男女間の心理学的な違いがどのような起源を持つにせよ、 そうした違いは平均を取った場合にのみ存在するわけで、 中には男性よりも攻撃的で、 すぐれた視覚的・空間的能力を持つ女性もいるのである。 すでに見たように、 男性の視覚的・空間的能力がすぐれていることを遺伝によって説明する仮説でさえ、 女性の四人に一人は、男性の半数よりも生得的にすぐれた視覚的・空間的能力を持つ と示唆している。 男性よりも攻撃的な女性がいることは、 われわれの個人的な観察からして明白であろう。 だからして、生物学的な説明であれなんであれ、 「きみは女だから、技術者にはなれないよ」とか、 「きみは女性だから、 政治の世界で成功するのに必要な精力と野心が足りない」 とか言うことはけっしてできないのである。 はたまたわれわれは、 「妻が仕事に行っているあいだ子供と一緒に家にいるのに十分なだけおとなしく 思いやりのある男性など存在しえない」などとも決めてかかるべきではない。 人々の真の姿を見極めるためには、 彼らを「女性」や「男性」として一緒くたに扱うのではなく、 個人として評価する必要がある。 また、人々が自分にもっとも適した仕事をすることができるためには、 女性と男性が果たす役割を柔軟にしておく必要がある。
--Peter Singer, Practical Ethics (2nd ed.),
Cambridge University Press, 1993, pp. 36-7.
学振の書類(最終稿)をようやく書きあげ、メイルする。
手伝ってくれたすべての人に感謝。
あ、イタリアの選挙は大統領選ではなく、 総選挙だった。 首相になるかもしれないメディア王の名前はベルルスコーニ(Berlusconi)。
(22/May/2001追記: その後、ベルルスコーニ率いるForza Italiaは選挙で圧勝した)
朝食を見逃したが、夜明けごろに寝たわりには早く起きる。
今日からミルのエッセイを書き始めること。
午前中はゆっくりと昨日の新聞を読んでしまう。
「新しいiBookいいですね。ほしいなあ」
「じゃあ買ったら」
「いやしかし、 すでにウィンドウズ専用のソフトをいろいろ買ってしまったので、 マックに移行するのはたいへんだと思うんですよね。 二台ラップトップがあってもあんまり意味がないし」
「じゃあやめたら」
「そっけないですね、対応が」
「だって、きみすでにIBMのラップトップ持ってるじゃん。 このぜいたくもんが。 世の中には毎日ラーメン一袋しか食わずに生活している苦学生もいるんだぞ」
「いや、 でも電話代を節約すれば一日ラーメン20袋ぐらい食べても まだお釣りがくるんじゃないかと」
「他人の善の構想に口出しするもんじゃない。あれ、脱線したな。 ちょっと巻戻して、ええと、だって、きみすでにIBMのラップトップ持ってるじゃん。 このぜいたくもんが」
「そうですね、 今持っているThinkPad iSeries 1400を買って、ええと、 約9ヶ月が経とうとしてますが、 このコンピュータはまだ当分使えそうですからね」
「気に入ってるの、そのデカいラップトップ?」
「ええ、まあいろいろ問題はあるんですけど。 なにしろ3.6キロもあるので持ちはこぶのがたいへんで」
「えらく長いコンピュータだな」
「いや、重さですよ、重さ。 それにメモリ128MBではちょっと不足気味だとか。 要らないボタンやソフトがいろいろ付いてるとか」
「ボタンは削りとって、ソフトは削除すればいいんじゃないの」
「まあそうなんですけど。あと、スピーカーがへぼいとか」
「それだって勉強にはぜんぜん差し支えないじゃん」
「いやまあそうなんですけど。まあスクリーンが大きいし、 キーボードもトラックポイントも使いやすいし、 Windows98はこれまでのところまともに動いているし、 実際のところ、そんなに文句はないんですけどね」
「英国に来てから故障したらしゃれにならなかっただろう。 保証も国外では効かないし」
「そうなんですよね。まともに動いくれてるだけでもありがたいというか」
「じゃあiBookになんか目移りしてないで、 ちゃんときれいに掃除でもしてやったらどうだ」
