研究演習II/人間学特別研究
2012年度
- ジェームズ・レイチェルズ「倫理学に答えはあるか」, 『倫理学に答えはあるか――ポスト・ヒューマニズムの視点から』(古牧徳生・次田憲和訳), 世界思想社, 2011年, 3-33頁.
- 成田和信「道徳判断の普遍化可能性について : R.M.ヘアーの議論を中心に」, 『哲學』(慶應義塾大学)84, 1987年, 27-50頁.
- アマルティア・セン『不平等の再検討――潜在能力と自由』(池本幸生・野上裕生・佐藤 仁訳), 岩波書店, 1999年.(第7章「貧しさと豊かさ」)
- 都築貴博「公平性の何が問題か? : ウィリアムズとストッカーの批判に寄せて」『哲学年報』(北海道大学哲学会)53号, 2006年, 17-32頁.
- 木岡伸夫「風土学から見た環境問題」『ボランティア学研究』8号, 2007年, 19-34頁.
- 日笠晴香「一つの人生か別の人格か : 事前指示の有効性をめぐって」『医学哲学医学倫理』25号, 2007年, 41-50頁.
- 都築貴博「道徳判断の「不偏性」と「普遍化可能性」」『哲学年報』(北海道大学哲学会)49号, 2002年, 1-16頁.
- ジョン・L・マッキー『倫理学―道徳を創造する―』(加藤尚武監訳), 晢書房, 1990年. (第4章「普遍化」)
- 神島裕子「グローバルな正義をめぐる対抗――センとポッゲ――」, 有賀誠・伊藤恭彦・松井暁編『ポスト・リベラリズムの対抗軸』, ナカニシヤ出版, 2007年, 144-163頁.
- 宮野晃一郎「フーコーとウィリアムズ : 近代道徳への批判者として」, 『哲学年報』(北海道大学哲学会)44号, 2008年, 153-170頁.
- 真船えり「ヒュームにおける人格の同一性について」, 『哲學』(慶應義塾大学), 103号, 1998年, 35-56頁.
- 原田一宏「保護地域のジレンマ : 生物多様性と文化の相克」, 『日本森林学会誌』 87号(3), 2005年, 261-271頁.
- 樽井正義「人格とは誰のことか―生命倫理学における人間の概念―」, 土山・井上・平田編『カントと生命倫理』, 晃洋書房, 1996年, 49-64頁.
2011年度
- ジェームズ・レイチェルズ「倫理学に答えはあるか」, 『倫理学に答えはあるか――ポスト・ヒューマニズムの視点から』(古牧徳生・次田憲和訳), 世界思想社, 2011年, 3-33頁.
- 馬淵浩二「環境倫理学と正義の問題」, 『中央学院大学人間・自然論叢』 (16), 2002年, 91-108頁.
- 久保田顕二「J. S. ミルの功利主義に関する一考察」, 『小樽商科大学人文研究』97, 1999年, 45-63頁.
- ハンナ・アーレント「暗い時代の人間性」, 『暗い時代の人々』(阿部斉訳), 河出書房新社, 1986年, 11-45頁.
- ジェームズ・レイチェルズ「動物に権利はあるか」, 『倫理学に答えはあるか――ポスト・ヒューマニズムの視点から』(古牧徳生・次田憲和訳), 世界思想社, 2011年, 60-79頁.
- ジェームズ・レイチェルズ「嘘をつくことと絶対的規則の倫理」, 『倫理学に答えはあるか――ポスト・ヒューマニズムの視点から』(古牧徳生・次田憲和訳), 世界思想社, 2011年, 106-126頁.
- C. A. キャンベル「道徳的価値と非道徳的価値――価値論の第一原理研究――」(山田英世訳), W. セラーズ/J. ホスパーズ編『現代英米の倫理学III』(矢島・岩崎・細谷監修責任), 1959年, 569-613頁.
- 鈴木晶「フロイト」, 新田義弘他編『無意識の発見』(岩波講座現代思想3), 岩波書店, 1993年, 3-31頁.
- 馬場智理「「自分で決めること」は自由な行為か? : 生命倫理をめぐる自己決定の問題」, 『研究紀要』(つくば国際大学)17号, 2011年, 99-115頁.
- 渡辺啓真「「内在的価値」と生命倫理--ロナルド・ドゥオーキンの議論をめぐって」, 『哲学論集』(大谷大学哲学会)50号, 2003年, 17-39頁.
- 鈴木貴之「クオリアと意識のハードプロブレム」, 信原幸弘編『シリーズ心の哲学I 人間編』, 2004年, 131-178頁.
- 河合俊雄「ユングの分析心理学――ユングによる無意識の発見と魂のリアリティ」, 新田義弘他編『無意識の発見』(岩波講座現代思想3), 岩波書店, 1993年, 33-64頁.
- 陀安広二「パーソン論とはどのような倫理か─シンガーを中心に─」, 『医療・生命と倫理・社会』(大阪大学大学院医学系研究科・医の倫理学教室)第3号, 2004年, 152-9頁.
