日々のことなど

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2016年5月30日(月)

ひょんなことから、沼津西高校へ出張授業へ行くことになった。そういえば元ゼミ生が沼津で働いていたはず。立ち寄ってみようか。

どうしようもなく混沌とした、時代錯誤的な概念を、思想史的・論理的に解きほぐしながら、いまの自分たちの概念地図に埋め込む。それは間違いなく、哲学の醍醐味、少なくともその一部ではある。「人類の尊厳」みたいな概念と付き合っていると、そういう気がしてくる。

2016年5月29日(日)

瑞々しく創造的な知性によって書かれた本を、久しぶりに読んだ。本当に素晴らしい本だった。

2016年5月25日(水)

人間学概論開始前の学生との会話。「大学生活は楽しいけど、勉強は嫌い、つまらない。」ふむふむ、この前も似たようなことを言われたな。今年の一年生(男子)は素直な方が多いようで。しかし聞いた側は心中穏やかではないなぁ。「じゃあさっさと大学辞めて働け!!」と怒鳴りたくなるし、「その気持ちを親に面と向かって言ってから授業料と生活費を払ってもらえよ」とにじり寄りたくはなる。だけど自分だって、大学入った頃は似たようなもんだった。別にやりたいことがあって、だから大学の勉強なんていい加減もいいところ。なので人のことはとやかく言えない。でも4年間その調子では、これからどんどんつらくなるんだよなぁ。かといって教員が関わることでどうなることでもないし。いや、どうにかなるのか。というか、どうにかしていいのか。

2016年5月24日(火)

前日21時まで授業をしていた影響か、朝からえらくしんどくて仕事にならない。図書館へ行ったけど、すぐにうとうとしてしまう。

オーストリアの大統領選挙、勝利した緑の党候補者と敗北した極右政党候補者の得票差は0.4%。とりあえず一安心ではあるけど、極めて危うい状態なのだということは認識する必要がある。

2016年5月23日(月)

若手評論家と呼ばれる人の本を読んだ。ありきたりの思想に、思いつきのようなことを二三付け加えているだけ…そんな印象を抱いてしまう自分は、すでに十分古い(批判されるべき)人間なんだな。こうした人々から学ぶべきことはたくさんあるはずだ。

2016年5月21日(土)

昼前に静岡哲学会の打合せ一件。それ以外はオフ。夕方、家族と静岡オクトーバーフェストへ。すごい人で驚いた。しかしあの場でお腹いっぱい食べようと思ったら、かなりの出費になるはず。みんなお金あるなぁ…というか自分が貧乏性なのか。

一年前にドイツで、65歳で四つ子を出産した女性が話題になった。最近の様子を伝えたRTLの番組をもとに、南ドイツ新聞が子どもたちの様子を伝えている。26週での出産だったために、腸、眼、脳などに障害があり、歩行の発達も遅れているとのこと。ネット上で番組を視聴することもできるけど、どうしても観る気になれない。ちなみに、この記事に釣られていくつかの関連記事に目を通したけど、レズビアンのカップルが、体外受精に対する減税措置を訴えた裁判、死亡した妻の凍結卵死を利用しようとする夫と後妻の訴えをめぐる裁判、家族相による不妊の事実婚カップルへの支援拡大案などなど…ドイツでも生殖補助医療をめぐるトピックには事欠かない。

2016年5月20日(金)

う〜ん、情報処理、うまくいかないなぁ…。学生ごとのパソコンの習熟度が違いすぎるというのもあるんだけど、基盤センターのシステムがうまく働いてくれないのも問題。本当に、色々と考えないと。

2016年5月19日(木)

夕方から外部の倫理委員会。単に指針を当てはめるだけの話ではない、だからこそ個別に慎重に考える必要がある、そういうことをあらためて認識できる場だった。まぁだからこそ疲れるのだけれど。ちなみに委員会の日の密かな楽しみは、行き帰りのタクシーでの運転手の方との世間話。実のところ、日頃から人とあまり接しないし、接する人のバックグラウンドもすごく狭かったりするので、こういうところで異なる世界に触れられるのは嬉しい。

