「自由な人々は過ちを犯す自由も、罪を犯す自由も、悪事をする自由もある」
---ラムズフェルド米国防長官、暴徒化したバグダッド住民について
[共和主義者の]ジェファソンは「私たちの支配者は腐敗し、私たちの民は 無関心になる」のではないかと恐れた。もし人々が「金を作ることにかまけて」 われを忘れるようになったら、共和国の未来は暗い。 専制政治が訪れるのもそう遠くはない。(中略)
自分の好むことは何をしてもよい、たとえばひたすら金もうけに 励むのも結構、というような形式的自由の概念は、ウィンスロップにとってと同様、 ジェファソンにとっても好みに合わないものだった。両者いずれにとっても、 形式的自由はたしかに重要なものだったが、自由がそのほんとうの意味を もちうるのはある特定の生活形態をもったある特定の種類の社会においてなのである。 それが欠けている場合、自由は速やかに自らを破壊し、専制政治をもたらすことに なるだろう。そうジェファソンは見ていた。---ロバート・N・ベラー他『心の習慣』
今日は午前中は自宅で仕事、午後は某会議。あまり何もできなかったが、朝から急用の某相談なんかが入って結構たいへんだった。
定時起床。寝不足気味。髭剃り、ゴミ出し、朝食、朝刊。午前中は浴室乾燥機 の工事があったため、自宅で用事。
お昼すぎ、桝形商店街で弁当を買って大学へ。しばらく某翻訳作業。
昼下がりから某会議。夕方まで。それから某翻訳の一部を某編集者に送る。諸 事情から遅れていて申し訳ない。
日が暮れる前に急いで帰宅して娘を保育園に迎えに行く。今日も「お月さまは?」 と言って、雲の合間にときどき現れる月を見つけては喜んでいた。
夜、夕食。そのあと食器を洗う。夜中、娘の寝かしつけ。例によって少し寝落 ちする。
真夜中、風呂。もう寝るべし。一日は短かい。
そういえば、ようやく応用哲学会の会員になった。新しい学会に入るのは久し ぶりだ。
定時起床。ゴミ出し、髭剃り、朝食、朝刊。
娘を保育園に送ったあと、本三駅前の某喫茶店でいろいろ雑用。
お昼前に早稲田に移動し、某スウェーデン人研究者と某妻と三人で某ホテルで昼食。
お昼すぎにタクシーで大学に戻り、某研究会。
夕方、某OD生と少し相談したあと、病院の某会議に出席。
夜、某氏にコーヒーをいただく。研究室でしばらく雑用してから、駅前で買い 物をして帰宅。抱っこヒモで娘を寝かせつけながら夕食。
夜中、娘が寝てしまったので一人で風呂。食器を洗う。
真夜中、久しぶりに新聞データベースで調べもの。もう寝ないと。
定時起床。髭剃り、朝食。
地下鉄で出勤。午前中は某図書館に籠って査読の準備。
お昼、某ランチョンセミナー。先日のサンデルの講義を途中まで見る。 臨場感がないが、それなりに楽しめた。
昼下がり、雑用と査読の準備。
夕方、某審査会。日が暮れるまで。久しぶりに真面目に英語で話す。
夜、疲れ果てて帰宅。夕食をとったあと、ソファで死んだように寝る。
夜中、起きてから新聞。それから某妻と某翻訳作業。真夜中まで。 こつこつと続けて、ようやく第一章が終わった。
まだ産まれる気配なし。
「エピクテトスさん、欲するままに行動できるのが自由ではないのですか」
「それでは欲求に支配されているのではないかね。 煎じて言えば、自分で作った法に従うというのが自由だよ」
「それは、したいことのできない人が作り出した屁理屈です。価値の転倒です。 一部の人々が欲することを好きにしているのを見て、彼らは自由ではない、 なぜなら欲求の奴隷だからと言うのです。エピクテトスさん、 女性の言うことに従ったとしても、わたしは奴隷ではなく自由なのです」
「君は少しも自由ではない。君はいつも欲求に負けてばかりじゃないか」
朝、少し遅めに起きる。シリアル、シャワー。
お昼すぎに寿司屋で昼食。天気がよいので某植物園に行き、散歩。 昼下がりに研究室へ。
研究室では読書やら某雑用やら。
夜、某海鮮丼屋で夕食をとり、それから巣鴨の某漫画喫茶へ。しばらくchill outする。 遊んでいる場合ではないのだが。
真夜中に帰宅。新聞を読んだら寝るべし。
