たしかに高度成長は、日本の国民生産力の拡大をもたらした。しかしながら、 それは企業資本のみの増大ないし内部経済の充実であって、老人などにおける 社会保障の未整備、住宅・公共施設などの社会資本の不足、ついで郊外という 外部不経済の排出をうながしたことは周知の事実となっている。その間隙をぬっ て社用族の横行、主婦や青年層・老人層の倦怠感の拡大、あるいはバーや喫茶 店の繁昌、レクリエーション・センターやマージャン屋、パチンコ屋の活況、 トバクの横行、ノーキョウ型団体旅行の隆盛などが爆発しているのである。こ こに余暇の増大にもかかわらず、人間的安静の欠如、あるいは余暇の増大にと もなう社会的荒廃がみられる。これはまさに日本における余暇空間の不在といっ てよい現実を反映している。
---松下圭一『シビル・ミニマムの思想』(1971)
定時起床。髭剃り、朝食、朝刊。娘は平日は睡眠が足りていないようで、朝は 中々起きず、抱っこして無理矢理リビングに連れてきても、泣きながら布団ま で戻ってしまう。家の用事を済ませてから大学へ。
午前中はいくつか雑用と某翻訳作業。お昼すぎまで某スライドを作る作業。
昼下がりから某会議。次回からペーパーレスになるそうだ。
夕方、研究室で雑用。アマゾンからSSDなどが届いたので換装の作業など。
研究室のVostro200用にIntelの240GBのSSDを購入。早速換装してみた。研究室 にドライバーがなかったのでそれも購買部で購入。これでもうしばらくこのPC を使うことができそうだ。
夜、娘を保育園に迎えに行ってから帰宅。月がもうすぐ満月になりそうだ。夕食。
夜中、食器を洗い、風呂に入る。それから娘の寝かしつけ。また寝落ちしてしまう。
真夜中に目覚めたが、少し本を読んだら寝よう。いろいろ仕事をしないといけ ないのだが時間がない。
定時起床。ゴミ出し、シャワー、朝食、朝刊。
娘は一日大事をとるということで保育園はお休み。自宅にあったモニタをかつ いで地下鉄で大学へ。午前中は某作業。
お昼は某氏らと弁当を買って某事務室で。
お昼すぎ、某会議に出席。
昼下がり、某報告書の作成など。某氏にコーヒーを一杯いただく。
夕方、某院生と一緒に駒場に行き、某ガイダンス。夜まで。 駒場は久しぶりの気がする。
夜、某院生らと渋谷で中華。それから急いで帰宅。
夜中、少しメールを打ったあと、まだ寝てなかった娘を抱っこして食器を洗い、
寝かしつける作業。それから風呂。
さて、もう寝よう。
定時起床(少し遅め)。喉の調子は治っておらず。 シャワー、朝食、一昨日の新聞。
午前中は歯医者。問題なし。ただ、寝ているあいだに歯ぎしりしているのではと 言われる。
お昼、某ランチョン・セミナー。某ODのD論構想。
お昼すぎ、学部関係の雑用二件。
昼下がり、某購買部に行き、自転車の許可証を更新。ついでに少し買い物。 雨が降り出す。
夕方から夜にかけて、某オンライン研究会。小児の精神保健と、幹細胞研究。
夜、来週の某報告のスライド作成作業。夜中まで。
夜中、白山で買い物をしてから帰宅。今日もパスタを作る。 にんにくを大量に入れておく。
もう寝よう。今日も勉強できなかった。
朝、起きてシャワーとシリアル。それからひさしぶりに散髪。終日雨。
お昼前に某妻と一緒にタクシーで大学へ。某妻は学会に参加するというので、 一人で研究室に行き、勉強。
お昼、某妻とインドカレー。それから研究室に戻って勉強。 某妻にも少し作業を手伝ってもらう。
夜、春日まで歩いて行き、某中華料理屋で夕食。青島ビール。
それから地下鉄で巣鴨まで移動し、 スーパーとレンタルビデオ屋に寄ってから帰宅。
夜中、新聞を読んでから『アバター』を観る。 (3Dではなかったが)映像に迫力があり、 ストーリーもそれなりにおもしろかった。 B+。