「そうですね、大切にします。あれ、言いくるめられてしまった」
火曜日ぐらいからずいぶん暖かくなり、天気が良い日が続いている。 そのため、どこの芝生も日光を求める人々であふれている。
昼下がりに大学の中央図書館に行き、Utilitas その他のコピーを取る。図書館で某と会ったので、 外の芝生に座ってすこしくつろぐ。すっかり初夏だ。
昨晩は某が無料チケットを持っているというので、 スコティッシュ・ダンス・シアターというのを某ブルームズベリー劇場にて観賞。 とくに感想なし。
昨夜からciceroにログインできない。
今日も天気がよいので、勉強道具を持って街に出た。
散髪をしたあと、オクスフォード通りを一路西へ歩き、 ハイドパークへ。
芝生に横たわり日光浴をしている肌もあらわな女性と男性に囲まれながら、 ベンタムやミルの著作を読んだり、まどろんだり。
ついでにサーペンタイン湖でボートも乗ってみた。
オールを使うのはひさしぶりだったので、
なかなかまっすぐ進まずに苦労した。
ミルの勉強中。父として進まず。訂正。遅々として進まず。 やはり〆切が近づかないと仕事がはかどらない。
先日入手したトンプソンのJohn Stuart Mill and Representative Governmentは、現代の政治学、社会学、 心理学の成果を用いながらミルの『代議制政治論』を分析した好著。 翻訳が出ていないのが不思議なくらいだ。 このような本を書けるようにこれから勉強しなくては。10年計画だな。
あいかわらずciceroにftpできない。 あれ、hotmailからciceroのpopサーバにはアクセスできた。 どうなってるんだろう。
シンガーは翻訳が手元にないため、自分で訳した。
う〜ん、DNSサーバが落ちてるのかと思ったが、そういうわけでもないようだ。 ブラウザを使えばアクセスできるみたいだが、 メイルソフトやftpソフトではアクセスできない。 どうなってるんだろう。知識不足のせいで原因がわからない。
夕方、ひさしぶりにピアノ室でギターを弾く。
夜、テレビでやっていた政治と大企業の関係についての番組を見る。
「おおざっぱに言うと、 ベンタムは少数者による悪い政府の専制をどう食いとめるかについて考え、 子ミルは多数者の専制をどう食いとめるかについて考えたわけですが、 今日の主たる政治問題は、 大企業の専制をどうやって食いとめるかということのようですね」
「なるほど、ベンタムの時代には少数の上流階級が政治の手綱を握っており、 ミルの時代には頭の悪い多数者が手綱を握っており、 現在では多国籍企業やメディア王といった連中が手綱を握っているというわけか」
「ええ、それで1970年代ぐらいからですか、 企業の道徳的義務ということが言われだすわけですけれど、 ベンタムが統治者の善意に頼ることの限界を自覚したように、 今日においても企業の良心に頼るだけじゃだめだと思うんですよね」
「しかし、悪い政府に対するベンタムの回答は、 市民全員参加の(代議制)民主主義政体だったわけだけど、 企業の専制の場合はどうすればいいわけ?」
「ビジネス・エシックスで提案された、 株主(ストックホルダー)だけでなく、 利害関係者(ステイクホルダー)が企業の意思決定に参加するという 『ステイクホルダー・アプローチ』というのは、 ベンタムも賛成すると思うんですよね。 しかし、 このシステムをどうやって企業に受けいれさせるかとなるとこれが難しいわけで」
「それは、企業としては無視したり搾取したりできる人々の利益はなるべく 無視したり搾取しつづけたいだろうからな。消費者から搾取し、それがだめとなると 労働者から搾取し、それもだめとなると国外の労働者や環境から搾取する というのが企業の論理だろう」
「ベンタムならそう言うと思います。 とにかく、ベンタムが圧政に対する民主主義という回答を出したように、 大企業の暴走に対して『ステイクホルダー・アプローチ』 を用いてうまくブレーキをかけられるシステムをあみだす必要があると思います」
「無理なんじゃない? 政府が介入して私企業の方針を決めるようになったら、 それこそ自由市場の終焉じゃないの」