朝、ゴミ出しのために一度起きてから二度寝。それでも早目に起床。 シリアル、シャワー。
クリーニング屋でコートなどを引き取ってから、お昼前に大学へ。
お昼すぎから某先生たちと某相談。途中、某院生にも手伝ってもらう。 割とあっという間に夕方になり、終了。
夕方、ジムのプールで30分ほど泳ぐ。キックの練習。 だいぶ速くなったが、まだバタバタしているだけの気もする。 研究室で少し休んでから帰宅。
夕食。ビール一缶。それから朝刊と夕刊を読む。
週末もいろいろやるべきことが…。なかなか心が落ち着かない。
真夜中、某妻と一緒に『女はみんな生きている』 を観る。ずっと前にテレビで放送していたのを録画していた。 女性をモノ扱いする文化に対する痛烈な批判。 途中、ちょっと話ができすぎているが、痛快な物語。
なんとか早起き。昨夜から大雨が降り続いている。
今日のこと。
It's been a hard day's night...
朝、スーツを着て、タクシーで定時出勤(少し早目)。 午前中は某勉強会の司会。お昼すぎから某会議に出席。
お昼すぎから夕方まで、途中少しウトウトしたり、 かかってきた電話に付き合ったりしつつ、代替医療の勉強。
夕方、銀座の某所で、「代替医療と資源配分の倫理」という題目で発表。 準備が不十分で冷汗ものだったが、一応無事に乗り切る。 報告の最中からワインが出てくる素晴らしい研究会だった。
そのあと、千石に戻り、某氏と一緒に餃子屋で飲む。ビール。 遅れて某妻も合流。
某氏と別れたあと、巣鴨の某スーパーで買物をしてから帰宅。 今日は寒い一日だった。
昨夜焼酎を飲んだせいか、よく寝てから定時出勤。
朝、某原稿の校正をしたり、ひさしぶりに新聞の切り抜きをしたり。 お昼は某ランチョンセミナー。最近の新聞記事から。
昼下がり、某氏と散歩がてら御殿下に行き、ジムのメンバーカードを更新。 それから某ミーティング。夏のコースの話や、徳倫理の勉強など。勉強になる。
夕方、某来客。 そのあと、某テキストの相談。功利主義。勉強になる。
夜、プールに行き、50分ほど泳ぐ。まだキックを意識的に練習しているが、 基本的には普通にゆっくりと泳いでいる。
某購買部で買物をしてから研究室へ。 忙しい日もちょっとは勉強せんとなあ。
某氏と上野御徒町でラーメン。 ビール(ジョッキ)。
少し早目に帰宅。なるべく早寝早起きしよう。
『心の習慣』を読み返していて気付いたが、 ピューリタンのジョン・ウィンスロップ(John Winthrop)のModel of Christian Charity (1630)という説教の 中に出てくる、
Wee must delight in eache other; make other's conditions our oune; rejoice together, mourne together, labour and suffer together, allwayes haueving before our eyes our commission and community in the worke, as members of the same body.
のcommunity, member, bodyの使い方が、ベンタムのIPML第一章に出てくる、
The community is a fictitious body, composed of the individual persons who are considered as constituting as it were its members.
と同じだ。まあ、二人の間にざっと150年の間があるので、 直接の因果関係があるのかどうかわからないが…。
今日のニュース
昨晩は真夜中まで真面目に勉強してから帰宅。
さすがにいろいろとやばいので、今日も真面目に早起き。
お昼から大学へ。医図書に行き、 「おれが生命倫理学に貢献できるとすれば、 こういう文献学的研究なんだよなあ」とか思いながら、 いろいろ文献をコピー。 Back to basics. Get back to where you once belonged.
