義務論

(ぎむろん deontology)

We promise to visit a friend the next day. When the day comes it turns out that keeping the promise would involve neglecting someone dangerously ill. The fact that this is accepted as an adequate reason for not keeping the promise surely does not mean that there is no rule requiring promises to be kept, only a certain regularity in keeping them. It does not follow from the fact that such rules have exceptions incapable of exhaustive statement, that in every situation we are left to our discretion and are never bound to keep a promise. A rule that ends with the word `unless ...' is still a rule.

---HLA Hart


行為の正しさを、 《その行為が、あらかじめ定まっている義務あるいは規則に適合しているかどうか》 によって判断する理論。 たとえば、「嘘をついてはならない」という義務がある場合、 ある行為が「嘘をつく」という行為だとみなされるならば、 その行為は義務に適合していないがゆえに正しくないとみなされる。

地が裂けようが空が落ちてこようが、 何がなんでも十戒をとにかく守る というような律法主義(規則崇拝)が義務論者のあり方である。

これに対して、行為の正しさは、 通常は規則との一致不一致によって判断されてもよいが、 究極的には行為の生みだす帰結の善し悪しによって決まると 主張するのが帰結主義である。

[追記: 義務論と帰結主義の違いは、 ある価値を尊重(honour)するか促進(promote)するかという違いだ、 という風に説明されることもある。 たとえば、ある極右団体が全体主義の復活を求めており、 その団体に表現の自由を許すと国民が説得されて全体主義が復活する可能性が 高いとき、帰結主義者ならば極右団体の表現の自由を制限することによって 自由を促進しようとするが、義務論者は表現の自由を尊重するがゆえに、 どのような結末が予想されても、表現の自由を制限することはしない、 というように(Pettit 1993を参照にした)]

一見自明な義務ロスの項も参照せよ。

06/Jun/2001更新; 08/Aug/2001; 15/Mar/2003


参考文献


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sat Mar 15 20:50:21 JST 2003