(しゅけんしゃめいれいせつ the sovereign command theory)
[T]he law of any country will be the general orders backed by threats which are issued either by the sovereign or subordinates in obedience to the sovereign.
---H.L.A. Hart
[T]he English form of government -- a mixture, composed of monarchico-aristocratical despotism with a spice of anarchy [...]. Even without the assistance of a posse of his own creatures, acting under the name of a parliament -- he may kill any person he pleases, violate any woman he pleases; take to himself or destroy any thing he pleases. Every person who resists him while in any such way occupied, is, by law, killable, and every person who so much as tells of it, is punishable.
法あるいは道徳は、 究極的には主権者(たとえば王さま)の命令に 他ならない、とする立場。 「だってお父さんが言ったんだもん」 というのがこの立場を端的に示すセリフである。
この立場は、法や道徳を、 ギャングが銃を頭に突き付けて「手を上げろ」という脅迫と似たものとみなす。 すなわち、 法は、この脅迫に比べてもう少し一般的なだけで、 基本的には「主権者による脅迫(刑罰)をともなった命令」である。
この立場は、「法あるいは道徳は神の命令である」 とする神の命令説とよく似ている。
ジョン・オースティンは、 実定法(現に通用している法)は「主権者の命令である」と考え、 実定法や実定道徳の批判に用いられる あるべき道徳は「神の命令である」と考えた。 (さらに、オースティンの場合、神は被造物の幸福を願っているので、 神の命令は結局のところ功利原理によって 知られることになる。) このとき、ギャングの脅迫が神の命令に基づく必要がないのと同様に、 主権者の命令も神の命令に基づいている必要はない。それゆえ、 たとえ道徳に反した法(たとえばナチスの法)でも、 法であることにはかわりない、ということになる。
自然法の項も参照せよ。
05/11/99; 18/May/2001更新
上の引用は以下の著作から。