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HOME学術集会・教育集会その他の教育集会など 第1回 家庭医療後期研修プログラム構築のためのワークショップ(2005.10.15〜16) > 記録(テープ起こし)版・10月16日/後半

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日本家庭医療学会主催
第1回 家庭医療後期研修プログラム構築のためのワークショップ

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10月15日/前半
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10月16日/後半

◆ 期日 : 平成17年10月15日(土)〜16日(日)
◆ 場所 : 東京全共連ビル(東京永田町)
◆ 対象者 : 日本家庭医療学会理事(旧運営委員)、若手家庭医部会、現在家庭医療後期研修プログラムを運営している指導者、または将来立ち上げを計画している指導者(学会員に限る)

記録(テープ起こし)版 10月16日/後半
竹村 そろそろ始めさせていただく。今日、本当にお忙しいところ、東京大学医学教育国際協力研究センターの大西先生に来ていただき、ありがとうございました。早速ですが、大西先生のご講演を始めさせていただきたいと思う。
大西 パワーポイント資料)紹介いただきました大西と申します。元々は臨床医というか、今も臨床医と言っていいとは思っているが、平成4年に奈良医大を卒業して、天理よろづ病院というところに5年間研修医をした。佐賀医大の総合診療部に移って、天理というのは総合診療が生まれた場所であって、佐賀医大というのは国立大学の中で総合診療所が初めて出来た所。何かの歴史をたどっていったようなところで、必ず総合診療とか、総合内科とか、そういう風な名前を被せながらやってきたが、その中で患者さんの心理・社会的な側面をあまり考えないような医療を少しずつ垣間見るようなことがあって、それに反発をして心身医学的なものに一人で勝手にやってみたりとか、いろんなことをやってきた。とは言っても、自分は病院での医療を中心にしてきて、診療所というのは非常勤程度にしかやっていないということもあります。2000年から医学教育のことばかりやるような仕事にばかり段々シフトしてきて、そういう意味で臨床医としての経験というのが、かなり途切れたりしているので、今日はやや外部的な立場から、特にカリキュラムということに視点をあてて、その枠組みのお話をしたいという風に考えている。まず最初に、カリキュラムという言葉に対して対になるような意味で、潜在的カリキュラムというのを最初挙げてみた。例としてある指導医は、教室で患者医師関係の重要性を説いていたけれども、研修医Aは後に外来で患者さんに怒鳴っているのを観察した。大学病院の中では、時々実際に起こったりしていることだが、笑っている皆さんが大体気づいておられるように、ロールモデルをどう行動しているかは、おそらく学習者にとって行動に大きな影響を与えるだろうと。時に反面教師として働く場合もあるが、こういう風に本来のカリキュラムで教えようとしたこと以外に、学習者の学んでいる内容というのは少なくない。「では、本来のカリキュラムというのは何?」ということを考えていかなければいけない。潜在的カリキュラムという言葉自身ができてきて、社会医学的な教育現場の言及の中から出てきたのだが、対になる概念、顕在的カリキュラムという言葉が出てきた。これは指導者側が公式、非公式な教育場面で学習者に学んで欲しいと思っている内容と、いうようないい方ができると思う。公式な教育場面というのは、例えば診療所で教えたいということであれば診療所、あるいは病院でということであればそうだろうし、卒前であれば、教室あるいは実習室みたいなことなのかもしれない。ただ非公式なというのは、そういう風なカリキュラムが走っている時に、いろんな現場を見るとか、あるいは勝手に学生ボランティア活動をするとか、その中で学ぶことも一応顕在的カリキュラムの中に入っているというふうな言い方になる。ではカリキュラムとな何なのか。研修の場が決まっているとか、スケジュールが決まっている、例えば3ヶ月間何々病院の内科病棟へ行きましょうとか、あるいは小児科の外来で3ヶ月いましょうとか、そういったことがカリキュラムなのか。診療内容やその量、頻度、そういったことがカリキュラムと呼んでいいものかどうかということが問題になる。カリキュラムというものの再定義みたいなものが、この20〜30年ぐらいされるようになってきた。カリキュラムというのは、結局顕在的カリキュラムの所を考えると、学び取った内容、勝手に学び取っている内容も含めて考えると、学習者が学び取った内容全体がカリキュラムなのだと。でも、本来教育者側というのは意図しているのはこの顕在的カリキュラムの部分。ここはあまり意図していない。でも実際、学習者が学び取っている内容というのは、おそらく教えようとしている内容の半分とか、下手すれば3割。それぐらいであって、後は勝手に自分で振り返っているのか。あるいは今までの経験を生かして、自分では指導医が言うよりは、こういうふうにやった方が患者さんも上がりそうだよ、とそういう感覚みたいなものが、それぞれの人に根付いていくのだろうというふうに思う。こういったふうにカリキュラムというのは、スケジュールとか、教育方法だけではなくて、患者とのやり取りから研修医が学んでいくようなこととか、すべてを含んだ内容であると言う風に定義づけられる。これは従来のカリキュラム開発モデルということで、医学教育学会が出している教育のプロセスという一つの図である。これが和風というか、日本の固有のモデルかというと、おそらく元々はオーストラリアのファガルディー・ディブロップメントとかに、いろんな先生方が行って、その人たちが医学教育学会を作ってきたという歴史があるので、そういうところの提唱されたモデルなのかもしれない。骨格は教育目標を決めて方略、方略というのは方法とか資源だとかがあるが、教育方法の内容とかを併せ持ったような意味合い。それから向こうにある評価。この三つがぐるぐる回っている。この辺りのモデルというのは、実は産業界の質管理のモデルだとか、と似ている面がある。