「う〜ん、今日でも自由市場に対する干渉は存在するわけで、 そんな白か赤の極端論はできないと思いますが」
「それに、圧力団体である大企業の影響を強く受けた政府が、 有効な法規制を作れるかという問題もあるんじゃないの」
「いや、たしかにそうなんですが、ここでもやはりベンタムが言うように、 たとえ大企業に関しては民主主義のようなシステムを作れないとしても、 世論や情報公開の力によって、 あるていどは大企業の暴走を食いとめられると思うんですよね、 こないだの南アフリカの製薬会社訴訟の例のように」
「しかし、こないだから話しているように、 問題は政府だけでなくメディアも大部分大企業の手に握られているというのが 障害になるんじゃないのか」
「いや、まあそうなんですよね。 しかしインターネットなどによる消費者団体やその他の草の根活動家の 情報収集および拡散能力もけっしてバカにできないわけで」
「けっきょくベンタムやミルが言っているように、 新聞社の良心や人々の知的・道徳的レベルの向上に頼らないといけないわけか」
「まあちょっと楽観的ですけど、ベンタムが言うように 『世論という裁判所は誤つことはあれども、けっして腐敗せず; 絶えず賢明なものになり; 国のすべての知恵と正義を一つに結びつけ; つねに政治家の運命を左右するものであり; そこから発せられる刑罰からは逃れることができない』わけで」
「あ〜、それじゃ楽観的すぎだ。 そんな甘いことを言ってたら、世界はもうすぐ滅びちゃうって。 市民運動だ、市民運動。街に出てでかいデモをやろう」
「いや、世論の力を信じたベンタムもまさにそれを期待していると思います。 しかし問題は、場あたり的な解決を求めるデモではなく、 何か根本的な制度改革を求めるデモじゃないとだめだと思うんですよね」
「じゃあはやく解決策を考えてくれたまえよ、哲学者君」
「う〜ん、あと10年待ってもらえますか」
「だからあ、そんな悠長なことを言ってたら世界は滅びちゃうってば」
あ、ようやくつながった。
朝起きて、朝食、シーツの交換。
学振の書類関係の話で、某助教授に国際電話をかける。 書類にいくつか不備があったので、訂正したとのこと。 かたじけないです。
今回もいろいろな人の世話になったので、ちゃんとクレジットを書いておこう。
Special Thanks to: 某助教授、UCLの某先生、東京の某氏、横浜の某氏、 三重の某氏、大阪の某氏、某秘書さん、(and last but not least) 小竹薮町の某氏。
ちなみに、学振の書類は近く公開する予定。
あっ。母の日のことをすっかり忘れていた。 言い訳になるけど、英国の母の日は3月なんだよな。
それにしても、 「父の日」「母の日」「子供の日」「敬老の日」「成人の日」 とか、いろいろ記念日があるが、 どのカテゴリーにも入れない人間がいるというのはどういうことなのか。 差別だ差別だ。そそ組織的に排除されているっ。
「成人の日」というのは一見すると成人すべてを祝福するように見えるが、 このカテゴリーには、ようやく「人に成った」二十歳の人々しか含まれていない。 この「成人」という言葉からわかるように、 二十歳未満の日本人は人ではないので、パパパパーソン論によれば、 ここっ、 こここ殺しても…(以下略)。 とにかく、「成人の日」というのはまぎらわしい名前なので、 「成人した日」とか「大人になった日」などのわかりやすい名前に変更すべきだ。 デモをしよう。
というわけで、 父でも母でも老人でも子供でも二十歳でも勤労してるわけでもない人間にも 平等に祝日を与えるべきだと思う。「27才独身学生の日」とかいうのが望ましい。 デモをしよう。
ぐうぐう昼寝してしまった。疲れているらしい。
朝から首が痛い。ねむり方に問題があったらしい。
一日中ミルの勉強。複数投票についてなど。
ミルの代議制の勉強をしていたら、 いつのまにか『自由論』の勉強に移行し、 言論と出版の自由について考えていた。 すべてはクモの巣のようにつながっている。
昨日から椅子に座りっぱなしなので腰がすこしやばい。養生しよう。
朝食を見逃す。
