鞍結節部髄膜腫

鞍結節部髄膜腫とは

 ホルモンの中枢である下垂体近くの鞍結節部という場所の硬膜(頭蓋骨の内部に密着している脳を被っている膜)に発生する良性の腫瘍です.髄膜腫の原因は不明ですが,最も多い良性脳腫瘍です.子孫に遺伝する病気ではありません.腫瘍が増大することより周辺の脳組織や神経が圧迫され,症状が出現します.
 腫瘍の進展方向により症状は変化しますが,視神経を圧迫して,目が見えにくくなって発病することがほとんどです.さらに腫瘍が上方に大きくなりますと視床下部を圧迫して精神障害や意識障害など生命に関わる症状となります.
 側方に進展しますと,腫瘍が視神経周囲に広がり,急速に視力障害が出現します.また海綿静脈洞が障害されると眼球の運動や顔面の感覚を司る神経が麻痺して,眼球運動障害,顔面の感覚障害などが起こります.
 後方に進展しますと,脳幹部に障害がおよび手足のしびれや麻痺などの重篤な神経障害が出現します.
 前方に進展しますと,巨大になるまで発見が遅れることがあり,嗅覚の消失や痴呆,失禁などの精神症状が出現します.
 また,最近のMRIやCT検査の進歩により,これまでなんら病気の兆しも無いのに偶然の検査で見つかることがあります.

治療法

 通常腫瘍はゆっくりと増大しますが,そのスピードには個人差があり,精密な視力や視野検査を受けた結果,無症状の場合は経過観察で問題ありません.ただ,症状を自覚されていなくても,眼科的な精密検査で異常がある場合や腫瘍が視神経を圧迫している場合は,急速に視力障害が進むことがあり,早期の手術治療が必要です.したがって,多くの場合の手術の目的は,視神経の保護,視力の改善であります.
 手術治療としては,髪の毛を一部剃って,頭皮を切って,頭蓋骨を開いて,脳と骨の隙間から腫瘍を取る方法(開頭術)が一般的です.しかし,われわれは,新しい手術法を開発(拡大経蝶形骨法といい米国誌に報告;J Neurosurg 94: 999-1004, 2001)して以来,鼻腔から腫瘍を摘出しています.以前の開頭術を受けた13人と最近の鼻腔から手術を受けた13人で,手術の治療成績を比較しました.どちらの手術法でも,全員で腫瘍は一回の手術でほとんどの腫瘍を摘出できまた.しかし,手術後の視力障害の改善率は,開頭法では39%であったのに対して,鼻腔から手術を受けた患者さんは85%と優っていました.このように,当科で行っている鼻腔からの摘出手術は,脳を圧迫せずに腫瘍を摘出できる患者さんに負担のすくない方法(低侵襲な手術)であるとともに,従来の方法よりも治療成績がよいことが明らかになりました.(詳細は米国誌に報告;J Neurosurg 107: 337-346, 2007)鼻腔から手術を行うと,術後に髄液が鼻腔から漏れ出て,髄膜炎など重い合併症を危惧する脳神経外科医が多くいます.これを確実に対処できる方法を当科で開発して以来(米国誌に報告;Neurosurgery 54: 653- 661, 2004),この合併症は克服できたと考えています.
 鞍結節部髄膜腫に対して開頭術ではなく,鼻腔から手術を行っている施設は,国内ではまれです.主治医の先生に相談されても,「この治療法を行ったこととがないので私に紹介していただく」か,「この治療法は極めて危険な方法ですので,やめていおた方が良いですよ」と,この治療法を完全に否定されるかのどちらかになります.
 しかし,後者の主治医の説明は,正確ではありません.正確には,「この治療法には熟練していないので,もしも自分が行う場合は,極めて危険な手術法です.」となります.不幸にも,このような自分の技量を基準にして治療法を判断する主治医に遭遇された場合は,その主治医がそれぞれのスペシャリストに患者さんを紹介することは希と考えますので,患者さん自ら,積極的にセカンドオピニオンを申し出る必要があります.脳の手術を受け,大変な思いをするのは患者さんなのですから,何一つ遠慮することはありません.
 鞍結節髄膜腫の手術法に標準的な方法はありません.開頭法でも,正中からアプローチする脳外科医もいますし,こめかみの部分から斜めにアプローチする脳外科医もいます.それぞれの脳外科医に得意なアプローチがあり,皆が少しでも合併症を少なく手術をしようと切磋琢磨していると考えています.私も,以前は開頭術でこめかみの部分から手術する方法を得意としていました.しかし,この開頭術では,治療成績は他の脳外科医にひけを取りませんでしたが,どんなにがんばっても,視力の改善が得られない患者さんがおられます.このことで,開頭術に限界を感じ,まったく新しい考えで,視神経の減圧を最初にすることで,視力改善を最大限得る方法として,経鼻的な手術を開発しました.この方法は,現在,世界的に認知され,欧米では,急速に普及しつつあります.
 このことは,ちょうど私が医者になった約30年前の状況を思い出します.下垂体腺腫の手術は,現在では経鼻的な方法が標準治療ですが,30年前は開頭術が主流でした.当時は,腫瘍がある程度大きくて,視力障害のある患者さんでは,ほとんど全員が開頭手術を受けられておられました.主治医からの説明では,「経鼻的手術は,術野が狭いため,極めて危険である」との説明でした.当時は,インターネットなどの情報源やセカンドオピニオンなどのシステム以前に,インフォームドコンセントという言葉も普及していなかったため,主治医から,詳しい説明もなく,極めて危険な手術と言われて,その手術を希望される患者さんはいませんでした.しかし,現在では,経鼻的な方法は,開頭をした患者さんに比べて負担が少ないだけではなく,術後の視力の改善,合併症の少なさ,腫瘍の摘出度合いなど,ほとんどすべての点で優っていることが証明されるようになっています.このように,医学は常に進歩していますので,さらなる発展に貢献したいと考えております.