
来週末のホテルの予約をしておいた。
ちょっと昼寝。さて、また勉強しよう。
マレーシアのある町では男女が公共の場で手をつないでいると罰金を課されるそうだ (CNN.com)。 こういうところだとビートルズの`I want to hold your hand' が文字通りの意味で切実な問題になるんだろう。
夕方、ふたたび某スタバに行き、明日の授業の予習。たいへん。
帰りに某東急ストアに寄る。マイナスイオンが出る扇風機に魅かれたが、どの くらい効き目があるんだろうか。東急ではほとんど無洗米しか売っていないの で、試しに無洗米を買ってみる。
修理に出していた眼鏡が届く。
ししゃも、えのきのバター炒め、その他。
早寝早起き。朝食。今日はラッシュアワーの電車に乗らねば。
電車を乗り継いで南大沢へ。車内では新聞を読む。 上でも引用した「204:9の断層」というシリーズが終了したが、 けっこうおもしろかった。「タツノコプロとダイナミックプロ」 の連載も日本のアニメの歴史の勉強になった。
今日、テレビでマトリックス。明日、ニュートン。忘れなかったら見よう。
ずいぶん早く着いたので、スタバで休憩。
顎の痛みが取れない。どうも病院に行った方がよさそうだ。
午前中はゼミに出る。フリーデンの続き。 構造主義的な(フリーデン的には「形態論的な」)イデオロギー分析をやる、 という話。いろいろ勉強になった。
それからまた電車を乗りついで本郷に来る。 まず、古本屋で一冊本を購入。
それから定食屋でちらし寿司。さらにスタバで一服。 今日のシンポの発表論文を一本読む。 ES細胞研究を題材にとって、case comparisonとかconsistencyという 倫理学的思考を問題にしている論文で、 こないだのオレの発表と問題関心が非常に似ていて興味深い。 いろいろ質問をさせてもらおう。
うう。もうちょっと早く来たら図書館で本を借りられたのだが。 シンポのあとに時間があれば書籍部で本を買おう。
帰宅。
昼下がりから、死生学のシンポに出席する。 オックスフォード大の教授を二人呼んでくるというリッチな規格。 一人目は「まずはじめに『プラネットオブアイプス』を見ます」と、 オーストラリア訛りの某教授。ES細胞の研究は道徳的に正当化される ということを、一貫性とか反省的均衡とかいう方法論によって正当化していた。 「一貫したカトリック的道徳もありうるんじゃないか」と質問したら、 「カトリックはレイプによる妊娠の場合も中絶を認めない。 これは直観に反する。したがって一貫した道徳理論でない」 と答えていた。しかし、 「レイプによる妊娠の場合に中絶を認めないのが直観に反する」 と言った場合の直観とは、保守的カトリックの直観ではなく、 自由主義者の直観だから、論点先取になってしまうのではないか (ということは時間がなかったので質問できなかった)。
二人目は、 「体外受精によって耳の聞こえない遺伝子をもった胚を作ることは許されるが、 胚を傷つけることによって耳の聞こえない子どもを作ることは許されない」 という主張を、パーフィットの人格の非同一性理論を使って説明するという 某教授の発表。
質疑応答のときの質問の内容からすると、 会場にいた人の多くは`non-identity problem'というフレーズを、 「健常者にはアイデンティティがあるが、 障害者にはアイデンティティがない」とかそういう意味に取ったようで、 あまり理解していなかったようだ。 英語のidentityは「同一性」(哲学用語? 「AとBは同一identicalか」)なのに対し、 日本語の「アイデンティティ」は「自我」(心理学用語? 「Aは(いかなる)アイデンティティを持つか」)を意味するので、 気をつけること。
これに対しても質問したが、整理のつかないまま質問したので、 どうも核心を突けなかったようだ。失敗。 あとで考えると、某先輩が言っていたようにnon-identityの問題というよりは、 上の主張の道徳的区別は、「医者はharmを与えることは許されない」 ということで片が付きそうな気がする。 いや、しかし「耳の聞こえない遺伝子を持った胚を作る」ということが harmでないと言うためにはnon-identityの問題が必要なのか。要検討。
シンポ終了後、帰ろうと思っていたら、 知らないうちに懇親会に出席していた。 ルベソンベールでタダ飯を食べさせてもらう。 もちろん、世の中タダ飯なんてものはないわけで、 明日もちゃんと朝から出席して質問しろということだろう。
懇親会のあと、某先輩と御茶の水まで歩き、 喫茶店で一服しながら人生について教えを乞うた。 先輩と別れたあと、天一でラーメンを食べてしまう。