産業界だとプラン、ルー、シーとある。そういう風な非常に単純化したモデルがあって、ぐるぐる回す。そういうのはおそらくトヨタがモノづくりをする時に質管理をするというのと一緒であって。その辺はあまり変わっていない。では、この目標はどう立てるかと言うと、ニードから来るというような話は少し書いてあるが、その辺りが明確ではない。目標を目指すのが学習者で、教員というのはそれを援助する立場という風な図である。このモデルだと、一応目標、方略、評価というのは流れがない。方向が決まっていると。評価からもう一度目標を見直そうというようなことはあまり言っていない。だから目標をしっかり立てようということに、一生懸命なってしまいがちなモデルと言えるかもしれない。評価が目標に対してフィードバック情報、あるいはニードに対してフィードバック情報を与えるというところは良いと思う。昔の教育目標をどんどん細かく立てていくという考え方の中に、taxonomyという1950年代の考え方がある。教育目標を細分化していく、それから知識と技能とダイドという風な形に分けていく。それから知識も浅い知識からどんどん深い知識に上がっていくのを分類していく。そういう風な考え方ですね。そういうものと共に日本では医師国家試験があって、評価は信頼性が高くないといけないというふうな非常に根強い意識があって、どうしてもマルチブルズチョイスクエスチョンに対して強い依存性がある。これが日本のひとつの医学教育の特徴かもしれないなという風に思っている。だから各種認定医試験、専門医試験を見てもかなりの部分にこういうマルチブルズチョイスクエスチョンが入っていると。まさかそういう所で今、口頭試問だけでやっていることはなくて、医師国家試験や口頭試問の信頼性が低いと言って廃止したかのように、やはりそういう、より信頼性が高くて客観性があるようなものに対しての、憧れみたいなものが日本は強いのだろうという気がする。マルチブルズチョイスクエスチョンが重視されると、どうしても細かな知識が重視されて、高度認知領域と書いてあるが、ようするに問題解決ができるような理解とか深い知識ということが軽視されるし、態度領域も軽視されるというふうなことが挙げられる。それからOSCEが1994年川崎医大で始まって、日本にこの十年で急速に普及してきた。ところがこれに対して非常に批判が出てきた。恐らく表面的な技能をやって見せるといえば見せられるみたいな、そういう風なものが重視されるということに対しての現場からの強い批判なのか、と思っている。ここで大事なのは、態度変容が伴っていないようなコンピテンスは、実際の行動変容には繋がらない。さっきの潜在的カリキュラムのところで恐らく指導医の先生が大事なことは何か分かっているし、OSCEみたいな場でやれといわれたらできると。でも日頃の外来ではできないみたいなですね。そういうことが起きるのは、この辺のズレなのだと思う。目標分類というのは重要だが限界を知ることが言われていると思う。それから先ほどの目標分類というのは、卒前のカリキュラムで言ってきたわけだが、特に日本では臨床の教育のところでプログラムを作ったりとか、あるいは評価したり、この辺が立ち遅れている印象がある。ようやく臨床研修制度が始まって、こういうふうな目標が挙がっていると。行動目標というのは、本来、そういう行動として現れる内容というふうな意味で、医療人として基本的な態度というのを挙げている。経験目標としてこういうのが挙がっていると。行動目標の中にこういった6つのものがある(1.患者−医師関係 2.チーム医療 3.問題対応能力 4.安全管理 5.症例提示 6.医療の社会性)。この6つができれば一応良い医師になれると。2年間で良い医師を作ろうと、今、政府はしているというふうに言えると思う。例えば医療の社会性が行動として現れるとはどんなことか、という風に考えていくと、何なのか。どなたか意見はないですか?恐らく非常に難しいのだろうと。チーム医療、問題対応能力、こういうのはある程度見せることが出来るのかもしれないが、看護師さんとかに評価してもらったら出来るかもしれないが。非常にそういった意味では、まだまだプリミティブな印象がある。こういうのは世界的に今、言われているようなアウトカム基盤型のカリキュラム開発と合致するものなのかというと、少し疑問を持っている。これはカリキュラム開発の別のモデルということで、98年にカーンという人が書いた本の中に書かれてある。99年にカーンさんがこれは総合診療のアメリカの学会、ソサイエティ・オブ・ジェネラル・インター・メディスンの学会で、このモデルを使ってワークショップをやった。そのとき、私が出たが、この図とか、プロセスというのはわかりやすいなと思ったが、実際は中身に一個ずつ入っていこうとすると、非常に難しい。それぞれに対して一時間ずつぐらいかけて、一日で8時間かけてワークショップしたのだが、結局この図が6つあったなということを覚えているだけ。後は深いところへ入っていくと全然分からないというような印象を持った。これを深く理解したいと思って、この本を翻訳して、というのを昨日の何人か持っていただいているのを見たが、そういうことで少しずつ理解を深めていったという風な次第である。ただカリキュラム開発の方法論として、最近アウトカム基盤型というものが出てきた。教育目標基盤型というのがニーズに始まって、目標、方略、評価という方向に、方向を持っているとすれば、アウトカム基盤型のものというのは、教育アウトカムというのをまずイメージして、それから評価の項目を考えて目標や方略を立てようみたいな、そういう形。このアウトカム基盤型を医学教育でわりと提唱しているハーディン先生に言わせると、こっちがプロセス重視で、こちらがプロダクト重視なんだと。ようするにこちらの方のモデルだと、プロセスは非常に細かく定義はしている。でも、出来上がってきた医者を見たらあんまりいい医者になっていないと。ということでは、きっと問題があるのだろう、きっとここをあまりプロダクトをイメージしていないから、そういうことになるのではないのかという風な意見である。とは言っても、こちらだと教育目標はいい加減でいいのかとか、その実際に現場で教えるプロセスというのは、飛ばされていいのかというと、決してそういうわけではない。いずれは学習結果より担保可能かという風なことで、恐らく両方の視点を織り込んでいく。