(ていぎ definition)
「学者の下す定義にはこの写真の汽車や琥珀の中の蝿に似て鮮かに見えるが 死んでいると評しなければならないものがある」
---夏目漱石
[ソクラテスは]「どうか(…)定義をしてくれ給え」、 などとはいわなかった、それから定義された時にも、 「君の定義はよくない。というのは定義が要点にぴったり合わないからだ」 とはいわなかった。 これ(定義)は学術的な用語だ、だから素人たち--彼らからわれわれは 離れることのできない関係にある--には厄介でわかり憎い。 (…)われわれはそれら学術的な用語によっては、 彼を動かすことは断じてできないのだ。
---エピクテートス
Nothing has been, nothing will be, nothing ever can be done on the subject of Law that deserves the name of Science, till that universal precept of Locke, enforced, exemplified and particularly applied to the moral branch of science by Helvetius, be steadily pursued, 'Define your words'. It is true, it is not for every man in matters of moral science to define his words.'
---Jeremy Bentham
言葉の意味を確定すること。たとえば、「シマウマ」という言葉が何を 意味しているかを、動物園にいるシマウマを見せて、 「これを『シマウマ』と言います」 のように説明するのは、一つの定義の仕方である。
しかし、定義にはいろいろな方法があり、 「シマウマとは、哺乳類に属している、ウマ科の動物です」 ということもできる。 アリストテレス以降、 「類と種差による定義definition per genus et differentiam」 という定義の仕方では、定義されるものの上位概念(類genus)と、 その類に含まれる他のものからそのものを区別する差異(種差differentiam)を指摘 することによって定義が行なわれる。
たとえば、「シマウマは、哺乳類(類)に属している」と言うと、 哺乳類にはキリンやゾウもいるので十分な定義ではない。 そこで、「ウマ科の動物(種差)」と言うことにより、 キリンやゾウから区別することができる。 (もっとも、ウマ科にもロバやラバなどいろいろな動物がいるので、 この定義はより洗練される必要がある)
上の定義は大きな分類体系(系統図)を前提としており、 ポルフィリーの木(Porphyrian Tree, Arbor Porphyriana)は このような発想で人間の定義を行なったものである。
「徳とは何か」という問いに代表される、 ソクラテスの問いも、 実際のところは、普段「男の徳は…」「女の徳は…」と わかったつもりで使っている言葉でも、 実はいざ定義をしようとしてみるとうまくいかず、 本当は言葉を理解していないことを指摘するために行なわれたものと 考えることができる。
ただし、そのような「徳の本質」を定義できるかどうかは議論が分かれるところ であり、ウィトゲンシュタインの 家族的類似(family resemblance)の議論は、たとえば「ゲーム」に属している ものにかんしては、すべてにまたがった共通点を指摘できないので、 ソクラテスが徳について論じたような、 共通点を指摘する仕方では定義をできない、という話である。
13/Jun/2004
上の引用は以下の著作から。