反省的均衡
(はんせいてききんこう reflective equilibrium)
ロールズによれば、人々は、公平な状況として設
定された原初状態という仮想的状況において、
正義の二原理を選択する。しかし、原初
状態をどう描くかは、一義的に決まっているわけではなく、人間本性や環境と
いう与えられた条件から正義の二原理が演繹されるというのではない。むしろ、
原初状態をどのようなものとして設定するかは、そこから導きだされる正義の
二原理がわれわれの熟慮された判断とうまく一致するか、という考慮に応じて
変化する。最終的に、正義の原理と、熟慮された判断がうまいぐあいにかみあっ
た状態が反省的均衡と呼ばれる。
(11/Apr/2001)
ロールズの用語。
「反照的均衡」と訳さないと不満に思う人もいるらしい。
ごく通俗的な用法では、反省的均衡は次のような手順で行なわれるとされる。
- われわれが道徳に関して持つさまざまな直観
(considered judgment 熟慮された判断)
から、ある抽象的な道徳原理を導き出す。
(たとえば、「妊娠中絶はかまわない」と
「胎児は人格ではない」という直観から
「人格でない生命を殺すのはかまわない」
という抽象的原理を導きだす)
- その道徳原理とさまざまな直観を照らし合わせた場合、
その原理によってそれらを整合的に説明できるかを考える。
(「植物人間が人格でないとすれば、
植物人間を殺すのはかまわないか」)
- 当の道徳原理といくつかの直観が衝突する場合は、
新たな道徳原理を作り出すか、
あるいは衝突する直観が不合理なものであるとして
その直観を放棄する。
反省的均衡は、このような仕方で抽象的な道徳原理を作り出す一方で、
直観同士の矛盾をなくし、
整合的な集合となることを目指すものである。
しかし、このような説明はまったくロールズの考えとは異なっている、
と論じる人もいるようだ。
(06/06/99)
たしかに、ロールズは『正義論』の
「原初状態と正当化」を読むと、
反省的均衡は、
正義原理を導き出すのに理想的であるような原初状態を見つけだすために
用いられている。すなわち、
理想的な原初状態を見つけるためにそこで用いられている手順は、
- とりあえず理想的と思われる原初状態の条件を挙げてみる
(たとえば、正義原理を決めるにあたり、みな平等の発言権があるとか)
- その原初状態から実際に正義原理を導き出してくる。
ここで、
初期条件があまりに緩すぎてたくさんの正義原理がでてくる場合や、
初期条件が厳しすぎて一つも正義原理がでてこない場合は
1.に戻って条件を検討しなおす。
- 正義原理がうまく導き出せたら、
それをわれわれの直観と照らし合わせて検討する。
この時点でうまくいけばめでたしめでたし。
- 正義原理と直観がうまくかみあわないの場合は、
次のいずれかの手段をとる。
- 原初状態における条件を変更して新たな正義原理を
作り出す
- 直観の方を修正する
- 最終的に、われわれの直観と一致するような正義原理を生み出す
理想的な原初状態が見つかれば、手続きは終了する。
この均衡状態を反省的均衡と呼ぶ。
というものである(A Theory of Justice, p. 20)。
ただし、ロールズは『正義論』の他の箇所で、
反省的均衡は言語と文法の相互作用においても見られる
というようなことを言っているので(pp. 48-9)、
これなどは俗流の解釈を許すもののように思われる。
(06/06/99 追記)
KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Jan 28 06:19:16 JST 2000