Macy Grayのアルバムがamazonから届く。 On How Life Is, The Trouble With Being Myself, The Id。 前から欲しいと思っていたのだが、 なぜ今買おうと思ったのかは忘れた。
夜、某政治哲学研究会。多元文化主義。そのあとみなで夕食。
古い文献(といっても、1980年代のものだが)を読み、脳死の勉強。 間に合わん。
夜中、3時間ほどマンガ喫茶に行く。 『MAJOR』最新刊までと、『ブラックジャックによろしく』最新刊まで。
(『MAJOR』の)佐藤くんの「自分にウソはつきたくない」。 自分が守っている規範(勝つためでも卑怯なことをすることは許されない)と 自分を同一視した発言。言いかえると、この規範に反することをすれば、 自分が自分でなくなるということだ。 さらに言いかえると、 自分が今まで特定の規範を守る人間として アイデンティファイしてきた自分ではなくなるということ。 何にしろ、 このマンガはスポコン・マンガの王道を行っている。 (ときどき主役の本田くんの背中で火が燃えてるし。)
『ブラックジャックによろしく』は、がん告知と抗がん剤の話。 この話を読んで、 今自分がやっている勉強がうわっつらに流れていたことに気付かされた。 やばいやばい、最近実存してなかった。 (「実存してるかい?」「イエーイ!」)
というわけでメモ:
あれ、もう五時前に夜が明けるのか。寝るか。
同僚の某氏は、 「紛争解決の第一歩は、まず当事者たちが何を欲しているかを知ることだ」 といつも言っている。同様に、 「倫理的問題を解決するための第一歩は、 まず当事者たちが何を欲しているかを知ることだ」と言えるだろうか。 そして、当事者がみな満足したら、倫理的問題は解決したと言えるか。
お昼すぎに起きる。喫茶店に行こうかと思ったが、とりあえず研究室へ。
夕暮れまで研究室で「応用倫理学論」について考える。 お腹が減ったので惣菜を買っていったん帰宅。夕食を作る。
さて、また大学に行って勉強せねば。
大学でまじめに火曜日の準備。
今日も早寝早起き。しかし、 早寝早起きすると夕方ぐらいに猛烈に眠たくなるのが問題だ。
産経にあった小話(産経本日付「赤の広場で」)。
・[イラク戦争]開戦前、男が「戦争は始まるのだろうか」と尋ねると、 別の男が答えた。「始まるよ。ただ、イラクに本当に大量破壊兵器が ないことがわかって安心して攻撃ができるようになってからさ」
・フセイン大統領が「われわれは英国の爆撃機を撃墜した」 と発表した。ブッシュ大統領は、即座に反論した。 「違う! われわれがやったんだ」
洗濯。
今まで撮った写真をバックアップ。 CD-RWが内蔵だと楽で良い。
アマゾンからDVD。
昼から大学に行き、育英会の証明書をもらってくる。
それからさっさと帰宅。腹が減ったので横浜駅のリトルイタリーでピザ。 帰りの電車ではフランス語の勉強。
学者用語。「出版するか滅びるか」。 兵士なら`Death or Glory'「死か栄誉か」だろうが、 競争原理の強く作用している欧米の大学においては、 学術雑誌に論文が載るかどうかとか、 本が出版できるかどうかということは死活問題で、 毎年業績を出していないと評価が下がってクビになりかねない。
その点、日本の大学は情に厚いので、 一度大学に職を持てばそうそうクビにはならないので安心である。 ただし、最近は独法化の流れに伴って任期制の導入が検討されており、 そのため、業績がないので淘汰されるかもしれないと恐れている 教授・助教授を中心に強い抵抗がある。
なお、 理系では`Publish first or perish'(一番に出版するか滅びるか)と言われる。 この表現には、最初に発表した者の勝ち、 という理系のせちがらい風潮がよく表われている。 その点、文系では同じ内容でも題名さえ違っていれば大丈夫なので安心である(ウソ)。
晩ごはんは中華料理。
眠い。
しまった、ThinkPadにミソ汁をかけてしまった。 CDのコントロールパネルの部分だけだったので、 今のところ大丈夫な様子だけど…。やばいやばい。 もっと気をつけよう。
また粗食。明日からはカレーにしよう。
お昼まで寝てしまう。
いとこ婚について。 いとこ婚の出産において異常が発生する確率はそんなに高くないので、 禁止するあまりないという報告についての考察。
同サイトは「趣旨表明」の中で、いとこ同士のロマンスだからこそ可能な「特 別な親密性」があると主張している。
「いとこ同士の場合、2人の間の愛と相性は普通のカップルとは比べものにな らないくらい大きい。普通のカップルは互いを知るのに膨大な時間を費やさな ければならず、そんな必要のないいとこ同士のカップルをさぞうらやましく思 うことだろう!」
この論理でいけば、兄妹・姉弟カップルの方がもっといいことになるではないか。
おっしゃる通り。
昼下がりに大学に来て、 ちょっと読書会の準備をしたあと、 5コマ目の環境倫理の授業に出る。
ちょっとユーウツになっている。 社会人になるといろいろある。
某君と某所でオムライスを食べてから帰宅。
