ICFによる事例の捉え方の例(うつ病)

ICFには、マイナス面だけでなくプラス面も含めて、また、個人だけでなく環境を含めて、事例の全体像を理解するための考え方の枠組みがある。職業場面での障害の捉え方を、うつ病の仮想事例を素材として説明してみたい。

1 事例「うつ病の営業担当の中間管理職」

Aさんは、ある商事会社で営業を担当していた。昇進を機会にして、不眠や疲れを感じるようになり、出勤できなくなり、妻の付き添いで訪れた精神科で「抑うつ状態」と診断され、休職した。休職の間、薬物療法や認知療法を継続し、6ヶ月後に状態が回復したため復職したが、職場が忙しくなった6ヵ月後に再び重度の抑うつ状態となり、休職となった。現在、医師も職場側も復職には慎重であり、本人は退職を口にするようになっている。

2 ICFによる事例の分析

この事例を、単に、「うつ病」として障害者の職業評価を行ったり、普通のジョブコーチをつけて支援したりしたとしても、それが、この事例の問題の構造的な理解に基づかなければ十分な支援効果は得にくい。この事例をICD及びICFの生活機能の3つのレベルで整理し、必要に応じて「環境因子」や「個人因子」との関係をみてみる。

(1)「健康状態」

まず、Aさんの「健康状態」は、ICDによる疾病分類に従えば「大うつ病エピソード」である。これは、同じ「気分障害」に分類される「躁病エピソード」や「双極性障害」などとは症状も治療方法も異なる。医師の観点からすると、この疾病には効果的な治療法もあり治癒率も高いが、一方、再発が起こりやすく職業生活はその再発の大きな「環境因子」の一つである。また、Aさんの「個人因子」としては、「きちょうめん・完全主義」「人に頼まれるといやといえない」などの、うつ病になりやすい典型的な性格があった。このため、治療法としては、休職した上での、薬物療法及び、この性格を認知的な歪みととらえて修正するための認知療法が行われた。

(2)「心身機能」

次に、Aさんの「心身機能」をみてみると、「意欲や興味の減退」「感情の平板化・喜びの喪失」「不眠」「疲労」「集中力の低下」「記憶力の低下」「決断力の低下」「動作の遅滞」「過度の悲観主義」といった典型的な「大うつ病エピソード」の症状がみられた。うつ病の場合、知的障害等とは異なり、多くの認知的機能障害が固定的ではなく、薬物によって改善され得ることに注意が必要である。最初の薬物療法では、気分の改善には効果があったが、その他多くの症状には効果がなく、「焦燥感」や「眠気」という副作用が見られた。そこで、最近導入された新薬を試みたところ、多くの症状の改善がみられた。しかし、その一方で、毎朝の服用後に数時間「悪心」が続くという副作用がみられた。Aさんの職場復帰のためには、適切な薬物治療の継続が不可欠である。

(3)「活動」

Aさんの「活動」については、商社の営業部門の中間管理職として、相当タフな職務となっていた、それは「長時間勤務」、「大金を扱う判断や決断」の場面、また、上司や部下とともに組織を動かしていく「対人関係」を含むものである。復職当初は、治療の効果もあり、これらを以前通りに遂行でき、さらに、これに加えて「健康管理」のために、認知療法で身につけたスキルを活かして、上司からの残業要請を断って適切に休養をとることや部下の残務整理を引受けないことを心がけたり、規則正しい服薬をしたりなどを行っていた。しかし、繁忙期になるにつれ、まずこの健康管理がおざなりにされるようになった。そして、再発の結果、Aさんに要求される職務の遂行全体が不可能となってしまったのである。

(4)参加

また、「参加」については、現在、「うつ状態においては重要な判断を行わせない。」の原則により安易に退職の決断を迫っていないが、Aさんも、医師も職場関係者も営業職が勤まるかどうかの観点だけで復職を検討しており、「現職復帰」または「退職」の二者択一でしか考えていない。