ああいうのをオリエンタリズムというのかな。
昨晩は夜更しをしてしまい、朝、遅く起きる。シリアル、朝食、シャワー。
ubuntuの設定をしていたら、いろいろ大変なことに。
仕方ないので、少し寝袋で休憩してから夕方に帰宅。 猛烈な時間の無駄であるばかりか、うまく行かないことばかりなので、 self-esteemまで下がってしまう。Linux恐るべし。
夜中、3時間以上かかって、ubuntu9.04からb-mobile3Gを使えるようにする。 たいへん。参考にしたのは以下のサイト。
ふう。時間の無駄だが、self-esteemは少し上がった。 さて、もう一仕事したら寝よう。
今日のこと。
ようやく目が覚めてきたので、少し勉強。
中国の四川大地震に関しては、どこに寄付したらいいのかわからずしばらく様子を見ていたが、 20日ごろから外国の団体による救助活動が始まったようなので、 とりあえず国境なき医師団に寄付しておいた。
某校正作業。一通り終わる。あとは某氏に清書してもらって、某編集者に送りつけるべし。
なんとか起きて、シャワー、朝食、アイロン。定時出勤(少し早目)。 朝から雑用。
朝、某研究会の司会。お昼は某集会室で弁当。 お昼すぎに某卒業生がやってくる。頼まれて某推薦状を書く。 字が汚なくて鬱になる。
昼下がり、某会議に出席。居眠りしてしまう。社会人失格。
夕方、ジムのトレーニング室で走ったり筋トレしたり。 それから急いで家に荷物を置きに帰り、地下鉄で某所に行き某会議に出席。 いろいろ考えることあり。
夜、帰宅してから某英文原稿の推敲作業の続き。 なかなか終わらず苦しむ。 翻訳その他の作業はやらないという誓いを新たにする。
某妻に、政治ポジションテストというのを教えてもらったのでやってみる。 「リベラルかつ大きな政府を目指すタイプ」だそうだ (「社会・経済の激しい変化にさらされても、国民が人間らしい生活を維持で きるように、政府は積極的にセーフティネットを充実させるべき」という考え を持っているのではないでしょうか--だそうだ)。 リベラルだがリバタリアンではないということだな。
政治哲学の立場(功利主義、共同体主義、マルクス主義、フェミなど)についても、 このようなテストがあるとおもしろいだろう。倫理学も。 「あなたは義務論的で博愛よりも誠実さを重んじるタイプです」とか。
寝不足だが、なんとか起きる。早寝早起きを心掛けること。
「患者様」という表現は、1990年代後半に民間病院で始まり、「医療もサー ビス業」という経営コンサルタントらの意見もあって徐々に拡大。2001年 に厚生労働省が指針で、「患者の呼称は、原則として姓(名)に『様』を付ける」 ことを当時の国立病院に求めたことで、一気に広まったようだ。知人の医師は、 「形式から意識が変わる人もいるだろうから、一概に悪いことではない」と言 う。 (読売新聞)
だそうだ。なんか、起源についていくつか説があるようだ。
そのうち、次のようなことも起きるかもしれない。
「学生様」という表現は、2000年代後半に私立大学で始まり、「大学もサービ ス業」という経営コンサルタントらの意見もあって徐々に拡大。2011年に文部 科学省が指針で、「学生の呼称は、原則として姓(名)に『様』を付ける」こと を当時の独法化された国公立大学に求めたことで、一気に広まったようだ。知 人の大学教員は、「形式から意識が変わる人もいるだろうから、一概に悪いこ とではない」と言う。
定時出勤(少し遅刻)。曇り。朝は新聞の切り抜きを少し。
Nuffield Council of Bioethicsが、公衆衛生の倫理に関するパブコメを 募集している。 Consultation Paperを読んで勉強しよう。
