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こだまの世界

2002年12月中旬号


主な話題


11/Dec/2002 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中

昨晩は大阪の友人のところに泊めてもらう。感謝。

早朝に起き、関空まで車で送ってもらう。感謝。

香港から来た友人とその兄弟姉妹5人組に無事会う。 まず道頓堀の旅館に連れていき、 そのあとしばらく道頓堀や心斎橋、アメリカ村を散策。 それぞれ別行動ということにして、 オレはタワーレコードでCDを買ったり、 マンガ喫茶で『バイオレンス・ジャック』を読み返したり。

夜、一緒に梅田に行き、新梅田シティのスカイビルに上る。 実はあそこに行くのは今回が初めて。 地上40階の展望台には小さなクリスマスツリーに願い事を書いた星がたくさんかけられており、 すこし読んでみると「胸が大きく、小池栄子以上になるように」とか 「目標長髪4メートル」とか書いてあり、少し笑う。 地上ではハイデルベルクのクリスマス祭というのもやっており、 なかなか楽しいところだった。夜はその地下でお好み焼きを食べる。

それから梅田駅で連中と別れて、帰宅。 つかれた。が、明日の授業の準備をせねば。

机に向かっている時間…0hr
今日の勉強時間…0hr
マルクス係数…0


12/Dec/2002 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

早朝

冬が来た
冬が来た
どこに来た

家に来た
部屋に来た
手足の先に来た

う、やばい、遅刻する。

お昼前

タクシーのお世話になり、 なんとか遅刻せずに授業へ。 しかし、LANケーブルなどを一式忘れてしまい、 事務に借りることになる。

あ、昨日某大で講演会があったことをすっかり忘れていた。しまった。

夕方

授業が終わったあと、「英語のスピーチを作ったので見てください」 と頼まれたので、添削する。

そのあと、近くお好み焼きを食べ、バスで帰宅。 と思ったが、寝過ごしてしまい、 気がつくと北大路の方まで行ってしまった。 ふたたび銀閣寺行きのバスに乗って戻り、 本屋に立ち寄ってから帰宅。

The ClashのLondon Calling、ひさしぶりに聞くとすごくいい。

真夜中

夜、買物に行こうとすると、某香港人から電話。これからJR京都駅に行くので、 迎えにきてくれとのこと。買物はあきらめて彼らを迎えに行き、 駅から10分ほど歩いたところにあるホテルまで送ってきた。

新聞がたまっているので読まねば。

机に向かっている時間…4.75hr
今日の勉強時間…4.75hr
マルクス係数…0


13/Dec/2002 (Friday/vendredi/Freitag)

お昼前

ひさしぶりに好きなだけ寝ることができた。

お昼すぎ

シャワー、昼食、新聞。今日は清水に行くことになりそうだ。

真夜中

清水寺、祇園(にしんそば)、河原町に行ってきた。

机に向かっている時間…0hr
今日の勉強時間…0hr
マルクス係数…0


14/Dec/2002 (Saturday/samedi/Sonnabend)

なんとか起きる。今日は奈良。

そういえば、 「同じです; あなたとわたしの; 大切さ」という京都市の人権月間の標語が、 市バスや市営地下鉄のあちこちに貼り出されている。 すばらしく倫理的な標語だと思うが、問題はこれをどうやって 「いや、他の誰よりも自分が大切だ」 と頑固に主張する人にわからせるかなんだよな。

仮に「汝の人格が汝にとって目的自体であるように、 我の人格は我にとって目的自体なのである」と言っても、 「いやいや、たしかにあんたにとってはあんたが一番大切 なのかもしれないが、おれにとってはおれが一番大切であって、 あんたにとって何が大切かなんて知ったこっちゃない。 価値は常に『〜にとって価値がある』なものなんだから、 おれにとって一番価値があるのはおれ自身であり、 あんたは二の次なわけ」と反論するかもしれない。するとどうするか。

「殴ればいいんじゃない、そういうことを言うやつは」

「そうですね。カントのように杖でバシバシと」

「いや、しかし、この標語が言いたいのは、そういうたいそうなことじゃなくて、 『ユダヤ人はドイツ人よりも事実劣った民族である』というような主張が、 事実判断として間違っている、ということでしょ」

