哲学的能力に関するかぎり、 われわれの大半は小学校を卒業したとは言いがたい。 われわれの思考は、懐疑主義、相対主義、 さらにはニヒリズムへの強い傾向を持つが、 しかしこうした傾向があるのと同時に、 普遍的な道徳的基準を強く信じる傾向もある。 われわれのほとんどは神について懐疑的だが、 倫理が神なしに存続しうるか確信が持てずにいる。
from Ben Rogers' `An illiterate philosopher'
in the Guardian, 30/Mar/2001.
あいかわらず体調悪し。鼻はだいぶましになったが、 今度は後頭部を中心に頭痛がする。いつ治るのか。
しかし観光しないわけにもいかないので、 今日はアルテ・ピナコテークとノイエ・ピナコテークを見てきた。 アルテの方が14世紀から19世紀まで、 ノイエの方が20世紀前半の西洋芸術を展示している。 近く20世紀後半の作品を展示するピナコテーク・デア・モデルネ というのもできるそうだ。
アルテの方はデューラー以外はとくに目ぼしいものはなし。 ルーベンスやレンブラントも多いが、それほどいいのは置いていないようだ。
ノイエの方もとくに目ぼしいものはない。 パウル・クレーぐらいか。 ピカソや印象派もいくらかあるが、たいしたことはない。
夜は、某氏の友人宅で食事をごちそうになった。感謝。
鼻は鼻腔にたまるようになった。声がかすれてあまりしゃべれないが、 風邪は快方にむかいつつある模様。
今日はNeuschwanstein城を見に行くつもりだったが、 電車の都合で延期することにした。 かわりにルートヴィヒ二世の墓があるStarnberger Seeを見に行った。 白鳥とアルプスが見れるきれいなところ。 といっても、琵琶湖にしろネス湖にしろ、 湖がそんなに美しいと思ったことはまだないが。
夜は某氏と一緒にNational Theaterでフィガロの結婚を見た。 運よく前から2番目の中央の席に座れたが、 スーパータイトルを見上げていたら首が痛くなった。 しかも訳がドイツ語なので、話についていくのが大変。 舞台装置の布でできた壁が音を吸収するのか、 あまり声が通らなかったようで残念。
風邪はまだ治らず。昨日と同じような状態。
しかし観光しないわけにもいかないので、 今日は朝から電車(DB)に乗ってフュッセンに行ってきた。 フュッセンからバスに乗り、シュヴァンガウへ。
「うわさどおりに日本人観光客が多かったですね。 マリエン橋などは、 日本人観光客の重みで落ちるんじゃないかと思いましたよ」
「きみも日本人のくせに何を言っておる」
ノイシュヴァンシュタイン城(新白鳥石城)は外から見るとおとぎ話に出てくる 城のようですばらしいが、中は19世紀末の悪趣味な装飾でへきえきする。 他方の、あまり日本人が行かないらしいホーフェンシュヴァンガウ城 (白鳥高地城)は、外見は地味だが内装はおちついた感じで住みよさそうだった。
夜、某氏と一緒にミュンヒェナー・フィルハーモニーの演奏を聴きに行く。 今夜の指揮者はIvan Fischerという人らしい。 運よく前から6番目の中央の席に座れたが、地味な曲が多くて退屈する。 最後の楽曲がよかったが、名前を忘れてしまった。 ストラヴィンスキーだったか。
そのあと、某氏とワインケラーに行き、 ワインを飲まずにアイスクリームを食べる。 ミュンヘンに来てまだビールもソーセージも食べていない。
風邪すこし悪化。鼻はほとんど止まったが、 のどの奥がねとねとしているため、咳がよく出る。 そのせいか、熱もあるようだ。ときどきするどい頭痛もする。
しかし観光しないわけにもいかないので、 朝から某氏と彼の友人とともにダッハウに行ってきた。 ここには巨大な強制収容所があり、 記録されているだけでも3万人以上の人々(思想犯、ユダヤ人、捕虜その他)が 殺されたらしい。
当時の様子の展示を見ながら、「強制収容所の囚人になるとはどういうことか」 を想像してみたが、想像力が貧困なために、 なかなか境遇を察することができなかった。 囚人の日記などを読む必要がありそうだ。
死体焼却炉でむせび泣いている若い男性がいた。
お昼すぎにミュンヘンに戻り、白ソーセージを食べたあと(!)、 昼下がりにレジデンツに行ってみる。 ここは予想以上に豪華でおもしろい。 宝物展にある象牙の細工など、 おそろしく細かく作られているので、 家具調度にあまり関心がなくても楽しめる。 肝心の本館の方は、あまりに巨大なため、 半分ほどまわったところで時間ぎれになってしまった。
夜、イザール川のほとりで某氏と食事。おいしい。
夜中、腹を下す。原因は水の飲みすぎのようだ。
風邪はだいぶましになった。 まだ声がすこし変だが、収束に向かいつつある模様。 それにしても、ロンドンに戻る日になってようやく治るとは。
今日は落ち穂拾い的に市内を観光してきた。 朝から英国庭園に行って散歩。 そのあと11時に市庁舎前に来て仕掛け時計を見る。 ついでに市庁舎の屋上に行き、ミュンヘン周辺を俯瞰。
