「二匹の死んだハト、水槽の中、取り出せ。 そんなに難しいこと言ってるわけじゃないんだ、マニュエル。 ウィトゲンシュタインから引用した命題じゃないんだから。 いいか、よく聞けよ。二匹の死んだハト、水槽」
---Basil Fawlty, in Fawlty Towers (`Basil the Rat')
今日一番印象に残ったのは、ひさしぶりに漫画喫茶に行ったらずいぶんリフレッ シュしたこと。たばこ臭くなったのはかなわんが、気晴らしに何かに没入する というのはいいものだ。あまりはまりすぎない程度にまた行こう。
少し遅めに起床。朝食、朝刊、シャワー。午前中、少し翻訳作業。
お昼に地下鉄で四条烏丸駅そばの不動産屋へ。新しく一軒見せてもらい、昨日 見たものも一軒もう一度見せてもらう。それから今出川の某ハンバーガー屋で 昼食。
お昼すぎに某妻と別れてから漫画喫茶へ。日が暮れるまで楽しんでしまう。カ フェテリア席は煙草吸い放題だったので、今後は禁煙席に入るようにしよう。
夜、歩いて百万遍に行き、しばらく研究室で雑用。行方不明だった手袋を発見。
夜中、バスで帰宅。晩ごはんはたこ焼。それから某妻とFaceTimeで相談しなが ら某書類を作成。真夜中まで。
そろそろ寝るべし。
早朝に起床。ひげそり、朝食、ゴミ出し。地下鉄を乗り継いで笹塚へ行き、某 女子校で一日某試験監督。一応、無事に終わる。
地歴の教室担当だったので倫理や倫政は見られず。英語はprocrastinationの 話がおもしろかった。しかし、procrastinationの話にせよ、mixed nutsの話 にせよ、テーマが中年ぽくて笑えた。とくにmixed nutsの話は、居酒屋で酔っ ぱらいの中年が得意気に話しそうなネタだった。
夜、新宿で某旧知の人々の飲み会に参加する。しばらく歓談してから帰宅。
夜中、娘を風呂に入れる。今日は体調が万全ではなく、しかも終日監督でつか れたのでさっさと寝よう。
今日気付いたが、眼鏡を外すとぼーっと考え事ができるようだ。目から入る情 報に囚われすぎなんだよな。
定時起床。ゴミ出し、髭剃り、朝食。
朝、白山の某ベーグル屋で読書。米屋が開いてから米を買って一旦帰宅。 それから大学へ。午前中は雑用。
お昼は某ランチョンセミナー。生殖医療。
お昼すぎ、本三の某ラーメン屋に行き、酸辣麺。いつもうまい。
昼下がり、講義の準備。腹の調子が悪くなる。
夕方、某講義。健康格差。夜、無事に終了。空いている時間で、 某院生の投稿論文に目を通す。
そのあと、某氏らと春日の完全禁煙の居酒屋で飲み会。 無責任な人生相談など。夜中まで。
夜中に帰宅して風呂。明日は早いので、もう寝よう。
朝、ゴミを出してから二度寝してしまう。朝食、シャワー。
定時出勤(少し遅刻)。午前中は明日の講義の準備など。
お昼ごろ、沖縄な某氏と少し雑談。弁当を食べてから、また勉強。
昼下がりから夕方まで某先生と某校正作業。青ペンで校正。
そのあと、某学生の相談を少し聞く。
夜、明日の某講義の準備をだいたい済ませてから帰宅。夕食、新聞、仮眠。
ハイチの大地震の件で、国境なき医師団に少し寄付。
夜中、ソファでいろいろ雑用。一日はあっという間だ。
一件、朗報。そんなこんなで0.4LTLDぐらい。
朝、定時起床。ゴミ出し、シャワー、朝食。
クリーニング屋でセーターを受け取ってから大学へ。定時出勤。
午前中は某講義の準備。お昼は某氏と弁当。
お昼すぎから夕方まで某講義。低調。準備不足。
夕方、某卒論生の指導。そのあと某氏と少し相談。
プールに行こうと思ったが、ジムが休館日だったため、すごすごと帰宅。 春日の某大学キャンパス内で殺人事件があったことをようやく知る。 怖い。
帰宅してから夕食。朝刊と夕刊を読んでからソファで死んだように寝る。
真夜中、金曜日の講義の準備を始める。2時間かかって、 某動画にキャプションを付ける作業など。時間の無駄。
もう寝よう。