夜中

奈良に行ってきた。寒かった。奈良公園で鹿とたわむれたあと、 春日神社と東大寺を訪れた。あまり大仏に感動してなかったのでがっくり。

帰り、JR奈良線に乗って京都に戻っている途中、東福寺のあたりの踏切で 人身事故があったとかで、さんざ待たされたあげく、 宇治で降りて京阪に乗り換えるように言われる。 仕方ないので寒いなか宇治橋を歩いて京阪に乗り換え、 三条へ。某所でラーメンを食べたあと、連中と別れ、 しばらく喫茶店で新聞を読む。それから帰宅。とにかく寒い。

家に戻ってネットでニュースを読むと、神戸線でも人身事故があった様子。 ルミナリエに行かなくてよかった。

机に向かっている時間…1.5hr
今日の勉強時間…0hr
マルクス係数…0


15/Dec/2002 (Sunday/dimanche/Sonntag)

お昼すぎ

よく寝る。休日という感じ。洗濯。

昼下がり

新聞、シャワー、昼食(チンゲンサイ、ガーリックライス)。

「新しいボンド映画が北朝鮮と韓国の批判を受けているようです (BBC News)。 朝鮮半島を舞台にしており、ボンドが寺院でセックスするシーンもあるそうですから、 さもありなんという気もしますね」

「まったくもって配慮が足りん。 仮に、ボンドが教会でセックスしたら、 キリスト教信者はどう反応する? イスラム寺院でセックスシーンを撮ったら ピアズ・ブロズナンは間違いなく暗殺されるだろう。 いくら仏教が寛容だからって、ハリウッドは何を考えているのか。けしからん」

「あれ、なんか論調が産経抄のようになってきましたね」

「うむ、最近産経新聞を読んでいるせいか、保守化してきてな…」

昼下がり2

ひさしぶりに日記の整理。最近忙しくて整理が遅くなっている。 なぜこんなに生活に余裕がないのだろうか。

夕方

しまった、読書会をひとつすっぽかしていた。 スケジュール管理をもっとしっかりすること。

すこし寝る。それから某所に行き、タコ焼きを食べながら人工妊娠中絶の勉強。 寒いので某ユニクロで下着を購入。買物をしてから帰宅。

こないだのEU会議ではトルコ加入が問題になっていたが、 EUにおける大問題は加盟国の言語をすべて平等に扱おうとしていること。 現在はすべてのEU関連の書類は各国語に訳されており、翻訳のための 人件費は膨大なものになっているという。 さて、仮にトルコが加入することになると、 EUの書類はトルコ語にも翻訳されることになるだろうか。

机に向かっている時間…4.5hr
今日の勉強時間…2.0hr
マルクス係数…0


16/Dec/2002 (Monday/lundi/Montag)

真夜中 (午前)

人工妊娠中絶の勉強中。晩御飯は海親子丼、納豆。 一合半食べて死にそうになる。

早朝

う〜ん、結局ほとんど徹夜になってしまった。

寝るのが怖いが、ちょっと休もう。 9時に起きて9時半には家を出ること。

なんとか起きる。トースト。

行くべし。

昼下がり

奇跡的にバスに乗り、奇跡的に余裕を持って某大学に着く。 今回も中絶の議論。自己決定、脳生基準の話など。 補講代わりに昼休みまで延長するつもりが、時間通りに終わってしまった。

それからバスに乗って戻ってくる。途中、花屋を探して延々歩く。 探すとなかなかないのが花屋。ようやく一軒見つけて入ると、 ThinkPadの犬にそっくりの黒い犬に出迎えられた。 ひさしぶりに犬とじゃれた。しつけがなっていたが、 さすがに奈良の鹿のようにおじぎをすることはなかった。