さらにミュンヘン大学のそばに行き本を一冊だけ購入。
それからまたマリエン広場に戻ってきて食事をしたあと、 二時間ぐらいかけておみやげを購入。 今回大変お世話になった某氏にも置き土産を買う。
時間があまったので、マリエン広場から東に歩き、 イザール川周辺(聖ルカ教会、ガシュタイク、ドイツ博物館)を歩く。 それから某氏宅に戻ってきて、夕食をいただいたあと、空港へ。
今回、某氏にはたいへんお世話になった。 某氏と一週間暮らしていて、 彼の徳の高さに打たれることが何度もあった。 こちらも修業を積んでいつか恩返しをしようと思う :-)
帰りの飛行機も遅れる。 英国のパスポートコントロールは厳しい。 空港を出たらすでに地下鉄が終わっていたので、 タクシーで寮に戻った。
治ったと思われた風邪は、昨夜あたりからまた悪化したようだ。 タンがノドにからむようで、咳が止まらない。 咳が止まらないと熱が高くなる。こまった。 某氏に風邪がうつってないといいが。
下の日記(3月29日から4月5日まで)が旅行記です。 下から上にスクロールするのがめんどうな人のために、 一応編集したものを作りました。
写真は数百枚撮ったので、 編集して別のところに出してあります。 重いのでご注意ください。
神さま神さまわたしは毎日毎晩熱心に歯を磨いておりますそれはそれは真剣に 磨いておりますそれなのになぜ右上の5番目あるいは6番目の歯が痛むのでしょ うわたしがいったい何をしたというのでしょう悪いことはせず熱心に歯を磨い ておりますのに神さま神さまどうしてこのわたしが苦しまなければならないの でしょう歯を磨いても磨かなくても同じことなのでしょうかどちらにせよ人間 は虫歯になるのでしょうかこれが原罪というものなのでしょうかああ歯が痛む イタいイタいああキリキリとイタい神さまどうしてわたしが苦しまねばならな いのでしょうかどうか教えてください。
風邪はほぼ治りつつある。先日の火曜からだから、 10日ほど病気をしていたことになる。
某仙人さまからの情報によると、歯痛は風邪が原因かもしれないとのこと。 たまたま歯痛と風邪が同時に起こったものとばかり思っていたら、 こんなところにも因果関係が。因果関係おそるべし。
たしかに、もうあまり歯は痛くなくなった。
友人に預けていた荷物を取り返してきて、部屋の整頓をした。 旅行以前より秩序立っている気がする。
ギリシア自然哲学によると、 部屋の状態と精神の状態は マクロコスモスとミクロコスモスの関係になっているらしいので、 日頃から整頓しておかないといけない。
ようやくエッセイの勉強を始める。 ロールズとノージックとドゥオーキンをきちんと読んでから書きたいのだが、 あと二週間で二本書かないといけないので、そうも言ってられないようだ。 しかし、とりあえず授業中に取ったノートを一通り読んでから書こう。
以下メモ。
ロールズは功利主義を批判して、 「個人の合理的選択と社会の合理的選択との誤った類推を行なっている」 と主張しているが、 マキシミン原理によって格差原理を説明するのにも、 同じ批判が当てはまるのではないのだろうか。
そもそもロールズの上の主張も藁人形攻撃だと批判できるかもしれない。 また、たとえ類推が成り立っているにしても、 それが誤っていないことを示せるかもしれない。
natural assets (生まれつきの才能)の問題について勉強中。 ロールズ、ノージック。
この本はいわゆるシソーラス(類義語辞典)だが、 通常のアルファベット順ではなく、 テーマ別に言葉が集められていることで知られる有名な辞典。
たとえば、第四クラスは「知性: 精神の働き」となっており、 4.1「観念の形成」、第一節「全般」では、Intellect (447), Absence of intellect (448), Thought (449), Absence of thought (450), Idea (451), Topic (452)といった見出し語に対して類義語が 与えられている。
もちろん巻末(というか本の半分)にアルファベット順で単語が並べてあるので、 どこにどの語が配置されているのかも容易に調べることができるようになっている。
ポンドがついに180円台になってしまった。困った。 いったいどこまで上がるのか。
寮の近所の映画館でLast Resortという映画を観た。
子持ちのロシア人女性がフィアンセに会いにイギリスに来るが、 空港でフィアンセに会うことができず、 お金も何もないため亡命者扱いにされ海辺の荒廃した町に送られてしまう。 フィアンセには何度電話しても連絡がつかず、 CCTVで監視されているため町からも出ることができない。 このように何もかもが行きづまった状況になって 女性はようやく自分の愚かさに気付き、 町で出会った男性の助けを借りて故郷に戻る、というような話。
上のように描くと、 暗くて暗くてどうしようもない映画のように思えるが、 殺伐としているもののそれほど暗くはない。 映像もときどき美しいし、よくまとまった作品。 最近観た映画の中では、Blackboardと感じが似ている。 あちらの方がよりユーモラスだが。