なんとか午前中に起きて、シャワー、朝食、新聞。 今朝は寒くて、ヒーターを付ける前の室内の気温は6度ぐらい。
集中して勉強しなければ。
午前中に少し勉強して、お昼はにしんうどん。
〆切きりきり。う、もう眠くなってきた。
ちょっと勉強してから、一階の居間の掃除を手伝う。 明日ソファが到着するため、スペースを空けておく必要があるため。 ついでにデスクトップの配線回りも整理する。コードが多すぎる。
ちょっと寝る。さて、勉強勉強。
勉強…するはずが、「モニタ二台で論文書こう」と思い立ち、 一階と二階を行ったり来たりする。 小一時間かけて、 ようやく机の上にデスクトップのモニタとノートパソコンのモニタで二枚になる (RGBケーブルが一本しかなくて困った)。 机は狭くなったが、デスクトップは広がった。は。ははははは。
さて、勉強勉強。
夕食。いつもは皿洗いをするのだが、今日は某妻に任せる。感謝。
さて、がんばらねば。
がんばり中。ぜんぜん終わる気配なし。
う〜。
風邪を引きそうなので、葛根湯を飲んでおく。加湿器も使用中。
少し寝ようと思ったが、寝付けず。デスクトップの大きなモニタを 机の左側から右側に移して、勉強再開。あれ、また眠くなってきた。
まだ勉強中。あ、ゴールが今かすかに見えた気が。
…錯覚だったらしい。とりあえず一眠りするか。
なんとか起きる。シャワー。
とにかく、もう少しプルーデントに生きなければ。
朝、朝食をとってから、タクシーで大学へ。 某外国人たちと会い、本郷キャンパスを(適当に)案内する。
それから後楽園まで歩き、某妻(仮)も合流して某ホテルで昼食。歓談。 これまでの経験からすると、 なぜか外国人は某所のジェットコースターや観覧車に感動するようだ。
昼食後、某所で買物(某氏の友人はおみやげにハローキティのグッズを しこたま買いこんでいた)をしてから某展望台から都内を見下ろす。 小石川の植物園にも連れて行こうと思ったが、 すでに夕方になりつつあり、 ちょっと大変になるかと思ったので、それはあきらめ、 本郷の宿泊施設まで送り、 研究室を案内してから宿泊施設のところで別れる。
某妻(仮)と上野に行き、某喫茶店で一服。 某デパ地下で惣菜を物色してからバスで帰宅。 夕食を食べる。
少し仮眠したあと、某妻(仮)の助けを借りて某書類を作成。 さんくす。
某氏に結婚祝いのシャンパンとグラスをいただく。さんくす。 <
早起きして後楽園に行き、いつものところで服を買う。
それから帰宅して服を着替え、大学へ。 お昼は某海鮮丼屋でいくらちらし丼を食べる。 お昼から雨が降り出す。
お昼すぎから某入門コース。 司会役だったので、終了までいろいろ気を使う。 今回の演習も無事に終わったようで良かった。
終了後、しばらく同僚な人々とビールを飲みながら駄弁る。 そのあと、春日のラーメン屋にでも行こうかと思ったが、 雨も強いし、iPodでもDidoの`Here With Me'とかThe Mamas and the Papasの `California Dreaming'とか憂鬱な曲がかかるので、意気消沈して帰宅する。
帰ってくるとポストに狂大からの封筒が届いていた。 「狂大学生部」と書かれているので、最初は何かわからなかったが、 しばらくして、学位の話であることに思い当たる。 開けてみると、 10日後に学位授与式があるから京都に来いとだけ書いてある。 なんで10日前にならないと連絡ができないのかと ムカっと来て破り捨てたくなったが、 まあこんなところで腹を立てても仕方ないので ありがたく頂戴しに行くことにする。
Punk: Attitudeを見る。 長いスパンで見たパンクの歴史がよくわかった。
夜中、春日にラーメンを食べに行き、ついでにマンガ喫茶。 『MAJOR』第57巻を読みながら、 「(チームの)雰囲気を作る」ことについて考える。
今日のニュース
昨晩は『キル・ビル vol. 1』をDVDで観てから寝た。 タランティーノとは相性が悪いらしく、まったく思うところなし。C。