早寝早起き。眠い。今日もがんばろう。
朝食、散歩。
下らないが、思いついたことを二つ。
国会議事堂のロビーにて。「こんにちは。今日もお忙しそうですね。 法案通過のための根回しは大変ですね」 「うんうん、陰謀ひまなしってね」
学会発表の質疑応答にて。「はい、それではそこの挙手されている方、どうぞ」 「え〜、某大のなにがしです。たいへん興味深いご発表、ありがとうございました。 え〜、質問が百個ほどあります。まず、第一点は…」
質疑応答と言えば、 モンティパイソンのスペイン異端尋問裁判のスケッチではないが、 はじめに「三つ質問があります」と言いながら、 四つも五つも質問する人がいる。 こないだのイギリス哲学会では、すくなくとも三人の発表者に対して、 まったく同じ質問をしている御仁もいた。
「なにも質問しないよりはましだろうが」
シャワー。もう行かねば。
本郷にてシンポに参加。自由ヶ丘から中目黒で日比谷線に乗るときは、 六本木で都営大江戸線か、日比谷で丸の内線に乗り換えるようだ。
一つ目は文化人類学、二つ目はフェミニズム、三つ目は宗教学から、 生殖技術についての発表。フェミニズムの女性の自己決定権批判について、 「そしたら今後は自己決定を制限する方向で行くのか、 それともinformed consentのinformedを徹底した自己決定を勧めるのか」 という質問をした。
お昼はカレー。午後は、某先輩による同一性の分析の議論と、 社会学者による出産に関する生命倫理の議論。 二つ目で「胎児に(出生前診断をされない)プライバシー権を認めて、 (中絶は可能と述べていたので)生命権を認めないのはおかしくないか」 と質問したら、「胎児にプライバシー権がないのではなく、 他人(親)に知る権利がないのだ」と答えていた。 しかし、親は胎児について知る権利はないけど生殺与奪の権利があるというのは、 どうやって正当化されるのだろうか?
昼下がり、シンポでしばらく寝たあと:)、 神保町で開かれている別の研究会に出席するためにその場を去る。
ひさしぶりにタクシーに乗る。東京の地上を車で走るのはひさしぶりだ。 先週大前の交差点で降ろされ、しばらくさまよったあと、某研究会に出席。 道徳的実在論の話とマクダウェルの話を聞く。もっと勉強せんとわからん。
懇親会には出席せず帰ることに。 「ここをまっすぐ行くと九段下ですよ」と教わったので、 まっすぐ行くと竹橋に着いてしまう。むむむ。 もうちょっと東京の地理に明るくなる必要があるな。
夜、渋谷でアジア料理。そのあと、レイトショーで 『マトリックス・リローデッド』 を観る。アクションもすごいが、正統派SFの内容もおもしろい。 二、三回は見ないと全ての含意がわからないかもしれない。 ところで、SFではいろいろ非現実的なことが起きるわけだが、 それでも死人が生き返るのはルール違反だと思う (それをやるとなんでもありになってリアリティが失われてしまう)が、 どうか。
それからなんとか帰宅。つかれた。
そういえば、アマゾンからCDが一枚届いていた。
まだ勉強したいが、目がつかれている。寝よう。
といいつつ、少し某勉強。
遅寝遅起き。宅急便の配達人に起こされる。
洗濯物を干す。庭の木がだいぶ成長して、隣の家の所有権を侵害しはじめている 気がする。不動産屋に言ったら切ってくれるんだろうか。
お昼すぎから夕方まで、駒沢大学駅前の某ドトールで新聞を読む。 なかなか快適だがやはりちょっと煙たい気がする。分煙してるはずなのだが。 某ブックオフで古本を買ってから帰宅。
晩ごはん。ゴーヤチャンプルーを作ってみた。 ゴーヤはもっと薄く切ること。
眠い。 以前にも書いた気がするが、 「政府は少子化問題(より一般的には人口問題)に介入すべきか」と いうのは政治哲学的におもしろい問題だ。 ちょっと考えていつか発表してみるか。
ソフト路線を追求する日本共産党は、 その党綱領にある「アメリカ帝国主義」を修正し、 「アメリカ覇権主義」や「アメリカ新植民地主義」とするそうだ。 別に共産党に特別なシンパシーがあるわけではないのでどうでもいいが、 国際社会における最近の米国の行動が「帝国主義」 と批判されることが多くなっているのに、 今修正するというのは不幸だと思う。
陰謀説とは、 一般人の知らない強大な力が世界を支配しているとか、 歴史を操っているという「物語」のことである。 たとえば、ユダヤ資本の影の世界支配とか、 9.11米国陰謀説とか、エシュロンとか(これは本当のようだが)、 いろいろある。実はこの世はプログラムであり、 神的な何者かがプログラムのソースを書いている、 というマトリックス・リローデッドの話も陰謀説の一種と言える。
