脳外科医 澤村豊のホームページ

様々な脳腫瘍や脳神経の病気について説明しています。

脳外科医の経験とは

脳神経外科医の経験とは何かについて記述中です。

2024年のオリンピックの季節になりました 脳神経外科医をめぐる問題はこのページを書き始めた20年前となーーんにも変わっていません!(◎_◎;)

外科医が,遺伝子解析を主とした基礎研究や電気生理学の研究を何年もしても,何にも世界に通用するものは生み出せないということは,40年も前から判っていたのですが,大学では「研究」と称して,若者の貴重な時間をすり減らし続けています もったいない

欧米ではこれはPh.D.という基礎系科学者がすることであり,もし外科医がそれを続ければ患者さんからは完全にそっぽを向かれます,手術の勉強と経験はいつ研鑽しとんじゃ!

だから執刀医として優れた脳神経外科医は教育機関に残れないし,日本の脳神経外科医は絶対的に手術経験が足りません


2018年12月 NHKの報道, 国の「医師の働き方改革に関する検討会」が,「時間外労働の上限について、医師不足の地域などで年間1,920時間、月の平均に換算すると160時間まで認める方向」で、厚生労働省が調整を進めているそうです !(◎_◎;)

1日あたり8時間の時間外勤務ですから,月曜から金曜まで毎日16時間労働で達成できます ヾ(^▽^)ノ やった〜ー

通勤に1時間使って,食事に1時間使うと,お風呂と着替え,トイレなどなど2時間,残りは4時間——–寝れる!!!!

2019年2月さらに,2,000時間という報道も (*^◯^*)


世界統計のほんとのお話です
2018年の人口比で,日本の病院の数,ベッド数,脳外科施設の数,CT/MRIの数,脳外科医の数,は世界でだんとつ一位 w(゜o゜)w, ダーーントツ 第1位です,トップ,ぶっちぎりーー

それでも脳外科医の数が足りないって言う教授が多い,どういうこっちゃ ((o(б_б;)o))

猿でも分かる解答は,脳外科「施設」の数が多すぎて,偏在している

脳外科施設の数が多すぎる,そこには患者さんが足りない,執刀医としての脳外科医があまっているから,「執刀経験」が不足する,だから手術技術が未熟かもしれないということを患者さんはよく考えてください

歯医者さんと同じで施設数が多すぎて,どこへ行ったらいいいのかわからないーー,歯科ならまちがっても奥歯が一本で済むけど,脳外科は「脳みそ」を失います

一方で,このままでは,執刀医になりたい若い脳神経外科医の行く先には,蒼いクレパスがまっています,でも日本人の性質として,彼らはまっすぐ前を向いてのみ歩きます



北見赤十字病院,オホーツク全域をカバーする最大の病院で,ヘリポートもあります

北見市を中心とするオホーツク管内の面積は,新潟県と同じ広さです,そこに脳神経外科医がいないという事態になってきています,2016年春にお手伝いに行った時,私と同年代の脳外科医が赤十字病院で一人で奮闘していました

一方,札幌市では巨大な脳神経外科病院が乱立して,過当競争のなか,どうなるんだろうといくらい脳外科医が有り余っています



障害をさけられず生き延びた子どもたち CCS と,つきあって四半世紀が経ちます。20年にあまる外来の果てない会話はもう忘れています

ささやかに生きて,幸せを感じている者も,20年経ち,今なお晩期合併症で倒れる者らもいます

いまさらながらですが,初期治療を考えるときに,CCSの遠い歳月ということも想像してみるべきなのかもしれません,脳腫瘍の子をオールがない舟に乗せないように

sparrow


NHKの報道陣の助力もあり,ようやくのことで,小児がんの拠点病院ができました,でも,病気の小さな子どもたちに、光のある未来を残すために、何かをしようという努力は,がちがちの学閥既存権と学会権威という壁にむかって潰えそうです


