日本小児遺伝学会理事会から学会員の皆様へのお知らせ
小児遺伝学の診療・研究に深く関係する二つの事項(日本医学会のガイドラインとマイクロアレイ染色体検査)について,理事会の考え方をお知らせ致します.日常の診療および研究活動に役立てていただきたいと思います.
1.日本医学会「医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン」について
日本医学会は2011年2月に標記ガイドラインを日本医学会のホームページで公表しました.このガイドラインは,すでに公表されていた遺伝関連10学会の「遺伝学的検査に関するガイドライン」をすべての診療科にも役立てられるように改定したものです.このガイドラインには,診療において,遺伝学的検査・診断を実施する際に留意すべき基本的事項と原則が記載されており,日本小児遺伝学会会員も本ガイドラインを遵守する必要がありますので,是非ご一読下さい。
このガイドラインでは,「すでに発症している患者を対象に行う場合」と「その時点では,患者ではない方を対象に行われる場合(非発症保因者診断,発症前診断,出生前診断,等)」とを明確に分けて留意点が記載されています.
「患者を対象に行われる遺伝学的検査」は,その臨床的有用性が高い場合に,主治医の責任で,通常の診療の流れの中で実施すると記載されています.
日本小児遺伝学会理事会としては,臨床的有用性の評価には,英国の国の保険である National Health Serviceで支払いを認めている疾患リストが参考になると考えています.
「その時点では,患者ではない方を対象に行われる遺伝学的検査(非発症保因者診断,発症前診断,出生前診断,等)」は,遺伝医療の専門家による遺伝カウンセリングを行い,問題解決の選択肢の一つとして遺伝学的検査を位置づけ,検査を行った場合のベネフィット,デメリット,検査を行わなかった場合のベネフィット,デメリット,および検査を行う時期の適切性などを遺伝医療チームで十分考慮してから,実施する必要があるとされています.
診療における遺伝学的検査実施時の説明文書としては,下記の文書を参考にされるとよいと思います.
- 京都大学医の倫理委員会のHPで公表されている臨床的遺伝子診断の際に用いられている書式
- 厚生労働省成育疾患克服等次世代育成基盤研究事業「小児先天性疾患および難治性疾患における臨床的遺伝子診断の基盤整備に関する研究班」のHPで公表している同意書
このガイドラインでは,遺伝情報の特性を十分に理解し,遺伝学的検査・診断を実施することが,最も重要視されています.そのために,各診療科の医師自身が遺伝医学に関する十分な理解と知識および経験を持つ必要があるとされています.
全国遺伝子医療部門連絡会議と日本人類遺伝学会は,遺伝医学の生涯研修の一環として,遺伝医学系統講義e-learning を開始しました.全国遺伝子医療部門連絡会議のホームページからアクセスし,必要事項を登録すれば,1回45分,計18回の遺伝医学系統講義を無料で視聴することができますので,生涯研修の一つとして利用されることをお勧めします.
2.マイクロアレイ染色体検査(cytogenetic microarray)の臨床応用について
先天異常症候群の診断を目的としたマイクロアレイ染色体検査がわが国でも診療の場で用いることができるようになりつつあります.この検査は,微細なゲノムコピー数異常を伴う染色体不均衡型構造異常に起因する先天異常症候群の診断に極めて有用な方法ですが,不適切に実施された場合には,種々の問題を生じさせる可能性があります.本検査の実施に際しては,下記に述べる事柄を十分に理解した上で実施していただきたいと考えています.
マイクロアレイ染色体検査とは
既知の配列のクローン化DNAやオリゴクヌレオチドDNAをプリントして作製したマイクロアレイ上でハイブリダイゼーションを行い,試料ゲノム中の微細なレベルの欠失や重複などのコピー数変化を検出する技術です.当初は,BAC/PACクローンをプリントしたマイクロアレイ上で試料ゲノムとリファレンスゲノムを競合的にハイブリダイズするアレイCGH法として細胞遺伝学の研究室レベルで開発されましたが,近年では遺伝子解析関連企業の参入によりクローン化DNAに代えてオリゴクヌレオチドを使用することで高密度化が図られ,さらに専用ソフトウェアの使用によりSNPをタイピングするアレイでのコピー数の検出も可能となり急速に普及してきました.
基本的にゲノムの各領域は1番から22番の染色体までそれぞれ 2コピーずつ存在しています.すなわち常染色体には父由来1コピー,母由来1コピーで計2コピーが存在します.X染色体は女性では2コピー,男性では1コピー存在し,Y染色体は女性では0コピー,男性では1コピー存在します(偽常染色体領域はXYで共通).本来2コピー有るべき領域について,「欠失」が有る場合には1コピーとなり,「重複」がある場合には3コピーとなります.マイクロアレイ染色体検査法を用いることにより,全染色体上の数万から数百万箇所におけるコピー数を同時に測定する事が可能となります.