さらに、 支配的な社会思想をイデオロギー(支配階級の支配を正当化する理屈) だと主張したマルクスの理論も陰謀説と言える。 また、女性の自己決定権の理論は、 医者が生殖医療技術の研究を正当化するための錦の御旗、 水戸黄門の印籠にすぎないというのも、やはり陰謀説と言える。
もっともらしい陰謀説を聞くと、 ちょうど天動説を信じていた人がはじめて地動説を聞いたときのように、 足元がぐらつく感じがすることがある。 もっともらしい陰謀説は現実を説明する力があるが、 たいていは実証する証拠に欠けている「お話」にすぎないので、 信じやすい人は注意が必要である。
敗者、負け犬のこと。対義語はtop dog。
`favour the underdog (side with the underdog)'は「判官びいき」という意味。 With Britain's famed capacity to favour the underdog...のように用いる。
ところで、`Kodama Satoshi and the underdogs'というバンド名はどうだろうか。
いくつかメールを出してから風呂。
ぬるくなった風呂につかりながら、 学問的誠実について考える。 本気かつ本音で研究すること。もちろん、 もっとも、ユーモアやソクラテス的なアイロニーも忘れるべきではない。
さらにメール。
もう寝ないと。 起きたら喫茶店に行って勉強しよう。今日から発表の準備に集中すること。
遅寝、(比較的)早起き。最近は4時すぎには夜が明けているのか。
郵便の速達が来る直前に起きる。古本。
燃えるゴミを出す。
やっとスタバに来る。
昨夜寝る前に考えていたことのメモ。 内在的視点(internal point of view)と外在的視点(external point of view) について研究してみること。どうもウィトゲンシュタインのruleについての話を 勉強すべきらしい(あるいはウィンチ)。ハートの規則についての内在的視点と 外在的視点の区別(青信号は、内在的には「発車してよい」 という規範性を持ったシグナル、 外在的には「発車するだろう」という予測を与えるサイン)。 人間の行動を研究するとき、内観主義は内在的視点から、 behaviourismは外在的視点から研究する。 アリストテレス的な世界観は内在的な視点から物体の運動を説明し、 近代科学は外在的な視点から規則性だけを取り出す。 というのは言いすぎか。 マクダウェルは道徳におけるsupervenienceの議論は外在的視点からの議論であり、 内在的視点から言えば自然的性質と道徳判断は切り離せないと述べたそうだが、 これは説得的か。
Wollheimの`A paradox in the theory of democracy' (in Philosophy, Politics and Society Second Series)を読む。 自分の投票と投票の結果が異なるとき、 なぜ民主的決定(多数決)に従わなければならないのか、という話。 直接的原理(「ある事柄が正しい」)と間接的原理 (「ある手続によって決められた事柄が正しい」)という区別によって 解決しようとしているが、 なぜ間接的原理の方がより権威的なのかが説明されていない。 単にレベル分けをしただけでは、問題は解決されない。
腹減った。
J.G.A.Pocockの`The History of Political Thought: A Methodological Enquiry', (in Philosophy, Politics and Society Second Series)をざっと読む。 抽象的かつ難解な文章なのでよくわからんが、 政治思想史は思想家が使っているさまざまな「言語」あるいは「伝統」 を明らかにしたり、「議論の抽象度のレベル」を区別しないといけないそうだ。 う〜ん、これだけでは何のことかわからんな。
トイレが二つあるスタバは広くてトイレが一つのスタバよりもいいのだが、 妊婦や幼児連れの女性が多いため、幼児が泣いてうるさい。
John Dunnの`The Identity of the History of Ideas' (in Philosophy, Politics and Society Fourth Series)もざっと読む。 これも思想史の方法論について。思想の哲学的説明(合理的説明)と、 歴史的説明(因果的説明)は突きつめると同一の形式を取るというような話。 話の筋はよくわからんが、結論は重要なのでもう一度よく読む必要がある。 「哲学の歴史は、必然的に、今日の哲学的関心に基づいて書かれるものである」 (170頁)というのはクリシェだが、オレ自身がどんな関心を持ってベンタムに 向かっているのか、どういう態度を持つのかについては、 よくよく考える必要がある。