朝起きてからDVDを返却しに行く。いったん帰宅してから大学へ。 だんだん大学に行く時間が早くなってきた。良い傾向だ。
お昼から某密談。いろいろ考えるところあり。 夕方に遅い昼食を食べ、椅子に座って仮眠しつつ、 日本語の論文を三つ読む(臓器移植関係が一つ、医事法関係が二つ)。 それからジムに行き、ワークアウト。一週間ぶり。 週に二回は行くようにしなければ。
駅前でちょっと買物をして、外食をしてから帰宅。 今日はまだ翻訳をしていないので、がんばってやらないと。
ちょっと翻訳して風呂。
メモ。原因と結果。ニワトリかタマゴか。 ウソをつくことが悪いのは、ウソをつかれた人が怒るからだろうか、 それとも、その人が怒るかどうかにかかわらず、ウソをつくことは悪いのだろうか。 「わたしがウソをつくと、あなたが怒るから、ウソをつくのはやめます」 「それはちがう、わたしが怒るのはウソをつくことが悪いからであって、 (わたしが怒ろうと怒るまいと)ウソをつくことが悪いから、 あなたはウソをつくのをやめるべきなのだ」
この意見は直観的にはもっともだが、ヒュームなら、 やはりウソの不正さをそれがもたらす帰結によって説明するだろう。 「ウソの不正さがある人の怒りを引き起こす」というのは、 恒常的なコネクションによって因果関係があるように 感じられるようになっただけなのだ。 ウソが不正であることを正当化するためには、 やはり「ウソは不正である」という規則の功利性を問題にしなければならない。
したがって、上の話の続きはこうなる。 「あなたが怒るのは、ウソをつくことが悪いからと信じているからですが、 あなたのその信念は、ウソをつくと人が怒るのを何度も見ている うちに形成されたもので、もしウソをつくと人が笑う事例を何度も見ていれば、 ウソが悪いという信念は形成されなかったでしょう。 やはりウソが悪いのは、一般に怒る人が多くいるからであり、 ウソが悪いというルールの正しさは、 それ自体自明だということによって確立されるのではなく、 そのルールの功利性によって成り立つのです」
現在2時半。まだ起きてる。これではだめだ。 仕事は毎日12時に強制終了することに決定。
早寝早起き。夜、寝る前に、やっぱりお墓って恐いかな…とか考える。 そもそもはマンションの持ち主である隠居のための部屋だったらしいが、 サンテラスの目の前がお墓というのはすごい感覚だと思う。 メメントモリということか。
行かねば。
大学へ。忙しい。
お昼、某文学部の某ミーティングに出る。 偉い人々をたくさん見てしまう。 ミーティングのあと、いろいろ尋ねたいこともあったが、 時間がなかったのでそそくさと出てくる。
そのあと不動産屋へ行き、手続の書類をいただく。 あとは書類を書いてお金を渡せば、いつでも入れるとのこと。
それから電車を乗り継いで多摩センターへ。 近くの喫茶店で少し準備をしたあと、 某ホテルのロビーにある喫茶店に行き、 某氏らとまじって米国人のベンタム研究者 (あとから英国人の研究者も加わってきた)にD論の計画を話す。 ひさしぶりに英語で話したのでなかなか単語が出てこなかったが、 いろいろ勉強になる。
それから某氏らと駅前でちょっと食べてから帰宅。 …のつもりだったが、研究室に本の忘れものをしたので大学にやってくる。
「昨日、東京地裁でマンガのわいせつ認定がなされたそうだ。 なんでもマンガのわいせつ認定は初めてなんだそうだ」
「そうですか」
「裁判長の判決理由で、問題の本は『もっぱら読者の好色的興味に訴えるもの。 露骨で過激な性表現物を許容するような社会通念が形成されていると 解する余地はない』と述べられているが、 そうでない成人コミックスなんてあるのか」
「いや、他のものは芸術的なんでしょう、きっと。 それより、最近どんどんデジカメが薄くなってきましたね。 ぼくのなんか昔のカメラ型で、すごくぶ厚くてカッコ悪いんですが」
「ほんとにますます薄くなってくるな。 そのうち『0.2ミリでコンドームより薄い』とか宣伝しだすかもしれんな」
