(ぽすともだん postmodernism)
このことば[ポスト・モダン]は、 もとは建築の様式に関する言葉であったといわれているが、 はじめは次のような意味をもっていたようである。 何らかの目標をもって、 事態を一定の方向に進展させてゆくのがモダンであり、 事態そのものをそれぞれ何の脈絡もなく繋げてゆくのがポスト・モダンである、 と。 一方が目的地をめざす足早の歩みであるのに、 他方はむしろその場所を楽しく輪舞する軽やかなステップであるといってもいい。 ひたすら一つの道を求めるのを好まない現在の若者は、 こうしたポスト・モダンの気風に通じているのかもしれない。
---市倉宏祐
さまざまな差異を同一性に回収しようとしたのがモダンの論理だったとすると、 ポスト近代の社会理論は、捏造された同一性を多様な差異の展開へと再構成 するものだといえよう。
---三上剛史
「ポストモダン」とは、「精神の弁証法、 意味の解釈学、理性的人間あるいは労働者としての主体の解放、 富の発展」などの近代を根拠づけていた「大きな物語」、 すなわち「啓蒙の物語」への「不信感」ないしこの物語の衰退のことである (リオタール)。 ポストモダンは明確に区切られた「時期」ではなく、 ポスト産業社会とか情報社会とか後期資本主義社会とか呼ばれる今日の 時代状況を特徴づけ、近代そのものを相対化する視点である。
---大野道邦
真理や合理性や客観性を求め人類の進歩を信じた謹厳実直な近代哲学・科学 (広い意味での啓蒙思想)をおちょくる軽佻浮薄かつ無責任な思想の総称。
上のような仕方での近代批判はニーチェにすでに 見られるが、ポストモダンのランドマーク的著作はリオタール (Jean-Francois Lyotard 1924-1998)の『ポストモダンの条件』(1979年)とされる。
なお、ポストモダンを自称する人の多くは、 哲学を「戯れ」だと思っているため、 まじめに勉強しないとされる。
17/July/2000; 21/Jan/2002追記
冒頭の引用は以下の著作から。