こだまの(新)世界 / 文学のお話

筒井康隆『大いなる助走』(1982年、文春文庫)


内容

「焼畑文芸」は地方の冴えないブンガク同人誌である。 これまでこの同人誌から文壇デビューした者はいなかったのだが、 新たに同人となった二枚目サラリーマン市谷京二の処女作「大企業の群狼」は 「焼畑文芸」からメジャーの純文学雑誌である「文学海」に転載されることになり、 しかも直廾賞候補にまでなってしまう。 ブンガクに手を染めたために会社を首になり、 ブンガクで成功したために他の同人から嫉妬され罵倒されながらも、 市谷は直廾賞を受賞しようと選考委員たちに対して必死の裏工作を するのだが…。


感想

おもしろい。筒井康隆天才。

最初は『文学部唯野教授』のようなドタバタものかと思って ひたすら大笑いしていたのだが、 後半の展開は『俗物図鑑』や『霊長類・南へ』などにも見られる 「破局突進型」で、最後まで一気に読ませられ圧倒的な結末に ただただ驚かされてしまう。ううむ。すごい。

ついつい小説を書いてみたくなる作品。


名セリフ

山中道子「あら。だって、小説って主観的なものでしょう」(38頁)

保叉一雄「わたしは未成年同人の保護者でもなければ教育者でもありません。 それどころか悪魔かもしれない。つまり文学というのは反社会的、反道徳的、 反常識的な思考を必要としますので、われわれは仲間うちにいる 未成年者への影響といったことなど考えてはいられないのです。 昔から世の常識的な良家の保護者が文学を悪とし、自分たちの家庭の子女が文学に 走るのを恐れる原因も、実はここにあるのです」(46頁)

大垣義朗「貶されるのを恐れるあまり、他人の作品の批判を遠慮していると、 しまいにはよそのどこかの同人誌の合評会みたいにべたべたした仲間褒めだけに なってしまうんだ。傷の舐めあいだ。進歩がなくなる。 同人誌の合評会ってやつは罵詈雑言の投げつけあいでなきゃいけないんだよ。 文学の世界じゃ世間並みのお愛想や逃げ口上は通じない」(99頁)

牛膝(いのこずち)「そもそも小説を書く、というのは自分以外の他人に読ませる為に 書くのであって、そうでないのなら書く必要はありませんね。 自分ひとりの為に書くのなら日記でいいことで 何も小説という形式にする必要はない。」(105頁)

牛膝「また、文壇の一角に座を占めたからといってこうした苦役が 終るわけではありません。それまでに倍する苦労が待っています。 ある作家は美人の奥さんを大作家の饗応の具に差し出さねばなりませんでした。 SF作家の世界ではいまだに長老や仲人が初夜権を持っています。」(113頁)

時岡玉枝「なぜ。わたし主人の持ちものじゃないわ」 「もしあなたがわたしの主人なら、わたしを財産だと思う」(169頁)

時岡教授「誰でもよろしい。なぜかというと人間は誰とでも交接できるように なっているからだ。多くの異性と交ることによって人間は種として頑強になる。 願わくば他の種の哺乳類と交ってくれればますます頑強になるのだがね。 わたしなどは君、出産時に裸で膣を通過することによって母親と交った」(178頁)

美保子は迷路のような旅館の廊下をさまよい歩いた。 顔色が紙のように白くなっていることが自分でもわかった。 あれでいいじゃないの、と彼女は自分に言い聞かせていた。 なぜあの男を怒ることがあるの。 あの人は自由恋愛主義者なんだから。わたしもそうなのだから。 文学をやる人間はみなそうでなければならないってあの人が行っていたわ。 アイデンティティを持たなければならないってあの人が言っていたわ。 嫉妬なんて。恋人を独占しようなんて。そんな非文学者的な気持は わたしにはないわ。そんなことしたら、あの人に軽蔑されるわ。(228頁)


関連リンク

筒井康隆のホームページ


02/18/98-02/20/98

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Satoshi Kodama
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Last modified: Sun Aug 23 08:24:18 JST 1998