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救命ボートの倫理:要約と批判

Garrett Hardin, Lifeboat Ethics (1974)


・今日の地球の状況を表す適切な比喩は宇宙船地球号ではなく、救命ボート である

宇宙船地球号Spaceship Earthの比喩

「われわれの住む地球は限りある世界なのであるから、これまでの無駄の 多い『カウボーイ(フロンティア)経済』を止めて、倹約的な『宇宙船経済』に 移行すべき」(Kenneth Boulding, 1966)

この比喩の意義――他国の所有物や資源に対する干渉(あるいは使用権の主 張)の正当化

・ 利点…公害制限の政策の正当化に有効

・ 欠点…共有資源に対する権利を、権利に対応する義務を受け入れること なしに主張するため、例えば寛大な移民政策のような、「共有地の悲劇」 (Hardin, 1968)を生み出す誤った政策をも正当化してしまう。またそもそも地 球には船長がいないので、宇宙船の比喩は比喩としても適切でない。

人々は理想主義的に不可侵の権利を主張するばかりで、それに対応する義 務を無視するか、否定している――ハーディンは理想主義を唱える人々のそう いう態度に激しい怒りを見せている。

「人類の生存が問題になっている場合は、もし権利と義務が同時に導入さ れないのであれば、その場合、ある人が権利を認められるためには、その人は 先に義務を受け入れなくてはならない。」(p. 283)-->義務を引き受けない人 間には権利をやらなくてよい。


救命ボートlifeboatの比喩

・ 今日の世界各国の状況は、同数の救命ボートに喩えられる。

・ 今、世界の3分の1の人々は豊かで、世界の3分の2の人々は死ぬほど貧し いとする。

・ 裕福な国々は比較的裕福な人々で満員になっている救命ボートである。 他方、貧しい国々の人々ははるかに混んだ救命ボートに乗っている。

・ 貧しい人々は満員御礼の救命ボートから絶えずぼとぼと海に落ちている。 彼らは裕福な救命ボートに乗せてもらうか、あるいはボートにある『良いもの goodies』を何かもらおうとして周りを泳いでいる。

・ 「救命ボートの倫理学」の中心問題→「豊かな救命ボートに乗ってい る人々はどうすべきなのか」


問「豊かな救命ボートに乗っている人々はどうすべきなのか」

条件:われわれ(アメリカ人)は今、救命ボート(アメリカ国家)に乗ってい る。この救命ボートの収容能力には当然限りがあり、最大60人乗れるところに 現在50人が乗っている。ただし、あと10人乗ると、工学の原理である安全係数 safety factor(悪天候や不作などの非常事態の際の保険と考えれば良い)を無 視することになり、非常に危険である。海には100名の人間がおぼれかかって いて、「ボートに乗せてくれ、乗せてくれないんなら何かくれ」と叫んでいる。

選択可能な答

  1. 全員乗せてあげて、ボートは沈み、みんなで仲良くおぼれる。(150人死亡)

  2. 10人だけ乗せてあげる。(60人生存、90人死亡。ただし、安全係数が無く なるので救命ボート内の状況は非常に不安定になる。また、泳いでいる100人 の中のどの10人を乗せるか、という困難な問題が生じる)

  3. 一人も乗せてあげない。(50人生存、100人死亡。ただし、安全係数は確保 される)

(他に、救命ボートに乗っている良心的な人間が、おぼれている人に席を譲 る、ということが考えられるが、このようなことをしても基本的な状況は変わ らない。また、そのようなことをすれば救命ボート内には博愛精神を持った 「良い」人間がいなくなり、利己的な「悪い」人間のみが席を占めることにな る)

ハーディンの答えは3.である。また彼は、宇宙船地球号の比喩で考えている人間は1.を選んでいるのだと暗に非難しているのであろう。


まとめ

以上のハーディンの主張をまとめると、以下のようになろう。

「豊かな国々が貧しい国々に資源を与えたり、あるいは貧しい国々からの 移民を受け入れたりすることは、一見配分的正義に適っていて正しい行為であ るように思える。

しかし、実はそれは救命ボートに収容能力以上の乗員を乗せることと同じ ことで、豊かな国にとっては自殺的な行為であり、また貧しい国にとっても悪 い結果を生み出すことになる(共有地の悲劇)。

むしろこのような状況における我々の道徳的義務は、資源の安全係数を確 保することにより、自分自身と自分達の子孫の生存を保障し、貧しい国々を援 助しないことなのである。そしてわたしは決して利己的な動機からこう言って いるわけではない。」


批判しようと思ったんだけど、時間もないし、大した批判も出来そうにな いから、とりあえずやめておきます。あしからず。何か論争でも仕掛けられた らまた書き加えます。

ただ、感想っぽいものは97 年度倫理学研究室夏の合宿記にあるので、良ければ読んでみてください。

また、あまり関係ないですが、「わたしのアカハラ論」も参照さ れると良いかも知れません。たぶん。


Satoshi Kodama
kodama@socio.kyoto-u.ac.jp
Last modified on 07/25/97
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