某所でスパゲティを食べてから帰宅。眠い。

「中絶と自己決定」考

「ぼくは小心者なのでフェミニストに盾突く気はないんですけど、 この文章どうなんですかね」

「どれどれ」

「胎児は人間であるか否か」とか「胎児にも人権があるか否か」とか「胎児に も人格があるか否か」あるいは「中絶は良いか悪いか」等の論議がある。
この場合に重要なのは、これらの問題設定をするのは人間であり、その結論を 出すのは、その問題を設定している人間であるということである。したがって 結論はその問題を設定した者によってどちらにでも導くことが可能である。故 に、どちらかの自分が導き出した結論を他者に押しつけることは許されない。
また、「中絶は胎児の生命を抹消する殺人だ」といって中絶を否定する主張も あるが、中絶は、出産を望まないのに妊娠している女性が、そのからだを妊娠 前の状態に戻す行為であり、胎児の生命を抹消するために中絶をするのではな い、という事実を忘れてはならない。
いずれにしても、胎児の権利や胎児の生命尊重を論ずることは中絶の核心とは 別の問題である。
中絶の核心は、「胎児の生命尊重か否か」とか「胎児は人間か否か」などでは なく、自分のからだの中で進行する妊娠の継続を中止することを、妊娠の当事 者が選択することを認めるか否かの問題である。それは一言でいえば「女性の 基本的人権を尊重するのか・尊重しないのか」ということである。「中絶に関 する女性の自己決定権を、女性の基本的人権の一つとして認めるのか・認めな いのか」という問題なのである。
女性の自己決定権を認めない者は、中絶だけではなく、妊娠するかしないか、 子どもを産むか産まないか、についても女性の選択や自己決定を認めず、中に は避妊さえも認めない主張がある。

「胎児を人間と考えるか考えないか」「中絶を良いと考えるか悪いと考えるか」 などの問題は、個人の思想・信条の問題であり、本人以外の他者が介入したり 支配することではない。

三輪和惠、「人工妊娠中絶と女性の自己決定権」(斎藤有紀子編著、 『母体保護法とわたしたち』、明石出版、2002年、216-7頁)

「極端な自己決定論者やな。産経やったら血祭りになるぞ」

「またまた、大げさな。しかしそれにしても、 この議論はどこがおかしいんですかね」

「そやな、まず『問題設定をするのは人間であり、 その結論を出すのは問題設定した人間である。 したがって結論はその人が好きなように導くことができる』 というのは、かなり話が飛躍してるな」

「どうしてですか」

「この『したがって』がよくわからん。 問題設定するのはそれは人間に決まっとる。 また、結論を出すのもその人かもしれん。しかし、 だからといってそこから『結論を好きに導ける』というのは話が飛んでるやろ。 たとえば、『直角三角形において斜辺の二乗が他の二辺をそれぞれ二乗したものの和 であることを証明できるか』という問題設定する人がいて、その当人がそれに ついて結論した場合でも、その人は結論を好きに導けるわけじゃなくて、 幾何学の定理に基いて答えを出すわけや。 その結論は間違えるときもあれば正しいときもある」

「そうですね。しかし、上で言われているのは道徳的な問いでしょう。 そういう数学や論理学の問いではなくて」

「その通り。しかし、道徳的な問いやからと言って、 『結論を好きに出せる』という過激な立場を取れるかどうかは問題で、 まずそこを議論せんと、話が飛びすぎてしまうやろ。 考えてみい、『胎児にも人権があるか否か』の代わりに、 『黒人にも人権があるか否か』とか『女性にも人権があるか否か』とか、 『中絶は良いか悪いか』の代わりに『殺人は良いか悪いか』とか 『テロは良いか悪いか』とかいう問いを立てたときに、 『結論はその問題を設定した者によってどちらにでも導くことが可能である』 とはちょっと言えんやろ。ある人が『黒人には人権はない。 だから白人の主人は自己決定によって黒人を自由に奴隷にする権利を持つ』 と結論したら、 『いや、お前、口はさんでなんやけど、やっぱりそれはちょっと間違ってるで』 と意見せなあかんやろ」

「そうですね。『胎児を人間と考えるか考えないか』は個人の思想の問題であると サラっと書いてますけど、これが『脳死体を人間と考えるか考えないか』とか、 さらには『黒人を人間と考えるか考えないか』などに変えたら、 とても個人の思想の問題とは言えませんものね」

「そうや。そして胎児の権利を言う人も、同じことを言いたいわけや。 すなわち、『胎児には人権はない。 だから母親は自己決定によって胎児を自由に中絶する権利を持つ』とか、 と言う人がおったら、『いや、それはやっぱり何かまずいんとちゃうか』 と言いたいわけや。 それを『自分が導き出した結論を他者に押しつけることは許されない』 っていうのは無茶や。 どちらがどちらに『結論を押しつける』かは置くにしても、 まずどっちがより正しいのか議論がきちんとなされるべきやろ」

