懐疑主義

(かいぎしゅぎ scepticism, skepticism)

De omnibus dubitandum. (You must have doubts about everything)

---Marx's favourite motto

この手の懐疑主義--どんどん問いを発するという意味ではなく、 道徳全体に対する不信の念をずいぶん独断的に宣言するという 意味での懐疑主義--が、驚くべきほど大きな影響力を持っており、 しかも驚くべきほどあいまいであるようにわたしには思えた。 わたしがとくに感銘を受けたのは哲学の学生たちの態度で、 かれらはある道徳的問題についてかなり強硬な見解を表明したあと、 問題がややこしくなってくると、あっさりと、 「まあ、けっきょくは個人の主観的な意見にすぎないですし」 などと言うのである。また、これも興味深い点だが、かれらはよく 「だけど、もちろん、 道徳的判断をなすことは常に不正なことですよね?」 と発言し、 この発言自体が道徳的判断であることには 気付かない(あるいはそのように見受けられる)のである。

---Mary Midgley

トム・ビーチャムは、 キャリアを積んでずいぶん経つまで研究者の倫理(good conduct)の 重要な枠組となる前提を学ぶことのなかった医学研究者の話をしている。 ある優秀な医学研究者は、道徳に関する懐疑論者で、 正と不正の知識はないと主張し、 またそのような問題は--とくに医学と比べれば--重要でないと考えていた。 彼の考えでは、倫理とは単なる意見に過ぎず、 行為の指針に関するある人の意見は他の人の意見とくらべて良くも悪くもなかった。 ある一言によって、彼は懐疑論者から、 道徳規則と判断を明確にし擁護することの大切さと、 倫理学を科学教育の一環とすることの重要性を説く人間に変わった。 その一言とは、 「この二年間、あなたと一緒に6本の論文を発表した教授は、 自分が関わったデータのほぼすべてを改竄していたんですよ」というものであった。 この医学研究者は自分の専門領域では洞察が深かったが、 科学の非-実証主義的な基礎についてよく考えたり、 優れた科学者としての彼の活動の基盤となっている多くの信念や価値観について よく考えたりしたことがなかったのである。 だから彼は、研究者の倫理や徳について深い信念を持っているにもかかわらず、 倫理を単なる意見として嘲笑していたのである。

---Loretta M. Kopelman

In recent years ... it bacame quite common to advocate the abandonment of morality. Zimmerman has not been the only philosopher to echo, wittingly or not, this popular trend among intellectuals. The argument was that we can get along without morality if only we attend to our own and other people's feelings and especially desires ... If there is enough love around, what need for justice?

---R.M. Hare

倫理的判断の真理性についてきわめて懐疑的な人々が、少なくとも倫理上の不 寛容については、一般に道徳的義憤を示し、真理をもとめ受け入れる「べきで ある」と非常に強く主張することに、私は気づいている。また、もっともはっ きりした倫理上の懐疑主義者でも、たとえば私が面白半分に幼児を苦しめるの を見れば、私の行為が悪いことを確信するだろうと私は信じないわけにはゆか ないと思う。

---A.C. Ewing

道徳的誠実さを保つためには、良心の声に耳を塞いではならない。 知的誠実さを保つためには、懐疑の声に耳を塞いではならない。

---Mr. D


西洋思想を貫く伝統的思考法の一つ。 要するに、 「実在とか についての知識や、 真理なんておれらにはわかんないんだから、 おれはそうしたことがらについて断定的な主張をする気はないよ」 という立場。 そこで、多くの懐疑主義者は、 物の現われ(現象)についての知識で満足しよう、 ということになる。 だからたとえば、懐疑主義的な思考法にしたがえば、 火の本質についてはよくわからないが、 火はとりあえずわれわれにとっては熱いものであるから、 火の中に手をいれたりするのはとりあえずやめておこう、 という態度をとるわけである。 このように、現象の背後にある実在の世界についての判断を差し控えることを エポケー(判断保留)と言う。 また、セクストス・エンペイリコスによれば、 懐疑主義者は《真実を発見した》 と主張しないだけではなく、《真実は知られえない》とも主張しない。 むしろ、《真実を発見したとも真実は把握できないとも主張せず、 断定をさけてさらに探求を続ける》という立場をとる。 「…形容詞skepticosは、動詞skeptesthai(考察する)に由来し、 名詞として用いられる場合は元来「考察者」を意味していた。 しかし、発見よりも終わりなき探求の継続を重視する人々の登場とともに、 この語は「懐疑主義者」を意味するようになる。」 (セクストス・エンペイリコス、『ピュロン主義哲学の概要』、 金山弥平・金山万里子訳、京都大学出版会、1998年、訳者による補註405頁)

ピュロンに代表される古代の懐疑主義が、 このセクストス・エンペイリコスの『ピュロン主義哲学の概要』 のラテン語訳の出版(1569年) によって近代西洋哲学の発展に決定的な影響を与えたのは有名な話。 とくにデカルトヒューム などの哲学は、懐疑主義の影響抜きには語れない(らしい)。

たとえばデカルトは、 当時流行していた懐疑主義の方法論を用いて、 すべてのことを疑って疑って疑いぬいた結果、 「う〜ん、それでもやっぱりおれが存在してることは疑えないなあ」 と自己の存在の(直観的な)確かさに気付き、 そこを出発点として哲学を築き上げようとした。

主要文献はセクストス・エンペイリコスの『ピュロン主義哲学の概要』、 キケロ『アカデミカ』、アウグスティヌス『アカデミア派論駁』、 モンテーニュ「レモン・スボンの弁護」、 ベール『歴史批評事典』など。 また、1960年代以降、懐疑主義研究は盛んになってるらしい。 今回も哲学思想事典をずいぶん参考にさせてもらった。

08/04/99; 08/05/99 一部追記


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Dec 14 11:51:51 JST 2012