(ぱすかる Pascal, Blaise)
人間の偉大さは、人間が自分の惨めなことを知っている点で偉大である。 樹木は自分の惨めなことを知らない。
だから、自分の惨めなことを知るのは惨めであることであるが、 人間が惨めであることを知るのは、偉大であることなのである。---パスカル
どんな対話や議論の場合でも、それで憤概する人たちに向かって、 「何が気に入らないのですか」と言えるようでなければいけない。
---パスカル
われわれの情念が、われわれに何ごとかをさせるときには、 われわれは自分の義務を忘れてしまう。 たとえば、ある本がおもしろいと、ほかのことをしなければならないときでも、 それを読んでしまう。 けれども、その義務を思い起こすためには、 何か自分がきらいなことをしようと思い立つことである。 そうすれば、ほかにしなければいけないことがあるという言いわけをすることになり、 この方法で自分の義務を思い出すようになる。
---パスカル
ここに幾人かの人が鎖につながれているのを想像しよう。 みな死刑を宣告されている。 そのなかの何人かが毎日他の人たちの目の前で殺されていく。 残った者は、自分たちの運命もその仲間たちと同じであることを悟り、 悲しみと絶望とのうちに互いに顔を見合わせながら、 自分の番がくるのを待っている。 これが人間の状態を描いた図なのである。
---パスカル
だれか他の人に向かって、効果のある叱り方をしようとし、 その人の間違いを示してやろうと思うのなら、 その人が物事をどのような面から見ているかに注意しなければならない。 というのは、その面から見れば、 その物が真実に見えていることがふつうだからである。 そこで、その人に対し、この真実をその通り認めてやり、 一方、どの面でそれが誤っているのかを知らせてやらねばならない。 そうすれば、その人も満足する。 つまり、自分が間違っていたのではなく、ただどの面も余す所なく見ることを 怠っていただけなのだと知るからである。いったい、 だれでも、何もかも見ることができなくても残念とは思わないが、 自分が間違ったとは思いたくないものである。 おそらくその理由は、人間はもともとすべてを見ることはできないこと、 人間はもともと自分の見ている面では間違うことがないことに由来するのであろう。 感覚の理解能力は、つねに正しいのだからである。
---パスカル、『パンセ』
知識にはふたつの極端があって、それぞれに通じ合うところがある。 一方の端は、すべての人間が生まれながらに置かれているまったくの自然的な 無知の状態である。もう一方の端は、すぐれた人びとが、最後にたどりつく 無知であって、これらの人びとは、人間にとって知りうるかぎりを究めつくした のち、自分たちは何も知らぬことをさとり、みんなもとの出発点なった 同じ無知の状態にもどってくるのである。 だがそれは、自分を知っている、知恵のある無知である。 このふたつの極端の中間にある人びとは、 自然的な無知からは脱却したものの、もう一方の無知にはたどりつくことができず、 持つべき知識もほんのうわっつらだけしかなく、いかにも物知り顔にふるまう。 こういう連中が世の中を乱し、万事に間違った判断をくだすのである。
---パスカル、『パンセ』
ひたすら見ることを願う人たちには、光は十分にあり、 それと反対の気持の者には、たっぷりと暗さがある。
---パスカル、『パンセ』
人間は、どんなに悲しみにみちているときでも、 だれかがうまいぐあいに、気ばらしに引き入れてくれたら、ほら、 もうその間はこんなに幸福なのだ。 また、人間はどんなに幸福であっても、退屈が広がるのを おさえてくれる何かの熱情とか楽しみによって、 気をまぎらせ、心を奪われていないならば、 ほどなく不きげんになり、不幸になるであろう。
---パスカル、『パンセ』
不具の人が、わたしたちをいら立たせることはないが、 不具の精神はいらいらさせるのは、どういうわけだろうか。 不具の人は、わたしたちがまっすぐ歩いていることを認めているが、 不具の精神は、わたしたちの方が不具だというからである。 そんなことでもなければ、わたしたちも可哀そうに思ってやっただろうし、 腹を立てることもないであろう。
---パスカル、『パンセ』
自分の仕事をじっくり観察する場合でも、それを仕上げた直後だと、まだすっかりそれにとらわれたままでいる。あまり後になると、もうそこへ入っていけない。 絵を見る場合もそうで、遠すぎてもいけないし、近すぎてもいけない。真に適当な場所は一点しかなく、この一点は他の点で代用することができない。
---パスカル、『パンセ』
近代フランスの哲学者(1623-1662)。 数学、物理学の分野でも大きな貢献をしたようだ。 主著『パンセ』Pensées (1670)。 詳しくはまた。アライグマとは関係がない。
15/Jan/2001; 27/Sep/2004(つまらないことを)追記
上の引用は以下の著作から。