お昼は某ランチョン・セミナー。 日本と台湾の研究倫理・臨床倫理の制度について。勉強になった。
昼下がりから某ミーティング。夏の某シンポの話と、某講義の話。
そのあと、いろいろ雑用をしてから、 ジムのプールで泳ぐ。首が痛いのと、狭いレーンでバタフライする人がいたので、 1.5キロほどで上がる。
夜は同僚の某氏らと某居酒屋で夕食。ビール、日本酒(獺祭)。 楽しく酔っぱらう。日付が変わるころに帰宅。もう寝よう。
それにしても、地方の殺人事件やひき逃げ事件も重要だと思うが、 三日も四日もトップニュースにするべきほどの話題だろうか。 もっと国際ニュースや政治・経済ニュースをやるべきではないのか。
今日のニュース
某仕事が終わってないので、早起き。
昨日の仙台育英の生徒の事故(酔っぱらい運転の車が歩道に突っ込み、 ウォークラリー中の生徒が3人死亡、20人怪我)は気の毒。 なぜ気の毒に感じるかと考えると、 酔っぱらい運転という要素よりは(もちろんこれが諸悪の根源だが)、 15才という若さの人間が3人、予想もしない事故でなくなり、 しかも周りで多くの生徒がそれを見なければならなかったという部分の気がする。 合掌。
朝、つい二度寝してしまい、お昼前まで起きられず。 某書類書きがまだ終わっておらず、やばい。
と思いつつ、某氏とラーメン屋へ。ラーメンを注文してから、 今日は正午から某同僚らと打ち合わせの予定を入れていたことに気付き、 あわてる。研究室に戻ってきてから平謝り。 相手にも迷惑をかけるので、スケジュール管理はきちんとしないといかん。 深く反省。
昼下がり、上で書いた某打ち合わせをやる。明日もあるので遅刻しないこと。
そのあと、少し某書類書きをしてから、書籍部に行き、 『MSXマガジン永久保存版3』と、『功利主義は生き残るか』を購入。
夕方、某政治哲学研究会。キムリッカの最後の章のフェミニズム。 忘れないうちに今回の要旨をメモ。
男女雇用機会均等法のように、男女の法の上での平等を達成すれば たとえ実際には女性の社会進出が実現されていなくても不平等はないとする difference approachと、それだけではすでに社会制度に内在されている 男性による根深い支配体制は改善しないとするdominance approachの区別 (マッキノン 1987)
また、フェミの公私区別論とリベラリズムの国家社会区別論がどういう関係にあるか という問題で、リベラリズムが伝統的に (個人が自由に善の構想を追求できる)社会に、 家族とか家庭という概念を含ませていなかったのは確かだが、 それはリベラリズムだけでなく昔のあらゆる政治理論も同罪。 リベラリズムが持つautonomyを平等に実現するという理念からすれば、 家族(男女関係)にも正義をもたらすべきというフェミの考えは受け入れられるはず。 ただし、リベラルな人は人間関係や言論についての特段の規制がなくても 自然に調和が成立すると考える傾向があるのに対し、 フェミはより介入や規制に肯定的な傾向がある。
勉強会後、喫茶店でしばらく話をしていたら、大雨になる。 某ローソンで傘を買ったが、けっこう降られてしまう。 ジムに行き、プールでしばらく泳いで外に出ると、 ウソのように雨は上がっていた。
夜ごはんは某ローソンのそうめんやサラダ。ツナ缶や豆乳を使って 効率的にタンパク質を摂取しておいた。研究室に戻ってきてしばらく呆ける。 いかん、仕事をしないと。
眠いが某書類作業。ノロマなのでまだやってる。
日本功利主義学会は今年は7月2日、3日に某本郷医学部で行なわれるそうだ。
全国の功利主義者、終結集結せよ!