社会保障財政の将来をみれば,皆保健制度の堤が壊れようとしています

医学をめざす若者の志は薄羽蜉蝣のようになり,ただただ,職業的安定のために医学部に入る (>_<) しかも学費が超高い

先送り社会保障の終焉を,いま目の当たりにして,私たち医療者には何ができるのでしょう,とにかく明らかなことは,庶民の医療に使うお金が無くなるということです。

答えは簡単,一円もお金のかからない医学知識を頭の中に貯え,医療技術の腕を磨くことです,そして,ついに無料低額診療もゆるされる時となりました (ほんとです)

高価な検査も医療器機も薬剤も使わない,鍛えた頭と屈強な体だけで治す,社会保障医療財政なんか破綻しても,日本の市井の医師の頭と腕は世界のどこにも負けない
無料ーーータダ——–


30年ほど前の1982年,私は北海道大学病院脳神経外科病棟に勤務していました。

春の日,モヤモヤ病の若い患者さんの受けもち医だったときのことです。バイパス手術というのをするのですが,北大病院では成功したことがありませんでした。そこで,ラガーマンの先輩に,聞いてみました,「北大では手術できないのですから,大阪の国立循環器センターへ患者さんをお願いした方がいいのではないでしょうか?」 ーーー してはならない質問だったようで ーー した。

次の受け持ち患者さんが,頭蓋咽頭腫でした。当時,北大では頭蓋咽頭腫の患者さんが手術を受けて,生存してお家へ帰るということは,ほとんどありませんでした。「どうして患者さんを手術室に連れて行くのだろう?」と考えていましたが、先輩医師は,疑問に思っていなかったような気がします。

あとあと何年もかかって,理由を考えてみました。実直な先輩医師は,「難しい患者さんだから,みんなで一生懸命がんばって,手術しよう」とチームワーク医療に萌えていたのだと思いました。あの頃,手術後の患者さんをみてからアパートに帰宅して,深夜に苦悶していたことを覚えています。

こんなことはもうほとんどないのですが,医療行為のほんの一部では,みんなで、力を合わせて,精一杯、チームでがんばってはいけないこともあります。


この2年間,名古屋赤十字病院,和歌山赤十字病院,越谷市民病院,豊橋市民病院,(大学名略—-),など,など,など,たくさんの脳外科の先生と一緒に手術する機会がありました。

中堅の医師がつぶやきます,昨日から一睡もしてませんから,先生の手術を手伝えませんでした,申し訳ありません。 若い研修医が言います,昨日からぶっ続けで,手術してて,何も食ってません,救急車なりっぱなしです。 若い女医さんが言います,部長,三日も家に帰っていません —-

救急医療の前線を担っている脳外科医に敬意を表します ∠(・`_´・ ) 若い者の心象に,日本の脳外科の未来はあります。私の会った,懸命さにおいては,尊敬に値する若い脳外科医の将来を念います。

20代後半で2年の臨床研修をおえて,脳外科医になって,専門医6年間の修行,ある人はさらに大学院4年間,開頭手術を自力でできるのはやっと40歳くらい,ベテランとなる50代で,そのうちの5人に一人くらいしか手術をしていないかもしれない—

globalな外科技術伝承という観点からすれば,日本の脳外科医の師弟は,ガラパゴス・ペンギンなのかも,知らなければそれですむことですが。

できるのであれば,現状よりもっと早く,執刀医としての自立ができるように,自分の歩む道を選んでください。熟練した脳外科医の余命はとても短いです。


私は,北大病院脳外科の医局というところに入局(就職みたいなもの)して,北大病院の正職員として長く勤続しました。その間,無給だったことも,研究生として逆にお金を納めて研究していたこともあり,当直料や超過勤務手当などつかない期間が長くありました。何よりもまして過労死という言葉が理解できる立場にいましたーー。 いただいた退職金は,9,619,173円でした (-_-)。。 一方で,2011年厚生労働省の調べた開業医の平均年収は,27,550,000円だそうです w(゚o゚)w

