(たすうしゃのせんせい the tyranny of the majority)
Europe is, in my judgment, wholly indebted to this plurality of paths for its progressive and many-sided development. But it already begins to possess this benefit in a considerably less degree. It is decidedly advancing towards the Chinese ideal of making all people alike. M. de Tocqueville, in his last important work, remarks how much more the Frenchmen of the present day resemble one another than did those even of the last generation. The same remark might be made on Englishmen in a far greater degree.
---John Stuart Mill, On Liberty, Ch. 3
It is not because the individuals composing the mass are all equal, but because the mass itself has grown to so immense a size, that individuals are powerless in the face of it; and because the mass, having, by mechanical improvements, become capable of acting simultaneously, can compel, not merely any individual, but any number of individuals, to bend before it.
---John Stuart Mill, `M. de Tocqueville on Democracy in America'
一般に、民主主義において多数者が少数者を抑圧する現象のこと。 トクヴィルが米国の民主主義の様子を 観察して気づいた。 トクヴィルの意見に賛同したJ・S・ミルは、 『自由論』や 『代議政治論』 にてさらに議論を展開し、その予防策を講じた。
ベンタムや父ミルは、 少数の支配者による専制に対する対抗策として、 世論の力や代議制民主主義を唱えたが、 ミルは民主主義においても異なる種類の専制が起こりうると考えた。 なぜなら、「自治」とか 「民衆による民衆のための政治」などの民主主義のスローガンは 民主主義の真の姿を表わしておらず、 実際に生じるのは「多数者による支配」だからである。
このような多数者の支配は政治の場面において生じるだけでなく、 社会のあらゆる場面において起こりうる。
政治的な場面においては、 たとえば大多数の白人が少数の黒人を差別する法律を支持したり、 大多数の貧しい人々が、少数の土地所有者の土地を没収する法律を支持したり ということが起きうるとミルは考えた。
とくにミルがおそれたのは、普通選挙 (貧富の差にかかわらず市民全体に選挙権を与えること) によって貧しく学のない大勢の労働者階級が、 少数の知識階級を数で圧倒し抑圧することであった。 そこで、その対策として、 知識階級に複数の投票権を与える複数投票、 貴族ではなく大学の教授や元政治家などによって構成された上院、 そして全国から票を集めることによって少数の優れた議員を国会に送りこむ ことを容易にする比例代表制などを唱えた。 (くわしくは『代議民主論』を参照せよ)
社会的な場面においても、ミルはとくに無学な労働者階級の人々が、 知識人の自由や個性を抑圧することを恐れた。そこで、 『自由論』において、 他の人々による余計な干渉を排除するために他者危害原則を唱え、 言論の自由を擁護し個性の重要性を強調した。
上の説明からわかるように、ミルの言う「多数者の専制」は、 主として(ミル自身のような)知識人が無知蒙昧な労働者階級に抑圧されるという事態を 指しており、この言葉によってわれわれが連想するような少数民族や ホームレスや同性愛者といった少数派の人々の抑圧を問題にしているのではない。 ミルの議論は、 産業革命や普通選挙運動によって徐々にその存在を現わにしだした労働者階級に 対する恐れを大いに反映しているといえる。
14/May/2001