やっと某書類が書けた。面倒。
書けたと思ったら、一つ置いていた点があったので、京都の某氏に連絡して確認。 ついつい話しこんでしまう。もう帰って寝ないと明日がつらくなる。
今日のお昼に考えていたことだが、忘れていたのでメモ。
研究と音楽のアナロジーを考えてみる。 音楽を聴くだけだと、音楽が趣味の人になるように、 研究論文を読むだけだと、研究論文を読むのが趣味の人になってしまう。 これでは研究者とは言えない。
同様に、他人の音楽を紹介したり批評したりする人は、批評家と呼ばれるが、 他人の研究論文を紹介したり批評したりする人は、 たとえ良い批評家とは呼ばれたとしても、良い研究者とは言えない。
自分独自の音楽を作る人は、ミュージシャンや作曲家と呼ばれるが、 自分独自の研究をする人こそ、研究者と呼ぶにふさわしい。 他人の論文を読むだけ、解説するだけではなく (それらは言うまでもなく非常に大切だが)、 自分の「音楽」を作らなければ優れた研究者ではない。
Come on, Baby, Light My Fire
Come on, Baby, Light My Fire...
(と彼方に逝ってしまう)
昨日は夜にジムに行ったあと、某氏らと居酒屋で歓談。 戻ってきてからスキャンロンの予習。やっと終わった。 たいへん。
明日の研究会の準備をしなければ。
お昼すぎに起きて大学へ。湯島天満宮で祭りをやっているというので 某氏らと連れ立ってそれを見に行ったり、 学生がカレーを恵んでくれるというのでそれをいただいたりしていると、 あっというまにこんな時間になってしまう。 まだ明日の準備がぜんぜん出来てないのだが。どうしよう。
スキナーについて勉強してみたり。「合理的再構成」「歴史的再構成」 という言葉を初めて知る。う〜ん。
いつのまにかこんな時間。
早寝早起き。朝食。散歩。
エジンバラにいる友人からメール。11月に結婚するらしい。お幸せに。
そろそろ行かねば。
A Companion to Contemporary Political Philosophy所収の Geoffrey Brennanの論文(「経済学の貢献」)、おもしろい。 いろいろ蒙を啓かれた。勉強すべきことはまだまだ山積みだ。
新幹線にて。
近くの郵便局に寄ったあと、電車で新横浜へ。 今回は遅刻することなく、予定通りのひかりに乗る。けっこう混んでいる。
車内では眠るつもりだったが、ずっと新聞を読んでしまう。 大教大付属池田小の児童殺傷事件に関して、 検察側論告要旨が掲載されていたので、 勉強がてら読んでみる。何の落度もなく、いきなり刃物を突き刺されて 死傷した先生や児童はほんとに気の毒。 ただ、この論告要旨には倫理学的に興味深いことが書かれていたので、 不謹慎かもしれないがちょっとメモ的なコメントをしておく。
[責任能力に関して]
被告は犯行に及ぶまで、多くの病院で多数の医師から診察を受け、 一部の担当医は統合失調症の診断病名を付けていた。 しかし、疑いがあるとの暫定的な診断にすぎないものであったり、…、 薬を投与した医師が診療報酬の支払いを得るため診断病名を付けたり したものであって、いずれも明確な根拠はなかった。 (産経本日付29面、強調はこだまによる)
う〜ん、論告ではこんなことが堂々と言われているのか。 いいかげんな診察をしている医師の責任は問われないのだろうか?