法哲学の予習。リグズ対パーマーとか。W.B. Gallieの `Essentially Contested Concepts'もざっと読んだが、 何が言いたいのかよくわからん。
法哲学の授業に出てきた。授業の内容は、 法における意見の不一致(disagreement)について。
「客観的であるはずの裁判において 裁判官のあいだで意見の不一致が起きるのはどうしてなのか」 という問題。とくにドゥオーキン流の法哲学では、 正しい答は一つしかないはずなので、 この問題にきちんと取り組む必要がある。
意見の不一致の問題は倫理学でも問題になるので、 そのうちちゃんと勉強しよう。
そのあと、図書館ですこしコピーをした。 ベンタムのバウリング全集も一部必要なのでコピーをしたが、 1843年の古い本のうえ、紙の質が悪いらしく、 ページをめくってコピーをするたびにどんどんちぎれていく。 しまいにはすべて粉になり風に乗って飛んでいくんじゃないかと思ったが、 そうなる前に無事にコピーを終えた。
帰る途中で古本屋に寄る。お金がないので高い買物ができない。
わ、あられが降ってきた。
しばらく仮眠する。
「2008年のオリンピックは北京でやるべきです。デモをしないと」
「なんで?」
「情報公開のためです。 人権問題を含めて、中国の様子を多くの人が知ることができるように、 オリンピックを北京で開催するのが望ましいと思います」
「えっらそうに。まだ行ったことないくせに、中国」
「いやまあそうなんですが」
「第一、北京は現在、建築ブームで空気汚染がひどいらしいけど、 これもオリンピックのせいなんじゃないの? それに中国政府は用意周到に見られたらまずいところは見えないようにするだろうし。 意味ないんじゃない」
「う〜ん、そういう問題もありますが、 とにかく中国の門戸開放を手伝うためにオリンピックは北京で開催すべきかと」
「ところで、ユタのモルモン教の一夫多妻制についてはどう思うの?」
「あれもオリンピックがからんでるらしいですね。 自由主義的には、他人の善の構想に口をはさむのは望ましくないということになる と思いますが、モルモン教の場合は一妻多夫を認めていないとか、 女性は12才ぐらいから結婚できるとか(注: 現在は法により16才以上になった模様)、 男女平等という視点からすると問題があるんじゃないでしょうか」
「ま、しかし多夫多妻とかになると秩序を保つのが難しいだろうから、 非対称にしておくのももっともかもしれんけど」
「そうですね。それにモルモン教は公式には一夫多妻を認めているわけではないし、 ましてや強制しているわけでもありません。 また、女性は基本的に一夫多妻を認めるかどうか自分で決められるわけですから、 モルモン教徒の女性が搾取されているというのは、 ポルノ女優が搾取されているというのと同じぐらいの 説得力しかないんじゃないでしょうか」
「しかし、この一夫多妻というのがある種の道徳的憤概を感じさせるのは、 こう、なんでなんだろうな」
「道徳的というより、ただ単に、あいつら乱交してるんじゃないか、 ハーレムを築きやがってちくしょううらやましいぞあのヒゲ野郎とか、 そういう下世話な感情なんじゃないですか」
「じゃあ最後にちょっと引用をして終わろうか。 『複数結婚は男性だけ、女性だけに認められるなら、 けっして正しくないと思いますが、男女両方に許されているのなら、 抽象的な原則に基づいた反論があるとは思いません』(マーサ・ヌスバウム)」
「ではぼくは、 現在問題になっているモルモン教徒が言ったとされる言葉を引用しましょう。 『わたしと妻たちがラジオ番組に出演したとき、 ある女性が電話で、あんたたち一夫多妻主義者は砂漠にでも行って、 わたしたちまともな連中から離れたところで自分たちの町を作ったらどうなの、 と言ったんです。わたしの答はこうでした。 一夫多妻主義者はすでにそれをやりました-- [わたしたちやあなたが住む] ソルト・レーク・シティがその町です』」
(22/May/2001追記: その後、問題のモルモン教徒は、 四つの重婚罪で有罪の宣告を受けた)
新聞を読んでからベンタムの授業(国際法と戦争の話)の予習をしていたら、 こんな時間になってしまった。