ThinkPadのモニタにドット落ちがあることに気付く。悲しい。
似非心理学者「ウツの恐しいところは、 そのままほっておくとスパイラル式にどんどんウツになっていくことです。 そういうことにならないように、ウツをぶっとばさなければなりません。 ウツをぶっとばすには、ウツを笑いとばすユーモアを忘れないことが一番です。 そこでここでビートルズに登場してもらいましょう」
君はウソをつく、オレにはわかりゃしないと思って
君は泣けるもんか、だってオレのこと笑ってんだから
ああウツだ
(ほんとにウツだ)
ああウツだ
(ウツだ死のう)
ああウツだ
(ほんとにウツだ)
なんで笑ってるんだい? オレがウツだって知ってるくせに
(なんで笑ってるんだい?) オレがウツだって知ってるくせに
男が指輪を買い、女がそれを放り捨てる
毎日毎日同じことのくりかえし
ああウツだ
(ほんとにウツだ)
ああウツだ
(ウツだ死のう)
ああウツだ
(ほんとにウツだ)
なんで笑ってるんだい? オレがウツだって知ってるくせに
(なんで笑ってるんだい?) オレがウツだって知ってるくせに
オレたちは二人きり、他には誰もいやしない
君はそれでも「あたしに手を出さないで」だってさ
ああウツだ
(ほんとにウツだ)
ああウツだ
(ウツだ死のう)
ああウツだ
(ほんとにウツだ)
なんで笑ってるんだい? オレがウツだって知ってるくせに
(なんで笑ってるんだい?) オレがウツだって知ってるくせに
今日の勉強時間…3hr
「一本目のエッセイはようやくめどが立ったので、 今夜中に決死の覚悟で書き上げるつもりです」 [決死の覚悟で勉強中の姿]
「まだもう一本あるんだろう。 〆切まであと4日しかないのに。 いつまで立っても成長せんな」
「今回はちょっと手を広げすぎたというか。 まあ現代の平等主義論の全体像を理解するためには よかったんですけど」
「何をえらそうなことを。 あと最低10本はエッセイを書かないと全体像を理解するには いたらんだろう」
「そですね。修業します」
amazon.co.ukから届いた本。
お昼に散歩に出たときに買った本。
春。雨。濡れる。
昨日、例によって某古本屋に寄って買物。
寝る前に『集中力』という本を読み終える。 つまらん。役にも立たん。
お昼前に起きて、大学へ。 傘をささなかったらけっこう濡れてしまった。
BMOR読書会の予習。 ホッブズの自由意志論。 彼は決定論者。
BMOR読書会終わり。 読書会が始まる前に某所でパンを買って食べる。
さっきまで雨と風が強かったが、だんだん収まりつつあるようだ。 あ。そういえば洗濯物を干しっぱなしだった。
『普遍文法』の勉強(pp. 8-9)。
Il reste l'e muet ou feminin, qui n'est dans son origine qu'vn son sourd, conjoint aux consones, lors qu'on les veut prononcer sans voyelle, comme lors qu'elles sont suiuies immediatement d'autres consonnes, ainsi que dans ce mot, scamnum: c'est ce que les Hebreux appellent scheua, sur tout lors qu'il comme|ce la syllabe. Et ce scheua se trouue necessairement en toutes les langues, quoy qu'on n'y prenne pas garde, parce qu'il n'y a point de caractere pour le marquer. Mais quelques langues vulgaires, comme l'Alemand & Le Franc,ois, l'ont marque' par la voyelle e, adjoustant ce son aux autres qu'elle auoit de'ja: & de plus ils ont fait que ce't e feminin fait vne syllabe auec sa consonne, comme est la seconde dans nettete', j'aymeray, donneray, &c. ce que ne faisoit pas le scheua da|s les autres Langues: quoy que plusieurs facent cette faute en prononc,ant le scheua des Hebreux. Et ce qui est encore plus remarquable, c'est que ce't e muet fait souuent tout seul en Franc,ois vne syllabe, ou plustost vne demie syllabe, comme vie, vue:, ayme'e.
