内在主義

(ないざいしゅぎ internalism)

Internalism is the view that the presence of a motivation for acting morally is guaranteed by the truth of ethical propositions themselves. ... Externalism holds, on the other hand, that the necessary motivation is not supplied by ethical principles and judgments themselves, and that an additional psychological sanction is required to motivate our compliance.

---Thomas Nagel

Morality/reasons internalism, as we may call it, holds that reasons for acting are internal to moral demands in the following sense: If S morally ought to do A, then necessarily there is reason for S to do A consisting either in the fact that S morally ought so to act, or in considerations that ground that fact.

---Stephen Darwall

W. D. Falk, William Frankena, and Thomas Nagel, among others, have distinguished between two kinds of moral theories, which are called "internalist" and "externalist". An internalist theory is a theory according to which the knowledge (or the truth or the acceptance) of a moral judgment implies the existence of a motive (not necessarily overriding) for acting on that judgment.... It is part of the sense of the judgment that a motive is present: if someone agrees that an action is right, but cannot see any motive or reason for doing it, we must suppose, according to these views, that she does not quite know what she means when she agrees that the action is right. On an externalist theory, by contrast, such a conjunction of moral comprehension and total unmotivatedness is perfectly possible: knowledge is one thing and motivation another.

---Christine Korsgaard


現代メタ倫理学用語。 「〜をすべし」という道徳的知識には、 そのように行為する動機が含まれているという立場。 この立場では、「〜すべし」という言明に同意して、 しかも「だからどうしたの?」と述べることは矛盾する。

これに対して、道徳的命題の真偽とそれに従う動機は別個の事柄だとするのが 外在主義の立場。ネーゲルはムーアや(功利原理の正しさと、功利原理のサンクションの話を別個にやっている)J.S.ミルなどがこの立場を採っているという。

通常、自己利益に訴える議論は、行為をする理由(reason for action)を与えると 考えられる。たとえば、「なんで老人に親切にせんとあかんの」 と尋ねられたら「情けは人のためならず。 あんたも老人になったときに親切にしてもらいたいやろ」と答えれば、 「うち、老人になる前に死ぬもん」とか、 「うち、老人になっても助けてもらいたないもん」とかいう反論がありうるものの、 まあ「ああそうか」ということになる。 このような自己利益への訴えは行為する理由としてわかりやすい。 ホッブズはこのような自己利益(自己保存の欲求) から道徳を作り上げることを企てるので内在主義者だと考えられる。 ネーゲルはホッブズやヒュームをこの種の(人間の本性的動機を前提することから 道徳を作り上げるタイプの)内在主義者だと考えている。

一方、カントのような内在主義者だと、 「老人に親切にすべきだ」というのは、 自己利益に訴えることなくして、行為する理由になる。 この例だとわかりにくいが、 たとえば「自分の利益になろうとなるまいと、約束を守るべきだ」 という主張はある程度なっとくできるのではないか。 この場合、約束を守るべき理由は、「自分の利益になるから」 というのとは別の何かであり、 カントに言わせると、 それは「〜すべし」という主張そのものに行為の理由がある。 このような一見無理筋のカント流の内在主義を利他心の分析によって 作り上げようとするのがネーゲルの立場である。

あと、(道徳という文脈に限定されず)合理的なものは人を動機づける という立場も内在主義と呼ばれる。

外在主義も参照せよ。

07/Dec/2001; 23/Jan/2013追記

ウィリアムズの「内在的理由と外在的理由」については要約を参照。下記の本も参考になる。


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Thu Jan 24 00:22:36 JST 2013