[犯行の経緯・動機に関して]
事件は、自己の生活に行き詰まりを感じ、 自暴自棄に陥った被告が、多くの者に自己と同じ苦しみを与えて社会に対する 恨みを晴らそうとして敢行した。 そもそも自暴自棄になったこと自体、自業自得で、 酌量の余地はない。原因はすべて被告自身の生活態度や性格に起因する。 (同上)
極刑を請求しているから、このぐらいの強い主張を行なう必要があるものと 想像されるが、それにしてもまったく環境に起因する原因に言及せず、 すべて本人の性格や生き方の問題だ、とするのはすごい。 オーウェン先生だったらなんと言うのだろうか。 こういう記事を読むと、 自由意志論とか、 環境決定論とか真剣に勉強しないといけないという気になるな。 責任の軽減についてのベンタムの見解もよく勉強しよう。
ひさしぶりに京都へ。2月はじめに引越して以来だから、 ほぼ4ヶ月ぶりか。
帰りの特急券を買ってから出発しかけのバスに乗る。 下車時に運賃を払うバスの良いところは、 お金を事前に用意している必要がないこと。 この下車時が乗車時かっていうのは、 日本の東と西で違うのだろうか。 先払いは客を信用しない都市、後払いは客を信用する都市という違いか。 あ、それともあれか、運賃が均一ではなくて 途中で上がっていくような路線があるところは 自然と後払いということになるのだろうか。
河原町通りを北上。気付いたこと。 湿度が高い。神社仏閣が多い。 四条河原町はパチンコ屋が多くてけばけばしい。
さらに北上。三条河原町、京都市役所、御池、丸太町、道が細くなって荒神口、 中古楽器屋、府立医大病院、河原町今出川、人と自転車が憩う鴨川 (ニュージーランドは人よりも羊の方が多いそうだが、 京都は人口よりも自転車の台数の方が多い…気がする)、…。
なんて書いていると、百万遍に着いたので、下車。茶色い看板のマクドに入ろうと 思ったが、時間がなかったので銀行に立寄って某研究室へ。ここも変わっていない (あたりまえだが)。某秘書さんに借金を返済して、一服し、 中央食堂でパンを購入して某応用倫理の授業に出席。狐の嫁入り雨が降り出す。
動物保護の話。雨止む。
ね、眠い。
夕方から夜まで、某所で飲み会。 ごちそうになってしまう。感謝。
出町からてくてく歩いてホテルへ。 もう寝て、朝早めに起きて勉強しよう。
プリペイド携帯が受信もできなくなっていて困った。 東京に戻ったらPHSか携帯に加入しよう。
よく寝てしまった。
読書会の準備。やばい。
朝食(パン)。洗濯。勉強。
う。寝てしまった。
あ〜、終わらんかった。ごめん。深く反省(って、いつもだけど)。 いや、ほんとに反省。せっかくおもしろくなってきたのに。
マルクス係数28。
お昼すぎからメタ倫理学勉強会。超難解なマクダウェル。 次回からブラックバーン。
勉強会後、某ルネで遅い昼食。キムチ冷麺(良)。 またチャーシューを食べてしまう (昨日食べた韓国冷麺(良)にも入っていた。 そういえば、昨夜はギョーザ(良)も食べてしまった。 堕落している…)。
それから某スタバでたまっていた新聞をしばらく読む。 下宿に戻ってきて、ネットでさらに新聞を読む。 カシミールの紛争がいよいよやばくなってきたという話や、 ブッシュがベルリンで演説をするという話とか。 クローズアップ現代もひさしぶりに見る。 ハンセン病の話。
今夜はカレーの予定。
昨日買ったPCJapanを読みながら、ADSLの設定。 NetTune1.4.0, MobiPumpなど。
Outpost Firewall (Free)も入れておいた。 今まではポートを閉じてただけ。
机に向かっている時間…9hr
今日の勉強時間…4.5hr
マルクス係数…28
勉強する予定が、ついついテレビでやってたVirtuosityを 見てしまった。しかもポテトチップス(crisps)を食べながら!