今日は某教授との話し合いもあるのに、 ぜんぜん準備ができていない。ず、頭痛が。
朝食にまにあう時間に起きる。雨。
よ、予習が。
やっと大学から帰ってきた。
ベンタムの授業は、 彼の国際法とか永久平和の議論が歴史的にどういう影響があったか、 というような話。 今回の授業は歴史専門の先生が担当したので、 思想史的な側面を強調した内容だった。 歴史をきちんと勉強しないとな。
そのあと、 お昼を食べながら急いでディサテーションの章立てをでっちあげる。 先日からつらつらと考えていたせいか、 わりときちんとした計画が立った(ように思えた)ので、一安心する。
しばらくしてから某教授に会い、 先日書いたエッセイについてのコメントをもらい、 ディサテーションの話をする。 計画はだいたい良いので、 ベンタムを批判するときはもっと同情的になり、 ベンタム研究者の言うことは鵜呑みにせずどんどん批判し、 大胆な論文を書くようにと言われる。了解。
さて。次は法哲学の7000語のエッセイのテーマを決めねば。 ミルの『自由論』とかだと割と楽でいいんだけど、 やっぱりがんばってベンタムとハートの法実証主義の比較とかハードなのをやるか。
夕食まで寝ようと思っていたら、 某マレーシア人にスクワッシュをしようと誘われる。 断わるのもなんなので付き合ったところ、 こてんぱんにやられる。く、くそう。
そのあと、ちょっとしたことで道徳的ジレンマに陥ってしまう。 やはり日頃からちゃんと「ウソは頼まれてもつかない」 というような一次的な道徳的原則を持っておく必要があるな。
「何があったの」
「いや、おもしろい話なんですが、 自分でも自分の行動に腹立つというかなさけなくもあるので、 またそのうち説明します」
「なんだ、つまらんな」
今日、 英国労働党の副首相ジョン・プレスコットが、 選挙活動中に車から出てデモをしている連中のそばを歩いていたとき、 すぐ横に立っていた男性に生卵を投げつけられた。
以前首相のブレアも同じ目に遭っていたが、こういう場合、 普通の政治家はぐっとがまんするところだろう。 しかし、なんとプレスコットは怒って即座にその男性の顔に左フックを入れ、 つかみあいの喧嘩になった。 しばらくおしあいへしあいがあったあと、 二人はまわりの人々にひきはなされ、男性は逮捕され連行された。
労働党は正当防衛だと主張しており、 おれなんかも根性あるなあと思うのだが、 一部の世論は「政治家がとるべき行動ではない」と非難しているようだ。 もちろんこの事件は保守党による労働党非難の格好のネタになるだろう。
今日はブレア首相も、国家医療制度(NHS)の政策に関して、 市民の女性に数分間けちょんけちょんに非難されるという場面があったようで、 労働党はけっこう苦労している。
朝起きて、朝食を食べる。 昨日の新聞の残りを読んだあと、 図書館へ。
今日も雨。 気温はふたたび10度前後まで下がってしまった。
勉強進まず。
義理と義務(duty)の違いについて考えはじめ、すぐに中断する。 またそのうち考えよう。
夕暮れといっても、9時半なのだが。
夕方にすこし寝たあと、夕食をとり、 そのあと某中国人とカントについて話をする。
ジョン・プレスコットの生卵事件について昨日すこし書いたが、ちょっと書きたし。 CNN.co.jpかどっかで、 英国の世論はプレスコットの行動に対する批判が主流だという趣旨の 報道がなされていたが、 それはちょっと言い過ぎだと思う。
もちろん保守党よりのデイリーテレグラフやスキャンダル好きの タブロイド紙にとっては今回の事件は格好のネタだが、 BBCのニュースやこの記事などを読むかぎり、 今回の件にかんして世論はわりと好意的なんじゃないかと思う。
ただし、プレスコットは今朝「遺感の意」を表明した模様で、 この件を含めて選挙活動で失策が続く労働党は 戦略の練り直しを強いられているようだ。
ところで、保守党、労働党、および第三政党である自民党(Lib Dem)の政策綱領が すべて出揃ったが、 おもしろいことに自民党が一番左寄りの政策を打ち出しているようだ (所得税の引き上げ、大学の授業料の無料化など)。
