(じゆうほうにんしゅぎ laissez-faire)
あらゆる人は、正義の法を犯さぬかぎり、各人各様の方法で自分の利益を追求し、 自分の勤労および資本の双方を他のどの人または他のどの階級の人びとの それらと競争させようとも、完全に自由に放任されるのである。
---アダム・スミス
経済活動に関しては、 自己利益を追求する個人の営みに任せておけば最もよく社会全体の利益を増進する ことができるのであり、したがって政府による介入(計画経済)は望ましくない とする立場。
「君は小麦を作り、君がペンを作り、君は武器を作り…」 というように経済活動を計画的に統制しようとすると大変な労力と頭脳が 必要となるが、スミスは個人が自由に経済活動を 営めば、「見えざる手」 によって自然と調和がとれると考えた。
この考えはとくに産業革命期からヴィクトリア朝時代の英国 (18世紀後半から19世紀)を中心に流行するが、 自然淘汰を唱えたダーウィンや それを社会に適用したスペンサーらの理論に よってさらに強固なものになった。すなわち、自然に任せておけば、 適者が生きのこるのであるから、政府(人為)の介入をすべきではない、 というわけである。
カーによれば、このころの道徳として、「金持ちになるのは勤勉だったからで、 貧乏になるのは勤勉でなかったからだ」という考え方があったという。 つまり、「金持ち=美徳」、「貧乏=悪徳」という図式があり、 貧乏になるのは十分に努力をしなかった自分が悪いのだから、 国や他人が助ける義務はなく、 あくまで自助で--すなわち工場で身を粉にして働いて--はいあがるべきだ と考えられていた。1834年に制定された新救貧法も 「働かざるもの食うべからず」という考え方に基づいており、 結果的にこのような考え方が資本主義に必要な労働力を供給するのに役立った。
またカーによれば、この自由放任主義が崩れていくのは、 資本主義が進むにつれ大企業の寡占・独占が起こり、 自由放任主義の美徳であるはずの競争が生じなくなってしまったことや、 「定期的な自浄作用」として正当化されてきた経済恐慌があまりに大規模なものに なり政府が介入せざるを得なくなったこと、 さらに失業者の増大によって社会不安が大きくなったきたことなどが上げられる。 古典的な自由放任主義に決定的な終止符を打ったのは、1929年にウォール街から始まる 世界大恐慌とされる。
ただし、自由放任主義の思想はその後も命脈を保っている。 共産主義の計画経済に対抗してハイエクが論陣を 張り、彼やマイケル・フリードマンが80年代に「小さな政府」 を志向して大規模な減税や規制緩和を行なったレーガン・サッチャー政権の 思想的基盤を用意した。
26/Apr/2003
経済活動に関する政府の干渉は不要だとする立場。 子供の教育に関しても自由放任主義が説かれたりするが、 こちらの場合は、経験に照らして考えると、 だいたいにおいてうまく行かないと思われる。 (08/25/99)
上の引用は以下の著作から。