だ、堕落だ。
しかし、こんなところにもラッセル・クロウが出ているとは。 それなりにおもしろいが、B級SF映画の感はまぬかれない。C。
「がああっ」
「きみきみ、何を暴れてるんだ。こら、机をかじるのはやめなさい」
「ほっといてください。この国は自由な多元主義的社会なんですから、 何をやってもぼくの勝手でしょう。 ぼくはぼくの悪の構想を自由に追求しているだけです」
「悪の構想ってなんだ。善の構想だろう。 きみ、よだれを垂らすのはやめたまえ」
「いや、これはぼくにとってもっとも下劣で卑しく下等な生き方なのです。 しかし、人生において実験を行なうために、 ぼくはこれから悪の構想を追求することにしたのです。うが、がああっ」
「きみきみ、足の小指を机の角にぶつけるのはやめなさい。痛いだろう」
「ほ、ほっといてください。うが。ぎゃ、ぎゃああっ」
「まあ、善の構想でも悪の構想でも、正義に反しないかぎりは、 すなわち他人の自由を侵害しないかぎりは好きにしてくれたらいいけど」
「いや、ぼくはこれから自由原理を侵害することを悪の構想とし、 これを追求することにします。しし、死ね死ね」
「わ、やめろ。く、苦しい」
「しし、死ね死ね」
「い、息が。だ、だれか助けて…」
「しし、死ね死ね。あ、死んだ。 よ、よし、さらに悪の構想を追求せねば」
「はい、じゃあきみ、死刑。これにて裁判おしまい」
「え、裁判官、なななんで死刑なんですか。 ぼくはただ悪の構想を追求していただけなのに」
「だってきみ、人を殺したじゃない。自由原理を侵害しないかぎり、 何をやろうときみの勝手だけど、 他人の自由を侵害したら法がだまっていないわけで」
「そんな。そもそもなぜぼくが法にしたがわないといけないんですか。 現に同意した覚えもないし、 夢の中で同意した覚えもないし、仮説的にも同意した覚えはないのに。 ふ、不正だ。このうえもない不正だ」
「なにをたわごとを。 きみが同意しようがしまいが現に世界が存在するように、 法も裁判所も絞首台もやはり存在するのだ」
「そ、そんな。おかしい。 自律した人間の同意なしに強制的に死刑が執行されるなんて。 ここは自由主義社会じゃなかったのか。全体主義国家だ。助けてオーウェル」
「なにを言ってるんだか。次に生まれてきたときは、 もうすこしきちんと政治哲学の勉強をすることだな。 ほらほら、ソクラテスのようにおとなしく死にたまえ」
「え、そんな。もう死刑台が用意されているなんて。 こ、ここは某共産主義国か。あ、そそそんな。あ。あ。いや、 ちょ、ちょっと待って。話せばわか。ぐえ」
ひさしぶりに早起きする。新聞をすこし読んでから朝食。
中国ではものすごい数の死刑が執行されているらしいが (政府の発表がないので正確な数は不明だが、 中国に滞在しているある外交官の話では4月に800人あまりが処刑されたということ)、 それよりもすごいのが死刑宣告から執行までの短かさ。 裁判所を出て市内をひきまわされ見せ物にされたあと、 一般市民には見えないが音は聞こえる場所で銃殺されるらしい。 この間の所要時間は約15分。
誤判の心配がなければ、非常に効率のよい司法機構で、 死刑に反対だったベンタムもその迅速さを誉めると思うが、 しかし、これだけの数の人間が毎月死刑になっているとすると 誤判の数も少なくない気がする。そのうちもうすこし調べてみよう。
今日のベンタムの授業は、学生が二人しか来なかったため、 中止になってしまった。A・V・ダイシーの話だったので、 楽しみにしてたのに。
く、くそ。
時間があまったので、大英博物館そばの古本屋まで足を運ぶ。 寮に戻る途中、もう一軒の古本屋にも立寄る。
「ポンドをやめてユーロにするのは、 英国のアイデンティティを捨てることだ」という考えは、 サッチャー元首相から食堂のおばちゃんまでが共有する発想だが、 英国の保守性ここに極まれりという感じで、 伝統を重視しないおれのような人間にはほとんど理解できない。
度量衡の単位の変更についても同じように言われていた。 華氏から摂氏に変更したら、どういう意味で英国らしくなくなるのか。 体重を計るときに、9ストーンと呼ぶのをやめて、 60キロと言うと、伝統が失なわれてしまうのか。
英国は20シリング=1ポンドというわかりにくい制度を1971年まで続けていたが、 それを廃止することによって英国らしさが変更されたのだろうか。