- ロナルド・ドゥオーキン『ライフズ・ドミニオン』(水谷英夫・小島妙子訳), 信山社, 1998年.(第3章「神聖さとは何か?」)
- 河合隼雄『無意識の構造』, 中央公論新社, 1977.(第2章「イメージの世界」)
- 新藤泰男「人間存在の宗教性~クオリアから見る人間観~」, 『桜美林論考 人文研究』第1号, 2010年, 1-11頁.
2010年度
- 山田弘明「人間学としてのデカルト哲学――「第6省察」の一解釈」, デカルト研究会編『現代デカルト論集III 日本篇』, 勁草書房, 1996年, 167-185頁.
- 内藤淳「メタ倫理学的自然主義再考――価値論と人間科学」, 『法哲学年報2005』, 2005年, 135-143頁.
- 伊勢田哲治「戦争倫理学における功利主義的思考――現代功利主義からの議論の検討――」, 『応用倫理学研究』3号, 2006年, 1-17頁.
- 神野慧一郎「功利主義の射程」, 『倫理とは』(岩波講座 転換期における人間8), 岩波書店, 1989, 195-218頁.
- 伊藤勝彦「存在から意識へ――デカルトの方法にかんする一考察 」, 『理想』454号, 1971年, 24-35頁.
- 内藤淳「メタ倫理学・メタ法価値論と進化生物学(1) : 「ヒュームの法則」をめぐって」, 『一橋法学』3(2), 2004年, 767-804頁.
- 伊勢田哲治「功利主義系理論と道徳的直観」, 『創文』494(1), 2007年, 24-27頁.
- 林芳紀「ロールズの功利主義批判と『人格の別個性』の問題」, 『倫理学研究』(関西倫理学会)33号, 2003年, 107-124頁.
- 宗像恵「デカルトとガッサンディ」, 小林道夫/湯川佳一郎編『デカルト読本』, 法政大学出版局, 1998, 157-168頁.
- 内藤淳「メタ倫理学・メタ法価値論と進化生物学(2) : 「ヒュームの法則」をめぐって」, 『一橋法学』3(3), 2004年, 1203-1233頁.
- トマス・ネーゲル「戦争と大量虐殺」, 『コウモリであるとはどのようなことか』(永井均訳), 勁草書房, 1989年, 86-120頁.
- 菅豊彦「道徳的実在論(1)――功利主義批判――」, 『人間科学』(九州大学文学部)6号, 2000年, 1-15頁.
- 田村均「デカルトとイギリス経験論」, 小林道夫/湯川佳一郎編『デカルト読本』, 法政大学出版局, 1998, 192-201頁.
- 内藤淳「メタ倫理学・メタ法価値論と進化生物学(3・完) : 「ヒュームの法則」をめぐって」, 『一橋法学』4(1), 2005年, 231-259頁.
- リチャード・ドーキンス「ミーム――新登場の自己複製子――」, 『利己的な遺伝子』(日高敏隆・岸由二・羽田節子・垂水雄二訳), 紀伊國屋書店, 1991年, 301-321頁.
- 菅豊彦「事実と価値――『厚い』価値概念と投影説批判」, 『道徳的実在論の擁護』, 勁草書房, 2004年, 89-123頁.
2009年度
- 古川裕朗「シュミッツ現象学におけるプラクシスの美学 : 風景と感情をめぐる考察」, 『美學』59(1), 2008年, 43-56頁.
- 十津守宏「『ナウシカ』再考 : 劇画版『風の谷のナウシカ』における終末論その2」, 『鈴鹿国際大学短期大学部紀要』22号, 2002年, 109-123頁 .
- 伊勢田哲治「戦争倫理学における功利主義的思考――現代功利主義からの議論の検討――」, 『応用倫理学研究』3号, 2006年, 1-17頁.
- 『現代思想 2009年7月号 人間/動物の分割線』
- シセラ・ボク「カントの平和論」, 『戦争と平和――カント、クラウゼヴィツと現代』(大沢正道訳), 法政大学出版局, 1990年.
- 三原武夫「目的論的生命観の現代的方向」, 『學術研究報告 別卷』(帯広畜産大学), 1958年, 16-50頁.
- 松浦明宏「「美とは何か」と「何が美であるか」 : 『大ヒッピアス』287d-e」, 『東北哲学会年報』16号, 2000年, 1-14頁.
- 沼野充義「詩歌を生成する言語」, 『言語』34(7), 2005年, 44-51頁.
- 寺田俊郎「カントのコスモポリタニズム――世界市民とは誰か」, 『情況 第三期』5(12), 2004年, 178-188頁.
- 檜垣立哉「多様体としての生命 : ベルグソンのエラン・ヴィタル概念を巡って」, 『駒沢大学文化』16号, 19931年, 113-136頁.
- 村澤真保呂「ネオリベラル・アーツ化する大学教育と「教養」の未来」, 『現代思想』37(14), 2009年, 158-166頁.