「しかし、そのときに議論で結論が着くんですかね。 それともデモとか暴力に訴えるしかないんでしょうか」

「いや、道徳の議論にも進歩はあると思うよ。 結論が着くかどうかはわからんけど。 たしかに道徳の多くの問題は簡単に白黒着くわけじゃあないし、 とくに人格の議論は恣意的でどうも論争は迷宮入りしている気もするけど、 しかしシンガーの本を読んでると、 多くの人が参加する議論の力によってちょっとずつ話が進んでる感じはするよ。 なのにそういう努力を無視して、 『道徳はしょせん相対的だから、人のやることに口を挟むべきではない』 というのは、こういうてもうしわけないけど、 あまりに怠惰で安易やろ」

「それにそもそも、道徳が相対的だったら『道徳は相対的だから、 人のやることに口を挟むべきではない』という普遍的な主張もできませんしね」

「その通り。『自分の結論を押しつけることは許されない』という結論も、 やはり押しつけられなくなる。とすると、こういう事を言う人にできるのは、 極端に言えば、 人とはしゃべらずに自分の部屋に引きこもることだけだということになる」

「いや、それは極端すぎるのでは。この筆者が要求しているのは、 『女性の中絶する権利』でしょう。それは認められないんでしょうか」

「もちろんちゃんとした議論があれば認められるけど、 胎児の権利について考えることなく、ただ『女性には権利がある』 というだけやったら認められへんやろ。 『中絶の核心は、「胎児の生命尊重か否か」とか「胎児は人間か否か」などでは なく、自分のからだの中で進行する妊娠の継続を中止することを、妊娠の当事 者が選択することを認めるか否かの問題である。それは一言でいえば「女性の 基本的人権を尊重するのか・尊重しないのか」ということである』 って書いてあるけど、 これってほとんど『われわれの味方か、さもなければテロリストの味方とみなす』 (You are either with us or against us in the fight against terror.) っていうブッシュ流の脅迫と同じちゃうか? だって、胎児にも人権があるかもしれんと思って 中絶に関する女性の自己決定権に疑問を持つ人は、 即座に『女性の基本的人権を侵害する不逞の輩』 と決めつけられるわけやろ? かなわんで。 女性の人権も尊重しつつ、胎児の権利も尊重したい人はどななんねんや。 胎児は女性が自由に処分できるモノかどうか、 まず議論せんとあかんのちゃうんかいな」

「きっと『モノ』だというんじゃないですか、この筆者なら」

「そしたら、なぜ胎児がモノで赤ん坊やわしらはモノじゃないか、 その理由を納得できるように説明してもらわなあかんやろ。 そこから議論が始まるわけや。 思想や信条の自由や言うてダマって中絶することが許されるというのは それこそかなわん世の中や。 ちゃんと道徳的に間違ったことしてないって説明してもらわな」

「そうですねー。ついでに最後にシンガーの文章も引用しておきましょうか。 『中絶反対運動は自らを「生命擁護派(プロ・ライフ)」と称しているが、「女 性が望みさえすれば中絶できる」という主張を擁護する人たちは「生命否定派」 と自称しているわけではなく、「胎児の生存権否定派」と名のってさえいない。 彼らは「選択擁護派(プロ・チョイス)」という名称を好んで使っているのであっ て、中絶問題を「妊娠を継続するかしないかに関する女性の選択権」の問題と して論じているのである。彼らは、「成長しつつある人間が生存権をもち始め るのはいつからか」という問題について明確な立場を取るのを避けようとして いる。これは政治的戦術としてならよいかもしれないが、哲学としてはお粗末 である。中絶問題を(互いに同意した成人間の性的行動のように)個人の選択の 問題として論じることは、胎児がほんとうに問題にならないことをはじめから 前提している。人間の胎児は胎児以外の人間と同じ生存権をもっていると考え る人なら、奴隷制度を奴隷主の自由な選択の問題であるとみなさないのと同様 に、中絶問題を選択の問題だとみなすことはできないだろう』(ピーター・シ ンガー、『生と死の倫理』、昭和堂、1996年、113頁)

「ん、そうや、シンガー正しい。しかし、どうもこの論争のどちら側も、 自分の視点から離れて相手の立場に立つっていうことができへんみたいやな。 片方は胎児の視点からしか、 もう片方は女性の選択という視点からしかモノが見えてへん。 君はベンタムやったらどういうか、ちょっと考えてみる必要があるんちゃうか」