それに比べると労働党はずいぶん右寄りになっている。 たとえば、ここ数年、金持ちと貧乏人の格差が広がっており、 所得税を上げずに間接税を上げる労働党の政策はかなり不評を買っているのにも かかわらず、 労働党は今回の選挙でも所得税のすえおきを公約に入れている。 また、ロンドンの地下鉄を含めた 民営化政策(public-private partnerships)も右寄りの政策だと言える。
保守党はひんぱんな人種差別発言が原因でかなり信用を失なっているようだ。 反EU政策も「後ろ向きだ」という批判が強い。
今回は当初の予想どおり労働党が勝つ様子だが、 今後この三党の力関係がどう変わるのかは興味深いところ。
ハートの勉強。マコーミックの本(H.L.A. Hart)を読んでいると、 ライルが出てきたので、The Concept of Mindを読みはじめる。 こうやってすぐにリンクをたどってしまうので、 かんじんの勉強が進まないんだよな。
う。おもいきり寝坊。朝食を見逃す。
エジプト学をやっている某英国人と一緒にThe Mummy Returns (邦題は『ハンナムプトラ2』だっけ?)を観に行った。 昨日封切りで、夜9時からのチケットが手に入らなかったため、 夜11時50分からのレイトショーで観た。 終わってから寮に戻ってきたら真夜中の2時半。 よく無事に戻ってこれたものだ。
それはそうと、映画の内容は、まあミイラが復活したので倒しに行きましょう、 というような話。第一編と比べると今回の方が物語の規模が大きく、 映像にも金がふんだんに使われているが、 完全に子供向けのアクション映画になっていて、 前回の前半部分にあったような冒険的要素が失なわれている。 最後の方は長くて退屈で、戦闘シーンも全然リアルさがなく、 グラディエイターの比ではない。
しかしまあ、それほど期待していたわけではなく、 スターウォーズとかインディジョーンズとかを観に行く気分で行ったので、 それなりに楽しめた。その手の映画が好きな人にはお勧め。C+。
いかん、勉強せねば。
昨日はお昼に中華料理を食べ、図書館に行った以外は、 勉強していた。夕方ぐらいからciceroに入れなくなる (文学部停電のため)。
ひ。お昼すぎに起きてしまう。
昼食。
昼食後しばらく昨日の新聞を読んだあと、ハートの勉強。 予定では今日から現代政治哲学のエッセイに着手しないといけないのだが。
インターネットで注文した本が届く。
夕食を食べてからすこし勉強したあと、 テレビでやっていたポール・マッカートニーのウィングズ物語を見る。 近く発売される二枚組ベスト・アルバムと連動した番組らしい。 過去の映像を交えながら、 ポールの娘の一人がポールをインタビューするという構成。
「ウィングズ解散のきっかけが、 ツアーで日本に来たときに麻薬所持で逮捕されたことだったとは知りませんでした」
「え、あれ1980年のことだろ。覚えてないのか」
「いや、まだそのころは自己意識が茅生えてなかったので」
あれ、もうciceroが復活している。
http://www.panlogic.co.uk/games/splat/splat_the_MP.html
テリーギリアムのアニメーション風の、国会議員に卵を投げつけるゲーム。
日本ではほとんど議論されないが、英国では難民問題が選挙の争点の一つである。 現在でも英国は(日本と比べれば)かなり寛容にパキスタンやイラク等々からの 難民を受けいれているために、 今後どういう政策を取るべきかが熱心に議論されている。 たとえばガーディアンやインディペンデントなどでは不寛容な保守党の 政策に批判がなされ、タブロイド紙では犯罪の増加は難民のせいだといって 労働党の政策に批判がなされたりする。 難民問題と関係して人種差別問題もよく議論になる。
そういうわけでシンガーの『実践の倫理』の難民問題の章を読んでいたら、 そういえば昔ハーディンの議論を勉強したときにこの部分を読んだなあと思って、 救命ボートの倫理の要約を 読み返してみる。ほぼ4年前の作文だが、まあまともに書けている (もっとも、肝心の批判がなされていないが)。
