理神論

(りしんろん deism)


17世紀終わりから18世紀初頭にかけて、 啓示宗教が持つ神秘的、反合理的な要素を排除し、 理性で理解できるかぎりの宗教を作ろうとした立場。 歴史的には「啓示宗教」に対して「自然宗教」と呼ばれた。 啓蒙運動の一環と考えることができる。

代表者はチェルベリーのハーバート(Lord Herbert of Cherbury, 1583-1648)、 ジョン・トーランド(John Toland, 1670-1722)など。 トーランドのChristianity not Mysterious(1696)は バークリシャフツベリロックなどにも影響を与えているとされる。

全般的な傾向としては、啓示や奇蹟を疑い、 神・イエス・精霊の三位一体説にも懐疑的であった。 神は世界を設計したが(デザインアーギュメントを参照)、 途中で(恣意的な)介入してくることはないと考えるため、 批判者からは「不在地主(absentee landlord)としての神」と揶揄された。

また、ディドロが理神論者とは無神論者になるほどまだ長生きしていない人のことだ (a deist is someone who has not lived long enough to become an atheist.) と述べたように、このような立場は無神論にかなり近く、 実際に理神論者はよく無神論者のかどで批判された。 そのため、彼らは自分たちのことを理神論者ではなく「自由思考家(free thinker)」 と呼ぶことが多かった。

11/May/2003


参考文献


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sun May 11 13:47:20 JST 2003