日々のことなど
2020年11月30日(月)
研究室に事務の方が来てくれたおかげでずいぶん楽になった。しかしそれでも仕事は膨大すぎる。膨大過ぎて何から手をつけてよいのか分からない...。
同じようなことは30年以上前から言われていたんだな。しかしそれほど奪われたわけでもないし、当分は大丈夫なんじゃないか...というのは現実に対する盲目ゆえの妄言だろうか。
グライダー専業では安心してはいられないのは、コンピューターという飛び抜けて優秀なグライダー能力のもち主があらわれたからである。自分で翔べない人間はコンピューターに仕事を奪われる。
外山滋比古『思考の整理学』, ちくま文庫, 1986年, 15頁.
2020年11月24日(火)
もう本当に、このやり場のない気持ちをどうすればいいんですか...。
2020年11月23日(月)
午後、休憩がてら芹沢銈介美術館の企画展「模様をめぐる88年の旅」を観に行く。 芹沢さんの作品は、優れた美的感性と丁寧な仕事から生まれる質の高さゆえに、長く愛され大切に使われるもの。この3年間取り組んできたハンドブックやケースブックも、そういう作品であってほしい。
2020年11月21日(土)
「自分の言いたいことを言ってくれている」という理由だけで人を支持するのではなく、根拠を明示しながら議論できることを最低限の条件とした上で、自らにとってもっとも納得のいく理由を述べている人を支持する。こうした態度が広がるだけでも物事は随分変わるはずなのだけど。
2020年11月18日(水)
今回のパンデミックは、私たちが現在の社会のあり方を批判的に検討する機会をもたらした(もちろん多くの悲しい結果をもたらしてもいるけど)。しかしこの機会も、差し迫ったもろもろのニーズを打ち負かすことはできないから、ワクチンが開発されたあとは多くのことが「従来通り」ということになる。
2020年11月17日(火)
過去に苦しめられるから現在に掻き立てられ、未来を見渡す余裕を失うんだよな〜。うむうむ。落ち着こう。
2020年11月12日(木)
批判の中に弱者の声を聞き取ることができるのかーーこれは批判が正当であるのかを判断する上で大切なポイント.
私はまた、トランプ政権の無情な政策を単に逆転または解体するだけでは十分ではないことを認識しています。 より良い方法を探す必要があります。 この世界難民の日に、私たち全員が協力して、より包摂的で歓迎的なアメリカを構築することを再び約束しなければなりません。それが私たちの国の精神を回復させる方法です。
「世界難民の日」(6月20日)にジョー・バイデンが発表した声明(難民支援協会訳)
2020年11月11日(水)
ふとI won't last a day without youを聴きたくなる.カーペンターズのヴァージョンは申し分なく素晴らしいけど,作詞者のポール・ウィリアムズが歌ったものの方が好みだな.
Day after day, I must face a world of strangers
Where I don't belong, I'm not that strong
It's nice to know that there's someone I can turn to
Who will always care, you're always there
ーPaul Wllliams, I won't last a day without you (1971)
2020年11月8日(日)
いまさらながらスピルバーグのA.I.(2001)を観はじめたのだけど、途中で胸が苦しくなって止めてしまった。いろんなことに耐性がなくなっているんじゃなかろうか。
色々なことを考えながら、色々なことを進めなければいけない。そんな一週間がはじまる...。
私が初の女性副大統領になるかもしれませんが、最後ではありません。すべての幼い女の子たち、今夜この場面を見て、わかったはずです。この国は可能性に満ちた国であると。
副大統領候補カマラ・ハリス氏による演説(2020年11月7日)
2020年11月7日(土)
日本学術会議の成り立ちを丁寧に追っている佐々木央さんの連載記事「日本学術会議は反日か?」はとてもよい。続きが楽しみ。
2020年11月6日(金)
今週末は,偽りの開放感に浸る暇もない.ふぅ.
2020年11月3日(火)
例年であれば静岡哲学会の日.今年は休会になってくれて本当に助かった.
たとえ,同じ話ばかりする患者さんだとしても,目の前の高齢者の話をなんとなく聞くのではなく,注意深く,話を「聴く」ことで,新しい発見があるかもしれない.「驚き」「落胆」「安らぎ」といった感覚をなぞり,体験する.そうすることによって,同じ話かもしれないけれど,表情の変化や,声の抑揚や,前後の行動の変化,そして自分自身の体調や感情などの変化すらも聴く対象とするならば,一つとして”同じ話”はないかもしれないからだ.こうした「またあの話か」「高齢者って同じ話ばかり」が,「聴く」姿勢へと変われば,高齢者との関わりが大きく変わるだろう.高齢者と呼ばれるようになったある人間の生き方そのものが,アートの要素,つまり,聴き手側に問いを投げかけてくれる存在になり得ると感じられるようになるかもしれない.
西智弘・守本陽一・藤岡聡子『ケアとまちづくり,ときどきアート』, 中外医学社, 2020年, 114-115頁.