「あ、その表現は『いたずらに性欲を興奮または刺激する』ので、 わいせつ認定が出されますよ」
「興奮せんよ、これぐらいじゃ」
という題目で何か書こうと思ったが、 何が書きたかったのか忘れてしまった。 今日の相談のあとに、「なぜ現代的意義がないといけないのか」 という話になったのでメモしておく。
現代的意義がなくても、 先行研究を凌駕するものであれば研究としての意義はあると思う。 しかし、 まったく現代的な関心を排して論文を書くことも難しいだろうから、 --いや、研究しているうちに当初の目的を忘れるというのは しばしばあることか。 この点については他の人とも議論してもうちょっと考えることにしよう。
カップラーメン。
あれ、「内々に」ってやっぱり「ないないに」と読むのか。 今日うっかり「うちうちに」と言ってしまった。反省。
『フィロソフィー・ジム』は良い本だな。 哲学・倫理学の授業の入門書としてピッタリのように思える。
あ、しまった、総合図書館に本を返しに行くのを忘れてた。やばいのかな。
サルトルの勉強。
Supergrassの`Seen the Light'。T. REXみたいだ。
サルトルの勉強。よく読むとわからなくなってくるところも多いので、 もっときちんと勉強する必要がある。
お昼前に起きて、サルトル。もっと深く勉強する必要あり。
うどん。
大学に来る。今日は奇跡的に余裕を持って授業に行けそうだ。
某授業。ニーチェの続きとサルトル。時間がなくて駆け足になってしまった。 雨だったのでタクシーに乗ろうかと思ったが、 思い直して傘を差して自転車で行った。偉い。これこそ実存的選択だ。 サルトル先生、人類のために選択しました。みんな自転車に乗れ。
明日からまた寒くなるそうだ。冬眠しようかな。
「トマトとナスの豆板醤炒めという謎の料理を作ってしまった。C+」
「NHKでやっているカイロ、ニューヨーク、東京の若者の中継討論を見ていると、 米国白人男性が『米国の民主主義を世界に広めるべきだ』と主張し、 カイロのエジプト人男性は『その傲慢な考え方が嫌われるのだ』と言うが、 両者は理解しあわないというよくある風景が再現されている」
「そんな、マクドナルドじゃないんだから、民主主義は。 しかも、米国の民主主義っていうのが気になるよね。 まるで米国が民主主義を生み出したと言わんばかりじゃない?」
「いや、まあそうなんでしょ、ある程度は。 近代民主主義思想そのものは英国やフランスで誕生したわけだけど、 米国が独立する以前はフランスに民主主義は存在しなかったし、 英国も非常に不完全な民主主義だったんだから」
「エジプト人はエジプト人で、 イスラム知識人の同じセリフを繰り返すだけじゃ、 米国人はまたかと思うだけだよね。 上のような発言をする米国人にとっては、 エジプト人はアフガン人と同じで自由も民主主義も知らず、 女性差別をしている未開民族なんだから、 聞く耳は持たないわけでさ」
「まさかそこまでは考えてないでしょう」
「いや、偏った情報を与えられてマインドコントロールされてると 思ってるんじゃないのかな。 だからといって、彼らの議論に何も聞くべきことはない、 なんてことにはならないんだけどね」
「両者ともミルの半真理の教えを学んでほしいわよね。 どっちにも一理あるけど、 どっちにも非があるという謙虚な気持ちじゃないと、 対話なんてできないのに」
「さっきから聞いていたら、 どうしてこの日記の作者はそんなに米国を目の敵にするの? 米国を批判することがファッショナブルだと思ってるみたいだけど、 そういう態度、大きらい。 第一、米国人にもいろいろいるんだから、 早急な一般化はやめてほしいわ。 しかも、 なぜあたしのように女言葉でしゃべる登場人物は『大きらい』 なんていう価値判断の仕方をさせられるわけ? これって女性は感情で物を言うっていうステレオタイプ化、女性差別じゃないの。 ゆ、許せないわ。きい」