わあ、長い。il reste...で「〜が残っている」、muetはmuteで「無音の」、 sourdは「無声の」(反対語はsonore)、 conjointは「付随した」、consonesはconsonneで「子音」、 lorsは副詞で「その時」という意味らしいが、 ここではqueと一緒になって関係副詞的な用法になってるのかな? veutはvouloirで「欲する」、suiuiesはsuivre(follow)の過去分詞形、 ainsiはthusだが、ainsi que...で「〜と同様に」という意味になるようだ。 あれ、scamnumという単語はないぞ。ううむ。
というわけで、とりあえず、 「無音ないし女性の『エ』が残っているが、 これはもとから無音であるわけではないのだが、 子音を伴なうと、人はその子音を母音なしで発音したいと思うのだ。 それはちょうど、たとえば『スカナム』という語のように、 そうした子音の直後に別の子音が続く場合と同じである:」。 う〜む。だいぶ怪しいな。
次。les Hebreuxはヘブライ人だが、単数はhebreu。 comme|ceというのは、eの上に傍線が引いてあるのだが、 どうもこれはcommencerであるようだ。 また、il commence ...は非人称動詞らしい。 sur toutはたぶん「とくに」という意味ではなかろうか。 辞書にはsur toute(s) chose(s)で「何にもまして」とある。
そこで、「だからヘブライ人は、特にその音節から始まるときは、 scheuaと呼んだのだ」。意味不明。
次。trouueはtrouverでfind。代動詞の場合は、「見出される」となるらしい。 prendre garde a`...で「〜に注意する」という意味のようだ。 だからyが入ってるのか。parce queはbecause(反対はpourquoiでwhy), pointは「全然」という意味のようだ。 marquerは「印をつける」。
というわけで、 「そこでscheuaはあらゆる言語において必要であることがわかる。 とはいえ、それを記すための文字がまったくないために、 人はそのことに気付かないのであるが」。 わ。どんどん意味不明になっていく。
さらに。quelquesはsome、langue vulgaireは「俗語」、 autres queはother than、 auoitはavaitでavoirの直・半過・3・単のようだ。
ここも意味わからんが、 「もっとも、ドイツ語やフランス語のようないくつかの俗語は、 『エ』という母音によってそれに記しをつけ、 その音を、『エ』が以前持っていた以外の音に加えた:」。 うわ。全然意味不明。あかんがな。
ええい、次。faire que+直説法で「〜を引き起こす、という結果になる」 という意味らしい。faisoitはfaisaitでfaireの直・半過去・3・単のようだ。
というわけで、 「そしてさらに、それらの言語では、この女性の『エ』を、 その子音とともに一音節にした。 たとえば、nettete'(明晰な)やj'aymeray(「わたしは愛するだろう」かな?)や、 donneray(「与える」の未来形だろう)などにおける、 二つめの音節がそうであるのだが、 他の言語においてはこのscheuaは作られなかった:」。 う〜。めちゃくちゃだ。
plusieursはseveral、facentは辞書に載ってない。 fauteはfaultで「間違い」、 en prononc,antはジェロンディフというやつらしい。
というわけで、 「とはいえ、中には、ヘブライ人のscheuaを発音するさいに その誤りを犯したものもいる」かな? facentはfaireと関係ある気がするのだがよくわからない。 faire fauteで「必要なものがない、不足している」という意味もあるようだから、 「とはいえ、中には、 ヘブライ人のscheuaを発音するさいにそれが不足している言語もある」 という訳もできる気もするが、これでは余計意味が通らんか。
souuentはsouventでoften、 tout seulは「たった〜だけ」(toutは強調)、demieはhalf。
そこで、 「そして、さらに注目すべきことに、 この無音の『エ』はしばしば、フランス語においてのみ、一音節を形成する。 あるいはむしろ一つの半音節というべきかもしれないが。 たとえば、vieやvue:(voirの過去分詞形)やayme'eがそうである」。 う〜ん。この段落で言っていることが結局わからなかったっす。
あと一段落でくぎりがつくので、もう一つ。
Ainsi sans considerer la difference qui se fait entre les voyelles d'vn mesme son, par la longueur ou breuete', on en pourroit distinguer jusques a` dix, en ne s'arrestant qu'aux sons simples, & non aux caracteres: a, e^, e', i, o, o^, eu, ou, u, e muet.
