日々のことなど
2020年3月30日(月)
今月も心身ともにボロボロの状態で終えることになる。しかしそんなもん、そんなもん。
2020年3月27日(金)
世界がこれだけ大変な事態に陥っているのだから、自分のことではなく、世界へ目を向け、世界について思い悩むべきなのだろう。間違いなく。しかしそれがうまくいかないから、余計に自分のあり方について思い悩む。
2020年3月24日(火)
いつも夜頑張ろうと思うのだが、眠気に勝てずダウンしてしまう(そして夜中に目が覚める)。まぁ寝るべき時間なのだから当たり前か。
2020年3月23日(月)
書くことがないくらい下らない日々を送っている。ひどすぎる。何とかしないと。
2020年3月19日(木)
「( )、もうやめようかな...。」
(括弧の中に色々なものを入れて時間を潰すの)、もうやめようかな...じゃなくてこれはやめるべき。
2020年3月16日(月)
学生からの質問に答えるために、形式論理学の教科書を紐解いている。命題論理も述語論理も懐かしい。いや懐かしがっていてはだめだろ。
2020年3月12日(木)
色々なことがうまくいっていないことは確かなんだよなぁ...。それでもなんとかなっているのは、デフォルトがこんな感じだからか?
2020年3月11日(水)
震災で多くのものを失いながらも、前を向いて生き続けている人の姿に激しく心を動かされる。もちろん<だから震災が起きてよかったのだ>などとは決して思わないし、思うべきではない。震災は起きなかった方がよかったに決まっているし、自然災害の被害を可能な限り0に近づけるための努力はするべきだ。しかしこの考え方は、「震災」や「自然災害」を「障害」へ置き換えることにより、きわめて差別的な考え方にもなりうるため、慎重な議論が必要。
2020年3月10日(火)
自分が批判していた相手と同じ立場になったとき、「確かにやむを得ないよね」と言う人は、経験から学んだということになるのだろうか?
2020年3月9日(月)
非常勤講師先に提出する書類を作成していて、講師料がこの10年変わっていないことに気づく。非常勤講師を複数抱えて生計を立てている人たちにとっては深刻な事態だよな。そのうえ今回の新型コロナウイルスによって前期の講義回数が大幅に減ったら、生活の維持もままならなくなるかもしれない。常勤をもたないそうした人に対して休講になった分の賃金を補償する、まっとうな大学はどの程度あるだろうか。
2020年3月7日(土)
哲学や倫理学、あるいは大凡学問を「役に立つ」ということから切り離すべきだと考える人たちはおり、それはそれで理解できないわけではない。しかし私自身は、自分の研究が「人のためになる」と信じられるからこそ、学問を何とか続けている。しかもそこで想定されている「人」は、人類といったスケールではまったくなく、さまざまな思いを抱きながら日々を生きる具体的な個人である。それくらいに私は<日常のレベル>で学問をしているし、それでまったく問題ないと思っている。私が書く無味乾燥な文章が、実際に「ためになっている」かはともかく...。
2020年3月6日(金)
非常勤先からアンケート結果が届いた。去年に比べて明らかに評価が落ちていた。例えば...
- 「学習の目標がはっきり示されていましたか?」の「どちらとも言えない」:25%(2018)→34.4%(2019)
- 「先生は熱心に授業をしていると感じられましたか?」の「どちらとも言えない」:17.9%(2018)→33.3%(2019)
- 「先生の話の速度、声の大きさは適切でしたか?」の「どちらとも言えない」:17.9%(2018)→33.3%(2019)
今年度結構頑張ってリフレッシュしただけに、少し落ち込む。ちなみに質問項目の中には、「先生は身だしなみ、清潔に心がけていましたか(~に気を付けていましたか?)」というのもある。
2020年3月5日(木)
ここ最近、前期の演習で扱う予定であるドレイファス/テイラーの『実在論を立て直す』を読んでいる。読んでいるうちに、ドレイファスとマクダウェルの論争についていまだ確認していないことに気づいた。ひどい。
2020年3月4日(水)
朝、耳鼻咽喉科に行ったら予約の日を間違えていた。アホすぎる。1時間待てば診察してもらえるとのことだったが、もろもろ考えて出直すことにした
精神疾患の患者を看護師たちが虐待していたという報道を知る。こうした行為は絶対に間違っている。もちろん、この<絶対>をーー発話者の欲求と結びつけることによって、あるいは患者たちを配慮の対象外と見なすことによってーー無力化することはできる。しかしそうした立場には、根本的に何かが欠けているーーという考え方はあまりにも反倫理学的だろうか?
2020年3月3日(火)
卒業判定会議。教務委員長としてもっとも重要な仕事であるにもかかわらず、色々とへまをする。とにかく大過なく終わったのでよしとしよう。
重度の障害をもつ息子をケアする日々を過ごし、その息子とともに植松被告の裁判に通った男性。彼が見ている世界を言葉にする――とても大変なことだけど、やはりとても大切なことなのだと思う。
2020年3月2日(月)
少しずつリハビリテーションをしていかないとな。
2020年3月1日(日)
4年遅れでKANの6×9=53を聴く。大学生の頃に読んだインタビュー記事で、「もはやメロディーは浮かばなくなった」と断言していた人が、四半世紀後にもこれほど素晴らしいアルバムを出せるということにただただ驚く。
多くの方が期待してくださっているのはよく分かっているのだが、それ以上にその期待に応えられるだけの力がないことをよく知っているので、すごく苦しくなったりする。まぁそういうときにどうすればよいのかということ位は、(四捨五入して)半世紀生きていたので分かっているつもりだけど。
ドイツ語で「買いだめ」を「Hamsterkauf」(ハムスター買い)と表現することを知る。うまいこと言うなとにやり。しかし強いハムスターの影で餌にありつけないハムスターがいることを考えれば笑ってなどいられない。