「某くろきさんのサイトを参考にさせてもらって、 Googleでこのサイトを簡単に検索できるようにした」
「そのうちナマズを導入しようかと思っていたけど、 どうもこっちの方が便利そうなので。 これで動くと思うけど、 ethicsの他のページがひっかかるかもしれない」
「これは便利ね。あなたの暗い過去がすべてわかるわね。うふふふ府」
「ぼーっとしてたらもうこんな時間。 昨夜はぜんぜん勉強しなかったので自己嫌悪。 起きたらがんばろう」
「ぼーっと新聞ばっかり読んでても賢くならないわよ。 集中して哲学書を読み、明晰な文章を書き、人と対話しなさい。 ほんとにぐうたらなんだから」
「起きたら起きたで、すでに昼下がり。自己嫌悪」
「そんなこと言ってないで、さっさと勉強にとりかかりなさい」
「今週は、メタ倫理、生命倫理、ミルの三つの読書会が立て続けにある」
「昼下がり、某スタバに行って新聞を読もうと思ったが、 いつも同じところに行くのもなんなので、他の喫茶店を探す旅に出る」
「多様性が重要だものね。安易な画一化は避けないと」
「某北大路の鴨川べりでしばらく新聞を読んだあと、 寒くなったので近くの喫茶店に入り、生命倫理の勉強を少しする」
「それにしても喫茶店って、本当に勉強がはかどるな」
「今夜10時からNHK教育でヌスバウムが出る番組があるようだ」
「プレッツェルってそんなに危険な食べ物だったのか」
「これも陰謀かも」
「『主張 若者に媚びる必要はない』 という産経の社説 (平成 14年 (2002) 1月14日[月] 先勝)。 若者に迎合する成人式を批判する硬派な主張」
成人式は子供が親から自立し、社会のルールを守る大人になる儀式である。新 成人に媚(こ)びてまで、やり方を変える必要はない。
知事や市長らの祝辞がたとえ退屈であっても、静かに聞くべきだ。その程度の 我慢もできないようでは大人になる資格はない。社会人になるのはどういうこ となのか、改めてかみしめる機会とすべきだ。同時に、自分のことだけでなく、 家族や故郷、国の将来も考える日本人になってほしい。
「しかし、 集中力や敬意のない若者の問題だから市は何もすべきではないっていうのは 現実的ではないよな。学校の授業にせよ、成人式の催しにせよ、 退屈であるよりもおもしろいにこしたことはないわけだし。 大人も新成人もどっちも努力すべきだというのが穏当な意見じゃないのかな」
「日本の教育、失敗してるよな」
「いや、大人になったことを思い知らせるために、 成人式で暴れたやつは逮捕して刑務所に入れてやればいいんだよ。 それこそ大人になることの意味だろ」
「いやいやいや。成人になったら一年間自衛隊に入って、 根性を叩き直してもらえ」
「戦争ハンターイ」
「朝日の新成人に向けた社説は(「成人の日――「ことづけ」伝えて」2002年01月14日)、 まるで中学生に向けたような文章。バカにしてるんじゃないのか」
「いや、こんなもんなんでしょ、二十歳の人の大部分が読める文章の限界は」
「しかも、一体何が言いたいのかわからん。 『ことづけをだれかに手渡す』って、成人式とどういうつながりがあるんだ?」
「君にも十分な読解力がないってことだろう、それは」
「この社説は意味不明だ。若者に媚びるな、朝日っ」
「なぜか下宿にあった某ヤンジャンと某ヤンマガを読む」
「某ヤンジャンは読むとなぜか殺伐とした気分になった。 某ヤンマガはすこし笑える」
「某サラリーマン金太郎を読むと、 某お好み焼き屋の匂い(臭い?)がしますよね。 いつもあそこで読んでたから、記憶が結びついていて」
「かつては神が合理的かが問われていた。 今日では道徳が合理的かが問われている」
「何それ」
「某先輩と長電話し、環境倫理学について教えてもらう。感謝」
「さて、勉強勉強。読書会の準備をせねば」
用事で朝から大学へ。レポートも書かねば。