2016年5月18日(水)

人間学概論二回目。もっと洗練させないとなぁ…と頭の片隅で考えながら講義。来年こそは、根本的に見直す。とその前に、昨年と比べて増えた一回分の講義を作らないと。

夜、ZDFのDas Jahrhunderthaus 第1部、第2部を観る。この1世紀の間に家族に起きた変化を、住宅や家電製品などのハード面と、家族や仕事などのソフト面からまとめたもの。聴き取れるのは3〜4割だけど、映像だけでもおもしろい。しかしこのタイトル、どう訳せばいいんだろ。内容を踏まえるなら、「家族の100年物語」か。

2016年5月17日(火)

うむ、色々と考えて、月末〆切の論文は取りやめ。すでに今年度公刊される予定の論文が2本あるのだから、無理に数を増やすよりも、これまでの仕事をまとめる作業に集中しよう。

夜、妻に勧められた『世界の果ての通学路』を視聴。終始涙を拭いながら——同時に、国家と宗教がもつ影響力の大きさを感じながら——観た。しかしだからといって、「日本の子どもは…」などと言うつもりは毛頭ない。

2016年5月15日(日)

この週末は仕事も休息も中途半端だった。まぁキケロの尊厳論を扱った論文――'Dignity of Man' and 'Persona' in Stoic Anthropology: Some Remarks on Cicero, De Officiis I 105–107――を見つけたのでよしとしよう。しかしキケロの以下の文章を読むと、いつも落ち込む羽目になる。

各人が極力保持すべきはそれぞれの特性のうち、徳に背かず、しかも、自分に固有のものである。それによってわれわれが求める適正さがいっそう容易に確保できるのである。というのも、われわれの行為は普遍的な人間本性に決して逆らうようなことがあってはならない(ママ)。それでも、この本性を護持した上で、われわれ固有の本性に従うべきであり、これによって、たとえ他人の精進する領域のほうがより重要で、より優れているとしても、われわれはわれわれの精進をわれわれの本性を物差しとして計るべきなのである。というのも、本性に反抗し抵抗するとき、適正なものは何一つないからである。キケロ『義務について』(キケロー選集9 哲学II),岩波書店, 1999年, 192頁.

2016年5月13日(金)

ハードな一週間が終わった。色々失敗したけど、なんとか乗り越えたのでよしとしよう。来週も外部と内部の倫理委員会があるけど、少しは論文に集中できそうだ。

2016年5月7日(土)

来週は異常に仕事が詰まっているので、今日も出勤。ケアの倫理の講義を作り直そうと思ったけど、他の仕事とのバランスも考えてやめておくことにした。ケアの倫理の観点から…ということで。ちなみに本当に久しぶりにノディングスの『ケアリング』を読んだけど、十数年前に読んだときよりもはるかに理解・共感することができた。今年の生命倫理学会ではケアと尊厳の関わりについて発表しようとおぼろげに考えていたけれど、かなりよい感触を得た。これはいける。さて、まずは月末〆切の論文執筆。

2016年5月3日(火)

連休も中盤。家族との時間を大事にしたいと思いつつ、時間を見つけては仕事をしまう。とまれ、とりあえず生殖補助医療の講義はかなりすっきりと作り直すことができそうだ。問題はケアの倫理。こちらも色々と蓄えてきた知識を反映させて改訂したいんだけど、理論の問題なのでそう簡単にはいかない。

Facebookでドイツの新聞記事を保存したまま放置しておくと、「〜件保存しています」だの、「〜曜日に保存しました」だの、色々と注意される。いや、そりゃあすらすら読めればこんなにため込みませんよ…と思いつつ少しずつ消費。目を通した中で面白かったのは、レポートや卒論をゴーストライターに書かせた人のインタビュー記事。急激な大学進学率の上昇に、教育システムがうまく対応できていないことから生じている気もするけど、どうなんだろうか。しかし卒論一本800ユーロ(約10万円)は安い。もっともらっていいぞ、ゴーストライター…じゃないか。