ただこちらを先にやった方がいい面もあるだろうという風な意味である。教育目標基盤型教育というのでいくと、まず医学生がいて、学習内容、学習方法、この合わせたものが方略だが、この方略のところを決めると。教育環境を整えていくと、最終的にある一人前の医師になる。それを淘汰してこんなもので良い。このぐらいの知識はマルチブルズチョイスクエステョンで答えてください、というふうなことで医師国家試験をやって、それで合格であれば医師になる。そういう構図である。後はどういう医師と名乗ってもいい、内科医は誰が名乗ってもいいという風な制度になっているわけである。学習内容、方法とアウトカムとして、例えば国民、社会が望んでいるアウトカムになっているのか、というと、疑問があるということであれば、何らかの見直しが必要と思う。一方でアウトカム基盤型教育というのは、まず最終目標としての医師長みたいなもの。昨日皆さんがスモルゴルフディスカッションでされたところが恐らくこれに当たると思うのだが、まずその医師像をみんなで共有しようというようなところから始める、これが大事なんだと思う。それで評価がどの辺りで下ったらいいのか、3年間の到達目標を明示して、それに対して評価みたいなものを考えて。それに対して教育環境を整えて、それを学習内容、学習方法に反映させていくと。いう風な形で少し方向性は違うが、中身は同じようなカリキュラムかもしれない。なぜこういうふうなものが強調されてきたのかという風なことは後で話すが、アウトカム基盤型の教育というのは、どういう例があるかというのを4つぐらいお話する。まず1998年に発表されたACGMEという6つのアウトカムのモデル。アウトカムプロジェクトに関しては、昨日、山田先生、葛西先生の方からいくつか資料がありました。昨日渡された中で、ツールボックスとか、ACGME competenciesというのがあったと思う。ツールボックスというのは、こういう風な表紙の分。TOOLBOX OF ASSESSMENT METHODS 。これとACGM competenciesこれは対になっている。こちらのcompetenciesの方は6つのこのアウトカムに対してそれぞれrequired skillというのがもうちょっと個別に別れたものが書かれていて、それに対してどういう風な評価メソッドがあるのかが一覧になっていて。1、2、3というふうに、1が一番お勧めで、2はちょっと劣るけれどもまあまあいい、という風な形で評価案が示されている。重要なのはプロフェッショナルイズムだとか場やシステムに応じた診療なんていう、非常にわけのわからなさそうな内容に関しても、きちっと評価ツールが作られているという点にある。その評価ツールの内容をもう少し詳しく書いたのがこの中にある。例えば360度評価というのは何なのか、ということが3ページ目ですか?とにかく評価の中の一番最初のところに360-degree evaluation instrumentこれを読んでもなかなか分かりにくいかもしれないが、そういう風にアメリカでは出来る限り定義していこうという動きがある。その次に出たのがIIME、institute for international Medical Educationが出した、7つのアウトカムのモデルである。これが一斉を風靡したのが・、国際的な医学教育のMinimum Essentialのようだということを言い出して、世界各国からいろんな批判が出た。うちはこんなの守れないとか、何かお前たち勝手に言っているだろうみたいな感じだったが、よく見ると結構よく出来ている。この四つ葉のクローバーみたいな絵だが、一つ一つが端っこのところが基本的なスキル、この真ん中のところがもうちょっと統合的なスキルを表しているといわれている。スキルだけじゃなく、能力。1つはPopulation Healthみたいな個別の患者に対してだけでなく、やはりシステムとか地域全体を見るように、そういう風な考え方がやはり入っている。さきほどと同じようにProfessional Values,Attitudesみたいな話も出てきている。恐らくこの辺が外せないところなのかなというふうな印象である。それからこれは医学教育で有名なダンディ大学のあるスコットランドで医学部長が集まって作ったというモデル。3つの輪のモデルと言っているが、真ん中のところはwhat’s the doctor is able tu doというところで割りと分かりやすい知識、スキルみたいなもの。メディカル・インフォマティックス、ペジシャント・マネンジメント、インペシトゲンション、クリニカルスキル、この2つめの真ん中のレイヤーはもうちょっと統合的な、ちょっと分かりにくい内容。例えばアディトゥードとか、エディカル・アンダスタンディング、それからここはデシジョンメイキングスキル、クリニカル・リージョント、ベーシック・ソーシャル・アンド・クリニカル・サイエンスみたいな、ちょっと統合的な内容が入っている。一番最後のこの外側はThe doctor as a professionalということで専門職として医師はどうあるべきか、医師の役割は何か、role of the doctorというのと、personal development生涯学習のスキル、あるいは態度、こういったところが重視されている。特に僕は一番外側である二つのところは重要だと思っている。これは全ての医師に重要だが、特に孤独にがんばるような家庭医にとっては重要なのかなと思っている。それからこれは一番新しいモデル、health profession Educationという本をアメリカ医学研究所が出している。これは医師だけじゃなくて、他のユーザーにも通用するような5つの非常にコアのcompetencieste、ここに患者中心のケアという言葉が出てくる。あとチーム医療、エピデンスに基づいた診療、質改善、情報の有効活用。こうなってくると医学的知識はどこに入っていくるのだと、どういう場で何を学んだらいいのかが、少し分かりにくいが、とにかく患者さんのニーズから派生したこと、何でも学べみたいな、そんな印象がある。当然、家庭医は成人が来ても小児が来ても高齢者が来ても、何にでも対応できる時には、色々な場でトレーニングした方がいいということになればそうなのだが、例えば僻地医療は分かりやすいみたいな話があったが、僻地に行けばどういう患者さんも来るから、そういうところで対応していくというのであれば、こういう風な考えで充分だったら、こういう風な印象がある。