酒を飲むとしばらくの間は大きな快楽を得られるとしても、 その後ほぼ確実に二日酔いと自己嫌悪に苦しまされるのならば、 いっそのことまったく飲まないのがprudence (注) というものではないだろうか? もちろん、酒をほどほどに飲む能力を身に付けるのも一手だが。
注: prudence…自愛の思慮=目先の快楽に惑わされず、 自分の長期的な幸福を増やすことができる能力
ところで、 『岩波哲学・思想事典』(「賢慮」の項: 475頁左)によると、 prudenceはもともとギリシア語のphronesisに対応するものらしい。 しかし、西洋近代のprudenceの概念は、 「正しい目的と適切な手段とをともに考慮するような実践的理性」 というアリストテレスのphronesis(知慮、賢慮)の概念とは異なり、 「しだいに倫理的な性格が薄められ、功利的な性格のものに変質していった」、 すなわち、「アリストテレスにおける倫理的なモチーフがすっかり剥ぎ取られて、 たんなる〈怜悧〉〈器用〉〈利口〉に変貌し、 あるいは〈抜け目なさ〉〈狡猾〉にすら変貌してしまった」んだそうだ。
わざわざ引用したのは、もちろん、「功利的な性格」 という表現が目についたから:-)
「功利的」=「怜悧」「器用」「利口」「抜け目なさ」「狡猾」……
!!!!%!!#!*@+!!!&!!!!####!!@@!!!=\!!*!*!*!&&%!!!! (暗号)
……。まあ、「功利主義的な性格」と書いてないから良いんだろうけどさ。
この事典ではprudenceの評価がえらく低い気がするけど、 少なくとも、 英国の道徳哲学ではprudenceというのは徳の一つとして高く評価されていると思う。
あと、Prudenceっていうのは女の子の名前でもあるんだそうだ。 Dear Prudenceっていうやつですな。
朝、JR京都駅で母に会い、 奨学金の借用証書を渡す。 母の方に行っていた年賀葉書など、もらう。
いつものようにガムを噛んでいると、 いきなり「ガリ」という歯ごたえ。 あれ、詰め物が取れたのかな、 と思って取りだして見てみると、 米粒の半分くらいの大きさの、白い石のようなものが。 げ。これは歯ではないか。
後で鏡で見てみると、 どうも右下の奥歯の一部が欠けたらしい。 ううむ。おれもついに歯の欠ける年頃になったのか。
それから喫茶店でモーニング。プレイボーイ。
某師匠にPGPのやり方を教えてもらうが、 なぜかしらうまく行かず。
モーニング読む。レポートはいいのか。
眠い。
歯医者に行くべきだと勧められる。 そうするか。
レポートの提出をあきらめる。 敗因は、課題が難しさと、 「出さなくっても単位はそろう」という動機づけの弱さにあったと思われる。 無念。
古本屋。 その後中央購買部で半額のサンドウィッチを買う。
倫理学入門読書会 「世紀末の倫理学に向けて: その思潮 (Toward Fin de siecle Ethics: Some Trends)」その1。
要約: 二十世紀の倫理学は、 ムーアの「善さは定義できない」という主張から始まった。 彼が主張した自然主義的誤謬(注1)は存在しないかもしれないが、 彼がそこで用いた未決問題論法(注2)は、 非認知主義への道を準備することになった。
注1: naturalistic fallacy--善さや正しさなどの道徳的性質を、 「快さ」とか「欲求されている」 などの自然的性質によって定義する誤り。 (例えば「『善い』とは、『快い』ということである」) ムーアによれば、道徳的性質は自然的性質に還元することはできない。 そのことを示すために使われたのが、未決問題論法である。
注2:
open question argument--
定義の適切さを吟味する一方法。
ある定義(たとえば「馬とは、馬属の有蹄四足獣である」)が与えられた場合、
その定義を疑問文の形(「馬とは、(本当に)馬属の有蹄四足獣であるか?」)にしてみる。
そして、その問いが無意味である(あたりまえすぎて質問として問う意味がない)
ように思われるならば、
その定義は適切であり、
