批判

(ひはん criticism)

Our age is the age of criticism, to which everything must be subjected. The sacredness of religion, and the authority of legislation, are by many regarded as grounds of exemption from the examination of this tribunal. But, if they are exempted, they become the subjects of just suspicion, and cannot lay claim to sincere respect, which reason accords only to that which has stood the test of a free and public examination.

Kant, The Critique of Pure Reason, Preface to the First Edition

You must always let yourself think about everything. And you must think about everything as it is, not as it is talked about ... We should never accept anything reverently without asking it a great many very searching questions.

from George Bernard Shaw, Village Wooing

大垣義朗「貶されるのを恐れるあまり、他人の作品の批判を遠慮していると、 しまいにはよそのどこかの同人誌の合評会みたいにべたべたした仲間褒めだけに なってしまうんだ。傷の舐めあいだ。進歩がなくなる。 同人誌の合評会ってやつは罵詈雑言の投げつけあいでなきゃいけないんだよ。 文学の世界じゃ世間並みのお愛想や逃げ口上は通じない」

筒井康隆、『大いなる助走』、99頁

祖父たちの持っていた偏見を批判するのは我々にとって容易なことである。 そうした偏見からは我々の父親自身が自由になっているのである。 これよりもずっと困難なのは、我々自身の見解から距離をおいて、 我々の持っている信念と価値の内に潜んでいる偏見を感情に囚われることなく捜し出せるようになることである。

---ピーター・シンガー

どんな対話や議論の場合でも、それで憤概する人たちに向かって、 「何が気に入らないのですか」と言えるようでなければいけない。

---パスカル

「批判する」とは必ずしも「反対する」ということではない。
ある論証に対してそれを批判するということは、 その論証の結論に反対することとは別である。 たんに拒否するために批判するのではない。 いっそう重要な、強調したい批判のあり方は、理解するために、 あるいは受け入れるために為される批判である。 それゆえ、結論には共感しつつも、 なおその論証に対して「これはおかしい」と声をあげるということが起こる。
反対することは対立することでもあるだろうが、 批判することは対立することではない。 それは問題を共有する者たちによって為される共同作業にほかならない。 いわば、あえて波風を立たせて、それによって足場を固めるのである。
この感覚がないと、対立するか馴れ合うかのどちらかしか選べなくなる。 自分を批判する相手を、ただ敵対する者としてしかとらえられなくなる。 その結果、自分自身に対する批判的まなざしも失われる。

---野矢茂樹


ケチをつけること。 哲学のテキストにかぎらず、どんなテキストを読む場合でも、 「あほ。死ね。ばか」とわめきながら読まなければならない。 そして、どうして「あほ」なのかが他人にきちんと説明できるようになれば、 立派な哲学者になったことになる。

「哲学において『批判する』というのは、 ふつうに使われている『ケチをつける』という意味ではない。 批判的態度でもってテキストを読むというのは、 テキストに書いてあることを鵜呑みにするのではなく、 議論に用いられている前提があやしくないか、 議論の筋にあやまりがないか、 結論が受けいれがたいものではないか、 などいちいち吟味しながら読むということである」 というもっともらしい説明がよくなされるが、 こんな説明を鵜呑みにしてはいけない。

すでに戦いは始まっているのであり、 「こんな説明はたわごとだ。 哲学において『批判する』というのはまさに『ケチをつける』ことであり、 テキストを読むときは「あほぼけ死ねカス」とわめくことであり、 学会に行けば相手を指差して『あなたの意見は完全に間違っています』 と口から泡を吹きながら叫ぶことである。 哲学はつねに権威に対する挑戦であり、 眉に唾をつけ、テキストに唾を吐き、 可能ならば論争相手に唾を吐きかける態度がもっとも大切だ」 と反論しなければならない。


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Mon Jul 18 11:46:18 JST 2011