日々のことなど
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2017年5月30日(火)
認知症カフェ常連の方からお貸しいただいた『町誌 城東町の歴史』に目を通す。現在の城東町は、戦前は安東練兵場だったことから、前半は軍関係の記述が中心。その中で目にした文章。
独立歩兵第13部隊(泉部隊)は、北支、中支作戦からフィリピン・レイテ島に転戦の途中、昭和19年8月19日、バシー海峡で敵の潜水艦攻撃を受け、連隊長以下2000余名が海中に没し、残りの兵士1800余名もレイテ島に上陸しましたが、昭和19年12月同島ブラウエン付近の戦闘で全員玉砕しました。(17頁)
彼らの死は、「玉が砕けるように美しい死」というよりも、「悲惨な死」ではなかっただろうか。もちろんだからといって、彼らの死が無意味であったと言うつもりはない。無意味にしないためにも、そうした死を世界から一つでも減らしていく努力が求められるのだろう。
2017年5月22日(月)
息切れもいいところ。ものをゆっくり考えられない。でもそれって、学者としては死んでいるってことだよな。危険。とりあえず気になった記事のなかの文章。
また、草案の第13条は「国民は人として尊重される」と定めています。現行憲法の「個人として」ではありません。個人から出発して国家や社会の成り立ちを説明する(17世紀の英国の政治哲学者)ホッブズ以来の考え方を取らず、近代思想を拒否する社会像の中に「国防軍」(草案第9条の2)を位置付けようとしたのです。「そこが聞きたい憲法施行70年 東京大名誉教授・樋口陽一氏」『毎日新聞』2017年5月22日(月)
2017年5月7日(日)
連休も終わりか…。色々と憂鬱にはなるが、頑張らねば。
案の定、ハーバーマスは、Leitkultur-Debatteに対する自らの見解を、RP-Onlineで公開していた。さすが。
リベラルな憲法は、国家において伝統的な支配的文化と、すべての市民にとって近づきやすく、また彼(女)らに期待される政治文化を区分するよう求める。その文化の核とは、憲法それ自体である。必要とあらば、少数派は文化上の権利を請求することさえできる。すなわち彼(女)らに、共通の政治文化という枠組みにおいて、自らの生活形式の完全性を守ることを認めるような権利である。例えば、イスラム教徒が、デメジエール氏に手を差し伸べるよう強制されることがあってはならない。(ユルゲン・ハーバーマス, 2017年5月4日)
2017年5月4日(木)
どうにかこうにか原稿を終わらせる。結局、大幅に改訂することになった。できるだけのことはした。ということで、あとは天命を待つ…というのは大げさか。とりあえず次は2ヶ月後の学会発表に備えないと。そうだ、来週は非常勤もあったんだ。やれやれだな。
ドイツで起きているLeitkulturをめぐる議論、ハーバーマスは何か言わないのかな。