「きみの『〜する必要がある』とか『要修業』というのは、 『今は面倒だから考えたくないし、今後もおそらく考えないだろうけど、 体面上、一応考える予定ということにしておく』という意味じゃないのか?」
「いや、本当に考えますよ。D論を書くにあたって、 どういう方法論を取るのかについては」
昼下がりに家に戻ってきて、そばを食べたあと、 ちょっと昼寝(夕方寝)する。また喫茶店に行こう。
ふたたび某スタバへ。
マクファーソンの勉強中。おもしろい。 ちょっと「概念」「規則」が気になるので、 ロールズの「二つの規則概念」(だっけ?)も読むこと。 構造主義も気になるので、 もうちょっとフランス現代思想を勉強しよう。
スタバでマクファーソンの`The Maximization of Democracy' (in Philosophy, Politics and Society Third Series)を読む。 自由民主主義には、 (1)ホッブズ-ロック-ベンタム-父ミル型の効用最大化に役立つ という正当化の仕方と、 (2)19世紀ミル-グリーン型の最大限の自己実現(能力の開発) に役立つという正当化の仕方があるが、 どっちの目標も資本主義社会では実現できない、というような話。 自由民主主義の話なのに資本主義批判になるところはマルクス主義者の彼らしいが、 たしかに民主主義の話をするときは、 その経済的側面も忘れるべきではない。
さあ、めしめし。
晩ごはんはししゃものバター炒めと、もやし。あと、キムチなど。
スタバで勉強すると、帰宅してから勉強する気にならない。 早く寝て明日また勉強しよう。
まだ起きてる。読むべき本がいっぱいあり、焦る。 なぜこの本もあの本もまだ読んでいないのだ。 とにかくもう寝て、起きてから勉強しよう。
遅寝、(ちょっと)遅起き。シャワーを浴びたら大学に行こう。
書き忘れていたが、産経の「韓国世論(マスコミ)」 というのは興味深い表現だ。 本当に反日なのはマスコミであり、 マスコミが市民の反日感情を煽っているのだ、という含意だろうか。
某近畿の少年たちによるコーラの宣伝広告で、「理屈じゃ、ないんだ」 などと書いてある。まあ飲み物や食べ物の好みについては理屈じゃない というのは確かだが、こういう「理屈じゃない」という発想が行為や 思考一般にも波及し、あまり深く考えない人間にならないかと心配だ。
「PTAのおばさんかお前は。人のこと心配してないで、 自分がもっと理屈を身に付けろってば」
「いや、たしかにそうなんですけど…」
(追記: あれ、今日の産経を読むと、 No Reasonの宣伝は平成13年からやってるそうだ。 いかに時勢に遅れているかがわかるな)
横浜駅の地下街でちらし寿司を食べてから大学へ。 歩くと暑い。
某紀伊国屋から本が20冊ほど届いていた。 自宅にちょっとずつ持ち返るべきか、 あるいはここに置いておくべきか。
眠い。
夕方まで大学にいたあと、石川町に行き、知人の某氏に会う。 しばらく山下公園のあたりを散歩したあと、 中華街で食事をしながら歓談。さらに喫茶店に行き、歓談。 楽しいひとときを過ごす。
それから帰宅。やたらと眠い。 しかし、ちょっとは勉強しなければ。
紀伊国屋から来た本は、けっきょく一度図書館に持っていかなければ ならないというので、取り上げられてしまった。う〜ん。
エマ・バントン、かわいいけど歌は下手だな。`Free Me'っていう曲。 ステレオフォニックスははまりつつある。 キャロル・キングもひさしぶりに聞いているが、 `I feel the earth move'はアレンジも歌も今ひとつ。 `Natural Woman'は歌うまいと思うんだけど。 以上、メモ。
G.L. Williamsの`The early utilitarians: Bentham and James Mill' (in C.L. Ten's Nineteenth Century)を読む。 ベンタムに比べると、父ミルの方が教育による教化を強調していたとあるが、 クレストマシアではどうなっていたか。調べること。 まあ、ベンタムが人間性をある程度所与のものと考えていたことはたしかだと思う。 制度ではなくて人間を変えることで問題を解決しようという視点はあまりない。 あ、いや、パノプティコンとかワークハウスを考えるとそうも言えないか。 とすると、ベンタムと父ミルはあまり変わらないだろうか。 教育の内容をよく比較すること。