英国に来る亡命者がどういう扱いを受けるかを知るにはよい映画だと思う。 佳作。B-。
夕食後、3時間も寝てしまい、泣きそうになる。 なぜこのオンボロな体はこうも睡眠を必要とするのか。k、kkkくそ。 10年前ぐらいから、一日3時間しか寝ない人間になれることを夢見ているが、 睡眠時間は減るどころか増える一方の気がする。
「逃避だろ、現実逃避。勉強したくないから寝てしまうんだ。 勉強が睡眠や三度の飯より好きだったら、寝るのを惜しんで勉強するはずだ」
「ちがうんです、神さま、勉強は好きで好きでしかたないんです」
「ウソをつけ。 ほんとは小説を読んだり映画を観たりおいしい食事をしたりして 一生を過ごしたいんだろう。 おまえにとって勉強はすでに『やりたいこと』ではなく 『やらなければならないこと』になってしまっているんだろう。 つまり目的ではなく他の目的のための手段と化してしまっており、 それだからいやいやながらやらざるをえなくなっているんだろう」
「ちがうんです。勉強は最高善、究極目的かつ第一原因なんです。 信じてください神さま。ああ冥想こそが最高の人生。 食事や映画などはあくまで身体的欲求を満たし、 友人との交際を深めるという社会的義務を果たすためにのみ存在するわけで」
「ウソをつけ。つねに身体的欲求に打ち負かされ、 重要な社会的義務を忘れて自分のささいな必要を満たすことに時間を費やす、 それがおまえの姿だ。 せいぜいそうやって人生を棒に振り、地獄へと落ちるがよい」
「ああ、神さま、行かないでください、ぼくを見捨てないでください」
「自律とか自己決定というのは今日の西洋思想の大きな潮流ですよね。 なんでも自分で決める、自分で選ぶ、という。 医療におけるインフォームド・コンセントとかパターナリズム批判とか、 社会契約論とか、昨今の平等論とか。 しかし、最近不思議に思うんですが、 GM食品や遺伝子治療に対する主な反対論はこれとはまったく逆で、 われわれはこの手の事柄に関して決定する権限はない、 自然にまかせるべきだ、と言うんですよね。 言い方を変えると、たとえば遺伝子治療を受けるかどうかという 個人の自己決定権を社会的意思決定によって奪ってしまうわけです。 これは一見矛盾した反応のように見えるんですが、どうなんでしょう」
「たしかに各人は自由にそれぞれの人生設計を追求できるというのが 自由主義の信条だから、人間ではなくて自然が決めるべきだという議論は 自由主義とは別の価値観から出ているように見えるな。 しかし、実際のところは自然が決めるべきだというのはレトリックに過ぎず、 その背後には遺伝子治療は長期的には他者あるいは社会一般に危害を与える、 という主張が隠れているんじゃないのか。 人間が遺伝子をいじると、恐ろしい化物ができたりする可能性があるとか、 優生思想が流行って大量の無能学者および学生が抹殺されるとか」
「なるほど、自然に決定させるべきだという主張は、実のところは、 間接的あるいはあいまいな仕方で他者危害原則に訴えていると。 う〜む、どうなんでしょうね」
夜、映画館でGladiatorを観た。 アカデミー賞を取ったあとで見るのもなんだが、 去年の夏に見損ねたので。
マルクス・アウレリウスの跡継ぎ争いに不本意にも巻き込まれたマクシマス将軍 (ラッセル・クロウ)は、処刑寸前でかろうじて逃げ出すが、 新皇帝の陰謀で家族を殺され、自分自身も剣闘士の身分になりさがってしまう。 いったんは自暴自棄になり、死んで家族の元に行くことを考えるが、 復讐とローマの再興を誓い皇帝の殺害を試みる…という話。
映像はすごい。ものすごく金がかかっているように見える。 これだけの規模の映画を作る才能に感嘆。想像力、時代考証、等々。 物語もよくできている。 単純な復讐劇だが、起承転結がよくできている。 とくに最後の盛り上がりがすごい。 ついでに、人がどんどん死ぬのもすごい。 戦闘シーンは手に汗にぎるが、かなり残酷な映画。
非常に楽しめたので、あまりケチをつけるところがないが、 単なるアクション復讐劇に終始しているのが残念といえば残念。 国家愛とは何かとか、もうすこし深く議論してくれると もっとおもしろかったかもしれない。B。
「映画を観てるときに、 マクシマス将軍や皇帝の立場に感情移入しようと思ったんですけど、 なかなか難しいですね。 自分の妻と息子が殺されて、 将軍から奴隷になりさがる気持ちはどんなだろうと考えたんですけど、 なかなか実感が湧かなくて。 ボブ・ディランの『ライク・ア・ローリングストーン』 の歌詞なら、ある程度共感できるんですが」
「父親である皇帝を殺して、新皇帝になるっていうのはどうだ」
「いや、それもちょっと共感できなかったですね。 誰からも愛されなくてかわいそうな皇帝なんですけどね」
「ま、共感二段のわしみたいにはなかなかいかんわな。 きみももうすこしやさしい日常レベルから修業して、 早く昇段したまえ」