こういった4つのモデルを見ていただいて、アウトカム基盤型の特色としては、おそらくプロフェッショナルリズムとか、批判的志向とか、あるいは公衆衛生的な考え方、というような統合的な能力に焦点を当てるられというのが1つの特徴であると思う。また全体的なパフォーマンスに対しての評価というのがより重視されている、ということが挙げられる。これらをまとめると、こんな感じかなと。全般的な能力というのが医師にとって求められるような非常に曖昧な、というか患者中心の医療というのもこういったところに、乗っかってくると思うが、それを実践するためにはいろんなコンポーネントが必要になってくる。態度も必要だ。スキルも必要だ。知識というのも、当然ある程度深い知識がないとうまくいかないこともあるけれども、態度やスキルの全体として、例えば、非常に倫理観のある医師になりなさい、と色々倫理的なコンフリクトがどういう部分で生じるのかとか、そういう時にどういう風に考えたらいいのか、例えば4つの表現で分けて考えるような考え方だと分かりやすくなるなという風な知識はやはり持っていたほうがいいだろう。スキルについてもそうだ。一つの手技をやるにしても、当然介護学的なこととか、何をどういう順番で何を準備したらいいのか、そういったことも理解しておかないとスキルも発揮できない。そういうことを全般的に出来た上で、初めて全般的な能力が身につく。こういう風な意味でどんどん細分化していくといいのか、化学というのは細分化の学問だから医学が科学であるという立場に立つと、細分化したくなるのかもしれない。卒前ではモデル・コア・カリキュラムが2001年に立てられた。効率目標が1200以上ある。これはさっきの言い方をすると教育目標基盤型のカリキュラムであるという風になるけれども、本来1200の個別目標を、一個一個チェックリストをつけてこれは出来ているか、と見ていくべきだろうが、例えば両極端な二つの個別目標を持ってきた。一つは患者の完全自己決定権の意義を説明できる。深いですね。意義を説明できるか僕も自信はないけれども。かたや眼科領域、裂孔原性網膜はく離の症候診断と治療を説明できる。これは卒前であるし、臨床実習に入る前で4年ぐらいでこれはマスターしておかないといけない。自信ないですね。こういう風なことを言っていくと、統合的な領域に対しての評価が曖昧になる。結局、完全自己決定権を説明できるかどうかを、マルチブルズチョイスクエスチョンで問うことは、恐らく無理ですから、結局こういったことを評価しないままになる。では、そういったことをどうやっていけばいいかという風なことも、こういう家庭医療みたいな統合的な領域に関しては常に考えておかないといけないだろうと思う。こういった目標を作ると学習者の明確な指針になりうるかとか、患者の社会が納得するような教育に繋がるのか、といった問いかけを常にしておいた方がいいだろうと思う。なぜこのようなアウトカム基盤のものが重視され始めるようになったのかといえば、恐らく情報が膨大化して教育目標がどんどん細分化されたと。一時、1980年位、ブラウン大学でこんな分厚い個別目標一覧みたいな資料が出来たと。ブラウン大学で教員になったらそれはまず全部読むのかもしれないが。そういったことが起こると、結局それで教育が良くなるという風な実感が持てなくなる。それから社会からの期待が大きくなって説明責任が生じるようになったと。これがアウトカムですよ、と7つぐらいのものを見せられれば、割と患者さんや社会も分かりやすいと思うのだが、1200の個別目標を見せられても、「ああ、何か頑張ってるんですね」というぐらいしか分からないという感じになりがちだと思う。それから目標が学習目標と方法や概要、方略ですね。評価、常に一体化、合致していないと駄目だが、この辺もある程度見分けた方が分かりやすいだろうという考えになるし、皆さんが学習目標を常に理解しやすいアウトカムはこれだから、という風に意識しながら学習できるというのもある。そういう風にこれを理解しやすいということで、生涯学習にも繋がって連続性が理解しやすいだろうと。臨床前では何を最低限の知識として持っておいて、その後、臨床現場に出て行く時に、どのようなスキルに対して、知識、態度を身に付けていけばいいのか、というのが分かりやすいと思う。この辺から自分の思いを喋るが、まずひとつ昨日からの議論を聞いていて思ったのは、ジェネラリズムというところ。少し判断の順番が違うかもしれないが、恐らく僕が総合診療の領域に入って感じたのは、専門分化として断片化した医療へのアンチテーゼということで、この辺は山本あり先生が色々おっしゃっていたと思うが。この中にきっと捉え方が二つあって、一つは生物医学内での専門性への偏り方に対するアンチテーゼ、総合内科的な考え方。専門医に気遣った形でのジェネラリズムということになるのかなと。もう一つは生物医学と心理社会的な医学の間でのバランスが悪いということで、それに対して、より患者の全人性を考慮したジェネラリズムがあるだろうと。こっちばっかりになってくるときっと問題になるのだろうが、専門医にも気遣ったようなジェネラリズムというのがどうすればいいのか、というのは、きっと家庭医療にとっては難しいテーマかもしれない。この言ったことを考えた時に、おそらく家庭医療のバックボーンは行動科学にあるという話がアメリカでは出てくる。行動科学が何かというと、1949年にミラーさんが提唱したと。色々ややこしいことが書いているが、要するに社会医学系というか、社会学系というか、こういった色々な学問と、医学的な内容とを併せ持ったような、そういう一つの分野を作り上げましょうという風な考え方。なぜこれが行動科学なのか、という名づけの原因を知ったのでびっくりしたが、社会医学でも良かった、社会科学だったら問題だったのだろうが。ところがその時にソーシャルリズムというのは、アメリカでは最も敵対視する考えだった。だからソーシャルメディスンみたいな言い方は、絶対に許されなかった。だから当時はやっていた行動心理学の考えを用いて行動科学と呼ぶようになった。社会学系の内容であるということは、間違いないだろうと思う。それから患者中心という考え方、行動科学のカリキュラムを調べていて、こういうのに行き当たったが、Balintさんという方がいる。全人的な存在としての患者さんを重視して、心身医学とか行動変容を重視したと。