啓蒙

(けいもう enlightenment/Aufklaerung)

十七世紀末から十八世紀初めにかけての啓蒙については、 何らかの定義が必要である。 われわれはそれを要約して三つの命題にまとめることができる(…)。 第一に、あらゆるまともな問題は答えを与えられうるということ、 そして、答えの出ない問題は問題でないということ。(…) 第二の命題は、こうした答えはすべて、他の人々に学ばれ、 教えられることのできる手段によって、 知ることができ、発見されることができるということ(…)。 第三の命題は、答えはすべて他の答えと両立可能であるにちがいなく、 もしそうでなければ、混沌が結果するであろうということである。(…) これらが、キリスト教的であれ異教的であれ、 有神論的であれ無神論的であれ、西欧合理主義の伝統のもつ一般的前提である。 啓蒙思想がこの伝統に与えた特殊な歪みは、 こうした答えはそれまでの伝統的な仕方[啓示や伝統やドグマ]では獲得されうるものではないという言うことであった(…)。

---バーリン

人間が自分自身の力によって、 いわば虚無からぬけだし、彼の理性の光によって、 自然が彼をおおいかくしていた暗闇を払いのけ、 自分自身以上に自分を高め、 精神によって天界へまで飛び上がり、 太陽のように巨人の歩みで宇宙の広大な領域を駆けめぐり、 さらにいっそう偉大で困難なことであるが、 自己の内部に沈潜して、そこに人間を研究し、 その本性、義務、目的を知ろうとする。 これこそ、まさに偉大で美しい光景だ。

---ルソー

The motto of the enlightenment is ...: Sapere aude! Have courage to use your own understanding!

---カント


比喩的には、暗い洞窟から抜けでて、太陽の下で真の世界を見ること。

西洋では、とくに18世紀が「理性の時代」として知られる。 当時の思想家は一般に、 17世紀にガリレオニュートンが自然科学において示したような合理的な科学的思考を 社会生活全般に適用することによって迷信を打ち破り、 人々を教会や専制君主の権威の鎖から解き放とうとした。 理性の信仰、個人の自律と自由の尊重、検閲の反対と宗教的寛容、 自然科学の方法によって得られる経験的知識の重視、理神論あるいは無神論、 機械的世界観などが主な特徴。

代表的思想家は、ヴォルテールカント、ベンジャミン・フランクリンなど。

ロマン主義批判の項も参照せよ。

16/Dec/2000; 04/Aug/2001


冒頭の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Thu Sep 9 08:43:31 JST 2004