日々のことなど
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2021年9月29日(水)
まぁ事実なのだから仕方ない...と言われればそれまでだけど...う~む。
山田稔、「政令市でも若者の流出が続く「静岡と浜松」の苦悩 静岡市は婚活支援や新幹線通学支援も行うが…」『東洋経済』, 2021年9月27日.
2021年9月18日(土)
しかし、どのような不自由さであっても、それが人間の良心によって肯定されうるものであり、地上の「天国」を建設するための、止むを得ないものであれば、われわれはそれを忍んでゆかなければなりません。たとえ、どのように魅力をもった「自由」であっても、もしそれが地上の「地獄」の存在を肯定し、地上の「地獄」の存在を直接あるいは間接に助けるようなものであれば、われわれはそのような「自由」は断念しなければならないのです。かりに「経済活動の自由」ということが、個人の自由にとって、どんなに大切なものであるとしても、戦争によってもうけたり、ほかの人間の生活を不幸にすることによってもうけたりするような経済活動の自由は、いかなる場合にも、けっして許されるべきではないのです。この点に関して、ぼくは東ドイツでの生活に満足しています。たとえ、東ドイツの生活というものが、経済的にいって、西ドイツのそれにくらべて、ずっと質素なものであるとしても、いまいった高貴なる政治の原則が良心的に守り続けられてゆくかぎり、ぼくは東ドイツにとどまっているつもりです。ぼくは、特権階級として、他の人びとの犠牲において豪華な生活をするよりも、たとえすべてにおいてつつましくあっても、すべての人間が平等に喜びと苦しみを分かち合ってゆくことのできる社会に住むことに、キリスト教者としての、ぼくの人生の意義を見出しているのです。
ーー篠原正瑛『僕らはごめんだ 東西ドイツ青年からの手紙』, 光文社, 1952年, 95-6頁.
結果として、東ドイツが地上の天国となることはなかった。それはなぜなのか。この問いは、ここで語られている「良心」にコミットしている私にとってだけではなく、SDGsを通じて「誰一人とり残さない」世界という新たな天国を目指している人たちにとっても、十分検討するに値するものだろう。
2021年9月10日(金)
違う時代、違う土地に生きたお父さんも同じことやっているなんて心強い...じゃなかった...もう本当にその通りかと思います。
すると、優しくて思慮深い母親はさっそくこれに応酬した。「いつでもあなたは、お父さん、息子の扱い方をまるで間違えていますよ。それじゃ、よくしようと思ったって、自分でぶち壊してしまうようなものですわ。親の考え通りに子供を仕立てるなんてできぬ相談です。神様が授けてくだすったままの姿をゆがめずに子供を可愛がり、できる限り手をかけて仕込んでやり、あとはそれぞれの自由に任せるようにしなければいけません。子供には銘々違った才があるんですもの。子供に必要なのは自分の才で、どの子供も自分流のやり方で押していって初めて、よくもなるし仕合せにもなるものです。…それをあなたみたいに毎日々々、今日のように叱りつけたりけちをつけたりしていたのでは、せっかく元気いっぱいでいるのにいじけてしまいますよ」そう言うなり、母親はすぐ部屋を去って息子のあとを追いかけた。
ーーゲーテ, 『ヘルマンとドロテーア』(国松孝二訳), 新潮文庫, 1967年, 31頁.
2021年9月8日(水)
to do リストに、「to doリストにやるべきことを書き込む」と書いているあたり、かなり末期な気がする。
2021年9月5日(日)
金曜に接種したワクチンの副反応の影響で今日はほとんど寝ていた。外で遊ぶ近所の子どもたちの声を聴きながらうとうとするって幸せすぎる。5つほど仕事が片付いていてくれるともっと幸せなんだけど...。
2021年9月2日(木)
世間でこれほど「倫理的であること」の重要性が喧伝されているにもかかわらず、倫理学者がそのことを全く論じないのはなぜなのだろうか。まさかこのことに両手をあげて賛成するような方々ではないですよね?