Rogersのカウンセリング心理学の影響を受けて、こういう患者中心の考えに至ったことが書かれていた。こういうのをまたさらに発展させてロジェスタ大学のEngelさんが77年に生物心理社会モデルを作った。これが還元主義的な生物医学モデルに偏っている現代の医学教育、医療というのを、もうちょっと心理社会的な方向に引っ張ろうということ。そういう風なよいモデルがあるにも関わらず、現場ではあまり使われていないことの反省を、Sadleが指摘していて、なぜこれが使われていないのかという要因として、医師に時間的な制約があるとか、手技をなるべく使わないということに対してこだわりを持っている医師がいるとか、プロの満足感がないとか、そういうことを挙げている。生物心理社会モデルに、更に医師の専門職としての認識や倫理とか、実践的な側面を加えて、Biopsychosocial + 3 faces modelみたいなものを作ったと言われているが、こういう領域で3 facesが加わったことによって、更に健康科学に関しての法律だとか、ethicsだとか、哲学、informatics、communication theory、business managementといったところは全て新しい学問で重視されていると思うが、昔のBiopsychosocial モデルに加えてこういった辺りを議論するためには、こういう3 facesを加えた方が良い、というようなことを言っている。きっと患者中心の医療にもこういう考えがベースとして少し入っているのかなという風に思う。そういうことを色々考えつつ、カリキュラムを作ったら最終的にカリキュラムの評価みたいなことが大事になってくる。カリキュラムの評価の話もして欲しいように言われたが、カリキュラムが走っていないのに、評価の話をすると、絵にかいた餅になるかなと思って、一枚だけ用意してきた。結局、研修医がどのように育っていったかというのを指導医が評価する、指導医が研修医を評価するというのが基本になると思うが、それに対して研修医を評価するのは、医療スタッフや患者でもいいのではないか、という考えが出てきてもいいし、もうちょっと指導医の主観だけでなくて、客観試験、ポートフォリオを入れたほうがいいという考えもあると思う。また研修医自身も指導医を評価して、指導医が良い指導をしていたかというのもカリキュラム評価の重要な要素であるし、研修医が研修状況を色々な中身を見渡して評価することも大事。こういった全体をひっくるめてカリキュラム評価という風に呼べるのだろうと思うし、一個一個のコンポーネントを見て、どこを介在したらいいのかということが見えてくるのが、カリキュラム評価の基本だと思う。実際にカリキュラムを作ってみようというと、さっきの6つの輪のモデルであれば6つの項目を満たしていくことになるが、到底細かい一個、一個の話は出来ないので、非常にかいつまんで話をすると、まずニーズ評価をやると。ニーズ評価の基本というのは現状アプローチ、今何を現場でやっているかを考え、その次、理想的なアプローチ、どうあるべきか、という話をすると。この理想的なアプローチから現状アプローチを引き算すると差が出てきて、埋めるべき教育ニーズみたいな所が見えてくる。この考え方が基本である。現状アプローチ、理想的アプローチというのが、指導者側がどうやっているのかというのもあるし、研修医側が今どう感じているのかというのもあるし、社会や患者がどう感じているかという問題もある。そういうのを全部ひっくるめて教育ニーズというのを考える。教育ニーズが今度学習者側に認識されて受け入れられるものかどうかを検証していくと。ここは昨日やったようにある程度合意形成が基本になると思う。指揮者が意見を出しあって、この辺が妥当な線かな、ということがある程度決まってくる。それに対し、患者さんの代表のパネルとか、色々なところに話を持っていって、少しずつ広い範囲の人に理解してもらうということで、大体これがニーズだと打ち出す。それからアウトカムベーストのカリキュラム開発であれば、まずアウトカムによって目標を細分化して、細分化すれば良いかどうかというのは結局、知識、スキル、態度に分けたら教育方法や評価が明確化しやすいという風なところを狙うのか、文脈を損なってしまうことを考えると、あまり細かく分けてはいけないという風なところも大事になる。そういう視点で、例えば昨日、山田先生が作ってくれたモノは、患者中心の医療研修目標という資料があると思うが、非常に知識、技術、態度に関して細かく分けてくれている。こういう風に細かく分けていけばいい面もあるし、悪い面もあるだろうと思う。これに関して言いたいことは山ほどあるが、細かい話は言わない。ただ分けたほうがいいかどうか、というのはやはり教育の場のコンテクストとかを考えながら、やっていくタイプだと。分ければ分けるほどいいというわけでは決してないということ。それからアウトカムごと、目標ごとに用いる教育方法、評価方法を考える。ここで大事なのは、全般的な能力の評価、例えば予防医学的視点に立った患者教育のコミュニケーションの方法。こういった目標がアウトカムの中に例えばコミュニケーションが入っていてその中の付帯項目があったとしますよね。そうするとこの患者教育のコミュニケーションの方法というのは、挨拶ができるとか、共感的な対応ができるとか、そういうことに細かく分けていったら、分けられるのは分けられるが、実際に患者教育の場面をビデオ撮りをやって、振り返りでもすれば一発で評価できるわけだから、あまり細かく分けなくてもいいのかという印象も持つ。結局、患者教育のコミュニケーションの中に知識が当然ある。それから態度も大事であるし、スキルも大事だけれど、それぞれを併せ持って初めて全般的な能力になるわけだから、これはきっとプロが見ると、「こいつは出来ている」「こいつはこの辺りがまだ弱いな」とすぐ分かるわけである。だからそれはもう分けなくていいですよ、と。いう風なことがきっとこのようなアウトカム重視という中で、見えてくると思う。もうグループ討論はしない。こうやって目標とか方略、評価のところを見て行った時に、今度実施の問題が入ってくる。常に立てた目標、方略、評価が互いにずれていないかどうか確認しないといけないのだが、今度、実施段階で特に考慮すべき点としてリソースが不足していないかどうか、特に指導医が何から何まできっちり評価するみたいに言っていても、指導医の時間が全然なくて「ああ、もう出来ているからいいよ」みたいな感じで終わってしまったら、やはり非常にいい加減な評価になるかもしれない。それから色々な場面が出ているが、ステイクホルダ、利害関係者の中でコンフリクトが生じるということは、常に前もって予測をして、対策をうつということ。結局、実施段階では問題が明らかになれば目標を減らすとか、まとめるとか、ちょっとモジュライズするとか、そういった対策を常に考慮しなければいけない。評価を最終的に考えるということになると、恐らく卒後ではOSCEみたいなところではきっと実際に現場でやっているかどうか評価できないから、結局は直接の観察、或いはポートフォリオ、振り返りを通じた、そういったパフォーマンスに基づく評価にすべきだろうと。こういう所も前提条件としては大事だろうが、なるべく評価の神聖性をあげていった形で見た方がいい。