pourroitはpourraitでpouvoirの条・現・3・単のようだ。 mightとかcouldということか。 jusquesは「〜まで(a`...)」という意味のようだ。 en ne s'arrenstant queもジェロンディフで、 「a`以下のことは気にしないで」という意味のようだ。 ところで、ここのqueにはonlyの意味がない気がするがどうなんだろう。
そこで、 「というわけで、 長いか短かいかによって同一の音に加わる違いを考慮しなければ、 母音は--単純な音であるかどうかとか文字に気をかけないのなら-- 10個にまで区別することができる: すなわち、 『ア』、広い『エ』、狭い『エ』、『イ』、狭い『オ』、広い『オ』、 eu, 『ウ』、『ユ』、無音の『エ』である」。
よくわからんが今日はここまで。
翻訳の相互チェック。眠い。
現在、翻訳チェックの手を休めて、バウムガルトの Bentham and the Ethics of Today(1952)を読んでいる。 彼はすでにベンタムの功利主義のメタ倫理学から見た位置付けを 行なっている。
彼のやっていることは、おれがこれからやりたいと思っていたことに近いし、 しかも主張している内容もほとんど納得の行くものである。 ううむ。先達おそるべし。
しかし、バウムガルトの本を読んでいると、 「メタ倫理によるベンタム功利主義の分析」というのは、 結局のところ、修論のテーマにするには大きすぎて、 D論(書くとすればだが)まで待たないと十分なものはできそうにないな。 まだまだ知らないことが多すぎる。
それじゃあ、修論でいったい何を書けば良いのか。 とほほ。
メタ倫理的な分析を除いた、自然法思想とベンタム功利主義の対比かな。 しかしそれっておもしろいんだろうか。 けど、やるべきことはそれしかない気がする。 「悪法問題」を中心に考えて論じるか。 ううう。生みの苦しみ。
ああ、ロンブンロンブン。 ああ、ロンブン、あなたはどうしてロンブンなの?