「円をやめてドルを採用するかどうか」という議論が日本で起こったら、 やはり同じような論点が出されるだろうか。
もっとも、言語についてはこの議論が出るのは十分理解できる。 言葉がそれを話す人々や社会関係に大きく影響を与えることは否定できない。 例を挙げるまでもないが、 「わたし」「おれ」「ぼく」「おまえ」「あなた」 など人称代名詞を場合によって使いわける日本語から、 性別年齢にかかわりなく`I'と`you'で済ましてしまう英語に変更したら、 日本人の上下関係や男女関係の考え方が変わるのはまちがいない。
しかし、 メートル制や貨幣制度によって国民性が変化するというのはほとんど考えられない。 たしかに、 ことわざや文学においてこうした貨幣や尺度の単位が重要な役割を果たしてきたことは 十分に考えられるが、日本語で「びた一文ない」という表現を守るために、 文から円に変えるのは反対だとか、 円からドルに変えるのは反対だとか言うのは、 まったくわからないわけではないにせよ、 強力な主張であるとは思えない。 第一、円やドルに変更しても「びた一文ない」という表現は失なわれるわけではない。
アイデンティティとか言うよりも、 ポンドが強いせいで不況に陥っている製造業(とくに自動車)のことを考える べきではないのか。わけのわからない理由を持ちださないで、 あくまで経済的利益の視点で議論すべきだ。
「あれ、なんか出来の悪い社説みたいなことを書いてしまいました」
「くだんないこと書いてないで、図書館に行って勉強したら?」
「はい、そうします」
ちょっと昼寝したあと、図書館に来る。 勉強のためというよりは、ネットで調べものをしたり本を注文したりするため。
デヴィッド・ベッカムがモヒカンにしたらしい。
http://news.bbc.co.uk/sport/low/english/football/world_cup_2002/newsid_1347000/1347477.stm
わ、ポンドがひさしぶりに171円台まで下がっているようだ。
円高ユーロ安から円全面高になったらしい。
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/keizai/20010524k0000m020182000c.html
昨日ハ特ニ無駄使イセズ。
昨日はあれから下宿に戻ってBMORの予習はしたがcompetencyの勉強はできず。 やばいやばいやばい。
お昼に起きてBMORの予習の続きをし、大学へ。
BMOR読書会終わり。 カドワースの自由意志論。 なかなか議論が細かい。
夕方、某所で遅い昼ごはんを食べる。 キムチ鍋。『銀と金』1巻から4巻の途中まで。 おもしろい。
それから某所まで足を伸ばし、 靴と下着を買う。
靴はまたコンバースの青だが、 今度は短い方 (これしかなかった)。 今履いてたやつは1年前ぐらいに買ったものだと思う。 それから今日までほぼ毎日履きつづけてきた。 お勤めご苦労さまでした。合掌。
服も少し見たが、買わず。 今年はミリタリーモードというのが流行ってるんだろうか。
それからまた某所へ。勉強勉強。
なかなか勉強すすまず。某教授室に行くと新刊本をいただいた。感謝。
う〜。勉強勉強。
今日やったこと
下宿で晩ごはんを作り(しめじとキャベツの野菜炒め他)、 仮眠をとって再び研究室へ。
ううむ。 この生活リズムが身に付きつつあるな。 しかし毎日睡眠時間が3時間以下というのはそのうち破綻が来そう。 いつか死ぬほど寝なければ。
うわあ。何もしない間に朝。
納豆は賞味期限が切れてからの方がおいしいというメイルをいただく。 人々の意見は多様だなあ。ひょっとしてこれが多元文化なのか?
KANTにワード98とMS-IME98をインストール。 使いやすくなってんのかな?
・昨日はちょっと頭痛がしたので帰ってすぐに寝てしまいました。んで、昼ま で寝てた。今は元気です。
・あ、映画の推薦ありがとうございます。必ず観ます。
・さっきはえ○○4○がいらしていて、永井義雄の『ベンサム』を置いていっ てくれました。が、こだまにはやらん、とのこと。づがん。
・んで、こば○しさんの手伝いをしてから、バンドの練習に行ってました。
・これから夜中のベンタム読書会。近々「夕方のシジウィック読書会」も始ま るらしいから、大変だ。
・ベンタム読書会終わり。し○う○氏がいらっしゃる。これから晩飯か?