竹村 非常に素晴らしい講演をありがとうございました。せっかくの機会なので、時間もあまりないが、ご質問があったらどうぞ。
大西 なかなか完璧なカリキュラムというのは難しいし、実は非常に立派なものを書かれていても、現実として心理社会的なところが非常に抜かしてしまうとか、そういう所もしばしば指摘されている。僕自身がやっている振り返りというのが、例えばさっきのジェネラリズムの所だったりとか、あるいは生物心理社会モデルに立ち返って自分が生物医学に偏っているんじゃないか、心理社会的なことをきちんとやっているのかとか、そういう非常に単純化したモデルで考えてみた方がきっと振り返りやすいのかなと。生物医学と心理社会的な医学とバランスが取れていないのが、おそらくここにおられる先生方が一番気持悪いことというか、やってはならないことという、その辺りは共通認識としてもいいのではないかと思う。そういう所に常に立ち返れるようにしておけば、後は細かいことを色々どんどん記述をして、こんな課題が達成されたら、初めてその上の立派な項目が達成されると。患者教育の件もきっとそうかなと思う。
竹村 他に如何か。
山本 シラバスだけを見た時に、さっき言ったアウトカムのモノとこの前のモノとの違いは分かるのか?
大西 いや、カリキュラムを作る時のプロセスの問題なので、結果がこっちはアウトカムベース、こっちはフロスベースということではない。単なる哲学の違いみたいなもの。
山本 そうですか、わかりました。
大滝 今の話題について追加のコメント。行動目標を羅列する形のカリキュラム編成が研修会などで広く行われている。これを厳密にやると、出来上がるものはかなり細かくなる。taxonomy別に行動目標を立てようとするとそうなる。そして評価もその目標に対応させるということになっているので、項目数が膨大になる。行動目標基盤型のカリキュラムとアウトカム基盤型のカリキュラムで違いが出るとしたら、その点になるだろう。実際にはそこまで作りこんでいるのはあまりなくて、本当に作りこむと、先ほど紹介されたように1000ページもある膨大な量になって、読む気すらなくなるものが出来てしまう。
大西 恐らくカリキュラムを作っている人は理解できるのだが、カリキュラムを使う人が理解できないカリキュラムは意味がないということだと思う。
竹村 他にどうでしょうか。
山田 非常に重要な課題であるということを認識したが、今の医学教育でさえ、非常に混迷しているというのが、わりかし客観的認識だが、これから家庭医療のプログラムを作る中で、多分今までの医学教育以上のものにリメンジを増やしておかないと、今の評価じゃないが、家庭医療のカリキュラムを作る上ではもっと深い洞察というか、今での卒前教育以上にかなり評価も含めてかなり様々なことを考慮していかないと、医療ニーズに応えた医師をまさしく我々が望んでいる家庭医をなかなかプログラムの中に落とし込んでいけないかなと、これから大変な作業になってしまうのではないかと。これを聞いただけで出来るのか不安になっていたが、大西先生の方から助言として、そんなに教育学についてそこまで深く押さえなくても、例えば、次回にカリキュラムを作る作業をするが、こういうことはキーポイントとして押さえて欲しいとか、これを非常に重要視して考えて欲しいとか、あるいはこういう面でアウトカムを重視して欲しいとか、もう少し皆に分かりやすい示唆というか、サジェスチョンがもしあったらぜひお願いしたい。
大西 恐らく細かい話にいきなり持っていくというのは、絶対賢くなくて、まずアウトカムを非常に緩やかに決めてみる。その次にアウトカムを5つだったら5つでいいと。それを実現するためにどういうスケジュールで研修医にまわしてみようかなと。これは恐らく、皆さんに現実的な問題としてあると思う。3年間のスケジュールリングをやっていく中で、これで果たしてアウトカムを達成できるのかな、という風なものの見方をして、あるいは最終的な3年間を終わった時点でどういう評価をするのかということを考えて、そしたら、このアウトカムじゃまずいのかなとか。あるいはこのスケジュールリングだとちょっと不十分なのかな、というところが見えてくると。その辺りを大枠でバランスを取りながらやる方が賢いと思うのだが、この辺りですね。僕も浮間診療所に行ったりとか、生協病院に時々遊びに行ったりするが、その辺りは非常に藤沼先生が緩やかにしているような気がするが。ちょっと意見があればお願いしたい。
藤沼 大西先生にはいつも勉強させていただいている。例えば一人の研修医が育っているのかと評価する時に、例えば線のシナバスをずっと見ながらというのは無い。大体見たりとか話を聞いたりしていて、実は人間の脳って同時に処理できる能力は非常に限界があって、下手すると3つぐらいじゃないか。3つぐらいのモノを同時並行的に評価で頭に浮かべて見えるのは見えるけれど、10個とか20個のアウトカムを頭に並べておいて、全部見ながら評価するのは無理だという話で、実は本当に評価している所はとても少なくて、きっとこれが出来ないといけないというレベルとかは、凄く狭い範囲で想定してみているので、かなりの部分は実は許容出来るというか、相当幅の広いものだと思っているので、だから本当にさっき葛西先生がおっしゃったカンシュシュン(?)、あれは多分その通りだと思っているが、3つとか4つぐらいのレベルのアウトカムがあれば評価できるかなという気がしている。
大西 おそらくそういうところに、かなり本質があるのではないかと思う。