逆に有意味であるように思われるならば、
その定義は不適切である、とされる。
そこで今、
「善さ」がある性質P (たとえば『快い』)
によって定義されるとしよう。
この定義が適切であれば、
「P(快さ)は本当に善いのか?」という問いは無意味であることになるはずであるが、
実際のところ、どのような自然的性質を挙げても、
この問いが無意味に思われるようなものはない。
したがって、道徳的性質は自然的性質には還元されないことになる。
難しい。疲れた。
それから某さん、某君、某君、 某君らと 某定食屋へ。
夕食後、いったん研究室へ。
某教授室の新PCの設定で時間を費す。
卒論提出日は過ぎたのに、なぜかまだ今夜も某ロールジアンは研究室でがんばっ ている。なぜだかは知らぬが、殊勝なことではある。
今日こそは寺町の電気屋街に行ってみる。
昼下がりから寺町の電気屋街に行って、2時間半ぐらいうろうろした末に、 CDラジカセとMDウォークマン(あるいは、MDステーションというのかも知れな い)を購入。冬期講習で稼いだバイト代が吹っとぶ。
寺町から下宿まで買った(大きい)荷物を自転車で運んだあと、まず部屋を片づ けた。12月から片づけていなかったので、ずっとひどい状態だったのだ。必死 の浄化作業の末、とりあえず部屋の半分は人間の住めるところになったので、 居住区域宣言を出す。残りの半分はまだかなり汚染がひどいので、立入禁止区 域に指定。
それからやっと、CDラジカセなどを箱から出し、2冊の説明書をそれぞれ1時間 ぐらいかけて読み、基本的な操作を覚えた。いろいろと機能があるので覚える のも一苦労である。
ううむ。そんなこんなで今日はまだ何もしていないが、もう眠くなってきた。 ぐう。
さっき、この研究室と両隣の研究室で電源が落ちた。明かりは点いていたのだ が、コンピュータや冷蔵庫がしばらく死んでいた。もちろんぼくがこれを書い ている今はみんな復活。
ところで2、3日前に、思考能力をどこかで落としてしまっ た。卒論の結びががいいかげんになったのもそのせい。
路上で思考能力を落としてしまったことにしばらくしてから気付いて、道を歩 いていた中年の男性に、「すみません、今さっき思考能力を落としたみたいな んですけど、そこいらで見かけませんでしたか?」と聞くと、「ああ、それな らそこのT字を右に曲がって二つ目の信号をまた右に曲がって、しばらくまっ すぐ行ったら自販機が幾つか並んでいるから、そこを左に曲がってすぐのとこ に一つ落ちてたよ」と言われたのだが、いかんせん思考能力をなくしたので説 明が難しくて分からない。結局あきらめてしまった。
というわけで今も思考能力がない。たくさん持ってる人、分けてくれませんか?
院試が2月12日と15日にある(らしい)。目標は院試に受かること。すると手段は?
いろいろ手段はあると思われるが、やはり正々堂々と合格点を取ることが望ま しいと思われる。そうするとまずどんな試験問題が出るのかよく調べなくては 行けない。傾向と対策っ。敵をよく知らなければ戦いには勝つことが出来ない と、孫氏も孔明も毛沢東もみんな言っている。文学部の試験を受けるのにいく ら料理の勉強をしても(おそらく)だめなのである。
とりあえずはっきりした目標があるんだからそれに向けてがんばろう、と思う。 人生常に目的がないといけない。いけないのであるっ。現状に満足してたらい けないっ。おれは全然満足できねえぜっ。
「余生を送る」というがあれは生きる目的をもはや持たない人のことを言うの であろう。「何か足りないんだけとそれが何か分からない」という人はみんな パンク。
そいえばこないだ「一南去ってまた一南」というマージャンネタを思いついたのだが、『ぎゅわんぶらあ自己中心派』とかにいかにもありそうで、書くのも気が引けるが、つい書く。
まだいる。何をしてるんだか。院試の勉強しろっての。
日本の古本屋 めぐる古書籍という古書のページを見つけた。一応検索機能付き。