「そうですね」

4時間ほど爆睡する。今日も香港人たちは独力で行動しているようだ。

ゴアは次の大統領選に出馬することを諦めたとのこと。 悲劇の副大統領だな。

しかし、 21世紀になってもまだ100パーセントに避妊できてしかも安心で簡単な避妊方法がなく、 セックスをするたびに毎月妊娠の影に怯えなければならないというのはどういうこと なんだろうか。どれだけセックスしても妊娠の恐れがなく、性病の恐れもないような 世の中だったら、もっとラブ・アンド・ピースな世界になるのではなかろうか。 ならないか。

上海や北京で行なわれている「くじつき領収証」というのはいいアイディアだと思う。 これは、店が経費を水増しするために偽の領収証を作ったり、 領収証を発行せずに売上を過小報告したりするのを妨げるために行なわれており、 客はくじを引きたいから領収証をきちんと請求するのだと言う。

日本でもきちんと国民年金を払ったり、 水道代や電気代を期日までに払うとくじが付いてくるなどのサービスをするといいの ではないだろうか。ひょっとしてもうあるのかな。

夜2

新聞、電話。

When this old world starts getting me down, and people are just too much for me to face
日々の暮らしにつかれ、人と顔を合わせるのがイヤになったときは

I climb way up to the top of the stairs, and all my cares just drift right into space
階段をずっと上って屋上に出ると、 悩みごとはみんな飛び去ってしまう

On the roof, it's peaceful as can be, and there the world below can't bother me
屋根の上はとても平和で、 下界のことは気にならなくなる

キャロル・キングの`Up On the Roof'の出だし。 (米国の)ドリフターズの曲としても知られている。 産経にあった貝原益軒の「天気和暖の日は、園圃に出、 高き所に上り、心ひろく遊ばしめ、鬱滞を開くべし。 時々花木を愛し、遊賞せしめて、其の意を快くすべし」(養老) を読んで思いだした。息詰まったら外に出て深呼吸すること。

イタリアのセベリノ・アンティノリ医師によると、 クローン人間は来年1月にセルビア(ベオグラード)で誕生するそうだ。

真夜中

海親子丼、豆腐、白菜の浅漬。

机に向かっている時間…12.5hr
今日の勉強時間…9.5hr
マルクス係数…0


17/Dec/2002 (Tuesday/mardi/Dienstag)

お昼前

よく寝る。部屋の掃除をする夢を見た。天啓か。

ホッブズのように国家を生き物として捉える人はもう少ないんじゃないかと 思うが、経済を生物に喩える比喩は健在だ。

経済は生身の人間と同じだ。麻酔も栄養剤も使わずにいきなりメスで 病巣を取り除こうとしたら、経済そのものがまいってしまう。
(伊藤元重「正論 『構造改革か景気対策か』の選択は誤り」産経12月17日朝刊)

「経済の生物的比喩」については今年3月にもメモを書いている。

お昼すぎ

`This is London Calling.'(ロンドンからの発信です)。

これが70年前に始まったBBC World Serviceの第一声だったそうだ (当時はBBC Empire Serviceと呼ばれたようだ)。 The ClashのLondon Callingもここから来てるのかな。

昼下がり

授業の準備。ミルの続き。

あれ、今日を除くともうあと3回しか授業がないのか。 ということは、マルクス、ニーチェ、 サルトルは各一回でこなさないといけないことになる。たいへんだな。

昼下がり2

シャワー。スーツで行こうと思ってわざわざワイシャツにアイロンをかけたが、 アイロンをかけているとバスでは間に合わない時間になってしまい、 結局自転車で行くことになる。う〜ん。

自転車で某大学へ。ミル。 最後に功利主義の批判として、マイノリティの抑圧の話を紹介したら、 「ミルはマイノリティを抑圧する思想家だ」という印象を与えたようだ。

ごめん、ミル。

夜2

新聞。ケイ・オプティコムの「eo64エア」が来春にも東京進出する可能性がある とのこと。そろそろ入ってみようかな。

真夜中

カニ玉食べる。

明日は朝から姫路城に行くことになってしまった。明石大橋にも行くらしい。 寒くて橋から転げ落ちてしまうんじゃないかと今から心配だ。 ルミナリエにも行くらしい。

今日の身につけたい表現: 「カントは怒りにわれを忘れた」

ジョン・ロック研究者はBBC World Serviceのこのプログラムを聴くといいかもしれない。 UCLの某教授もしゃべっている。労働所有論の起源はキケロにあるとのこと。