竹村 どうぞ
福士 横須賀の福士です。海外の例が紹介されたが、アウトカムをどのように設定されているのか。作成過程というか、もうちょっと詳しく教えていただきたいのと、後もうひとつは、アウトカムが言葉で出てくると、評価する部分が難しいところがあると思う。例えばプロフェッショナルリズムということを、どのように評価するか。それは●によって違うとか、この辺の所をどうされているのか。
大西 まず作成過程。あまり詳しいことは知らないが、やはりある程度の立場、ある程度の領域の代表者みたいな人が集まって合議しているのだろうということだと思う。IIMEという所は、世界から色々な医学・教育関係者が集まっている所だし、スコットランドの状況であれば、副部長が集まっている。日本でも医学部長、病院長会議で同じことをやっていただいてもいいじゃないかと思うけれど、それじゃきっと、という気もする。それからそれぞれの評価をしたり、細かいことに関しては、さっきのACGME Competenciesの表。実はそのイギリスの分とか、IMEの分とかで、僕も前の大学、マレーシアの時にカリキュラム改革をやった。プロフェッショナルリズムの評価をどうやろうかという議論をして、ではこの質問通りにやりましょう、というようなことを言ったらものすごく反発されて、あわててやめたこともあった。実際、結局細かく見ていくと、例えばPatient Careの1ページのところを見ていただくと、その中に色々なものがある。Caring and respectful befavor interviewing informed decision-makingみたいなことが書かれていて、あれ、インタビューとかinformed decision-makingという、いわゆるシアトデシオメイキングみたいなことですよね。インフォームド・コンセント。これってinterpersonal & Communicationって別にあったとか、重なりがあったりする。そういうことはさておいて、やはり一個一個の大きなアウトカムを評価しようとすると、それなりの要素に分けている。これがいわゆる行動目標みたいなところに当たるのかどうなのか、ちょっと微妙なところがあって、より臨床のコンテクストを重視したような分け方にはなっている。その中には色々な重なりがあっても結構容認されている。
山下 質問というか、今回学会のこういうプログラムの作成に当たって、我々がcompetenciesを挙げていく時は、アメリカでも同じ状況だと聞いたのだが、いわゆるACGMEのcompetenciesはどの医者でも持っていないといけないというのがcompetenciesだと思う。昨日からずっと言われている患者中心の医療は誰がやるかというような話に近いのかなと思って、やはり家庭医療学会がcompetenciesを挙げた場合は、そこはどうしてもオーバーラップしてしまうというか、僕も差別化で自分たちの存在意義を確定できない、藤沼先生に教えてもらって、なるほどと思っているが、ただこのぐらいの緩やかなcompetenciesを挙げて、これについてはきっちりやるんだという感じになるのか?先生も日本の家庭医療や総合医療を・・・。
大西 最初に言ったように少し外側からの立場から家庭医療を見ているという立場で今日お話している。それを考えるのは皆さんであって、僕ではないということ。こういう言い方をしたら突き放しているように思うかもしれないが、ただ僕自身は総合診療や家庭医療のコアという部分がやはり一番大事で、それは内科学会で教育に関する委員会みたいなものを立ち上げて、そういう活動、内科学会の中でやる立場になっている。全ての医者に対して大事なモノというのを吟味していくということで、問題はないのかなと、今までのその辺りの祖語というのは全くない。
竹村 では、その辺を議論をする時間が。時間がかなり押しているので、後でまた。大西先生のご講演はこれで。
竹村 我々に残された時間はあと45分で、昨日もしくは今朝色々と将来あるべきアウトカムについて皆さんに考えていただいたが、次回へ向けてという伏線ということでアウトカムを具現化、プログラムを作る場合にどういうことがうちでは不安になっていると。こんなこと喋ったら困るとか、不安なことを各グループで話をしていただいて。雛形は出来ました。アウトカムは出来てきました。でも具現化するにあたり不安を列挙していただいて、これ不安、これ不安ということを列挙していただいて、次回のワークショップに繋げていただきたい。20分ぐらいで不安を挙げていただいて、その後、5分ずつ発表していただいて、その後総合討議ということにしたいと思う。
竹村 出来たところからどうぞ。グループ名、名前を書いてください。
竹村 どなたかコメント、質問があったら。じゃ次。
竹村 次お願いします。
?(女性) Aグループです。昨日に引き続き、少なくまとめてみた。一つ目に研修医のidentityをどう保てるのか。Drop outしてしまう人をいかに防ぐことができるのかという問題。それから初期研修が必修化になって名目上は皆同じような一通りの研修を受けてきていることになっているが、実際その内容はバラバラで、名前として逆にこういうのを受けてきました、となっているために、余計実際にはバラツキがあるのではないかということ。それからお金の問題。研修医を雇うお金がどこから来るのか、どうすればいいのか、経営がうまくいくのかどうかということ、それから指導医を含むスタッフのFD、後は他科研修に行った時に、他科の方から求められる研修ではなくて、こちらがしたい研修はできるのかどうかということ。指導医が指導する時間が実際にあるのかどうか。また、研修する人をどのように確保するか。これは学生だったり、初期研修だったりしている間に、本当にその家庭医になりたいという人が残ってくるとか、生まれてくるのかどうか。そういう人たちにどうやってこういう研修があるということをアピールするか、といったことが挙げられた。
竹村 では最後のグループ。