しかしそれよりもおもしろかったのが京北町に 合宿に行ったときの記録で、 ちゃんと時間をかけて書いてあるので、 自分で言うのもなんだが、 読みはじめるとついつい最後まで読ませてしまう傑作だと思う。
「だから、自分で言うなってば」
「いや、すいません。 しかしほんとに、くだらなかったり未熟な文章もあるものの、 自分で読んでもニヤリとさせられるところが随所にあって、 そのですね、このころに倫理学者になることは見切って、 小説家を目指していた方がよかったんじゃないかと」
「むりむり。きみ人生経験ないから。 せいぜい、 清水なんとかを水で割ってさらに軽薄にしたような短編小説を二、三本書いて、 それで終わりだって」
「またまた厳しいことを」
「それに、どっちにしろ本気で小説家になるつもりなんかないんだろ、きみ」
「いや、まあそう言われるとそうなんですが」
「だったらそんな夢物語を語るのはやめて、 さっさと法哲学のエッセイを書いた方がいいんじゃないの。 ちょっとでもまともな研究者になることを目指したまえよ」
う。シンガーの難民問題の議論を読んで、 かなりラディカルな批判を思いついた。
簡単に言うと、 シンガーの議論は、 フェアヘイヴンにおける国民投票の寓話に端的に示されているように、 難民(外部にいる人々)に決定権を分け与えず、 あくまで内部にいる人間で話を決めようとしているところに欠点がある、 という批判。 すなわちシンガーの視点は慈悲深い専制君主的功利主義 (benevolent-despot utilitarianism)のそれであり、 民主主義的功利主義(democratic utilitarianism)のそれではない。
おれが理解するベンタム流の民主主義的功利主義によれば、 利害関係者のこのような「内部・外部」の不平等な力関係は許されず、 したがって政策決定において各人は平等な決定権を分け与えられる必要がある。
この立場に立てば、 たとえば日本で難民を受けいれるかどうかという議論をするさいには、 難民の利益を代弁する(おそらくは膨大な数の)議員を 日本の国会に参加させなければならないことになる。
何を馬鹿な、と言う人もいるかもしれないが、 普通選挙に至るまでの道のりはまさにこれと同様の過程だったわけであり、 難民に選挙権を与えると過激な富の再配分が行なわれるという懸念は、 まさにミルが恐れていた多数者の専制の問題なのである。
たとえ実際に多数者の専制が起きる可能性があるにしても、 「各人の利益の最善の判断者は当人である」 という原則と「だれでも一人として数え、だれも一人以上に数えてはならない」 という原則、そして「みなが政治権力を持つ民主政体でないかぎり、 支配者は市民の利益を犠牲にして自己利益を追求する」 という仮定を認めるかぎり、 「われわれは難民を受けいれる義務がある」というような 慈悲深い専制君主的発言をするのではなく、 「われわれは難民にも投票権を与えなければならない」と主張し、 この目標をかかげてデモをしなければならない。
眠いのでこれ以上ちゃんと書く気力がない。 とにかくディサテーションに取り入れよう。
わ。またお昼まで寝てしまった。いかん。
またciceroに入れなくなる。
夕方からスペイン人の友人と、 ハイドパークで開かれているジャパン・フェスティバルに行ってきた。
土日二日続いたこの祭は、 流鏑馬(やぶさめ)やら太鼓やら阿波踊りやらリンケンバンドやら いろいろある大規模なイベント。 屋台もたくさんあり、日本食もいろいろ食べれる (めっちゃ高いけど。 小さなたこやき5個で5ポンド(約900円)って。 ヤーさんの方がもうすこしリーズナブルな値段付けるってば)。 かなり金がかかっていると思うが、入場料は無料。
ちょっと遅くに行ったのであまりたいしたものは見れなかったが、 リンケンバンドの演奏を見れたのはよかった。雰囲気の良い祭だった。
写真をすこし撮ったので、 ひまな人はどうぞ。
ちなみに、英国では今年はJapan 2001と名打たれており、 今後も日本文化を紹介するイベントがいろいろと続くんだそうだ。 (see: www.japan2001.org.uk)
あ、某スペイン人にサラマンカのティーシャツをもらった。感謝。