う。夜が明けてしまった。 近くのコンビニでカップラーメンを買ってきて食べた。 堕落。
いや、ほんとにあせってきちゃった。 ああ、ロンブンロンブン。
・再開。
・実は一ヵ月は休もうと思っていたのだが、いろいろ考えて再開することにし た。どういうことを考えたかは、秘密。
・この一週間、ずっと研究室にはびこっていた。はびこって部屋を汚すのも悪 いので、大掃除をした。だいぶ片付けたので、以前よりはいやすくなったと思 う。
・んで、研究室の名簿を作ったり、演習発表を最初にすることになったのでそ のレジメを用意したり、UNIXの勉強をしたり、某教授の授業に出たり、***し たり、いろいろ忙しい日々を過ごしていた。
・また、ベンタムのページを頻繁 に更新していた。イギリスはロンドン・ユニバーシティ・カレッジにある、ベンタム・プロジェクトの ホームページを管理されているJ・ハリスさんの許可を得て、ちょっと翻訳をしたりもした。これもレジメ作成 の一環。四回生に模範となるような発表をするためにいろいろ考えているのだ が、大変である。
・修論では自然権をやっつけるこ とにした。ま、これについては追々ここに書くことであろう。
・昨日、M2の鈴木さんがイギリスからお帰りになられた。約一ヵ月半の留学を されていたのだ。うらやましい。んで、夜は二人で某助教授にごちそうになる。 感謝。
・そこ(=あやとり)でついに、ベンタムとニーチェという、ぼくの大好きな 二人の哲学者の共通点に気付く。
二人に共通しているのは、形而上学的世界をボロクソにけなしている こと。
ベンタムの場合は自然法や自然権批判という形をとり、ニーチェの場合はプラ トンのイデア論と密接に結び付いたキリスト教的世界観(こういう言い方でい いのかな?とにかくニーチェのいう「背後の世界」)の批判という形をとって いる。
という違いはあるにせよ、二人ともそういった西欧的規範概念の矛 盾やギマンを暴き出している点が共通している。(ああ、むつかしいことを書 くと頭が痛い…)
・ああ、書きたいことがいっぱいあったんだなあ。
・そいえば、昨日、Jeremy Waldron編の"'Nonsense upon stilts': Bentham, Burke and Marx on the rights of man"という本を 借りようと思って、まず総合人間学部の図書館に行ったら、
「その本は教養時代(総合人間学部は元教養部であった)にあった研究室の所 蔵の本で、借り出すのはかなり大変だから他のところをあたったほうが速いで すよ」
といわれたので、(コンチクショー教養なんておれが一回生のときにはもうな くなってただろ、さっさと整理しろよな)と思いつつ、「そうですかそうです か、あ、そりゃすばらしい、それじゃ結構です」とか言って、図書館を出た。
しかし、まだ法学部がある。コンピュータ検索では、法学部にもこの本がある と出てきた。そこで、先に哲閲に行って、「相互利用証」というのを初めても らう。思ってたほどめんどくさくないので、ナイス、とかつぶやきながらスキッ プで法学部へ。法学部と文学部は目と指の先である。
(肩で息をしながら)「ああ、ええと、ぜいぜい、あの、この本お願いします」
「はいはいーっ」(喜々として書庫へ消えていく図書室のおばさん)
「……」(待つこだま)
「……」(まだ待つこだま)
(書庫から手ぶらで出てきたあと、カウンターの引き出しをいじくって)「え えと、すみません、その本は借りだし中ですねぇ」
「え、あ、そうですか。それで、いつごろ帰ってくるんですか」
「九月です」
「ほええっ!?」
…あとで聞くと、法学部の院生はなんと一年間本を借りれるんだそうである。 なんてやくざな制度なんだろーか、ちきしょーレンタルビデオだって一週間な んだぞ、と思いつつ、一応催促届けを出してきた。絶版の本だし、借りれると いいが。
・うう、ねむねむ。少し(パイプいすで)寝た。ちょっと喫茶店に行ってくる。
・あ、そうそう、これも ベンタム・プロジェクトに問い合わせたんだけど、ベンタムの「各人は一 人として数えられ、何人も一人以上として数えられない」という言明は、現在 のところまだベンタムの著作中には見つかってないんだって。もしかしたら未 確認の草稿に書いてある可能性はあるらしいけど。
現在、見るのも恥ずかしい卒論のまとめを製作中。ああ恥ずかしい恥ずかしい。
・昼下がりからkantを初期化することに決定。ええい、止めてくれるな。失敗 したらゴメン。
・CD-ROMをしまっているているロッカーの鍵が手に入らないので、初期化は延期。
・モーニングの『えの素』、お…おかしいっ。くくくっ。喫茶店で読んでいる とついつい破顔爆笑してしまう(ばか)。『ぼのぼの』のいがらしみきおは天 才だと思うが、『えの素』の作者もかなりセンスのあるナンセンス漫画を描く。 単行本が出たら買って研究室に置きます。
・バンドの練習。できれば今日は帰りたい(が…)。
・やっぱり、帰る。あああ、いろいろとやることがあるっ。
(忙しい忙しくないというのは気持ちの持ちようの問題だと思うけど…やっぱ り忙しい)
・ではまた明日。たぶん。