原高 Cグループです。愛媛生協病院の原です。Cグループは更にコンパクトにしてみました。まず生々しい話から始まったのですが、『経済的な問題』がまず挙がりました。一つの施設で修了することは難しいのではないかということから、多施設でやる場合は給料をどこが持つのかというところ。研修をお願いする側の立場の施設が全部出すのか、といった経済経営の問題が大きな不安材料として挙げられました。それから『指導医のマンパワー』時間がないという現場の悲鳴とも似たような言葉が出てきました。『ナース、スタッフの理解』研修のために半日外に行ってこいという時に、忙しいなかで半日不在にする現実と、研修としてしっかりと理解を得られるかという不安。そして『研修と労働の葛藤』というのは、後期研修という研修の名がつくため、研修医としては、自分は研修をしている立場というであり、労働力ではないという発想であったり、もっと厳しく言えば甘えに似たようなものが指摘できるという意見です。しかし、働いてもらわなくてはいけない。最後に問題になったのは、『評価は難しい』ということ。多角的な評価を求められていますが、できればチェックリストや、標準化された試験などがフォーマットとしてあると、各施設でそれぞれが準備するより、非常に便利で共有できるのではないでしょうか。全体のレベルも標準化ができるのではないかと思われます。
竹村 質問とかございませんか?藤沼先生。
藤沼 最後、評価のところだが、大西先生に手伝ってもらいたいと思っているのだが、学会のイントレーニング・アセスメントを全国規模というか、年に1回、登録しているレジデントを全員集めて、OSCEでもいいので、アセスメントの評価を学会としてやると、それだけでも形成的な評価だが、基本的には。そういうことをぜひ提案したい。
竹村 全体討論に移らせていただく。次回プログラムの内容を具体的に語るわけだが、その問題点を色々挙げていただいた。皆の中で共有していきたい話題があれば、ぜひここで。どんなことでもどうぞ。
藤沼 今からプログラムを作る上でのタイムスケジュールを示していただくと。いつ頃完成するのか、ということをはっきりと明示した方が。もう一つは、指導施設あるいは教育の経験のある指導者が大体何名ぐらいいて、どれぐらいの施設が、そこに参加できるのか、ということも先に調べて。そういった指導者の教育も同時に行う必要がある。そこが一番苦労するところだろう。プログラムは簡単にできる。人をどうするか。
山田 まだ明確なタイムスケジュールは出来ていないが、とりあえず学会でスタンダードとするプログラムの作成を次回の2回目のワークショップ、11月19、20日の時にやると。まだ第3回目が決まっていないが、1月、年明けてから。その時に評価と認定。だから家庭医療学会で個々のプログラムを認定する際にどういったミニマムリクライメントというか、どのような外形評価をするか。それを満たしたプログラムにどうやって認定するか。プログラム評価と認定の方法についてそういうディスカッションをしよう、とそういった方向性が出た上で。そうはいっても、まだどこのプログラムを家庭医療学会が認定して始めたことを新しい年度でスタートするのは難しいのではないか。できるだけ今のところ各プログラムで、もし来年も家庭医療のプログラムをスタートする、やっているところもあるだろうが、一応家庭医療学会に認定申請中という、そういう表記をしてもらうとか、あるいはそういったことで同時平行でやっていかざるを得ないのではないかと思っている。だからどの段階で評価とか認定とか、家庭医療学会としてプログラム認定できるかは、まだちょっとスケジュール的には厳しいかなと。実はそれを早くとせっつかれていて、もちろんプログラムディレクターの方はそうだと思うし、あるいは他学会との今後の歩み寄りということもあるので、単独で、家庭医療学会だけでプログラム認定のことに関してはできるだけリーダーシップを取らせてあげてくださいと、他の2学会には言ってあるので、おそらく合意は取れると思う。それも実はセミナーのある11月に、3学会の合同で一応今の進捗状況を報告して、今後どうするか話し合いを持つ予定。そういった意味で後このワークショップも3回やって、4回目に公開シンポジウムみたいなことをやって、利害がある程度関係する団体からも入っていただいて、いわゆる患者団体の人たちにも入っていただいて、そういうこともやろうと思うと、ちょっと走りすぎてプログラム認定を前倒しでやってしまうのは慎重であった方がいいかなと思うので、それは状況に合わせて提案をしていくので。プログラムを実際に走らせる人たちは家庭医療学会に公認プログラム申請中とでも書いてもらっておいて、始めてもらうと思う。
竹村 他にどうか。では、皆さんお疲れ様でした。非常に建設的なご意見等あって、今回、家庭医療後期研修プログラムの認定に向けて、少なくとも我々が求めている目標みたいなものがぼんやりとわかってきたという状態だと思う。次回、プログラムの内容ということで、皆さんに参加していただきたいと思う。最後に会長の山田先生の方から挨拶をいただきたいと思うのでよろしくお願いします。
山田 どうも二日間お疲れさまでした。おかげさまで皆さんの熱心なトークで、とりあえずプログラム、後期研修プログラムを作っていくというムードは充分できたのではないかと。コンセンサスを言ったり、スケープフォルダーの調整というのは、なかなか難しいかもしれないが、大体今回やったことをHP上で公開したいと思うが、まとめて、基本線ではこういった家庭医を育てるのだと、次世代を担う家庭医は、我々家庭医療学会ではこう考えているといったことをHP上で公開したいと。今日、集まっていただいた先生方が第2回もぜひ継続して関わっていただいて、ゆくゆくはその中でプログラムディレクターの会を形成していけたらと思うので、できるだけこの会も含めて家庭医療学会でこういった活動しているのは、社会に対してすべて公開してオープンに、細かい議論まで含めて公開する予定なので、ぜひ後からご意見があれば直接メールでもいいし、もう少しこのメンバーが固まってくればメーリングリストを作って討議するような機会も作りたいと思うのでぜひご協力いただきたいと思う。さきほどお話した通り、次回は11月19日、20日で、今回集まっていただいた方をぜひ優先して参加していただいて、人数上は上限50人かそこら。次回は先ほどご案内したアメリカでの実際の認定しているやり方であるとか、実際のマテリアルもしてもらって参加しようと思っているので、ぜひ期待して土日来ていただき、実りのある会にしたい。ぜひご協力いただきたい。よろしくお願いします。

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