日々のことなど
2024年8月29日(金)
今週は体調を崩しがちな一週間だった。そんな中でも、倫理コンサルテーションに関して医療者の方にお話をさせていただいたり、倫理委員会の運営に関して他大学の方と意見交換できたのはよかった。自分の専門を忘れるほど日々色々なことに追われているので、とてもありがたい。感謝。
2024年8月24日(土)
拡大すること、優れていること、やりたいことをやること、注目を集めること、そうなるように物事をマネジメントすること...これらが大切な場面があることを否定するつもりはさらさらない。だから人々をそちらへと「鼓舞する」言説があちらこちらで聞かれることももっともなことだと思う。しかしそれとは違った世界が存在し、それもまた大切であることが、もっと理解されてもよい。
2024年8月20日(火)
自分の行動を根本で支えるものは、「人間の根源的平等性の保障と実現」。これに反するものに対しては、例えどれほど不利な状況に置かれようとも声を上げられる自分でありたいと思っている。
2024年8月18日(日)
地域の英語サークルに初参加。仕事とは別の形で社会と積極的に関わり、さまざまな人と知り合う。50代の目標の一つ。
2024年8月15日(木)
レポートを一通り読み終える。人文社会科学部とグローバル共創科学部、二つの学部で学ぶ学生の間には違いがある。「理由を明示しながら自分の考えを人に伝える」ための基本的な作法は、何としても学生に身に着けてほしい。しかしそれをどのように教えるのかに関しては、色々と工夫の余地がある。
2024年8月11日(日)
校正一件、頼まれ仕事一件を済ませてからレポートの採点。1/5ほど。もっとできるんだろうけど、いまの心身のコンディションではこれくらいかな。無理はしないこと。
今回の南海トラフに関わる報道に接して、昔読んだ和辻哲郎の「地異印象記」(1923)を思い出した。冒頭の以下の一節が今でも印象に残っている。この文章が書かれてから100年経ったいま、(自分も含めた)人々の態度に変化はあるだろうか。
もし学者が在来の大地震の統計や地震帯の研究によって大地震の近いことを説いたならば、人々はあらかじめあの震害[関東大震災:引用者追記]と火災とに備えはしなかったであろうか。...自分は思う、人々は恐らくこの予言にも動かされなかったろうと。なぜなら人間は自分の欲せぬことを信じたがらぬものだからである。死は人間の避くべからざる運命だと承知しながらも我々の多くは死が自分に縁遠いものであるかのような気持ちで日々の生を送り、ある日死に面して愕然と驚くまでは死に備えるということをしない。それと同じように、百年に一度というふうな異変に対しては、人々はできるだけそれを考えまいとする態度をとる。在来の地震から帰納せられた学説は、この種の信じたがらぬものを信じさせるほどの力は持たない。
2024年8月9日(金)
前期の講義を全て終える。これから2週間は、レポート・テストの採点、倫理委員会審査書類などなど、大量の書類を確認する作業。並行して自宅の部屋の整理整頓も。
2024年8月8日(木)
健康診断で「観察必要」とされた数値に関して知り合いの医師に相談したところ、問題ないことが判明。安心したけど、これを機に再度自分の生活を見直そう。
2024年8月6日(火)
ある本の帯で、人の心の成長を測る指標として人工妊娠中絶の実施数が用いられていた。中絶数が多いのは心が成長していないことの証左だと言いたいらしい。無神経な発想だなぁ。
2024年8月5日(月)
静岡大学カーボンニュートラル宣言とアクションプランが大学ホームページに正式に公開された。ここまで来るのに約3年。長かった。ただ、この時点では何一つ変わっていないことを忘れてはいけない。可能な限り具体的なロードマップを作り、それにしたがって着実に進めていくことが大切。
2024年8月3日(土)
2019年に出版した書籍の第2版が届いた。改訂版出版に合わせて、リンク集を掲載している生命・医療倫理研究会のHPも更新。改訂作業は、新学部の準備期間から実際に走らせるまでの時期と重なっている。本当にここまでよく辿り着けたな...というのが正直な感想。今日(くらい)は、この本をぱらぱらとめくりながら自分を褒めてあげてもよいように思う。
午後は、しずおか哲学café。テーマは「戦争に倫理はあるのか」。自分が経験していないことをリアルに想像できるのか、戦争をめぐる多様な意見を活かして解決方法を導くことができるのか...人間の想像力と創造力が試されている。