机に向かっている時間…6.0hr
今日の勉強時間…4.0hr
マルクス係数…0


18/Dec/2002 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中 (午前)

『カントの人間学』をパラパラ読む。

読むべき新聞や本がどんどんたまっていく。どうすればいいのかっ。

真夜中2 (午前)

最近撮った写真をハードディスクに保存したついでに、 二、三枚載せておこう。

[梅田スカイビルの屋上から]

真中にあるでかい要塞のような建物がヨドバツカメラ。もうかってるらしい。

[奈良の鹿]

エサを持っていないと見向きもしてくれない。

[奈良の鹿2]

同上。

早朝

ううう、眠い。

真夜中

やっと帰宅。

兵庫旅行記

朝、JR京都駅へ。せっかく早く行ったのに、 肝心の香港人たちは寝坊したとかで、 結局一時間外で待たされる。中庸の徳が身に付いていれば適度の怒りを 示すべきところだが、小心者なので笑って許してしまう (しかし徳がないので、その笑いは引きつっているわけだが)。

外人はJR一日パスという便利なものを買えるようだが、 日本人は買えないと言うので、しばらく悩んだすえ、 青春18切符を買うことが賢明だと考え(推論過程が長いので、その理由は省略)、 青春18切符を購入、新快速で姫路へ。

姫路城を見る。昼食も姫路。姫路良いとこ一度はおいで。 二度目に城を訪ねて、お菊さんの怪談の発祥地がここにあることを知った。

それから明石大橋を見に行く。 美しい橋で、展望台もあり、 なかなか楽しいところだということを知った。 一人だったら絶対に行かなかっただろう。

さらに元町へ。南京町を徘徊したあと、 ルミナリエへと至る行列に加わる。 なかなか見ごたえがあった。 香港人たちはそのあとに続く屋台の方も楽しんでいた。

ポートタワーを見に行きたいと言われたので、 おそらくポートタワーと言うぐらいだからポートアイランドにあるんだろうと 思ってポートライナーに乗ってみると、あらまあ、ありませぬ。 地図で調べると、ポートタワーはメリケンパークにある。 ま、まぎらわしい。だったらなぜメリケンタワーにしないのかっ。

というわけで、ポートライナーでポートアイランドを一周回って戻ってきたあと、 てけてけ歩いてメリケンパークへ。 ポートタワーには上らず、あたりを徘徊する。 「あそこにあるのは観覧車だ」、「いや、あれはただのライトショーだ」、 「いやいや、よく見てみてください、じっと見てみなさい、ほらまわってるでしょ」、 「いや、それは目の錯覚だ」、 「いやいやいや、目の錯覚じゃなくて、 よおおおく見てみると、 ほらほらほら、まわってるでしょ。 それが証拠に『それでも観覧車は回っている』ってガリレオも言ってます」、 「なるほど、たしかに回っているようだが、乗り物が付いてないから、 ただのグルグルまわるライトショーだ」、 「いや、そんなわけないじゃないですか。ほら、 もっと近寄ってみてよく見ると、ほら、 暗いからわかりにくいけど乗り物が付いているでしょう」、 「あ、ほんとだ」などと議論したり。

タクシーで神戸駅に行き、そこから新快速で京都へ。 京都駅で別れて帰宅。一日気楽に観光できて楽しかったが、 さすがにつかれた。

机に向かっている時間…3.0hr
今日の勉強時間…0hr
マルクス係数…0


19/Dec/2002 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

よく寝る。途中までコタツで寝ていたせいか(いつものことだが)、 ちょっとノドの調子が悪い。

文献を読む意味

昨日の産経で「正論新風賞」を取った阿久悠がこんなことを書いていた。

大学の卒業論文を書く時、参考文献を用いないことで、 イエローカードにも匹敵する指導を受けた。 その時の疑念がまだ残っている。他人の研究を引き写すことが優等、 引き写すことが多ければ多いほど誠実、その逆に、 すべてを自分の考えで構築し、創造したものが劣等であり、 不勉強とはどういう価値観から生じるのかと疑った。
(産経12月18日朝刊)