医師の年収がむやみに高いことが良いことではありません。でも,卒業間近の医学生や若い研修医の先生はよくよく考えて下さい。もちろん医師という仕事は尊い職業です。でも労働時間の観点から,自分自身と家族の生活の質も大切にした選択をしなければなりません。計算のできる方であれば,大学以外との生涯給与の差も大きいことに気づかれると思います。

私は大学病院を否定しているのではなくて,とても充実した生活をさせていただいたと,ほんとに感謝しています。働きがいのある職場です。でも,将来の大学病院に人材を残すためには待遇の改善が必須です,でもそれは,金銭ではありません。

一方で,医局から医師を派遣して地方の病院を支えるというシステムが,これからも可能でしょうか? かつてのように大学医学部に医師を集めて,医局という何らの法的根拠を持たない封建的な権力組織が,地域の医師の適正配置の中心を担うなどということは幻想です。

この格差の是正には,自由開業制度という日本の医療の根源に触れなければならないのかもしれません。


2007年5月の朝刊に,ある著名な脳外科医からの投稿のようなものが載っていました。公立病院に勤務する医師です。

記事によれば,「日常的な長い勤務,緊張の連続,体にメスを入れる行為はもともと危険で訴訟と逮捕の危険,医学部を卒業してからの訓練期間が長い,さらに腕を上げるためには10年以上もの下積み期間がある」

「しかし,それに見合う報酬ではない,がんばって手術数を増やして病院に貢献しても医師が忙しくなるだけで自分の収入は変わらない,手術できる40歳の医長でも大学では時給にすれば2200円程度」とのことです (・_・、)

「40代までは手術がうまくなりたいとがんばる。でも,その後に,何の見返りもないことに気づく。のんびり暮らした方がまし,と手術室から立ち去る。やがて,日本国内では手術ができなくなる。」とも書かれていました w(゚o゚)w

恐いことに私はこの記事に共感します(No Country for Young Neurosurgeons, cited form Dr. Kathryn Ko 2017)

50歳をすぎたくらいで,公立病院の一線から引いてしまったりっぱな脳外科医を知っています。残念です。この記事に書いてあるとおり,40代まではがんばる,それを越えて踏みとどまることできないのが,現実かもしれません。

病院も患者さん側も,なぜ彼らをもっと大切にできなかったのでしょう。積み上げられた外科医の経験と技術は,とてもたいせつな国民の財産ともいえるものです。国がお金をかけて,患者さんは体をはって,十数年かけてそれを育てたということ,目には見えないけれども何にも代えがたい医療技術であることが,認識されていないのかもしれません。また,熟練した外科医に残された臨床医としての命は,とても短いです。

ちなみに,すぐれた最新鋭の医療機器はお金さえあればすぐに買えます。

この命題を考えると,逆に,モラルハザードという言葉が頭の隅をよぎります。次に予想されるエリートの倫理観の崩壊と堕落です。

私の周りにいる多くの研修医は,とてもまじめで熱意があって,一般の方にはおそらく想像もできないくらいの長時間労働と勉強と緊張に誠実に耐えています。やりがいとか達成感とか充実感とか使命感とか義務感とかを,まだ,信じていて,あとに続く若者はいるのですが。


2005年9月のある日,若い研修医にいわれました「今日のような手術が成功したら達成感があるでしょうね!」彼は瞳の光っている外科医です。 そうなのかな?と思って聞きました。

人の体を切ることは医療者にとって最後の手段なのですが,どうして私がこんなことをしているのか理屈の外にいて手術をしていると,追い詰められた感覚に捕らわれます。

夜遅くですが,幸い手術を終えることができました。でも,やり場のない疲労感のみが残り,家に帰っても眠ることはできません。

次の日に,その子の術後回診をしなければならないのですが,病室に行く足はいつものように重いのです。言われたような達成感を努力して想像しようとしたのですが,そうはできず,つらそうな患児の顔をまともに見ることができません。

