共感

(きょうかん sympathy)

"`First of all,' he said, `if you can learn a simple trick, Scout, you'll get along better with all kinds of folks. You never really understand a person until you consider things from his point of view - until you climb into his skin and walk around in it.'"

---Harper Lee

He who is not within himself conscious of the existence of any sympathetic regard in his own breast for the happiness of others is thereby destitute of one source of happiness, and that a very fruitful one. His situation may be compared with that of the individual in whom the sense of smell is wanting, or that desire on which the species depends for its continuance.

---Jeremy Bentham

ウィンストン「ジューリアにやってくれ! ジューリアにやってくれ! 自分じゃない! ジューリアにだ! 彼女をどんな目に合わせても構わない。 顔を八つ裂きにしたっていい、骨だけにしたっていい。しかし、 俺にじゃない! ジューリアにだ! 自分じゃない!」(375頁)

ジューリア「どうかすると、ある事で脅かされるの--とても耐えられない、 夢にも考えられないようなことなの。すると、つい口走ってしまうんです。 『自分にじゃない。誰かにして。誰かさんにやって』 その後で、それが嘘にすぎないこと、そう口走ったのは彼らを止めさせるためで、 本気でいったのではないという振りをするかも知れないの。 けど、それは本当じゃない。そう口走っている時は本気なの。 自分の助かる途はこれしかないと思って、 そのやり方で自分だけは助かろうとするんです。自分じゃなくって、 誰か他の人にやってもらいたいと心から願うの。 その人がどんなに苦しもうと一向に構やしない。 自分のことしか頭にないんだわ」 (382頁)

ジョージ・オーウェル、『1984年』

他人のいうことに注意する習慣をつけよ。 そして出来るかぎりその人の魂の中にはいり込むようにせよ。

---マルクス・アウレリウス


他人が苦しんでいたり喜んでいたりする姿を見るか聞くか読むかして、 自分も同じ感情を抱くこと。たとえば、知り合いがレイプされたという話を聞き、 当人の苦痛を思いやって涙を流すのは他人の苦痛に共感することである。 一方、その話を聞いてざまあみろと思う人は共感していない。 同様に、ジョン・F・ケネディの暗殺を聞き、 妻のジャクリーンや家族の悲しみを思って泣く人は 彼らの悲しみに共感することであるが、 大統領という大事な人を失くしたがゆえに涙する人は、 誰かの悲しみに共感しているわけではない。 このように、共感は他人の立場に立つという高級な能力が必要とされる。

道徳における共感能力の重要性について研究したのはヒュームスミスなどである。

06/Sep/2001


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Mon Feb 04 08:31:34 2002