オレも学部のときに同じように思った記憶があるので、以下メモ。

文献を読むというのは「他人の研究を引き写す」ことが目的ではなく、 自分の意見を作るさいに他の人の意見も参考にするということで、 これはちょうど政府が立法をするさいに委員会を設置したり 公聴会を開いたりするようなものだ。 総理や知事が誰の意見も聞かずに立法をしたら困るのと同様、 論文と称して独断的な意見を述べられても困る。 バランスを取るためには他人の見解を見ておくことが必要なのだ。 もちろん研究者にとっては、「学問の進歩」に貢献するためには 最新の研究を踏まえたうえで議論しなければならない、という理由もあるだろう。

というわけで、めんどくさがらずにちゃんと文献を当たるようにしよう。 人のことは言えないので、隗より始めなければならない。

JR二死日本における徳の実践

昨日JRに乗っているとこういう広告があった。

最初はちょっぴり照れくさかったけど、
今では自然に「どうぞ」って言えます

習慣によって徳が身につくという良い例と言える。 アリストテレスなら「照れくさがってるうちはまだまだ有徳とは言えない。 自然に『どうぞ』と言えるようになってはじめて徳が身についたと言える」 と言うだろう。

どうでもいいが、というかこの広告の冒涜になると思うが、 この広告の言い回しは応用が利いて、 「どうぞ」の代わりにいろいろと言葉を入れてみるとおもしろい。 たとえば:

最初はちょっぴり照れくさかったけど、
今では自然に「男根主義的」って言えます

---あるフェミニスト

とか、

最初はちょっぴり照れくさかったけど、
今では自然に「ベンタム」って言えます

---ある研究者

とか。さあ、みんなもやってみよう。

お昼前

部屋にいても手がかじかむ。

真夜中

今日も出発が遅れたので、けっきょく御所→大学→銀閣寺→吉田山しか行けなかった。 一日中小雨が降っていたが、 霧のかかった御所や銀閣寺はとても落ち着いた感じでよかった。 大学はあいかわらずだったが。

あ、香港人がやってみたいというので、 百万遍でパチンコもした。 パチンコをするのはたぶん高校生以来で、 あっという間に千円すってしまった。 二度とやるまいと誓った。

昼は熊野でカレー、夜は大学のそばの居酒屋。 居酒屋で腹一杯食べてから、香港人たちをホテルまで送り、 自転車で帰宅。

そういえば、 昼下がりに大学に行ったときに、某翻訳本をいただいた。感謝。 もうすぐ出版されるようだ。 あ、予告予告。宣伝のために書いておこう。

また、一時帰国している某先輩にもお会いする。お元気そうでなにより。

あと、某先輩から新刊の著書をいただく。感謝。 ちゃんと読まさせていただきます。

それと、夜に下宿に戻ってくると、 某学会から投稿論文掲載の知らせが届いており、胸をなで下ろす。 忘れずにファイルを送ること。

机に向かっている時間…0hr
今日の勉強時間…0hr
マルクス係数…0


20/Dec/2002 (Friday/vendredi/Freitag)

お昼前

よく寝る。ノドが痛い。

韓国大統領選、接戦のすえ与党民主党のノムヒョン(盧氏、Roh Moo-hyun)が 野党ハンナラ党のイフエチャン(李氏、Lee Hoi-chang)を破って勝利。 投票率は7割で、票差は56.5万票ほどの僅差。ノムヒョン氏は 金大中現大統領の太陽政策(北朝鮮に対する融和政策)を受けつぎ、 日米の「核開発放棄と引き換えに経済支援する」という方針とは対照的に、 無条件に経済支援を続ける方向を支持するとのこと。保革対決で、 革新が勝利したことになり、 今後米国との関係、北朝鮮との関係の展開が注目される。

産経は社説でも識者のコメントでも盧氏に対して否定的な意見が多い。 太陽政策はすでに破綻している、韓国の大衆民主主義は嘆くべきものだ、など。

夕方

某所でパスタを食べたあと、大学に来て雑誌を閲覧する。

真夜中

夕方、大学で若干の作業をしたあと、帰宅。 某面接に通ったという知らせが来ており、仰天する。 これから一層修業に励みます。

夜、香港人の友人と食事。タコ焼を食べたあと、天ぷら。恋愛論など。

机に向かっている時間…1.0hr
今日の勉強時間…1.0hr
マルクス係数…0


何か一言

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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sun Jan 12 01:05:58 JST 2003