マイクロアレイ染色体検査が小児遺伝領域に及ぼすインパクト
多発奇形に発達遅滞を伴うなどの臨床症状から先天異常症候群が疑われるものの,臨床的に確定診断が付けられないときは,まずGバンド染色体検査が行われることが一般的でした.先天異常患者におけるGバンド染色体検査の異常検出率は3〜4%程度とされていますが,マイクロアレイ染色体検査はGバンド染色体検査の少なくとも10倍以上の解像力を有しており,コピー数異常の検出率は15〜20%と考えられています.本法を用いて従来,診断が困難であった多くの症例の確定診断がなされることにより,患者へ適切な診療やフォローアップへつなげることができるようになるだけでなく,疾患や病態の原因となる責任遺伝子の特定や同じ遺伝要因をもつ症例の蓄積により,新たな研究の進展,および新しい医療の展開が期待されます.
マイクロアレイ染色体検査の限界
マイクロアレイ染色体検査は従来のGバンド染色体検査に比較して極めて解像度の高い検査ですが,検査の利用に関しては下記の点に注意しなければなりません.
- 均衡型構造異常(相互転座,逆位など)は検出できない.
- ゲノムコピー数異常に伴う染色体構成が確認できない.
コピー数減少が検出された際に,単純な欠失か不均衡転座等に伴う欠失かの区別ができません.またコピー数増加が検出された際にも,同一領域の縦列重複なのか,他の染色体部位に挿入,あるいは端部に付加したものなのかが特定できません.そのため,マイクロアレイ染色体検査でコピー数異常が検出された際には,患者および/あるいは両親について当該領域にマッピングされるクローンDNAをプローブとしたmetaphase FISH解析等を追加し,染色体異常として総合的に解釈することが必要となります. - 原則として多倍体の検出が困難である.
- 低頻度モザイクの検出が困難である.
- 検出されたコピー数異常の解釈が困難である場合がある.
Copy number variations(CNVs)*が検出されたとき,病的意義がある場合(disease causing CNVs/pathogenic CNVs)と正常多型と考えられ病的要因である可能性が低い場合(normal CNVs, benign CNVs)があります.両者の区別のために両親の検査が有用である場合があります.すなわち,両親に無い場合(de novo)にはdisease causingである可能性が高いと考えられますが,両親のいずれかに由来する場合には,原則的にはbenignと考えられます.しかし,一部のCNVについては,de novoで生じていたり,CNVによっては家系内で伝達され,浸透率の差異や他のCNVの相互作用を受けて,その影響が世代間で大きく異なる場合もあることが示されるなど,上記の原則に従わない事が明らかにされつつあり,注意が必要です.
*無症状の人においても数十kb〜数百kbの(稀にはMbにおよぶ)正常変異と考えられるCNVが5つ程度は存在することが知られており,一般集団中で1%以上の頻度で検出されるものをCopy number polymorphism (CNPs)と称します. - 染色体異形の情報は得られない.
欧米の状況
マイクロアレイ染色体検査は当初,Gバンド染色体検査では検出が困難な微細な染色体の量的変化を検出するために研究的手法として開発されましたが,欧米においては2005年頃より臨床応用がはじまり,今や臨床検査としての地位を確立しつつあります.実際に,米国人類遺伝学会雑誌2010年5月号には,マイクロアレイ染色体検査の標準化を目指す国際コンソーシアムの「原因不明の先天多発奇形/精神遅滞の診断のためには,マイクロアレイ染色体検査をまず最初に行うべきである」という見解が掲載されました.マイクロアレイ染色体検査により得られた結果の記載方法についても,2009年に改訂された染色体異常に関する国際規約であるISCN2009に規定されています.
わが国の状況
わが国においても,研究レベルの解析法として一部の研究室で実施されていますが,近年,商業検査会社によるマイクロアレイ染色体検査の受託(保険適用外)も始まっており,今後,急速に普及することが予想されます.
わが国における利用方法と利用する際の留意点
マイクロアレイ染色体検査で検出されたCNVの臨床的意義が現時点で明らかにできないことも少なくないため,今後それぞれのCNVのもつ臨床的意義を明らかにすることが必要です.患者に検出された各CNVとそれを有する患者の臨床症状について国際的にデータベースとして蓄積しようとする,国際コンソーシアムの運営も開始されています.わが国からも複数施設がコンソーシアムに参加しており,今後の研究の発展が期待されています.また,マイクロアレイ解析技術はまだ発展途上であり,現時点でも多様なプラットフォームのマイクロアレイが開発されています.マイクロアレイの原理,プラットフォーム,解析条件などによって感度や精度が異なることから,標準化も検討されなければなりません.
わが国で,マイクロアレイ染色体検査を臨床の場で用いる場合には,マイクロアレイ染色体検査の利点と限界を熟知した上で,解析結果の集積がなされる形で実施する必要があり,具体的には日本人類遺伝学会臨床細胞遺伝学認定士など臨床細胞遺伝学に関する十分な知識と技術を有する専門家と担当医との緊密な協働のもとに実施することが求められます.また,どのような医療体制で実施することが望ましいのかについても議論を継続していく必要があります.