日々のことなど
2016年6月30日(木)
この4年間メインで使っているパソコンの手入れ。Windows10へのアップデートに伴って生じたさまざまな不具合を一通り改善した。「これで原稿がはかどればいいなぁ。ついでに劣化が始まっているバッテリーも変えておくか」と思ったら、メーカー純正のものはすでに生産打ち切りだとか。よいものを長く使いたいと思ったので、購入時にCPUやメモリにはそれなりにこだわったんだけど、まさかこんなところに落とし穴があるとは…。サードパーティーかリフレッシュか。今度どこかで相談しよう。
2016年6月28日(火)
生命倫理学会での口演を申し込んだ。一度は発表を断念したけど、幸いなことに申込みの〆切が延期になっていたので。扱うのはエヴァ・キテイによるヌスバウム批判。キテイの論文はまだ一本しか読んでいないが、興味深いことを述べていた。 通ればよいけど。
認知症患者に対する研究を拡大する法案、来週議会で採決されるらしい。Tagesspiegelの記事でGröhe保健大臣の発言が紹介されている。ナチスの人体実験と今回の法案で問題となっている研究を同一視する批判者は、ナチスの犯罪を無害なものと見なす過ちを犯しているとのこと。
2016年6月26日(日)
日曜の夕方、取れなかった疲れを引きずったまま一週間がはじまるのかというやるせなさと、疲れている割には物事を考えられていない苛立ちとが入り交じる。だから今日も、世界の果てまで行ってQ!を次男と一緒に観ることでバランスをとろうか。しかしこの番組の色々なことに、ときとして耐えられなくなる。
Ärzte Zeitungによれば、認知症患者に対する、本人の利益にはならない研究に関して、CDU/CSUの議員が妥協案で合意したとのこと。認知能力が十分ある状態で同意をしていること、医師が説明をしていること、そして医療上の事前指示とは別の形で文章化していることが条件。まぁBrexitでどうなるか分からないけど。
2016年6月22日(水)
カトリックの生命倫理は、もっと真剣に取り上げられてもよいと思う。神学の伝統は、現代の生命倫理にも重要な影響を与えている。カトリック生命倫理を自認する方々には、「生命が受精に始まることは科学によって証明されている」という——それだけでは何も述べてはいない——主張を繰り返すのではなく、「神の像」「人格」「生命」という概念を神学の観点から徹底的に議論してほしい。
2016年6月18日(土)
午後から哲学カフェ@しぞ~か。全体のファシリテーターを務めたこともあり、それなりに疲れる。疲れるけど続けている理由は何か。哲学(カフェ)には社会的意義があるから…なんてことはあまり考えていない。正直、この対話を「哲学」と呼ぶ理由さえよく分かっていないのだから。(決して見下しているからではなくて、自分自身哲学をよく分かっていないので。)ただ、人と議論してみたいという方々がいて、そうした議論を交通整理する上で自分が少しでも役立てるなら…という気持ちだけ。本当にそれだけに過ぎない。
2016年6月17日(金)
クレメンスの『ストロマテイス』の翻訳を無料で読むことができる。本当にありがたい。
2016年6月15日(水)
倫理委員会の事前審査、学生との相談などであっという間に夕方。うそ…。
引き続きドイツ議会ウォッチ。新たな記事を発見。"Kompromiss für Forschung an Demenzkranken" SPDのKarl Lauterbachさんが、研究参加の意向を、認知症になる前に、事前指示とは切り離す形で文書化するという折衷案を提示しているとか。この方、医師自殺幇助のときにも活発に発言していたな。たしか医師だったはず。ちなみにこの記事によれば、先週の議会日程からは外れたそうだが、政府は今議会での成立をあきらめていないとのこと。そういえば、医師幇助自殺はどうなったんだったかな。
2016年6月13日(月)
昼過ぎまでかかって初校のチェック。途中、院生発表会の相談。疲労がひどいので、早めに帰宅。
認知症患者の研究参加に関する法改正、どうなったのかと気になっていたのだが、木曜の議会について特に情報なし。この記事を読んだら、事前指示書を作るさいに医師による研究の説明を義務づけるのかどうかをめぐって、与党内で足並みがそろっていないとか。ということで成立しなかったんだろう。ちなみに今回の法改正に対しては、専門家からの意見書も出ている。休憩時間に読むべし。
Fremdnützige Forschung an Einwilligungsunfähigen nicht erlauben(同意することのできない人々に対する研究は、他人に利益をもたらすものであっても許されない)
2016年6月12日(日)
疲れがとれないままに再び一週間が始まる。一週間に2回の出張はやはり疲れるな。
条件付で採択されていた論文が、原著論文として正式にアクセプトされた。一安心。
キリスト教の尊厳をそれ以前の考え方と区分するものとして、決まって「神の似姿」が挙げられる。でもキケローの『法律について』における以下の文章を読むと、こうした説明を鵜呑みにはできないなと思う。
じじつ、自分自身を知る者は、最初に自分が何か神的なものをもっていることを感じるだろう。また自分のうちにある己の才能をいわば聖なる神像とみなし、神々から与えられたそのように大きな贈物に何かふさわしいことをいつも行い、考えるだろう。キケロー『法律について』(キケロー選集8哲学I), 岩波書店, 1999年, 219頁.
2016年6月9日(木)
腐っている、絶望している、まぁそういう面がないとは言えない。しかし粛々とやるべきことをやるだけ。その程度には大人になった。
2016年6月7日(火)
気になって購入し、それでも読まずにいた新書をパラパラとめくってみる。
インタビュアー:それでも、ドイツ人たちはすでにドイツ再統一のために高い代償を払ったと感じているわけで、その彼らが、この上ギリシャやイタリアの赤字まで賄いたくないと思うのは無理もないですよ。
トッド:ドイツの一般人を全体として捉えれば、どんなメカニズムが働いて南欧諸国が大きな貿易赤字を抱えるようになり、その結果として歳出超過予算の状態に陥ったのかを彼らが知らなくても、それは全く責められることではありません。まして、ドイツの輸出の好調さの果実が彼らにはあまり回って行っていないのですから。
エマニュエル・トッド, 『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』, 文集新書, 2015年, 166頁.
難民問題についても同じことが言えそうだな。
2016年6月5日(日)
(たいてい聴き取れない)Deutschlandfunkを流していたら、Demenz...Forschung...Ethikrat...といった比較的親しみのある単語が耳に入ってきた。で、じっくり聴いてみたら、どうやら認知症患者への試験薬投与をめぐる話題のよう。数回聞いてもよく分からないのでネットで調べてみたら、事前指示の中に試験への参加の意向を尋ねる項目を設けることで、同意不可能な患者も試験に参加できるようにする法律が議会に上がっており、木曜に決が採られるとか。うそ、全然知らなかった。
Wanka verteidigt Medikamententests an Demenzkranken, Welt, 04.06.16
2016年6月4日(土)
次男の運動会。一日ゆっくり過ごす。
修士論文の議論を活かせるということに気づいた。20年前から同じことに関心をもっていたんだなという感慨…というか、なんで早く気づかなかったのかな…。しかしこれでまた一歩先に進める。
2016年6月1日(水)
人間学概論の担当は今日が最後。しかし全くうまくいかなかった。数週間前に別のオムニバス講義で同じ内容を話し、そのときはそれなりにうまくいった感触をもったのだけど。受講生が変わるとこれほどまでに変わるんだなといまさらながらに思い知らされる。いまの状況で最善はつくしたのでうだうだと後悔はしないけど、まぁ…思った以上にダメージは受けた。さて、切り替え切り替え。