看護士さんから恐い顔をしているといわれます。いつの日からこんな風になったのかは,不明です(-_-)。。。

彼が私と同じような年齢の外科医になった時,どのような笑顔で術後の患者さんを見つめるのでしょう。彼のいう達成感が彼の頭の中をよぎり,彼の疲労をぬぐい去ってくれることを祈ります。

外科医の神様がいるのならば,その時も彼の瞳が光っていますように,再度,お祈り_(._.)_



写真は第24回日本脳腫瘍学会がお世話になった阿寒観光協会の提供です。阿寒はきれいですね(^O^)

2005年3月31日の朝日新聞に,「揺らぐ専門医!」「基本的な知識や技術力が不足していた」「心もとない知識・技術」「外科医未術と指摘」「養成システム改革急務」と見出しが出ていました。何ともこれを書かれては,私も専門性の高い外科医としてやるせない気持ちになります(;_;)

さらにこの記事は続けます「外科医としての技量の維持にはなるべく多くの手術をすることが望ましい。医師数が多いと1人あたりの手術数が少なくなる。研修病院を減らし、専門医の認定要件を厳しくして数をしぼるしかない。」

そんなことは心臓血管外科専門医の分野だけではなく,脳神経外科の領域でも20年も前から分かっていることなのです。

欧米やアジアの多くの国では,専門性の高い外科手術を担う専門医の数を厳しく制限しています。でも今までも,これからも日本では制度的にそれをしていないし,する予定がない。ですから若い専門医や研修医の責任でもなんでもないのです。若い外科医がそれを自覚していて焦る気持ちが何かを起こすような気もします。

誰がこのような状態にしたのでしょうか? また誰がこのような現状をこれからもこのまま放っておこうとしているのでしょうか? マスコミの指摘しているような専門性の高い外科医の数が無用に多いこと自体を変わらない夢として求めている人がいるのでしょうか?

当面何も変わらないし,変えようとしても20年くらいかかるでしょうから,マスメディアがこれ以上この問題を取り上げないことを願っています。批判の対象になるのは経験が浅いとされる若い外科医のみでしょう(>_<)

では患者さんはどうしたらいいのでしょう。これは医師の側からの価値観とは全く違う観点になります。

とても単純に考えれば,かの新聞が答えを出しているのです。「外科医としての技量の維持にはなるべく多くの手術をすることが望ましい。」ならば,経験をたくさん積んだ外科医を捜せばいいのです。

一方で雑誌と新聞は「いい病院」を伝えます。「いい病院」はたぶん良いのでしょう。でもちょっと待って下さい。医療記事で批判の対象になるのも多くは有名な大病院です。でもそこにはたくさんの外科医がいて彼らメディアのいう「いい病院」に良い外科医はいるのでしょうか?

ではもう一つの観点、経験のある外科医当人にとっての「経験」とは何でしょう。たくさん経験して手術の技術が高度に磨き上げられるばかりではありません。

私にとって経験という日本語が連想させることは,患者さんと患者さんの家族との辛い思い出ばかりで,なぜか嬉しいことはこれっぽっちも残っていません。おそらく私は,そういう意味での経験の深い外科医の一人ですが,外科医がさらに経験を積むという重みを耐えるのにはとても体力が要ります。

外科医の深くてつらい経験は正しい情報として世の中に出ることはありません。テレビを見ていて有名だとされる外科医をみるにつけいつもそう思います。Dr.コトーも結局は美しい思い出をたくさん残せる人で,そんな外科医は現実にはいないのであってーー。


米国神経外科学会によれば,2011年に米国では 2,296,331件の手術処置 procedures が行われました,一人の神経外科医あたり年に280件で,約8,000人の脳外科医によって執刀されました。4人いれば年間1,000件になります。

2012年、日本には7,111人の脳神経外科専門医がいて,研修医などもあわせれば少なくとも8,000人の脳神経外科医がいますから,日本人だけでアメリカ全土をカバーできる
w(゚o゚)w オオー!

また書き換えたり書き加えてみる予定です(^_^)

付録:1999年の日本脳神経外科学会(クリック)で私はこんな発言をしたことがあります。

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