(5)環境因子

ここで、重要なポイントは、職場ではAさんの病気は治ったものと考えており、多少の配慮はあったにしても、基本的な仕事内容や勤務条件などは以前と変わっていなかったことである。近年、このような障害や疾患をもちつつ就業する人のために、労働者の権利の一つとして「合理的配慮」ということが注目されつつある。これは、ICFの考え方でも、「活動」の「能力」を評価するためには、「標準的環境」が必要であることとも合致している。事業主による「合理的配慮」を義務化している米国では、服薬に伴う悪心に対応するために出退勤の時間をずらすことや、治療に必要な休暇の取得や復職後の職の保障などが、それにあたる。わが国では、義務ではないが、事業主支援の一環として、これらの職場などの環境側への働きかけにより、仕事をしやすくするための支援が重要であることには変わりはない。また、医師もこの検討に加われば、より仕事に影響しにくい薬物についても検討できるかもしれない。

(6)個人因子

病気の経験を通した本人の「生き方」「性格」といった「個人因子」の変化によって、職業的な「参加」の目標が変化しうることにも着目したい。「参加」としての就業には職種や働き方に多くの選択肢があり、それは本人が決めることができ、それによって職業場面での「活動制限」の内容も変化しうるのである。うつ病から回復した人の中には、従来の仕事一辺倒の生活から自分を見直し、より自分にあった豊かな生活へのよい機会となったと述べている人も多い。また、復帰した職場においても、病気の経験を通して、仕事の上でもよりスケールの大きな人間となったと評価されることも多い。これまで培った経験やスキルを活かしつつ必要な健康管理ができるように、仕事内容や働き方の検討をするにあたっては、本人側への認知療法とあわせ、職場関係者も一緒になって行うことも必要であろう。そのためには、仕事内容や働き方を少し変更して無理のないものにしてみたり、あるいは、より無理のない仕事に配属を転換したりすることも可能であろう。さらには、Aさんの興味やスキル、知識、経験などのキャリアのたな卸しをして、新たな自分にあった仕事について検討するよい機会として、専門的雇用支援サービスの存在がかぎとなる可能性もある。

3.その他の障害状況の多様性について

この「うつ病」の事例は、職業問題のICFによる整理でも、最も複雑なものの一つである。それは「うつ病」が、「環境因子」(職場環境など)や「個人因子」(性格、生き方など)が直接「健康状態」に影響し、また、状態も一定せず、治療によって症状が変化するという「疾患」と「障害」の両面をもつものだからである。これに似たものとしては、統合失調症その他の精神障害や、難病などがある。一方、多くの障害では、原因にかかわらず機能障害は固定していることが多く、職業的支援は主に「活動」や「参加」の場面に集中し、仕事ができるように、仕事に就けるように支援することになる。

例えば、「視覚機能」の障害は、様々な原因で起こりうる。しかし、多くの場合、その原因には関係なく、支援機器(文書読み上げ機器等)、人的支援(代読者、ノートテイカー等)、社内の制度など(電子メールでの会議資料の送信など)の改善によって、多くの職業的場面での「活動」や「参加」を改善させることができる。これは、脳損傷による注意機能、記憶機能、遂行機能などの精神機能の障害にもあてはまる。通常、これらの機能障害自体を改善させることは難しいが、「活動」や「参加」を改善させることは可能である。例えば、「記憶機能」の障害がある場合、指示された仕事内容を正しく遂行できないという「活動制限」が起こりうるが、「メモリーアシスト」等の支援機器や作業内容の簡単なメモをつくることなどで、その問題は解決できる。また、どうしてもその仕事で問題が残る場合でも、仕事内容や働き方を見直すことによって「参加」から「活動」に至る問題を解消できるという観点も重要である。

4 まとめ

ICFは従来よりも幅広く柔軟な「障害」の枠組みを提供しており、また、障害や疾患をもちながら就業を目指す人にとってのバリアや有効な支援についても検討範囲に入る。その際、ICFでは、支援者、支援サービス・制度なども「環境因子」として位置づけられていることから、単に対象者の評価に留まらず、支援提供者や機関にとっては自らの支援内容を点検することにもなるだろう。


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Yuichiro Haruna
yharuna-tky@umin.ac.jp