重松秀一先生を偲んで

平成29年5月某日、永年にわたり腎臓病理学の進歩に貢献され、日本腎病理協会の活動にも多大なご指導を頂いた、信州大学名誉教授 重松秀一先生がご逝去されました。 謹んでご冥福をお祈りするととともに、哀悼の意を表して特設ページを作成いたします。

 

「腎臓はからだの鏡」
(協会ホームページ開設当初、連載されたシリーズです。<クリック>)

腎臓はからだの鏡


 

重松秀一先生を偲ぶ     PCL Japan   原  満

 

 昨年8月に名古屋で“腎生検電顕コンセンサス カンファレンス”という会があり、これに出席して私は全く久し振りに重松先生にお会い致しました。
「こんなに御無沙汰してしまったのは私が出不精だからでして、・・・」などと言い訳をしながら、先生としばし歓談致しました。
散会の時に、重松先生は私の方へ来て下さり、「それではお元気で」と互いに
挨拶を交わしたのが今生の別れになってしまいました。
重松先生の論文、Participation of monocytes in transient glomerular hypercellularity in poststreptococcal glomerulonephritis (Virchows Arch. Abt. B Zellpath. 12: 367-370, 1973) に接して、私は初めて重松先生(のお名前)を知りました。当時、私はドイツのTuebingen大学の病理学教室に留学しておりました。ある日、ボスのBohle教授が「これはいい論文だ!」と感心して見せて下さったのが重松先生の論文でした。私はさっそく読ませていただき、なるほど説得力のある優れた論文で、感銘を受けました。
重松先生にお会いしたのは、それから一年半ほど後のことで、「Bohle教授が
先生の論文に感心していましたよ」と伝えると、先生はにこやかに微笑まれただけでした。
その後、重松先生に私は大変お世話になりました。
先生は当時、信州大学医学部の学生だった本田一穂君(現在、昭和大学医学部教授)を虎の門病院病理部の私に丁寧な推薦状を添えて紹介して下さいました。
秋の病理学会で、今では恒例になっている診断シリーズのはしりとして、私が腎生検の話を致しました時は、重松先生が司会を引き受けて下さいました。
重松先生の御業績は腎臓病理学の研究、診断、教育の多岐に亘り、まことに
偉大であり、これからも多くの方々に語り継がれ、受け継がれて行くでありましょう。
先生の誠実なお人柄を偲びつつ、心より御冥福をお祈り致します。 


川村貞夫

 

重松先生の早すぎるご逝去には驚かされ、遠くなりつつある思い出がよみがえりますね。
先生が国立佐倉の病理を継がれたことは、聖隷佐倉市民病院の小児科の息子から聞かされて居りましたので世間は狭いなと話し合ったものです。
ちょと前に重松先生の思い出を彼に感謝しつつ少々投稿しましたが、先生のお名前からは慈恵医大病理の石川栄世先生に大変良くして頂いた事が思い出されます。私の最初の研究の糸球体透過性はお褒めにあずかり、AFIPでの急性尿細管壊死の研究では藍沢先生の後塵の研究に推薦して頂いたりと他大学なのに本当に有り難いことでした。
研究を通してのみならず、野球大会を通して、国・私立4大学、私立医大6大学病理学教室の交流は、病理一般から腎病理と変遷していますが、今の腎病理協会の交流でも受け継がれているような気がします。これからも腎病理協会での人的交流が盛んになり、研究が益々実るようにと祈っております。山中先生、山口先生その他の心強い先生方がいらっしゃいます。
重松先生を偲びつつ!


SRL羽村ラボラトリー 浜口欣一

 

重松秀一先生は,岡林篤先生門下の3賢人(近藤洋一郎先生,重松秀一先生,岡田先生)の一人でした.確か小生より2歳年上で,腎臓学会,病理学会では,本質をついた質問をいただき,先生が会場に居るときには緊張しました.その点では,良い刺激を与えて下さりました.
重松先生の趣味の一つが自転車で,大腿四頭筋の発達は小生の1.5倍はありました.これは,お風呂での裸の付き合いで知りました.
黄泉の世界から,引き続きご指導をお願いします.合掌