自律 (オートノミー)

(じりつ autonomy)

The ruling idea behind the ideal of personal autonomy is that people should make their own lives. The autonomous person is a (part) author of his own life. The ideal of personal autonomy is the vision of people controlling, to some degree, their own destiny, fashioning it through successive decisions throughout their lives.

-- Joseph Raz, The Morality of Freedom, Oxford: Clarendon Press, 1986, p. 369

LEIA: Listen. I don't know who you are, or where you came from, but from now on, you do as I tell you. Okay?

HAN: Look, Your Worshipfulness, let's get one thing straight! I take orders from one person! Me!

---from The Star Wars I (New Hope)

大人にとって生活の理想は、自己支配と自らによる方向決定である。 大人であるということは、自分の決定は自ら行ない、 自分の計画は自ら選び、自分の将来は自ら決めるということである。 それは、自律的な選択を行なうことである。

スーザン・メンダス『寛容と自由主義の限界』


広義には、自分のことは自分で決めること。 これに対し、他人の命令や法に従って行動することは、 他律(heteronomy)と呼ばれる。 自律には、いわゆる自己決定を意味する自律と、 カント的な自律の二種類がある。 以下ではその二つを区別して説明する。

[自己決定としての自律] 上のラズの引用は、彼が「個人的自律(personal autonomy)」 と呼ぶもので、これは「自分の生き方を自分で決めることは、 幸福になるために欠かせない条件だ」という考え方である。 他人の言うことにしたがう他律的な人生は、完全な人生とは言えない。 たとえば、自分でどの大学に行くか、どこに就職するか、 だれと結婚するかを決める人は、自律的な生き方をしており、 両親や先生や政府の言うなりになってこれらを決めるならば、 他律的な生き方をしていることになる。 この考え方は、 自由主義的な社会のあり方、 すなわち個人がそれぞれ自分らしい生き方を追求する社会を支持するのに使われる。 この意味での自律の対義語はパターナリズムである。

[カント的自律概念] これに対し、 カントの考えた道徳の本質としての自律 (道徳的自律)はずっと厳しいもので、 自律して生きるためには、 人は単に他人や神が定めた規則に盲目的に従ってはならないだけではなく。 欲求に従ってもいけない。こういう生き方はすべて他律的である。 そうではなく、自律して生きるには、 みずから定めた理性的規則である 定言命法に従うのでなければならない。

したがって、この考え方によると、 たとえば、姦淫をすべきかどうかについて考えるとき、 聖書に「汝姦淫をするなかれ」と書いてあるからという理由で姦淫をしないのは、 他律的である。もちろん、「お父さんがそう言ったから」という理由もダメ。 他人の妻あるいは夫を寝とるということを考えただけで吐き気がする、 というような理由でも、欲求に支配されているので、やはり他律的である。 自律的であるためには、姦淫をすることが不合理であることを理解し、 姦淫したい欲求があるにせよないにせよ、 あえて合理的な生き方を選ぶ、というのでなくてはならない。

自由自由主義の項も参照せよ。

10/Feb/2001; 10/Jun/2001更新

関連文献


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sat Aug 2 11:46:17 JST 2008